2016/12/31

年末合併号の続き  
大沢氏からは資料のご紹介をたまわったわけだが、その意図については不明である。おそらくは弘経でも弘教でも大差なく問題ない、ということなのだろう。わたくしもそれについては特にコダワリがあるわけではなく、ようは浅井先生のコダワリを咎めている意味があるのだ。何しろ初めてと始めての問題がある。つまり、通常は初めてと書くべきはずのところを始めてと書く、それが浅井先生のコダワリである。だったら弘経も同じだろう。日興上人や日目上人が弘経と認められているのであれば、それに倣うのが浅井先生のコダワリのはずなのだ。その意味で、従来は弘教と書いていたものを弘経に改めたのは大いに結構であると、前回書いたわけである。

さて、今日は予定通り続きを書こう。

事実上の国主

真の国主


これはコダワリとかの問題ではなく、いわゆる国主論の重要なキーワードである。浅井先生は国主に二意があるとして、今回の目師会においても上掲のような分類を行なっているわけだ。これは国立戒壇の議論の時に、今は主権在民だから天皇は関係ない、というような意味の主張を創価学会側がしていたのに対して、先生は事実上の国主と真の国主という概念を持ち出して反論したわけである。つまり、民衆の一人ひとりが国主であるというのは間違いである、なぜならば今も現実に権力者が存在する、総理大臣がそれだろう、それこそが今日における事実上の国主と考えられる、しかし、さらにその上位概念が存在する、すなわちそれが天皇であり、天皇こそが真の国主であると。今は当てずっぽうに書いたのでかなり乱暴な説明になってしまったが、おおむね上述が顕正会側の主張である。

事実上の天皇

ご記憶の人も多いだろう。これは少し前に浅井先生が言っていたことである。すなわち聖徳太子は事実上の天皇であると。

ややこしい話で恐縮だが、聖徳太子が事実上の天皇だとすると、当時の天皇は何になるのかが問題である。わたくしは象徴天皇だろうと前に書いた。そこに浅井先生の国主二意論を加味させると、天皇=真の国主=象徴天皇となると思う。では、聖徳太子はどうなるかであるが、聖徳太子=事実上の国主=事実上の天皇となるだろう。

仏法と皇室の関係

本年の目師会では上掲の見出しを付けて、文字通り仏法と皇室の関係について、かなり突っ込んだ説明をしている。目師の御出現については前々から繰り返し言っているけれども、日興上人の御出現についてはこれまであまり語ったことがないように思う。すなわち日興上人は本化国主として皇室の中に御出現になるという。説明そのものは必ずしも十全とは言えないが、その前提となるべき話として、そもそも皇室が仏法とは浅からぬ因縁を持っていることはそれなりに説明が出来ているように思う。

次の釈迦御所領御書はわたくしのチョイスであるが、当然、御書に精通している浅井先生ならば知っているだろう。

又此の南閻浮提の内の大日本国をば、尸那国の南岳大師此の国の上宮太子と生まれて、この国の主となり給ひき。しかれば聖徳太子已後の諸王は皆南岳大師の末葉なり。桓武天王已下の諸王は又山王

残念ながら当該御書は断簡であり、この続きの御文が不明となっている。ゆえに安易な結論は控えねばならないものの、皇室と仏法との関係を濃厚に伝えている意味では反論の余地はあるまい。これを創価学会系の人たちがどのように考えるのか、興味深いところではある。

 本年八月八日、天皇の「お気持ち」として、直接、国民に語りかけられたお言葉がありました。

おっ、やっと言及する気になったか。

・・・その中に
 「この国の象徴として、国民のことを思い、常に祈りをしております」
 との「お言葉」がありましたが、私はこれを見たとき思った。
 「三大秘法を以て祈らなくては、国民の祈りにならない」と。そのような祈りは虚しい。正しい仏法を用いて祈らなければ、国のため、民のためにはならないのです。


おいおい、そっちかよ。

巷間、くだんのお言葉は生前退位の意向を示すものだと解釈されているし、事実、皇室関係者もそれを否定はしていないはずである。ゆえに国民的議論となったわけだ。しかるに浅井先生はこれにまったく言及していない。おかしな話である。

