2017/1/1

迷走元年  
顕正新聞の編集人ないし発行人が一新されたことで紙面に変化が起きたのは事実である。よって今回の三時弘経次第の件もその影響だと考えるのは自然なことだ。さりとて前任者がサボっていたわけではない。前任者はそれこそ数十年にわたって忠誠を尽くしてきた。この事実は覆らないだろう。

2017/1/1 3:15
投稿者:元26隊
事実上が大好きなんだなww


現実は?


新年早々、辛辣なコメントが寄せられた。これはわたくしにではなく、顕正会に対してである。

事実上の意味は大きく二つに分かれると思う。一つは極めて主観的というか恣意的に、その事柄を評価することである。もう一つは客観的評価ということだ。
例えば舎衛の三億がわかりやすい。当時の宗門ないし創価学会はこれを広宣流布だと言っていた。浅井先生はこれをデタラメ広宣流布だと批判した。すなわち前者は主観的ないし恣意的であり、後者のほうが客観的だったわけだ。
そして今、顕正会では六千万を事実上の広宣流布だと言っているわけだが、これは少し難しい話だと思う。ようするに過半数超えを意味するのが六千万である。ゆえに三分の一でいいとする舎衛の三億とは話が違うのだ。

ゆえにわたくしは浅井先生の六千万理論を間違いだとは思っていない。ただし、その六千万は名目上の数字であってはいけないのだ。公称会員数ではなく、実働会員数でなければいけない。

それはそうだろう。実働会員数が十万人しかいない時に、もし仮に累計で六千万が達成されたとしても、それを事実上の広宣流布とは言えないはずである。それを言おうものならば、それこそデタラメ広宣流布となる。

これはずいぶん前にも書いたことだが、ひるがえって三分の一の広宣流布だって決して捨てたもんじゃないだろう。それが実働会員数であれば、これほどの巨大勢力もないはずなのだ。

上述のことは事実上の国主にも当てはまる。

譬えば窮人の妄りに帝王と号して自ら誅滅を取るが如し。

そんじょそこらの人が自分は王であると宣言したところで、オマエはアホかと言われてオシマイである。そんなのは主観的・恣意的な自己評価に過ぎない。ところが鎌倉幕府の執権は客観的評価として日本における事実上の国主だったわけである。ゆえに大聖人もそのように御認めになられている。

ただし、ややこしくなることを承知で書けば、前回の話題だった事実上の国主と真の国主という二分類はそもそもが必ずしも整足していないのだ。

事実上 名目上

対義語として考えるならば上掲のごとくなるはずだが、しかし、これを国主の概念に当てはめるのは危険である。なぜならば天皇の権威がいかにも軽々しく感じられるからで、だからこそ浅井先生も整足していないことを承知しながらも事実上と真という二分類を選択したわけなのだろう。

いや、違う。これはわたくしが勝手に話を作っているのである。会長講演では必ずしも二分類を云々しているわけではなく、文章の流れの中でごく自然に二つの言葉を使っているに過ぎないのである。

いずれにしても国主には二意があるとして、事実上の国主と真の国主という表現を使っているのは間違いないことである。ゆえにもっとうまい表現があれば代替案として提示したいところなのだが、残念ながら今のわたくしにはまったく思い浮かばない。

話を戻そう。

事実上の意味は二つあると書いた。本当は一つなのである。問題は事実でないことをあたかも事実であるかのごとく言う。これが大問題なのだ。今の顕正会の公称会員数がそれを物語っている。繰り返しになるが、累計で六千万が達成されたとしても、それはあくまで名目上の数字に過ぎない。つまり、事実ではない。事実ではない六千万を振りかざして、それで事実上の広宣流布達成だなどと言おうものならば、それは虚偽である。オオボラフキということだ。

今読み返してみて愕然とした。新年早々、かなりの迷走ぶりである。いちおう言っていることはツジツマが合っているとは思うが、内容的にはどうでもいいような文章である。

象徴天皇

どうせ迷走するのならば、とことん迷走してしまおう。浅井先生はこれを国位喪失と解釈しているが、わたくしは違うと思っている。なぜならば日本は古来より象徴天皇制を採用していた。だから何も変わっていないのだ。強いて言えば、象徴という用語・概念が使われるようになったのがごく最近のことというだけの話で、もともとが象徴だったのだ。

