2017/12/22

ミセジマイ  
不治の病に罹っている人にどのような言葉を掛ければいいのか、わたくしにはわからない。月並みな慰めや励ましは無意味であろうし、医者でもない人間が病気の内容を根掘り葉掘り聞いたところでどうにもならない。

顕正会では最近、ガン消滅の体験発表がかなりの頻度でなされている。しかも医者がそれに驚き、医学会で発表したりもしているそうだ。

顕正会に入れば、治るかもしれない?

いや、これはウソである。ウソは言い過ぎにしても不正確な情報であることは間違いない。なぜならば顕正新聞には依然として臨終の体験発表が多く存在し、死因はさまざまあるにせよ、ガンが原因の場合が少なくないからである。

五年生存率という指標がある。ガンの手術をして、五年後にどれくらいの人が存命であるかのデータである。その結論はガンの種類によってさまざまであり、仮に〇〇ガンの場合の五年生存率が五十パーセントだとすると、十人中五人が死んでしまうということになる。逆に言うと、十人中五人が生きているわけである。この場合、自分が死んでしまうのか生きていられるのかは五分五分の確率であって、これをどう捉えるかは人それぞれである。仮に五年生存率が二十パーセントだとしても、楽観的な人であれば自分は生き残る側に入るだろうみたいな、何の根拠もないにもかかわらずそのように思う人もいるはずだし、逆に絶望する人もいるわけである。

ともかく人間は死ぬまでは生きるのである。ゆえに今をどう生きるかであり、病気に差し支えのない範囲で頑張るしかない。病気が悪化したら元も子もないので、そこは健康な人に比べれば遥かにハンデが大きいわけだが、それでも頑張るしかない。

では何をどう頑張るか?

ここは人間の特質たる考えるということが最大の武器となる。何をどう頑張るかはその人の健康状態だとかその他もろもろの条件によって変わってくることなので、そこを自分でよく考えて自分が最善だと思う方向に進む以外にない。もちろん他人からのアドバイスも有効であるが、最終的には自分が決めることである。他人任せで失敗したらバカバカしいではないかということだ。

きわめて個人的な話をすると、実は三年前に手術入院した。しかし、このことはまったくブログには書いていない。たぶん当時の拙ブログを読んでも、わたくしが病に伏していたことはまったく感じ取れないのではないかと思う。そこはわたくしのブログに対する矜持が為せる業に他ならない。

いちおう傍証的に書いておこう。パソコンでご覧になっている人は左側に月別の更新数がカッコ書きされていることがわかるはずだ。その三年前の秋ごろを見ると、更新数が激減していることが確認できる。入院期間は十月から十一月にかけて、二十日間ほどだった。しかし、ご覧のごとく、九月の更新数が最低を記録している。すでにこの頃、相当に具合が悪く、キーボードも打てない状態だったのだ。逆に十月十一月に盛り返しているが、これは入院を悟られないようにするために、あえて頑張って更新した結果である。

なぜそこまで頑張ったのか、もしくは頑張れたのか、ということを別の意味からも書いておこう。

拙ブログは長年にわたって顕正会のことを痛烈に批判してきた。顕正会員の立場から見れば、大謗法者ということになるだろう。ゆえにわたくしが病に倒れて更新不能になれば、その時には顕正会員たちが大喜びすることにもなりかねない。いわゆる罰であると。

罰だと思われるのがイヤだから頑張って更新を続けた。こういう一面も否定はできないだろう。

ともかく拙ブログはインターネットの片隅の微々たる存在に過ぎないわけだが、顕正会関連のブログとしてはそれなりの存在感を示しているのではないかと自負するものである。そういう意味でささやかながらも使命感のようなものを感じていて、このまま顕正会の行く末を見届けることも拙ブログの仕事なのではないかと思ったりもしているわけなのだ。

浅井先生いわく、使命のある人はなかなか死なないんですよ、と。

その意味ではどのような状況であれ、使命感を燃やし続けることができる人が強いのだろう。

とは言え、またしても話をややこしくするようだが、わたくしもしばしば自問自答している。こんなブログに何の意味があるのか、時間のムダではないのか、人生の浪費ではないのか、と。結局、現状では固定客というか常連のコメント投稿者もいるし、アクセス数もそこそこ安定している。ようは需要があるわけで、その意味で読者に応えたいという意欲が必然的に湧いてくる状況にあるわけだ。

ここが一つの目安となるのだろう。

さすがにアクセス数も激減し、誰もコメントを寄せなくなれば、わたくしのモチベーションも続かないはずである。つまり、拙ブログをつぶそうと思うならば、不読運動をするべきなのだ。それとコメントを寄こさないことだ。それが一ヶ月も続けば、わたくしも店じまいを考えざるを得ないに違いない。

2017/12/24  11:08

投稿者:マイケル
>罰だと思われるのがイヤだから頑張って更新を続けた。こういう一面も否定はできないだろう。

やはりその間も御本尊様を強く信じ、祈り抜いておられたんですか?

今、こうしてブログを継続されているという事は、
快方に向かっている事の表れかと存じます。

顕正会さんの御本尊様による功力というものを、
実感されたのでしょうか。

2017/12/24  9:44

投稿者:大沢克日子
沖浦さん

重ねてのコメントで申し訳ありませんが、沖浦さんの
ご兄弟も同じ生育環境で育ってきています。
沖浦さんのご兄弟は沖浦さんのような性格・考えで沖
浦さんのような人生を送っているのでしょうか?

もし同じ生育環境にありながら(特に劣る点で)相
違があるのであれば、その相違が何処から生じたのか
見つめ直してみてはいかがでしょうか?

見つめなおせるご年齢に達していると思いますし、前
進の糧にできるのでは?