わたくしの勝手な想像を書こう。

浅井先生は天皇陛下と同年代である。ゆえに陛下の退位を云々しようものならば、オマエはどうするつもりなのか、このまま引退しないでずっと続けるつもりなのか、というような疑問が噴出してくることになる。ネット上のクチの悪い批判者たちはもちろん取り上げるだろうし、おそらくは口にしないものの、活動会員たちの中からも同様の疑問が湧いてくるはずなのである。ゆえに浅井先生としても、ひじょうに言及しづらい話題なのだと思われる。

 日目上人は奥州三の迫(現在の宮城県登米市)の領主・新田五郎重綱を父とし、上野殿の姉の蓮阿尼を母として、伊豆の国畠郷に御出生された。

最後にマメ知識を書いて終わろう。

登米市は(とめし)であり、登米町は(とよままち)と読む。トメとトヨマ、同じ地域なのに読み方が異なる。面白いというか不思議な話であるが、興味のある人は調べてみるといいだろう。そもそも地名は難読のものが多い。とは言え、同一地域で読み方が異なるのはかなりめずらしいケースだ。

2017/1/1  5:03

投稿者:沖浦克治

2017/1/1  5:02

投稿者:沖浦克治
 私とスタッフの滑りの動画です。

 最近、動画の撮影と編集までしていただけるスタッフの参加がございました。

 凄く助けられております。
 功徳〜〜!!



 https://www.youtube.com/watch?v=_AiOxbQ38aY&feature=youtu.be

2017/1/1  4:43

投稿者:沖浦克治
 おはようございます。

 今朝はお客様とゴンドラ裏の駐車場で6時半に待ち合わせです。

 ゲレンデでチュンナップとワクシングをお試しいただきます。
 新年初日から仕事で早起き。
 嬉しいです。

 功徳〜〜!!

2017/1/1  4:35

投稿者:沖浦克治
 明けましておめでとうございます。

 本年が、皆様方にも私にも飛躍の年となりますよう祈念申し上げます。

2017/1/1  3:15

投稿者:元26隊
事実上が大好きなんだなww


現実は?

2016/12/31  22:15

投稿者:マイケル
大沢さん、そしてんっ?さん。
今年は本当に、お世話になりました。

来年は・・激変の一年になりそうです。
その時はまた、ご報告させて頂きます。

良いお年をお迎え下さい。

2016/12/31  18:37

投稿者:大沢克日子
「だったら弘経も同じだろう。日興上人や日
目上人が弘経と認められているのであれば、
それに倣うのが浅井先生のコダワリのはずな
のだ。その意味で、従来は弘教と書いていた
ものを弘経に改めたのは大いに結構である」

浅井会長がそこまで表記にこだわっている人
ならば、何故今まで「三時弘教〜」の儘にし
ていたのか、巌虎独白ブログでも何年も前に
話題になっていたのに…とふと思いました。
(私はどちらも同意だろうと気にせずにいま
したので偉そうな事を言えませんが)

何も根拠はありませんが、顕正新聞編集者の
交替を機に表記が変わったのかも…。

浅井会長がそもそもコダワリのある人なら
ば、当然申状の如く「三時弘経次第」とする
でしょう。しかし、会長がその意で発言して
も、編集の段階で気にしていなければ「コダ
ワリ」は文字として顕れないでしょう。

編集者が交代したことで、用語についても
「先生の指導を賜ろう」と一々うかがいを立
てた。

根拠もなくそんな話をしてしまったら、小峰
理事を傷付けてしまうかもしれませんが。
(「先生」への忠誠心はあると思いますか
ら)

2016/12/31  18:21

投稿者:大沢克日子
マイケルさん、こんばんは。
ありがとうございます。
年末年始で少し拝見する余裕が出来てい
ます。
来年も何事も発展前進の一年になります
ようお祈りしております。
これから総本山です。

2016/12/31  18:19

投稿者:沖浦克治
 巌虎様、皆様方。

 本年は真にお世話になりました。  
佳き歳をお迎えくださいませ。 

2016/12/31  17:21

投稿者:マイケル
大沢さん、今晩は!
お疲れ様です。

こちら・・ご覧になられていますか?

今年は本当に、大沢さんにはお世話になりました。
心より、感謝申し上げます。

また来年も、どうか宜しくお願い申し上げます。

コメントを書く

名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