2016/12/27

年末合併号を読んで  
ボヤボヤしていて年を越してしまうところだったが、どうにか間に合って今日は年末合併号の話題が書けそうである。顕正新聞第1395号のメイン記事は目師会における会長講演だ。

 本化国主御出現の前に、一閻浮提の座主御出現の前に、どうしてもその序分として、六千万の地涌出現がなければならない。

いきなり文末からの引用である。これはほとんどアゲアシ取りの範疇だとは思うものの、いちおう指摘しておきたい事案である。浅井先生はついこの前、今入りの弟子を云々していた。ようするに六千万以降の入信者は今入りの弟子だと。ならば上掲はおかしいだろう。本化国主や一閻浮提の座主が今入りの弟子になってしまうからである。

ゆえに善意に解釈すれば、本化国主も一閻浮提の座主もすでにいらっしゃる、何しろ広宣流布のゴールが近いわけだから、まだ御生まれにもなっていないとすると顕正会のタイムスケジュールに合致しないことになる、よって今現在すでにどこかにいらっしゃるわけだが、この二人の御立場が確定・明確化するのは六千万の暁である、ということになるだろう。

ただし、これも捕らぬ狸の皮算用である。

なぜならば六千万自体がいつ実現するかわからないからである。今のペースだと百年後かもしれないのだ。すると、今の段階で二人がこの世に存在すると困ることになる。六千万の時には百何十歳というギネス級の高齢者になってしまうからだ。

さて、次のアゲアシ取りは現代国語の問題である。

・・・日興上人に初めて値い奉ったのであります。

・・・始めて大聖人様の御目通りを頂いたのです。


初めてと始めて、この使い分けには法則性があるのだろうか?

ちなみに、拙ブログでは今まで顕正会用語と思しき語彙をたくさん紹介してきたが、たぶん一度も触れたことがない言葉がある。

値う、お値いする、値い奉る

これだ。これが不思議なほど顕正会の中では当たり前のように使われている。しかし、パソコンでは変換できないし、一般的な国語辞典にも出ていない。では、なぜに顕正会の中で使われているのか?

それは浅井先生が好んで使うからであり、おそらく浅井先生は大聖人の御表現を踏襲しているのだろう。具体的な御文については省略させていただき、話を進めよう。

三時弘教次第 三時弘経次第

浅井先生は長らく前者の表記を使っていたのだが、今回は全面的に後者の表記に改めたようである。実はこの表記の問題も拙ブログで指摘済みのことだった。してみると、あるいは顕正会首脳部の誰かが拙ブログを参考にして、浅井先生に進言したのかもしれない。ひじょうによいことだ。

 さて、大聖人様は御入滅前年の弘安四年、京都の天皇に始めて申状をお認めあそばされた。

まず、不勉強であることをお断りしておこう。その上で思うところを述べるわけだが、上掲は史実としてどれほどの確実性があるのだろうか?

 大聖人様は、この申状奏上の大事を日興上人に附し、日目上人を代官として弘安四年に朝廷に奏上せしめられた。

先ほど、史実としてどうなのかと疑問を呈した。なぜならば御書にその記述がないからである。ともかく話を進めよう。少し本文を飛ばし気味であるが、続きをご覧に入れたい。

 思うに、園城寺にもまじめな学者がいたのでしょう。彼らは大聖人様の「申状」と添附された「三時弘経次第」を拝見して「時宜に適せり」と賞賛したのです。
 ここに後宇多天皇は深く感ぜられ、「下し文」を賜った。その「下し文」には
 「朕、他日法華を持たば、必ず富士山麓に求めん」
 とあった。


ようするに天皇には判断力がない。専門的知識がない。ゆえに大聖人の申状を読んでもわからない。そこで園城寺の碩学に判断させたわけだ。その結果がご覧のくだりである。

わたくしは上掲のくだりを読んで、あれれ? と思った。さらに次の文章の直前に掲げられた小見出しを見て、ぶったまげた。

「三時弘経次第」
     を拝見か


日目上人の申状にはいわば添付資料として安国論と日興上人の申状、そして三時弘経次第が添えられている。従来、浅井先生はこの三時弘経次第を日興上人の作だと考えていたはずである。しかし、今回はそれを改めて、大聖人作と見なしているごとくなのだ。あるいは作られたのはあくまで日興上人だが、しかし、それは大聖人御在世中のことであり、ようは大聖人の了解を得て作られたと考えているのかもしれない。続きの文章をご覧に入れよう。

 いいですか。「富士山麓」とありますね。
 なぜ「下し文」の中に「富士山麓」の文言があるのか。
 推量するに、申状に添えられた「三時弘経次第」に、「像法の迹門の寺・比叡山」と対比して、「末法の本門の寺・富士山」とあるを拝したゆえと思われる。


