2017/1/26

第六章を斬る  
沖浦氏から引き続き例の話題が寄せられている。

 地球に落ちて来る隕石の量が、一日に数十トンから数百トンと云われています。

これはどのような根拠で言われていることなのだろうか? そしてその信憑性はどうか?

 太陽の質量は地球の332 946.048 7 ± 0.000 7 倍です。

ずいぶん詳しいではないか?

当然、これらの話はどこかの専門的なサイトから拾ってきたものなのだろう。それ自体は大いに結構なことだが、すでにわたくしのほうからは前回表明したように、ずいぶんと些末な議論にこだわっているものだと思う。問題はそこではないはずだ。繰り返し言おう。核廃棄物を太陽に打ち込むような技術が実用化される頃には、たぶんその他の技術も相当に進歩しているだろうから、別に太陽に打ち込む必要はなくなるはずなのだ。太陽信仰的な意味からして、ようは倫理的な意味からして、その技術は否定されるべきというのがわたくしの意見である。

 それでも貴方がご心配なら、太陽を止めて銀河系の空間への永久廃棄を提案しても良いですよ。

これもすでに表明したごとく、わたくしは反対である。宇宙空間は地球人の独占物ではない。地球上においても不法投棄は許されない。宇宙においても同じ理屈である。

さて、今日も基礎教学書の続きである。

第六章 日蓮大聖人と釈迦仏の関係

本章もきわめて重要である。いわゆる本章は日蓮本仏論、浅井先生による日蓮本仏論が展開されているわけだが、上掲のごとく、タイトルには本仏論と謳っていない。おそらくはこれが浅井先生らしいところであって、ようは日蓮本仏論という言い方が嫌いか、もしくは好ましくないと考えているのだろう。もちろん上掲は大聖人と釈尊の関係性にスポットを当てる意味で、きわめて直截的でわかりやすいタイトルだと思う。逆に日蓮本仏論と書いてしまうと、おかしいのかもしれない。

 一般世間では、仏教の元祖は釈迦仏で、仏法はすべて釈迦仏に始まると思っている。

これが本章の冒頭の一節である。つまり、一般的に言うと、インドの釈尊が仏教の開祖であり、それが聖徳太子の時代くらいに日本に入ってきて、弘まっていった。いわゆる鎌倉時代の日蓮という人物は、そうした仏教の歴史の中においては派祖の一人に位置付けられる。これが一般的な認識なのだろう。

ところがである。日蓮正宗系においては、この日蓮こそが実は本仏なのだという、きわめて特殊な考え方をするわけなのだ。

もうこれだけで重要性がわかるだろう。大聖人こそが御本仏であられる。これを一般人にどのように説明するか、さらには他宗他門をも十分に納得させられる理論をどうやって構築するか、それが論者の手腕に委ねられているわけである。

ゆえに浅井先生も相当の意気込みで本章を書いているわけで、旧書をベースにはしているものの、やはりかなりの改稿を試みている。ここは前回の第五章とは違って都合の悪い部分を抹消するような意味ではなく、純粋な意味で、より一層の精密なる論理展開を図るべく改稿したものと思われる。

よって、わたくし的には特に問題を感じなかった。よく書けている。これが結論である。

もっとも、オマエに言われなくないよ、というのが浅井先生ないし本部首脳の気分だろう。その意味からすると、瑣末な部分ではあるけれども、いくつか気になったところを指摘しておいたほうがよいかもしれない。

 熟脱の仏は色相荘厳といって、鎌倉の大仏に見るごとく、眉間にイボのように白い毛が渦巻いている「眉間白毫相」とか・・・

あれまあ、鎌倉の大仏が出てきちゃった。参考までに旧書の同一箇所を示しておく。

 熟脱の仏は釈迦仏に見るごとく、色相荘厳といって、眉間にイボのように白い毛が渦巻いている「眉間白毫相」とか・・・

どうなんだろう、釈迦仏なんて見たことねえよ、というクレームがあって、それで具体性のある鎌倉の大仏に書き換えたのだろうか?

しかし、顕正会ではそれを謗法だとして、見ることさえ禁じているような雰囲気がある。だとすればおかしな話だろう。もっとも入信前の人たちはそういう謗法の概念を持たないので、普通に鎌倉の大仏だろうが奈良の大仏だろうが、見ているのだろうけれども・・・

・・・相好である。

これも気になった。同じく旧書を見てみよう。

・・・慈悲である。

わたくしにはこの変更がわからなかった。旧書のままでよさそうなものだが・・・

 「学者まさに知るべし。蓮祖もし久遠元初の自受用身に非ずんば、焉んぞ教主釈尊に勝るることを得べけんや」

この日寛上人の御指南を添加したのは素晴らしいことだ。不勉強のわたくしは当該御指南を知らなかった。ところで、これは日寛上人のどの御著作に出てくるものなのだろうか? 具体的な出典が示されていない点が不親切である。

文上体内の寿量品の利益である。

これがまた難しい。文上だとか文底、あるいは体外・体内、こういう専門用語があるのは知っているが、いきなり上掲のごとく説明されてもわけがわからない。たぶん、わたくしがわからないくらいだから、新入信者にはさっぱりわからないだろう。

 この地涌の菩薩の大集団に、ひときわ巍々堂々として尊高なる一人の大導師がましました。この御方を上行菩薩と申し上げる。

もしかしたらここが最重要ポイントかもしれない。本章の、あるいは日蓮本仏論の、である。

わたくしの認識では巍々堂々は地涌の菩薩全員に対する形容ではないかと思うのだが、浅井先生はその中でもひときわ巍々堂々として尊高なる一人の大導師がいると言っているわけだ。この明確な文証は存在するのだろうか?

