2017/4/4

第1402号精読  
沖浦氏に対して三項目の質問を投げ掛けたところ、さっそくの回答をたまわった。一読しての感想は、ガッカリである。また、三点目については質問の意味がわからないとのことだったが、これまたガッカリ以外の何物でもないだろう。

王舎城事には、

ある人のゆきあひて、理具の法門自賛しけるをさむざむにせめて候ひけると承り候。

とある。

正直なところ、わたくしにはよくわからない御文である。誰が理具の法門を自賛していたのか、誰がそれを責めたのか、判然としないのだ。けれども創価学会系のサイトに載る講義録によれば、名越の尼が理具の法門を自賛していたのを大聖人の弟子が破折したと書かれている。つまり、沖浦氏とわたくしとの対論はこの構図そのものではないか、ということなのである。

さて、話を変えよう。

久しく途絶えていた重大なる一国諫暁の戦いが開始される・・・

顕正新聞第1402号の続きである。男子部第七十隊長の発言には少し欺瞞がある。この文章の直前には日興上人・日目上人以来と書かれていて、あたかもそれ以降今日まで一国諫暁が行なわれなかったかのように読めてしまうところがマズイのだ。何しろ顕正会では平成九年と十六年に一国諫暁をしているからである。
つまり、顕正会の歴史そのものまでも捻じ曲げて、これより始まる一国諫暁に価値を持たせようとしているわけである。インチキにも程がある。
平成九年の頃には一千万の誓いをしていたのだし、百万達成の暁にはあたかも日本が動くみたいな雰囲気のことを言っていた。すなわち平成十六年の一国諫暁である。しかし、ご存知のごとく、空振りに終わったような印象が否めない。ならば今回も同じだろう。

二百万が成り、先生の本格的な一国諫暁が開始されれば、六千万は一気に成ることを確信・・・

同じく第七十隊長であるが、だからその確信がインチキなのである。だったら平成九年の諫暁は本格的ではなかったのか、平成十六年の諫暁も本格的ではなかったのか、ということになる。

さらに言えば、では今度の諫暁は今までとはまったく違う内容なのか、ということになるだろう。いわゆる諫暁書を作って配布するのであれば、やっていることは何も変わらないわけであり、世間の反応もそれほど変わりはしないだろう。さりとて、何か特別な秘策があるわけでもあるまい。ようは手詰まりということだ。

次は創価学会で五十五年もの長きにわたって活動していた人物の記事である。

 また昭和三十年代に学会へ入信した古参学会員は
 「顕正会は本門戒壇をどうやって実現しようとしているのか知りたい」
 と真面目に質問し・・・


ようするに登壇者はすでに顕正会へ移籍し熱心に活動しているわけだ。そうした中で現役の創価学会員から上掲のような質問を受けたのである。

しかし、古参とは言え、このような質問をする現役の創価学会員がいるとは驚きである。だったら自分たちはどうなのかと聞きたいところだ。おそらく今の創価学会には本門戒壇についての確たる理論など存在しないだろう。正本堂崩壊ですべてが終わってしまったのだ。

では顕正会はどうかであるが、いちおう理論的には過去から一貫不変のものを持ち続けているけれども、委細に見ればブレまくっているし、何よりも実現性の意味ではほぼゼロに等しい。

もしかしたらくだんの古参創価学会員は、そうした顕正会の現実を知悉していて上掲のような問いを発したのかもしれない。

 学会時代には、地獄のことなどは空想の世界としか思えず、まして諸天善神などは、とっくにこの謗法の国を捨て去り、存在しないものと思っておりました。

このくだりが悩ましい。

・地獄はもともと存在しない。単なる空想に過ぎない。
・諸天善神はもともと存在していた。しかし、謗法の日本を捨てて今は存在しない。


単純化すれば、地獄はウソであり、諸天善神は本当である、ということになるはずだ。ある意味、正しいのではないかと思う。
ようするに地獄という場所があるのではなく、地獄界という生命の苦悩の状態を譬喩的に場所として説明している、という解釈が上段である。そして下段のほうはいわゆる神天上の法門である。そんなには間違っていないだろう。
顕正会では創価学会の言っていることを何でもかんでも間違いだと決めつけたいらしいが、前掲の記述から受ける印象は必ずしも悪いものではない。もし後半の記述が、諸天善神はもともと存在しない、となっていたら真っ向から対立することになるけれども、そうは書かれていないのだから、そんなに極端におかしなことを言っているわけではないのだ。