こう言ったら不真面目に聞こえるかもしれないが、上掲は物凄く知的好奇心をくすぐる内容である。ただし、おそらく学問的にはかなり乱暴というか、荒い考察なのだろう。最初に疑問を呈したように、この話の一部始終がいわば伝説的であり、確実性の低い資料の寄せ集めのような印象が拭えない。その上での推論なのだから、ますます確実性が下がることになるだろう。

最後にオマケを紹介しておこう。

(「御下文」とは、弘安五年、大聖人が日興上人に命じ日目師を代官として、当時の御宇多天皇に天奏したおりに、天皇が伝奏に命じて、この申し状・立正安国論や三時弘教次第などを園城寺の碩学に見せ検討させたところ、今の時に適切な内容である。と賞賛された。この時、天皇大いに大聖人の立正安国の赤誠の御心を嘉され、
「朕、他日法華を持たば必ず富士山麓に求めん」と下賜された文書のことである。
しかし、これは程なくして紛失してしまう。)


http://toyoda.tv/kaidan6.htm

なんとこれはあの樋田昌志氏の文章である。彼は今、顕正会にとってはもっとも疎ましい存在であるが、ご覧のごとくこの件に関しては同一見解である。しかも三時弘教次第と表記している点が、かつての浅井先生と同じなのだから、実に面白い。

以上、今回の浅井先生の講演はわたくし的にはひじょうに面白かった。次回も少し補足的に書くかもしれない。

2016/12/30  19:37

投稿者:クラスルーツ
>今信心しているとか活動家でないとか、そう云うことで人を差別してはダメです。

差別じゃないよ区別だよ。
活動すら出来ないクズになんで人間革命なんかできるか。
毎日バーベル担いだり、スキー遊びに呆けて
何が「闘い」なんだ?

眺め人?wwwww
お前、遊び人だろwwww

2016/12/30  18:54

投稿者:大沢克日子
再三の投稿申し訳ございません。
(最終となります。何卒ご容赦
の程お願い申し上げます)

「日興上人日目上人正伝」の引
用文の入力に誤りがありました。

「又天奏には、『三時弘経次第』
を副進して、桓武天皇と叡山の
迹門の寺にならって…」

『三時弘経次第』が「弘教」に
なっていました。

なお、日目上人申状等の記述は
「経」になっています。

「三時弘経次第」=「三時弘教
次第」の意ということでしょう
か?

2016/12/30  18:22

投稿者:大沢克日子
巌虎様

改めて見たら入力がうまくいかずおかしな改行になっていま
した。
見苦しくなりましたこと、申し訳ございません。

2016/12/30  18:19

投稿者:大沢克日子
一方、本宗において、御会式に奉読される元徳二年の申状に

「右度度具に言上し畢んぬ」(富要八−三三三)
と、あるところにより、日興上人の諫暁は、頻繁に行われた
と見るべきであろう。
妙蓮寺日眼の『五人所破抄見聞』に
「日目上人四十二度の天奏」(富要四−一一)
と記録されているが、日目上人の不惜身命の諫暁も、やはり
大聖人の『立正安国論』の御精神と、広布への御遺命を継承
した日興上人の教導垂範によるものといえよう。
日興上人の諫暁は、必ず大聖人の『立正安国論』を副え、武
家の奏状には更に、文永五年十月と、文永八年九月の大聖人
申状を加えている。又天奏には、『三時弘教次第』を副進し
て、桓武天皇と叡山の迹門の寺にならって、末法に本門寺の
戒法を建てて、国土を治むべき事を上奏されている。
この先例は、その後の御歴代上人の奏聞に受け継がれ、日目
上人は大聖人の『立正安国論』を始めとして、先師日興上人
の申状を副えて自身の申状を奉呈し、国主を諫暁されている

そして、この国主への諫暁の遺訓と形式は、富士の伝統とし
て、総本山第四世日道上人、第五世日行上人、さらには第九
世日有上人へと継承されていくのである。
(大石寺、日興上人日目上人正伝、昭和五十七年、一九八、
一九九頁)

2016/12/30  18:17

投稿者:大沢克日子
(五)申状
現在日興上人の武家及び公家への諫暁書として、写本の残っ
ている申状は三通である。
その中、武家への奏状は、正応二年(一二八九年)正月、元
徳二年(一三三〇年)三月の二通であり、公家への天奏状は
ら嘉暦二年(一三二七年)八月の申状である。
日興上人には、かねて大聖人御在世の、弘安四年に代奏をさ
れた事跡があり、大聖人入滅後も、弘安八年に公武に上奏さ
れた事が『御伝土代』にみえている。
いま、日興上人の三通の申状をみると、何れも、「日蓮聖人
の弟子日興」と、明確に、日蓮大聖人の弟子であることを表
明されている。五老僧が、「天台沙門日昭」「天台沙門日朗
」「天台法華宗の沙門日向・日頂」等と名乗ったのは大違い
である。
しかも、正応二年(一二八九年)正月の申状にすら、
「日蓮聖人の弟子日興重ねて申す。(中略)件の条先度具に
言上し畢んぬ、而るに今に早聴に達せざるの間重ねて申す所
なり」
(富要八−三三二)
とあって、これより以前にも申状を奏していたことがわかる