拙ブログの愛読者ならば誤解はないだろう。わたくしは何も日蓮本仏論を否定したいわけではないのだ。むしろ肯定の立場なのだが、そのためにはより一層の精密なる理論が求められるわけで、その意味で上掲はやや疑問に感じられるところなのである。この点、法華講員や今も日蓮本仏論を支持する創価学会員の中で詳しい人がおられれば、ぜひともご教示を願いたいところである。

いや、本当は顕正会員からのコメントがほしいのだが、たぶん無理だろうなあ・・・

2017/1/30  8:48

投稿者:.
>巌虎さん。
>沖浦はこのブログの記事に関係ないことばかり
>コメントしています。
>一度、沖浦からのアクセスを遮断したらどうでしょうか?

この意見に賛成!!

2017/1/30  6:07

投稿者:沖浦克治
 功徳書きます!!

 ジムのホームページが急進化中!!

 https://www.t-rescue-gym.com/

 明日もスタッフがやって来て一緒に進化させます。
 素晴らしい人に恵まれて来た。
 嬉しいです。

 功徳〜〜!!

2017/1/30  5:31

投稿者:沖浦克治
 おはようございます、皆様方。

 本尊に迷う人が多いですね。

 寛師の邪義、戒壇本尊本懐と三大秘法当体論の蔭を引きずる人たちです。

 曼荼羅本尊は迹であって、本は私共衆生己心の妙法である南無妙法蓮華経。
 御書に明快です。

 観心本尊抄には曼荼羅本尊が仏像だと明記されていますし、この御書の少し後で書かれた顕仏三来記に以下の御文がございます。

 『爾りと雖も仏の滅後に於て四味三教等の邪執を捨て実大乗の法華経に帰せば諸天善神並びに地涌千界等の菩薩法華の行者を守護せん此の人は守護の力を得て本門の本尊妙法蓮華経の五字を以て閻浮堤に広宣流布せしめんか、』
 (顕仏未来記)

 本尊抄は文永10年4月、顕仏未来記は同年5月。
 本尊抄の後で明確に本尊の本体をご指南です。

 『本門の本尊妙法蓮華経の五字を以て閻浮堤に広宣流布せしめんか、』

 誰でも理解出来ますが、頭破七分の人は読めません。

 怨嫉謗法ってね、御書まで読めなく致します。
 損ですね〜〜!

2017/1/29  18:50

投稿者:沖浦克治
マイケルさん、今晩は。

 カプセルなら安いですよ。

2017/1/29  18:44

投稿者:マイケル
大沢さん、今晩は。
お疲れ様です。

来週なんですが、東京に行きます。
大沢さんが働いておられる場所に、めっちゃ近いかもw

東京は・・ホテル代が高い(*TーT)
ビジネスでも結構なお値段ですもんねぇ。

なんとなく、愚痴ってみましたww

2017/1/29  18:22

投稿者:沖浦克治

2017/1/29  18:21

投稿者:沖浦克治

2017/1/29  18:12

投稿者:沖浦克治
 アメリカが移民の受け入れを拒否するそうですね。

 でもね、あの国って元々が移民が造った国ですよ。

 自分たちのルーツ拒否してどうしますか?

2017/1/29  5:27

投稿者:沖浦克治
大沢さん、おはようございます。

>「学者応に知るべし、蓮祖若し久遠元初の自受用身に非ずんば焉んぞ教主釈尊に勝るることを得べけんや。」
(当流行事抄、大石寺版180頁)

 これってね内部規定ですよ。
 寛師は貴方方の内部では評価されています。
 ですが、私どもは評価致しません。

 この文言を読むと、これでは世界に広まらないの感を強く致します。

 独りよがりはダメなんです。
 他宗の方々も納得させる説得力を持たないといけません。

 日蓮正宗が早急にせねばならない事。

 他宗を認め、他宗にも功徳がある事を認識しそれを内外に発表することです。

 本気で広宣流布する気があるか否か?
 真価が問われますね。


 

2017/1/29  5:11

投稿者:沖浦克治
 おはようございます。

 私はケミカルを正式に習ったことがありません。
 でも、素晴らしいスノーワックスを作りました。
 これは自慢ではなく、お客様方のご評価です。

 整体も教わったことがありません。
 ですが、大抵の方は一回で良くなります。

 エッジチューンも習っていません。
 然し、私がゲレンデでエッジを2〜3分触ると全く別の板になります。

 専門知識って、飛躍の邪魔することが多いのですね。

 祈りのない人の知識は役立ちません。
 御書を知識として捉える人も多いですが、戦いの中の祈りで読まないとダメです。
 専門知識にしてしまうと御書は生活に活きません。

 私は創価で祈りの大切さを教わりました。

 凄い功徳です。

 更に、法華講員の方々も、正信会の人も、顕正会員んのお方も功徳出して頂きたいと何時も思っています。

 真言の人、念仏の信者、回教クリスチャン、皆様方が功徳の生活をしていただきたい。

 そう云う事を池田先生のご行動から学びました。

 凄い功徳です。

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