2017/4/24

第1404号の五面を読んで  
マイケル氏はリンクを貼りつつ、その内容について的確な分析を行なっている。

https://www.amazon.co.jp/product-reviews/4990205510/ref=acr_search_hist_5?ie=UTF8&filterByStar=five_star&showViewpoints=0

レビュアーの評価が二極化していますから、顕正会の
会員さんが購入されているんだと思います。

星5つ→顕正会の会員さん
星1つ→アンチ

という構図が、見え隠れしてるって感じでしょうか。


まったくおっしゃる通りだと思う。

また、余計なことを言えば、構図が見え隠れしている、というのは格調高い表現だが、もっとエゲツナク表現すれば、構図がミエミエ、とか、構図がバレバレ、というのもありだろう。五つ星のほうは顕正会員による自作自演がその大半なのだと思われる。まさか組織的にやっているわけではないだろうが・・・

沖浦氏の今朝のコメントは二つあって、一つ目は最初の大石寺登山の話である。何となく今の状況からすると、都合の悪そうな話に思えるのだが、沖浦氏はあまり気にしていないようである。もう一つのコメントは白馬村をトレーニングのメッカにするという壮大なる計画を語るものであり、そのバイタリティには恐れ入るものである。いつまでも夢を持ち続けられることが素晴らしい。しかも単なる夢想ではなく、その実現に向けて前進しているわけだから、これは凄いことである。

ちなみに、この話は即是道場理論に裏打ちされているのだと思う。もし顕正会員で拙ブログをご覧になっている人がいるならば、ぜひとも思索してみるといいだろう。

白馬村という特定の場所に意味があるのではない。そこに沖浦氏という能動者がいて、トレーニングのメッカにするべく奔走していることに意味があるのだ。ゆえにこの場合、そこが白馬村でなければいけない理由はなく、極論すればどこでもいいのである。いわゆる依正不二の原理そのままなのだ。主体者たる沖浦氏が強い目的意識を持って行動することで、環境が変わっていくのである。それが今まさに、白馬村で実証されつつあるわけだ。

なるほど、沖浦氏が戒壇の建立についてあまり関心を示さないことも、あるいは特定の本尊への執着を持たないことも、いちおう筋が通っているようである。

顕正会員の皆さんはこれにどう反論するだろうか?

これはけっこう難しい問題であり、わたくし自身も明快な答えを持ち合わせているわけではない。だからと言って、こうした問題にフタをして一切考えないようでは、それこそ広宣流布も戒壇建立も画餅に過ぎないことになるだろう。今の顕正会に足りないのは、まさにこうした部分である。

さて、今日も顕正新聞第1404号の続きを見て行こう。

 また今回の決起集会には、二百名を超える未活動者が参加し・・・

第二十五・第二十六男子部長の記事である。先般、浅井先生が言っていた、未活動の人たちが続々と目覚めつつある、という話を彼は実感したと書いている。

しかし、その左隣の婦人部横浜支区組長の記事はもっと大胆である。

・・・二百万になれば未活動者がいなくなることを実感いたしました。

婦人部は確信があるのかハッタリなのか知らないが、先にも総合部長と副総合とが同じような発言をしている。浅井先生はあくまで未活動者がいなくなることを念願していると言っていたわけであり、いなくなるとは断言していないのだが・・・

 「稔ちゃんがそんなことを言ってるの?」

同じ人物の記事には上掲のようなセリフがある。どうやら彼女の総班では喫茶店で基礎教学書の読み合わせをやっているらしい。たまたま近くの席にいた七十四歳の男性がその内容を聞きつけたらしいのだ。創価学会会長原田稔云々の記述をである。彼は原田会長の幼なじみだという。彼も創価学会員だったが、もうかなり前に活動をやめてしまったようだ。それで組長たちに折伏されて、求めるように素直に入会したという。

右隣の記事に戻って、一つ引用しておきたい。

 さらに同じく六〇代の一班長も必死に戦うと、七七歳の後輩が、七年の長きあいだの逆縁の壁を打ち破り・・・

三名の入信を叶えたという。それにしても還暦過ぎの班長に喜寿の後輩という組み合わせも妙だし、先ほどの稔ちゃんの幼なじみも含めて、高齢者が多いなあ、というのが偽らざる実感である。