2017/12/24  9:34

投稿者:大沢克日子
沖浦さん

おはようございます。

>表面は嫌な態度で接していましたが、本当は誰一人相
手にしてくれない自分を訪ねてくれる人が嬉しくてうれ
しくて、初めて人の心の暖かさを知りました。

どれだけ多くの人たちが沖浦さんの事を気遣ってきたの
か(そして沖浦さんがそれに気付かず、逆にそれらの人
々を傷付けてきたのか)については省みる必要があると
思います。

その上での前進ですね?

2017/12/24  7:28

投稿者:マイケル
>罰が出て喜ぶ

罰で苦しんでいる人を救うのが、宗教なのでは?

2017/12/24  7:25

投稿者:マイケル
>罰だと思われるのがイヤだから

人は皆、何らかの病気を発症するものじゃないですか。
ですから、罹患する事自体が「罰」だとは思いません。

2017/12/24  7:14

投稿者:沖浦克治
 巌虎さん、おはようございます。

 何故功徳の体験が最も大事なのか?

 御書を拝して感動することもありますが、最も大きく多い感動は、

 御書を拝し、れを糧として苦境を克服した人の体験!!

 です。
 これは池田先生の指導も同じです。

 師匠の指導を胸に抱いて闘い、成功を勝ち取った同志の体験!!

 胸に迫ります。 
 素晴らしい指針や金言は、れを実践して勝利する人がいて初めて光ります。
 御書には、

 『されば過去未来を知らざらん凡夫は此の経は信じがたし又修行しても何の詮かあるべき是を以て之を思うに現在に眼前の証拠あらんずる人・此の経を説かん時は信ずる人もありやせん。』
 (法蓮抄)

 眼前の証拠がないなら衆生は法華経を理解できないとあります。

 功徳を書く!!!

 地涌の菩薩の本義だと思います。7

2017/12/24  6:34

投稿者:沖浦克治
 昭和37年9月10日、私は入会しました。
 
 その少し前、入会を決めた座談会のことは一生忘れません。

 森川さんと村本さんと言う男子部に伴われ始めて出た座談会。
 車座になって森川さんが言いました。

 沖浦君信心しよう。

 私は黙っていましたが、隣の方が私に聞きました。

 沖浦君は報徳へ行っているんだね。
 男子校だから寂しいね。

 私はうなずきましたが、その時お突然他の人が言いました。

 沖浦君やろうやな。

 私は男子校の話題の直後ですから、学校が野郎ばかりとの話と思って、

 はい。

 と言ったのですが、その人は、

 そうかやるか!!
 良かった〜〜”!!
 
 と大きな声で叫んで、周りが大拍手になって、私は初めて創価学会をやる意味だと築きました。

 拍手の渦!
 差し出される握手の手と手と手。

 絶対に忘れません。
 会場の蛍光灯まで浮かんできます。

 それから前に向くだけの人生になって今があります。

 2004年、苦境の中で唱題を重ねている時、その入会を決めた座談会にいる自分が蘇りました。
 疑似体験です。

 涙が溢れ、命が震える歓喜がこみ上げ喜びに震えました。
 その時わかりました。

 森川さんと村本さんは、大聖人が姿を変えて私を救いに来られた方々だった。

 瞬間、一切衆生が仏だと悟りました。

 創価学会員で幸せです。

2017/12/24  6:32

投稿者:沖浦克治
 大沢さん、おはようございます。

 ありがとうございます。
 私は創価学会で人間の形にしていただきました。

 16歳で入会いたしましたが、当時私は全ての希望を閉ざされていました。

 家庭は貧困のどん底で、父は働かず母が必死で保険の外交をして家計を支えていました。

 私は高校へ2年生になってから登校ができなくなって、
何時も家で一人で辛い思いをしておりました。

 当時はそういう子供はサボりだとのラベルを貼られる社会。
 家でも敵だらけ、外でも理解する人は一人もいません。

 16歳で人生を諦め孤立していたのです。
 更に私は子供のころから障害を持っていて、手が細かく震えるので文字を書くことが困難で、小学生以下の文字しか書けません。

 物凄いコンプレックスでした。

 その時母が職場の同僚に誘われ創価学会員となりました。
 当然私の所にも男子部が訪ねてくるようになりました。

 表面は嫌な態度で接していましたが、本当は誰一人相手にしてくれない自分を訪ねてくれる人が嬉しくてうれしくて、初めて人の心の暖かさを知りました。

 

2017/12/24  0:23

投稿者:マイケル
厳虎さん、んっ?さん今晩は。
お疲れ様です。

若鷹の掲示板、拝読させて頂きました。
本当に、有難うございます。

涙が、止まりませんでした。
なかなか言葉がまとまらなくて、レスが遅れて
しまい申し訳ございません。

そして、決意を固めました。
まずは、「聖教を3か月取ろう」と。

これが何を意味するか、聡明なんっ?さんでしたら
ご理解頂けるかと存じます。

きっと今世では、僕の病が治癒する事はないでしょう。
一生涯、指を指されて笑われ続ける事でしょう。

でも、僕以上に苦しんでいる人が沢山いる。

そういった方々が「抜苦与楽」する為に、
手を差し伸べる。1人でも多くの人に、笑顔に
なって貰う。

その為に、微力ながら尽力させて頂ける人間でありたいと
改めて思いました。

それこそが僕に与えられた、「使命」なのかもしれません。

それに気付かせてくれたのが、んっ?さんでした。
文字だけでは、なかなか思いが伝わらないかもしれませんが・・
感謝申し上げます。

2017/12/23  19:54

投稿者:(笑)
>生き様をフェイスブックで見て

あの悪口三昧のフェイスブックを読んだら、どんな奴なのか会いたくなるでしょうな(笑)

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