2016/12/12

序を斬る  
沖浦氏の迷走は誰の目にも明らかだろう。趣意から主意へと、さらには主意から取意へと、文字通りの二転三転だ。

確かに取意は大聖人も御使いになっている表記である。しかし、だからと言って沖浦氏の主張が正当化されるわけではない。いちばん単純に言えば、大聖人がなされる取意は信用に足るけれども、沖浦氏のそれはまるで信用できない。当たり前だろう。我々は大聖人の仏法を信仰しているのであるから、大聖人の仰せは無条件で信ずるのである。しかし、沖浦氏の発言は信用できない。いや、そこまで言うのは失礼であるが、少なくとも無条件で信用するわけには行かないのだ。もし無条件で信ずる人がいるとすれば、それは沖浦教の信者だろう。イヤミな言い方だが、それが道理なのである。

しかも委細に見れば、大聖人は出典を明示しているではないか。慈覚大師の入唐巡礼記からの引用であると・・・

いかがだろう。もし沖浦氏に誠意があるならば、今後は出典を明示すべきである。その上での取意であれば大いに結構だ。会長全集の何巻であるとか人間革命の何巻などと明記した上で、自分なりに要約して引用すれば、誰も文句は言うまい。

 法華の慢!

さらに新語(?)が登場した。不勉強のわたくしはこの出典を知らない。まあ、何となく言わんとしていることはわかるのだが、先日の謙虚の議論を踏まえると沖浦氏はただひたすら自説を正当化したいがために悪あがきをしているようにも感じられるので、いちおう参考までに出典をご教示願いたいと思う。

話ついでに関連する話題を書いておこう。

http://honshubou.main.jp/gosho/0243.htm

どなたが作成しているサイトか知らないが、平成新編を愛用しているわたくしにとっては有益なサイトである。

已上趣意。

ここは取意の打ち間違いだろう。ぜひとも修正されたい。

さて、本題だ。基礎教学書では冒頭に大聖人の御真蹟写真を掲げている。安国論、本尊抄、撰時抄、諫暁八幡抄の四抄だ。なるほど、前回は装丁にケチをつけたというか、今の時代は重厚な本が流行らないという意味のことを書いたわけだが、御真蹟写真を掲げている意味では装丁を特上としなければいけないかもしれない。安っぽい装丁ではいかにも申し訳ない感じがするからである。まあ、しかし、いずれにしても不便な本であることには変わりがないだろう。いわば飾っておくのが目的のような本だ。

では次に行こう。いよいよ「序」である。

 日蓮大聖人こそ、この予言証明に照らされて末法の日本国に出現された久遠元初の御本仏であられる。

本当は冒頭の一行から取り上げていくべきなのだろうが、それをやると本書だけで一年くらい掛かりそうなので、いつものごとく自分の独断でポイントと思われるところを拾っていくことにする。

久遠元初の御本仏がうまいと思った。

というのは、浅井先生は久遠元初の自受用身を多用する傾向があって、実はこれが一般人の感覚ではベラボウに難解な用語なのである。そもそも久遠元初も専門用語であって、一般的ではない。つまり、いきなり専門用語が二つも出てきてしまうと、そこで一般人はギブアップすることになるのだ。よほどの読書好きでない限り、読み続けることは出来ないだろう。

久遠元初の御本仏ならば、何となくでも意味がわかるので、この先も読んでみようと思うかもしれない。そこが上掲のポイントである。

まさに国家権力が、ただ一人の大聖人の御頸が切れず、その御威徳の前にひれ伏してしまったのである。

いきなりこの話を持ってくるところがいかにも浅井先生らしい。

この点について、櫻川氏はきわめて批判的である。今略してキーワードだけを拾えば、浅井会長の特異思想、超越的本仏観、独自の絶大威力論などである。きわめて辛辣であるが、確かに傾聴に値するところではある。