ただし、ここで話を終わると、悪意の印象操作との批判を受けかねない。なぜならば下段の記事はいずれも若い女性の登壇だからである。

右下の女子部第百十六区総班長は二十代半ばであり、すでに六年前から総班長として活躍しているくらいだから相当のツワモノだ。しかし、それが逆に問題でもあるのだろう。

長いあいだ失業中で金銭的に厳しい状況でしたが・・・

当然、この続きの文章には再就職が叶ったことが書かれてあり、それ自体は大いにけっこうなことである。しかし、なぜに長期間にわたって失業を余儀なくされていたのかを考えれば、総班長職がかなりの重責であり、極論すれば仕事をほっぽらかして活動していたから失業し、かつまた再就職もままならなかったというふうに想像されるわけである。

左下の婦人部黒石支区組長は所属こそ婦人部であるものの、現在はまだ未成年である。

小学校三年生の時から野球に熱中し、将来は女子プロ野球選手になりたいとの夢を持ち、高等学校女子選抜野球大会への出場が決まったとの記述もあるくらいだから、なかなかの人物である。おそらくは今春、高校を卒業したものと考えられるが、その後の進路についての記述は見当たらない。

 また私自身、自分は母の犠牲になっていると思っていた・・・

正直な記述である。かつては男子部女子部の若者たちが熱心なあまり親兄弟に迷惑を掛けていた。わたくしにはそんな印象があった。けれども昨今はそうした若者たちが父となり母となり、その子供たちが迷惑を蒙っているという状況に変ってきたようである。いわば彼女はその犠牲者なのだろう。もちろん続きの文章を読めば、それが今は逆に母親に感謝しているという意味の文脈になっているわけだが、それを承知しつつもあえて言うならば、今も犠牲になっていることに変わりはないだろう。

婦人部所属がそれである。

この問題も繰り返し書いてきた。つまり、筋から言えば女子部に編入させるべきなのである。それをしないで、いつまでも婦人部に置いているのは、まさに成果のためだろう。まったく何をやっておるものかと思う。

ということで、今日は五面の四本の記事を取り上げた。

2017/4/29  6:05

投稿者:沖浦克治
 おはようございます。

 『人のものををしふると申すは車のおもけれども油をぬりてまわりふねを水にうかべてゆきやすきやうにをしへ候なり、仏になりやすき事は別のやう候はず、旱魃にかわけるものに水をあたへ寒冰にこごへたるものに火をあたふるがごとし、』
 (上野殿御返事)

 人にものを教える秘訣が書かれています。
 異なる側面から拝するならば、

 優れた教え程簡単である。

 と云うことです。
 地動説が誕生した背景には、天体の観測技術が進歩すると共に、天動説では天体の動きを説明するのに複雑な補強が必要となったことが原因です。

 戒壇本尊本懐も同じでした。
 衣文としていた聖人御難事は弘安二年十月一日の作。
 所が戒壇本尊図顕の日とされるのは、十二日。

 この時系の逆転は、何か尤もらしい理論で説明せねばなりません。

 墨をするのに時間がかかった・・・・
 紙の用意が大変だった・・・
 一日に図顕の決意をされた・・・・

 等でした。

 戒壇本尊は本懐ではない。

 これで解決する事なんです。
 御書には、

 『日蓮は広略を捨てて肝要を好む』
 (法華取要抄)

 とあります。
 ここでも、複雑な論を振りかざし我賢しと自慢するお方もおられます。
 それらは創価ではないのですよ。

 如何にに単純明快に自説を世間に伝えることが出来るか?

 いやしくも創価を名乗る人間なら、書き込みに常にこの問いかけが無くてはなりません。
 そして、

 創価の舞台は世間!!

 片時もここをおろそかにしてはなりません。
 一億回の駄愚論は一度の功徳論に勝てません。
 御書にございます。

 『日蓮仏法をこころみるに道理と証文とにはすぎず、又道理証文よりも現証にはすぎず、』
 (三三蔵祈雨事)

 現実生活での功徳の生活の裏付けがないない道理や証文には意味がありません。

 ここで理屈を書きたいなら、先ず現実生活の祈りと闘いを書く。
 そしてその結果をキチンと書く。
 大聖人門下のネットとはそう云うものです。

2017/4/27  12:09

投稿者:arc
>少しの驚きを持って読みましたが、それはそれでそのお方のご自由です。
> 御本尊に唱題し目の前の一人を励まして生きて行くなら、功徳はキチンと出て来ます。


 じゃぁ 他人様の事はほっといたら?