よって、前掲はヘボな文章、というのが結論かもしれない。

群馬広布の草創期に入信した母
 54年間、一筋の信心貫き美事な臨終

講頭先生と浅井先生のご慈愛肌身に


これはいい話だ。顕正会は離脱者が後を絶たないという現実があるけれども、もちろん全員がそうではない。このような古参の妙信講員もいるのである。

 また南蛇井の相川宅で行われた小さな座談会に、初代講頭先生と浅井先生が出席して下さったときには・・・

小さな座談会に先生が出ることなど、今ではまったく想像もつかない。ある意味、こういう話が郷愁をそそるのだろう。

当時は東京での会合に参加すると、高崎駅に帰り着くのが午前一時半を過ぎ、そこから上信電鉄の始発まで、駅のベンチで毛布をかぶって仮眠し・・・

熱心なお母さんだったわけだ。そうそう、書き忘れるところだった。登壇者はこういう母親に育てられたことが大きいのだろう、現在は婦人部伊勢崎支区の総班長ということである。

群馬会館での集会の帰りに、浅井副総合婦人部長が施設に立ち寄って母を温かく励ましてくれ・・・

この辺は話が少し面倒臭いので省略させていただくが、ともかく浅井副総合の振る舞いには感心した。さらに浅井先生が弁護士を手配してくれたり、浅井理事長が手続きについて教えてくれたりして、母親を無事に自宅に連れて帰ることができたという話は、物凄く感動モノである。

そして本年元旦、九十三歳で亡くなった。

隣には女子部第百六十区総班副長が九十九歳で亡くなった曽祖母のことを書いている。その細かい話は抜きにして、冒頭の一節だけ紹介しておこう。

 私は平成十五年、男子部で御奉公する父の縁で、郡山会館において入信させて頂きました。

父の縁というのがめずらしいと思った。

下段の記事も紹介しておこう。

肝臓癌で
 「余命2年」


男子部第四隊の平会員である。レベル2の肝臓癌がステージ3に悪化し、さらにステージ4まで進行したけど、なんと完治してしまったという話である。

単なる誤記なのか、それとも正しいのか、最初はレベルと書かれていたものが途中からステージに変っている。まあ、それはともかく、余命宣告がよくわからないところだ。前にも書いたことがあるけれども、余命二年だとか三年というのは一般的にどうかと思うところで、わたくしの感覚ではあり得ない話である。医者もしょせんは凡夫である。人間の寿命などわかるはずがないのだ。もちろん、経験的に三ヶ月だとか半年くらいが山だろうというようなことはあるのだと思う。しかし、一年以上ともなれば、それが経験的なものだとしても、あまり当てにはならないはずである。ゆえに普通の医者ならば、そんな安々とは宣告しないと思うのだが・・・

二度の元の襲来・・・

先生への尊敬の念・・・


最後に婦人部霧島支区組長の記事から特徴的な部分を抜き出してみた。彼女は小学校の先生をしているそうだ。それが理由だろうか、元の襲来は顕正会的にはめずらしいし、尊敬の念もそうである。蒙古の襲来、畏敬の念、これが顕正会のスタンダードである。