2016/12/30  11:35

投稿者:大沢克日子
日蓮正宗正見山知道寺ホームページ
大白法連載「教学用語解説」より引用

大白法・平成10年4月16日刊(第500号より転載)教
学用語解説(36)


三時の弘教

「三時の弘教」とは、正法・像法・末法の三時に、教法が弘
まる次第のことです。
第二祖日興上人は、これを『三時弘教次第』に、
「一、仏法流布の次第
 一、正法千年 流布 小乗 権大乗

 一、像法千年 流布 法華迹門
 一、末法万年 流布 法
華本門」
(歴代法主全書第一巻 42頁)
と御教示されています。
日興上人は、幕府や天皇に対する諌暁の際、この『三時弘教
次第』を申状とともに呈上されており、こうした日興上人の
行跡に倣って、以後、御歴代上人の申状には、必ず『三時弘
教次第』が添えられています。
(以下略)

2016/12/29  21:09

投稿者:クラスルーツ
他人様の腹痛は治せるのに
ご自分の怪我は手術しないと治せないのね〜〜〜

2016/12/29  7:00

投稿者:沖浦克治
 今月の大白蓮華の40p先生の御書講義。
 眺めないで少しでも身で読みましょう。

 今信心しているとか活動家でないとか、そう云うことで人を差別してはダメです。
 そして、他人の功徳を素直に喜べる自身を確立しましょう。

 それだけが人間革命につながります。
 他人の功徳を小功徳だと貶める。
 その人の人生は罰にまみれます。

 御書に書いてあるんです。
 御書は眺めず拝す。

 拝するとは、生活の中で身で読むこと。
 私は以前、池田先生がシンクロの女性に世界一になれ、と云われた同時中継で、

 この言葉は私に云われた!!

 と決めました。
 その場で横にいた息子に云いました。

 よし、決めた!!
 もう一度世界獲る!!

 師匠の指導を少しだけですが身で読みました。
 あの時決めていないなら現在の私はありません。

 師の言葉を受け止め行じる。

 これだけが弟子の道。
 だから今、功徳にあふれていますよ。

 昨朝のことです。
 ステー&トレーニングの子が少し生理痛がひどいと云いました。
 やったことなかったのですが、多分治せると思ってソファーに横になってもらってお腹に少し手を当てて心で唱題いたしました。

 治れ!!

 すると本当に痛みがアッと云う間にひいて元気になりました。
 お陰で午後3時まで一緒にスキーして結構疲れたですよ。

 お題目って不思議ですね。
 功徳ってどこからでも湧いて出ます。

 怨嫉謗法さえ謹んでまじめに創価の信心するなら、だれでもこうなります。

 創価でよかった〜〜!!

2016/12/29  6:58

投稿者:沖浦克治
 巌虎さん、おはようございます。

 ネットで色々な人たちが色々と良い指導や良いお話書かれますね。

 でもね、その話を聞いて、読んで自分がどう行動したか?
 ここがないなら無意味です。

 画竜点睛を欠く。

 畳の水連や木馬の達人は不要です。
 実際に泳ぎ、乗馬してこその人生。
 ご本尊に向かって祈りますでしょう。、
 何故ご本尊に向かって祈るのか?

 一切衆生に向かって祈ることになるからです。
 不軽菩薩の行がそのままご本尊への唱題です。

 『一代の肝心は法華経法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり、不軽菩薩の人を敬いしはいかなる事ぞ教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ、穴賢穴賢、賢きを人と云いはかなきを畜といふ。』
 (崇峻天皇御書)

 ご本尊に唱題することは、一切衆生を敬うことです。
 これがわかるなら他人の功徳を本当に喜べます。
 わかるために一つだけ大事なこと。

 怨嫉謗法を慎む!!

 すごく大事ですね。

 『何に法華経を信じ給うとも謗法あらば必ず地獄にをつべし、うるし千ばいに蟹の足一つ入れたらんが如し、』
 (曾谷殿御返事)

 キチンと書かれてあるでしょう。
 眺めていてもダメ!
 身で読まないといけません。

 自分の命の底から湧き上がってくる修羅の一念。
 もとは元品の無明です。
 それとの闘いです。
 人間革命とはそう云う行為です。

 

2016/12/28  16:56

投稿者:.
>行じないなら、何も始まらない。

はぁ?
そういう貴方は何を行じているんですか?

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