ただし、浅井先生の言っていることもあながち間違っているわけではなく、大聖人の御本仏たるゆえんを現証面から論ずる時、竜の口のことは避けては通れない道なのである。ゆえに浅井先生の手法はある意味では正攻法とも言えるだろう。

ところがである。

ひじょうに些細な話であるが、わたくしは上掲の文章にやや違和感を持った。具体的には「御頸が切れず」のところである。文法的にどうかは知らないが、「御頸を切れず」のほうがよさそうに感じるのだった。

実は浅井先生も後にはそのように思い直したらしい。次をご覧になられたい。

 まさに国家権力が、ただ一人の大聖人の御頸を切れず、かえってその絶大威徳の前にひれ伏してしまったのである。

これは例のカラーコピーである。

基礎教学書の序は平成二十七年九月十二日の日付が明記されている。そして基礎教学書の広告が打たれたのは本年に入ってからのことである。

まあ、大した問題ではないのかもしれない。また、言語感覚は人それぞれだから、別に「が」でも「を」でもどちらでもいいと思う人もいるかもしれないし、むしろ「が」のほうがシックリくる人もいるかもしれない。ただ言えることは、さすがは完全主義者の浅井先生だけあって、けっこう細部まで気にしているらしいことが、この一事で窺えるのである。

だったら次はどうか?

冨士大石寺の歴史

富士大石寺歴代上人の文証


ワ冠とウ冠の違いである。もっとも目次にツッコミを入れる人もなかなかいないだろうが・・・

序に戻って、二つの言葉を引用して終わろう。

広宣流布はもう眼前

広布最終段階の御奉公


折伏理論書改訂版のことがあるので、もはや信用には値しない。もし仮に猶予を与えるにしても十年が限界だろう。その時には厳しい批判が待ち受けているだろうことを、浅井先生は覚悟せねばなるまい。

2016/12/18  7:01

投稿者:沖浦克治
巌虎さん、おはようございます。
 
以前は学会活動とは云わず、学会闘争と関西では呼んでいました。

 学会闘争!!

 懐かしい響きですね。
 当時先生が云われました。

 『人生とは闘争の異名である。』(主意)

 マルクス・アウレリウスの、

 人生は闘争にして、仮の宿なり。

 からの引用でしょう。
 私は師匠の言葉で記憶しております。

 闘いを放棄することは生きる術を捨てる事!!

 関西創価学会育ちの私は、常にそう心がけて生きて来ましたしこれからもそう致します。
 皆様方も掲示板で愚痴を書くより、現実社会で闘う事を選ばれるべきです。

 そうするなら生活は功徳で溢れますよ。
 私の人生が証拠です。

 昨日71歳の誕生日。

 フェイスブックでは、300を超える祝福のコメントを頂きました。

 嬉しいですね。

 数年前まではネットは私への憎悪で溢れていました。
 今、祝福で溢れています。
 境涯革命を実感しております。

 恋女房から手袋を、愛弟子からはフリースを頂きました。
 身体も暖まりますが心が暖かい。

 素晴らしい誕生日でした。

 功徳〜〜〜!!




 https://www.facebook.com/katsuji.okiura/posts/851932608281572?comment_id=851940534947446¬if_t=feed_comment¬if_id=1482009843215158

2016/12/17  14:22

投稿者:.
>昨夜の9時過ぎ、イタリアにて、生徒が世界選手権出場権を獲得致しました。

それはその子の実力や!
スクワット習ったらスキーが上手になるんなら
なんでスクワットの世界チャンピオンのオマエが
スキーへたくそなんや?
スクワットなんか関係あるかえボケ


> そして私は今日71歳になりました。
> まだまだの若輩者ですが、

そうやオマエは中二病なんや。
いくつになっても中二病や
ネットやめんと治らんぞボンクラ

2016/12/17  14:12

投稿者:.
>私は勝てないなら人生の意味がないと思います。
>ですので、勝つことが大前提。

勝つ勝つって何に勝ってるの?
人よりちょっと重たいバーベル担いだくらいで
何に勝ったつもりなの?
毎日えらそうにアホちゃうか。
何を勘違いしとんねん
オマエの人生なんざ負け続けやろがアホンダラ。