2017/4/8  12:11

投稿者:arc
沖浦教によると
末法の大導師が戸田で
今は創価仏法の正法時代だそうです。
ちなみに上行菩薩は沖浦克治らしい。

曼荼羅はコピーしても本尊だが
写真に撮って印刷したらただの紙らしい。

相変わらずアッホォ〜〜〜〜〜ン((´∀`))ケラケラ

2017/4/8  9:06

投稿者:マイケル
末法の初めに出現して南無妙法蓮華経を万人に説き
不惜身命で弘通されたのが、日蓮大聖人であられる。

この意義から、大聖人は御自身が地涌の菩薩、とり
わけ上行菩薩の役割を果たしているという御自覚に
立たれ、御自身を「上行菩薩の垂迹」(1157n)と
位置づけられている。

http://k-dic.sokanet.jp/%E4%B8%8A%E8%A1%8C%E8%8F%A9%E8%96%A9%EF%BC%88%E3%81%98%E3%82%87%E3%81%86%E3%81%8E%E3%82%87%E3%81%86%E3%81%BC%E3%81%95%E3%81%A4%EF%BC%89/

誰がどう読んでも、日蓮大聖人=上行菩薩ww

2017/4/8  8:56

投稿者:arc
沖浦さん、一念三千ってわかりますか?
仏の意味わかりますか?
本仏と仏の境地の違いわかりますか?
題目の意味わかりますかねぇ((´∀`))ケラケラ

2017/4/8  8:53

投稿者:arc
>沖浦は自分を久遠の南無妙法蓮華経如来から上行菩薩への格上げをしている。

はぁ???
如来が菩薩に  格上げ?????????
相変わらずパー助だな。
((´∀`))ケラケラ((´∀`))ケラケラ((´∀`))ケラケラ

2017/4/8  8:50

投稿者:arc
>最近何やら格好良くなって来ました。

勘違いだと思いますよ。
小汚いジジイが写ってるだけですけどね。

人前に顔をさらしたいのなら
髭そって散髪して小奇麗にしましょう。
今若い女子に一番嫌われるのが
小汚いおっさんなんですよ。

2017/4/8  6:07

投稿者:沖浦克治

2017/4/8  5:50

投稿者:沖浦克治
巌虎さん、おはようございます。

 他板でも、上行菩薩で浮かれ騒ぐ方もおられます。

 少し整理しておきます。
 多くの方の位置付けは、

 久遠元初の仏>上行菩薩。
 
 こう云うものですね。 
 久遠元初の自受用身如来が宇宙の最初の仏で、それが大聖人。
 釈迦はその法門である南無妙法蓮華経を修行久遠実成で仏に成った。
 上行菩薩はその釈迦の法華経を末法で弘める人。

 ですので、大聖人が上行菩薩の再誕だと云う思想はありません。 
 大聖人は御書の中で、ご自身が上行菩薩である事を明確に否定されておられます。

 『而るに日蓮上行菩薩にはあらねどもほぼ兼てこれをしれるは彼の菩薩の御計らいかと存じて此の二十余年が間此れを申す、』
 (新尼御前御返事)

 明快に否定されておられる。
 誰がどう読んでも大聖人は上行菩薩ではあり得ません。

 釈迦仏法の限定された思想の中の上行菩薩の位置付けは、私共大聖人門下とは無関係なのです。

 大聖人は久遠の南無妙法蓮華経。

 これは変わりません。
 そして、

 私共一切衆生も寸分違わず久遠の南無妙法蓮華経如来。

 ここが日蓮思想の極意。
 これが分からないと御書はわかりません。
 ですので、何処かの誰かさんの様に、

 沖浦は自分を久遠の南無妙法蓮華経如来から上行菩薩への格上げをしている。

 などと云う方は、御書に暗い見本ですね。

 まあ寛師教学ではそんなものです。

2017/4/7  15:55

投稿者:沖浦克治
 更に愚かな・・・・

 ダメな人生を何故望みますかね??

2017/4/7  8:58

投稿者:arc
>他人の名前をたずねる時、先ず自身が何者かを明らかにすることは世間の常識。

馬鹿タレ。
それを自己紹介というんじゃスカタン。

お前の話に対していうとるんじゃ。
法螺でないなら「どこの誰」か言ってみろや

ごまかすな

2017/4/6  21:13

投稿者:沖浦克治
 極めて愚かな・・・・
 
 他人の名前をたずねる時、先ず自身が何者かを明らかにすることは世間の常識。

 その常識さえ弁える能力の無い状態。

 仏法では。

 頭破七分と云う・・・・

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