さらに言うと、言葉の多くは劣化する傾向にあるが、その逆のパターンもある。

個人の名前がわかりやすいだろう。凡庸な名前の人、あるいはめずらしい名前の人、ヘンな名前の人、いろいろあるだろう。その人がである。ある日突然、ノーベル賞でも獲得しようものならば、そこで評価が一変するのである。その凡庸な名前が光り輝いて見える。ヘンな名前がヘンではなくなる。めずらしくて読み方すらわからない名前が誰もが読める名前に変化する。そんなことが起きるのである。

象徴天皇もあるいはそのようなものかもしれない。浅井先生のイメージとしてはあまりよろしくないのだろう。しかし、わたくしは必ずしも悪いイメージを懐いていない。むしろその逆のようにも感じられるのである。そもそも象徴は悪い言葉ではない。日本国憲法を作った人は、おそらくは陛下に最大限の敬意を払って、その表現を用いたのだろう。

いかがだろう。ここに来て俄然、象徴天皇という言葉が物凄く威厳に満ちたものに感じられてきたのではなかろうか?

2017/1/4  5:44

投稿者:沖浦克治
 巌虎さん、おはようございます。

 新年も4日目。
 今朝は少しゆっくりゲレンデに行きます。

 帰宅して苦手のベンチプレス。
 年末年始はトレーニング休む決意でしたが、2日の日で崩れました。

 ついついベンチプレスやってしまった・・・・

 意志の弱さを証明致しました。

 スタッフさん方もほとんど帰宅なさいました。
 今朝最後のお一人が帰られて、寂しい自宅になりますが、恋女房とワンコが癒してくれます。

 今年は沢山仕事致します。

 昨日から仏間での祈りを開始致しました。

 頑張る!!

 頑張らないとならないことが沢山ある。

 功徳〜〜!!

2017/1/3  5:41

投稿者:沖浦克治
 今年は新しい事を二つ始めました。

 ブーツのオフセットの研究。
 身体の基本運動の専門家の立場の観点から、スキーを運動として解明する。

 オフセットは既にスタッフの皆様や顧客の方々で実験に入りました。
 カントに変わる概念でしょう。
 素晴らしい成果がドンドン報告されています。

 スキーの運動の解明は基本的なことはわかりました。

 腰のスイッチング。
 腹圧。
 内脚抜重。

 この3っつが運動の基本です。
 現在の所、この3点はほとんど解明されていませんが、ここがスキー技術の基本になります。
 基本はなるべくシンプルに。
 モットーでございます。

 御書から学びました。

 『日蓮は広略を捨てて肝要を好む』
 (法華取要抄)

 極意は常にシンプルです。
 今年は更なる飛躍を致します。

 創価の信心の功徳だ〜〜!!

 創価の祈り、創価の闘い、創価の信心。
 これに勝るものはございません。

 四面楚歌に見えても、創価を貫く人は必ず勝利致します。

 『悪は多けれども一善にかつ事なし、』
 (異体同心事)

 創価の信心と云う一善に、どれほどの悪が寄ってたかって責め立てても、最後の勝利は創価に上がります。 この御文は私共創価人の勝利を保証されておられる。

 素晴らしいじゃないですか。

 功徳〜〜〜!!
 


2017/1/2  19:01

投稿者:クラスルーツ
>人間革命運動の拡大。
>励ましの社会。

はいはい。また趣意でつね。はいはい。
そうでつか〜〜趣意でつかぁ〜〜

2017/1/2  18:57

投稿者:クラスルーツ
>シャエの三億
>現在は僧ではありません。

はぁ??

2017/1/2  5:41

投稿者:沖浦克治
 巌虎さん、明けましておめでとうございます。
 本年もお願い申し上げます。

 広宣流布の定義ですが現在の創価学会には明確な数の定義はございません。

 かってはシャエの三億を唱えたこともありましたが、現在はそう云うものがないのです。

 広宣流布の闘いの定義も全く変化致しました。
 以前は本尊流布と基準としておりましがが、現在は僧ではありません。

 人間革命運動の拡大。

 これが定義です。
 ですので、数字より会員の行を大事にしているのです。

 更には、広宣流布の社会の定義も変わりました。

 励ましの社会。

 これです。

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