重たい物もてるのがそんなにえらいんなら
フォークリフトに勝ってみろやボンクラ

2016/12/17  6:59

投稿者:沖浦克治
 仏法者、とりわけ創価を奉じる私どもは、人間として優れねばなりません。
 御書経文、歴代会長の指導に明白です。

 創価とは、一切衆生の命が本来南無妙法蓮華経如来である、との最高最大の価値を民衆の中へ創る行為。

 先ずそこをキチンと弁えねは創価人ではありません。
 他人様の不幸を憂い、幸福を喜ぶ。
 人として当然のことが出来ない人が多い社会。
 その中で、友の不幸を憂い成功を喜ぶ自身を確立する。

 人間革命と申します。

 ハンネで怨嫉謗法を繰り返すほど愚かなものはございません。
 受け難き人身を三世にわたって台無しにしかねません。
 御書を拝し、創価を学び、功徳の人生を御開き下さいませ。

 と云うワケで今朝の功徳です。

 昨夜の9時過ぎ、イタリアにて、生徒が世界選手権出場権を獲得致しました。
 ラインでおめでとうと云いましたら即時返信が参りました。
 嬉しいです。
 そして私は今日71歳になりました。
 まだまだの若輩者ですが、今後も益々信心に励み功徳を沢山だし、沢山の結果を書きます。

 創価の信心、創価の祈り、創価の闘い。

 素晴らしいですね。

 ついでですが、勝って驕らずが、勝って驕らずも謙虚とのお方もおられます。
 私は勝てないなら人生の意味がないと思います。
 ですので、勝つことが大前提。
 貴方はお好きにどうぞ。

2016/12/16  22:39

投稿者:謙虚について
×勝って驕らず。
 これが謙虚です。

○ 勝って驕らず。
 これも謙虚です。

ここを間違えているから「謙虚になるにはまず勝たなくてはいけ
ない」というおかしな論になるんですよ

2016/12/16  12:20

投稿者:。
>ステー
アハハハハハハハハハハハハハハハハハ
ステーだって
アハハハハハハハハハハハハハハハハハ
アハハハハハハハハハハハハハハハハハ
お〜〜おかしい
カリソマ、チュンナップ ステー
アハハハハハハハハハハハハハハハハハ

2016/12/16  7:07

投稿者:沖浦克治
 これから数回謙虚について書きますが、私は創価人です。
 創価人から功徳を語る事を無くすなら、唱題せずにご本尊の前で只座っているのと同様です。
 ですので、最後は必ず功徳の伝達で締め切らせて頂きます。
 ハンネで僻む書き込みするエネルギーを、どんなに小さくとも自身の功徳を書く方へ向ける。
 大事ですよ〜〜!

 と云うワケで、今朝の功徳!

 昨日はワックス3台とエッジチューンを2台やりました。

 プライベートレッスンの依頼もドンドン来ています。
 今週末から次の連休、数人がステー&トレーニングで来ます。
 中にはオリンピック選手も混じっています。

 白馬の片隅で開いたレストレーション・トレーニングジム。
 10年で世間で評価されるところまで来ました。

 創価の祈り、創価の闘い、創価の信心のおかげです。
 嬉しいです。

 功徳〜〜!!

2016/12/16  7:03

投稿者:沖浦克治
 謙虚についてです。

 勝って驕らず。

 これが謙虚です。
 御書には、

 『孔子が此の土に賢聖なし西方に仏図という者あり此聖人なりといゐて外典を仏法の初門となせしこれなり、礼楽等を教て内典わたらば戒定慧をしりやすからせんがため王臣を教て尊卑をさだめ父母を教て孝の高きをしらしめ師匠を教て帰依をしらしむ、妙楽大師云く「仏教の流化実に茲に頼る礼楽前きに馳せて真道後に啓らく」等云云、』
 (開目抄上)

