2017/5/30

第1406号の残りを中心に  
引き続き第1406号を見て行こう。中部大会にはモンゴルからの参加者もいた。女子部第百五十九区総班長の肩書を持つ人物だ。

・・・無二の師匠・浅井先生と同じ時代に生まれ合わせ、先生の最後の御奉公に御供が叶う、自身の宿縁の有難さ

凄いことを言うものである。

 昨年は十六名が合格し・・・

 本年の登用試験は十一名が合格することが叶い・・・


これだけでは何とも言えないところだが、来年以降の合格者数を見て行けば、何かがわかるかもしれない。

御在世に蒙古襲来を以て逆縁広布を扶け奉ったモンゴルこそ・・・

「扶け」が気になった。それと今現在のモンゴル人たちが蒙古襲来についてどのような認識ないしイメージを持っているのか、そこがひじょうに興味深いところだと思った。上掲はいわば顕正会目線からの発言であって、必ずしもモンゴル人一般の目線ではないのだ。

隣は創価学会歴五十五年、現在は男子部第八十一隊組長の肩書を持つ人物である。

 「五千万円を渡すから、顕正会はやめるように」
 「家と土地を譲るから」


この人の娘さんの舅にあたる人物が創価学会の幹部だそうで、いわば懐柔策として上掲のようなことを言ったらしい。凄い話だ。

下段の婦人部富士宮支区部長の記事は次の一段が凄まじい。

 平成二五年度の成人式の浅井先生の指導を毎年、繰り返し拝聴させて頂き、いまの客観情勢の激変を見るにつけ思うことは、先生の指導が年々に重みを増すとの思いであり、いかに凄いご指導だったのかと噛みしめては、やがて日本及び全世界が広宣流布すれば、この成人式のご指導を全人類が「永遠の指針」とさせて頂くのだと、大歓喜が込み上げました。

これは浅井教の広宣流布という意味では正しいが、大聖人の仏法という意味では間違いだろう。大聖人の御書こそが永遠の指針なのである。それを各時代の指導者が大聖人の御指南を踏まえつつ、自分なりの切り口で語るべきなのである。ゆえに近い将来、もし城衛が顕正会の指導者となったならば、城衛なりの切り口で語るべきなのだ。もしそうではなく、百年後も千年後も浅井先生の指導が永遠の指針として残るのだとすれば、それはもはや大聖人の仏法ではなく浅井教と言わざるを得ないだろう。

六面にはもう一つ、トイレで急死した話があるけれども、それは省略させていただこう。次は七面である。

嫁ぎ先の羽切家の先祖が身延の地頭であったと、親戚から家系図を見せられ・・・

婦人部甲州支区班長の記事である。

 昨年一月、甲州支区が誕生したことを機に、それまでの総班長職を降り、班長としての新たな御奉公を決意し・・・

家系のどうこうよりもこちらのほうが気になった。いわゆる降格である。わざわざ書く必要もあるまいと思うのだ。

さらに気になったのが編集部の付けた見出しである。

謗法汚濁の身延を早く清浄の地に

前ページの富士宮支区部長も身延会館建立を見つめ云々と書いているが、まさか会館建立がイコールで身延の清浄化につながると考えているのだろうか?

最終的には身延山久遠寺を改宗させなければいけない。この場合、日蓮宗から日蓮正宗への改宗である。それが清浄化の究極だろう。しかしながら、かく言う顕正会は現在の日蓮正宗そのものが濁乱していると考えているわけだから、話は厄介である。

作業療法士も入信

男子部第二十九隊支隊副長の記事を読むと、何やら厄介な病気を患い、難手術を受けたそうである。術後の経過は良好で、リハビリを受け持った作業療法士もその驚異的な回復を目の当たりにして、入信したそうである。

 「専門家の目から見て、本当に不思議に思っていた」

リハビリについては興味関心があるので、それで多少の知識を持っているが、あくまで個人差の大きいものだと考えるのが普通だろう。ゆえに専門家から見て、ぜんぜん回復しない人もいれば、その逆の場合もある。もちろん中間的な人もたくさんいる。専門家はそれらを嫌というほど目の当たりにしているのである。よって、くだんの人物がどれほど驚異的な回復を見せたとしても、それくらいのことでは驚かないのが専門家のはずなのだ。

その意味で、もしくだんの入信者が単なるお付き合いで入信したのではなく、心底から凄いと思って入信したのならば、ぜひとも今後の登壇に期待したいものである。医師や看護師の登壇にも期待したい。そうしてこそ顕正会の功徳は本物と言えるのだ。

八面と九面についても書こうと思ったが、もうこれくらいで終わりにしておこう。次回は四月度総幹部会の特集号だ。

2017/6/3  5:32

投稿者:沖浦克治
 巌虎さん、おはようございます。

 今日はビジターがお二人来られます。

 そして、昨日東京オリンピックへ向けての選手強化に関係するお話を頂きました。

 嬉しいです。

 功徳〜!