2017/4/27  12:08

投稿者:arc
フェイスブックより
山頂で金具を踏み込むとポロリと取れて、今日のスキーはあえなく終了いたしました、、、
 高速で滑走中なら只では済まなかったでしょう、
 幸運に助けられました。 引用終わり

あれれれ?
功徳の文字がないよ???
護られた!!

 と思いました。
 功徳ってその時気づかない事もありますね。

 命助かって、大功徳〜〜!!!
って、フェイスブックに書きなよ。隠れ創価さん。

2017/4/27  6:19

投稿者:沖浦克治
 先ほどなんとなく若鷹を覗きました。

 スマホでは見ることが出来ます。

 まだ創価学会が興師門流だと信じている人がいて、驚きました。
 御書読めませんね。

 日蓮正宗は興師門流です。
 ですが、既に創価学会はそう云う矮小な枠組みの中にはありません。
 興師って御書の理解のない人でした。
 それが寛師に引き継がれて、日蓮正宗はダメになってしまった。

 この事実に目をつぶっていても御書は判りませんし、創価学会の真実も見えて来ません。

 次の教義の改定で。興師はなくなるでしょうし、大聖人本仏の見直しも必ずあるでしょう。

 世界の民衆を救済するには、絶対に必要な教義改定です。
 事実、SGIには興師の唯受一人も、大聖人本仏思想もありません。

 憲章に全く触れられてありません。
 以下SGI憲章前文から抜粋引用致します。

 日蓮大聖人の仏法は、人間生命の限りなき尊厳性を説き、すべての人を包含する慈悲といかなる困難をも克服する智慧をもたらす法である。 そして、この智慧は人間精神の創造性を拓き、人類社会の直面するいかなる危機をも克服し、平和で豊かな共生の人類社会を実現できることを説く「人間主義」の法である。
 〜引用終わり〜

 日蓮仏法と云う卓越した思想の開祖として位置づけらています。
 これが正しい大聖人への認識です。

 池田先生が云われました。

 『仏教が堕落したのは釈迦を聖人として祭りあげたからだ。』(主意)

 インドのネールさんの言葉を借りておられます。
 大聖人を人類から隔絶した特別な本仏に位置付けることは、日蓮思想にはございません。
 御書には全くそう云う事は書いてございません。

 今後はこの思想が世界に流布して行くでしょう。
 未だ興門派と云う極めて偏狭な位置付けで満足のお方もいる。

 少しの驚きを持って読みましたが、それはそれでそのお方のご自由です。
 御本尊に唱題し目の前の一人を励まして生きて行くなら、功徳はキチンと出て来ます。

 信じる内容ではなく、行動の中にだけ仏法はあるからです。
 御書にはそう書かれてありますので。

2017/4/27  5:52

投稿者:沖浦克治

  昨日朝一のゴンドラで山頂へ上がりました。

 板にワックス塗って凄まじく滑るようにしてブーツを入れると、金具がボロンと壊れました。
 それでスキーは止めて下山。

 少し残念でしたが、早朝のゲレンデを時速100キロ超えて滑っていて、金具壊れたら無事では済みませんでした。
 帰宅してから、

 護られた!!

 と思いました。
 功徳ってその時気づかない事もありますね。

 命助かって、大功徳〜〜!!!

 https://www.facebook.com/photo.php?fbid=927378987403600&set=a.315145571960281.1073741828.100003945214954&type=3&theater¬

2017/4/25  8:46

投稿者:arc
>以前、低劣な誌面座談会で日蓮正宗の悪口を書いていたころ、ほとんど読みませんでした。

今は、ネットでお前が同じ事やってるじゃないか。
お前ってマジで自分がやってること理解してるか?
チャック全開で人の批判ばかりして。
創価の掲示板でも嫌われ者。
50数年信仰して全く進歩してないのぉ。

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