 衆生が礼楽を弁えてから仏法が広まる。

 概ねこう云う意味です。
 この礼義作法の中に謙虚は入ります。
 礼儀作法を弁えない人に、謙虚な姿は顕われません。
 御書にあるのですから、そう云うことです。

 功徳の話を聞いたり読んだりする。
 その時礼楽を弁える人は必ず賛同し喜ばれます。
 礼楽とは、人間として優れる基本的な資質の事です。

 『御義口伝に云く随とは事理に随順するを云うなり喜とは自他共に喜ぶ事なり、』
 (御義口伝巻下)

 他人の功徳を共に喜び事が大事と書いてあります。
 ですので、ハンネで他人様の功徳を否定する書き込みをするなら、その人は仏法者ではございません。

 若し他人様の功徳が羨ましく思える時、人には二つの生き様がございます。

 自分も頑張って同じく功徳を出す。
 功徳を否定することで自身を納得させる。

 前者は全てが自身の信心で決まる事を知っていますし、後者は自分の人生を自分で開けない人。
 これも御書にございます。

 『都て一代八万の聖教三世十方の諸仏菩薩も我が心の外に有りとはゆめゆめ思ふべからず、然れば仏教を習ふといへども心性を観ぜざれば全く生死を離るる事なきなり、若し心外に道を求めて万行万善を修せんは譬えば貧窮の人日夜に隣の財を計へたれども半銭の得分もなきが如し、然れば天台の釈の中には若し心を観ぜざれば重罪滅せずとて若し心を観ぜざれば無量の苦行となると判ぜり、故にかくの如きの人をば仏法を学して外道となると恥しめられたり、爰を以て止観には雖学仏教還同外見と釈せり、然る間仏の名を唱へ経巻をよみ華をちらし香をひねるまでも皆我が一念に納めたる功徳善根なりと信心を取るべきなり、』
 (一生成仏抄)

 ですので、ハンネで他人様の功徳を否定する人は、外道の人です。
 これは御書にあるのですから信受致しましょう。

 

2016/12/15  6:24

投稿者:沖浦克治
 今日の功徳です。

 生徒がワールドカップで入賞致しました。
 昨夜電話があって、今夜から私の所へトレーニングへ来ます。

 世界のトップアスリートが訪れるジムを持った。
 素晴らしい功徳ですが、まだまだ満足はしておりません。

 常に先を見て向上を心がける人生。
 池田先生に教わりました。

 素晴らしい師匠を持った。

 功徳〜〜!!!

2016/12/15  6:23

投稿者:沖浦克治
 おはようございます、巌虎さん。

 クジラさん所へは、原則日に一回書いています。
 
 今、私がお嫌いな方々が付和雷同して騒いでおられる。

 お二人さんが撤退を表明されました。
 お二人共に愚痴の方で、お一人は最後に実名告発を出版された方のインタビューを貼っておられます。

 お二人が同時に撤退されますので、共に同じご意見でしょう。
 私は一時間少しの動画を全て見ました。
 その上での感想です。

 3人の方々の云わんとすることは理解出来ますが、同調は出来ません。

 ご勝手にどうぞ。

 この様に感じるのみ。
 但し、今後は会員の不満への対策が極めて重要になるでしょう。
 その一つの表れがあの記者会見です。

 安保での公明党の姿勢、創価学会の対応が問題視されていましたが、私も同じ思いを強く持っております。

 あの三人の方々の失敗は、本部職員として生活をしていたことです。
 経済的に追い詰められての抗議。

 これは報復としかとられません。
 損ですね。

 革命は権力の側からは起こりません。
 然るにあの方々は最近まで権力の側におられました。

 そう云う人たちが権力争いに負け、正義を叫んでも報復としか受け取られません。

 元本部職員の立場で、ああ云う会見を開いたこと自体が負け。
 この件は今後創価学会攻撃に利用されるでしょう。
 ハンネの自称創価学会員の愚痴と同じ扱いをされます。

 バカな事やったものです。

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