2017/6/2  17:54

投稿者:大沢克日子
「2017/5/20 8:06 投稿者:沖浦克治
創価学会ではなく、他の団体で幹部のセクハラパワ
ハラが酷くて、捨てておけないと思ったので、昨年
の12月のはじめから闘いを始めました。
末席ではありますが地涌の菩薩です。
菩薩は他人が故無く虐げられていれば闘う事が責務
ですし最大の権利です。
今回責められていますが、この件では世間の咎は何
一つありません。
(略)
今回は純粋に他人のために闘う結果。
同じ苦境でも前回は修羅畜生の私が原因。
今回は菩薩の私への難。」

「世間の咎は何一つなく」・「他団体幹部のセクハ
ラ・パワハラが酷く放置できない」・「菩薩として
の権利であり責務」(取意)と高らかに宣言しての
戦闘モードですから、その過程で行き過ぎがあって
何かのトラブルが起こるのではと懸念していました。

ところがここ数日少しだけ冷静になって俄かにトー
ンダウンしてきたとのことで、安心しています。

2017/6/2  12:59

投稿者:.
>前の袋には他人の欠点

2017/6/2  8:56

投稿者:.
>でも私は相手を憎みません。

相手を憎まない人はこのような言葉など
思い浮かびません。

2017/6/2  7:02

投稿者:沖浦克治
 小学生のころ一家でクリスチャンでした。
 
 日曜には教会に必ず通ったものでした。
 兵庫県尼崎市にある、塚口協会・・・
 
 日曜学校と呼ばれていました。
 大川先生と云うボランティアの先生が云われました。
 
 人は目の前に小さい袋、頭の後ろに大きな袋を下げて生きています。
 前の袋には他人の欠点が、後ろの袋には自分の欠点が入っています。
 後ろは見えないが前は見えます。
 
 60年以上経ちました。
 まだ鮮明によみがえります。

 創価人となって54年・・・・

 クリスチャンの頃の説教が活きる人生になりました。

 不思議なクドクです。

2017/6/2  6:40

投稿者:沖浦克治
 巌虎さん、おはようございます。

 又あちらこちらで悪口書かれています。

 でも私は相手を憎みません。

 創価54年やったら、いつの間にやらそう云う人間になりました。

 功徳〜〜〜!!

2017/6/1  12:25

投稿者:.
「ここにマイクロホンがあります。マイクロホンそれ自体の原理は
 発声された音調を拡大するというものです。これは“不変真如の理”
 でしょう。
 それを我々が現実に利用していくということは“随縁真如の智”に
 命(もとずいた)わけなのです。」
(同 30ページより引用)

上記指導だけをみると、沖浦氏の主張も合致している部分があり
間違っているようにはみえないかもしれない
しかし、よくみれば「理論が迹」「行動が本」という 本迹論に
いつの間にかすり替えられていることに留意せねばならないだろう。
これが「御本尊は道具だから迹」「自分に功徳がでているから本」と
いう具合に展開されたのが、沖浦氏の「人本仏迹論」である。

さて、上記御義口伝講義は昭和37年8月にこれから学会を担うであろう
学生部に対して行われたものを、当時の参加者の感想も交えて
ドキュメンタリー調にまとめられたうえで大白蓮華に掲載されたものだ。
池田先生は「帰命」について不変真如の理・随縁真如の智を指導された
のだが、同、御義口伝
『人法之れ有り 人とは釈尊に帰命し奉るなり
            法とは法華経に帰命し奉るなり』
についての指導も引用させていただきたい。

「この釈尊とは人本尊を意味します。すなわち日蓮大聖人に帰命し
 奉ることをいうのです。帰命に『人法』があると訳すのですね。
 法とは法本尊、すなわち南無妙法蓮華経に帰命することをいうのです。
 人法一箇ですから、御本尊に帰命することが真実の帰命であり
 “南無”なのです。」 (大白蓮華2009年11月号27ページより引用)

一義的には御本尊や日蓮大聖人に対し「南無妙法蓮華経」を唱える
ということは「不変真如の理」に対し「随縁真如の智」を現じている
といえるとおもうが、沖浦さんのように「御本尊は道具だから迹」
という生き方は果たして、なにに「帰命」していることになるのか。
また日顕宗門徒のいう「創価学会の曼荼羅はニセ」と論じる生き方が
なにに帰命していることになるのか。
「己儀」や「邪義」を「究極の真理」と錯誤し帰命している
だけではなかろうか。
軽々に 御本尊を論じる愚 はお互いに戒めあわなければならないだろう。

御本尊を蔑ろにすることは「謗法」に直結してしまうのだから。

2017/6/1  12:24

投稿者:.
誤解のないように付記しておきたいが、上記魚拓内で雨煽り氏が
述べられていたのは、あくまで日蓮仏法における「妙法蓮華経」には
勝劣はないが、あえて視点を変えれば本と迹に分ける事ができると
述べられているので、沖浦氏の人本仏迹論とは根本的に趣がちがう
ことを強調しておきたい。
当時の沖浦氏の主張は

沖浦克治:2009/07/16(木) 22:56:36

本迹は、一面から捉えるならば、理論と行動の差ですね。
 理論が迹。
 大聖人様の仏法は、法それ自体は普遍真如(ママ)の理です。
 お題目は変化しません。
 ではお題目を唱え祈り、行動をする。
 これは、随縁真如の智で本になります。

(以上引用)
である。

偶然かもしれないが2009年4月〜6月にかけて雨煽り氏が論じられた
不変真如、随縁真如について、同年11月の大白蓮華から
「師弟79周年記念特集 師弟の「御義口伝講義」が掲載がはじまって
いる。
御義口伝には「帰命」の概念や法華経経文に説かれた語句について
不変真如の智・随縁真如の智のたてわけが論じられており難解である
が池田先生は「帰命」についてこのように指導されている。

「この御書を拝読すると御書それ自体は“不変真如の理”です。
 絶対的真理ですから。したがって、また永久に変わらざる大聖人の
 哲理という真如の理です。そこに帰するでしょう。今我々は一生懸命
 に拝読しようとしていることは“帰”しているということなのです」
(大白蓮華2009年11月号 29ページより引用)

2017/6/1  12:23

投稿者:.
「人本仏迹論」の誤謬と謗法 投稿者:阿部日ケ〜ン(院政) 投稿日:2017年 5月31日(水)15時29分27秒   通報 編集済
あらためて言うまでもなく、沖浦さんは「人本仏迹論」を説いて
題目をあげる人が本で、御本尊は道具だから迹だと主張する。
クジラ掲示版でこの話題に触れだしたのは本年(2017年)年明け
早々の1月頃ですが、沖浦氏が同主張をネットではじめたのは
過去ログによれば2005年頃とされている。

すでに天城五兵衛殿が2008年に以下掲示版で論破されている

http://www2.ezbbs.net/cgi/bbs?id=amagian&dd=33&p=3

が2009年頃、沖浦氏の個人的掲示版において雨煽り氏に
よる「人本仏迹論」肯定論が投稿されるにおいて、より
一層、曼荼羅とそれを拝む側の「人」との 本・迹を
主張するようになったように拙は感じる。

その2009年当時の主張は、以下に魚拓が存在しており
確認していただけるだろう。
http://megalodon.jp/2009-1008-0206-04/jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/9645/1226278322/

さて雨煽り氏が沖浦氏の掲示版に論じた「随縁真如の智」を
もとにした人本仏迹論の肯定的内容はクジラ掲示版にも投稿され、
沖浦氏も反論されていないどころか、いやまして人本仏迹の主張を
繰り返しておられる以上、御義口伝にも論じられた「随縁真如の智」
「不変真如の智」について少々説明が必要になるとおもう。

2017/6/1  12:21

投稿者:.
何を今更ww 投稿者:んっ? 投稿日:2017年 6月 1日(木)08時02分53秒   通報 編集済
>山口氏が行ったとされいるセクハラパワハラは、現時点では事実かどうかは確定していません。
>有罪になるまでは無罪!
>が原則ですので、この件で彼をSNSなどで責める事は無意味に思えます。

先頭に立って憶測を「拡散希望」と煽りまくったくせに,自分だけ逃げるつもりか?
抑々,本当に耐えがたいセクハラを受けたのであれば,本人が被害届を出せば良い事で,
無関係のお前が出しゃばる話ではない!

結局,あちこちで出しゃばって,和合を破り,逃げるというパターンの繰り返し。
こんな奴に関わるとろくな事にならないという見本! 一緒になって騒いだ人達が馬鹿を見る。

昨日,こいつの所為で掲示板が一つ自ら閉鎖した。 こいつには罪悪感などこれっぽっちも無いだろう。
「老兵は死なず,ただ出しゃばるのみ」 ってか?ww

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