2018/2/23

シオン  
贋虎氏から訂正のコメントが入った。わざわざ訂正するほどのことでもないと思うのだが、その律義さには敬意を表したいと思う。何しろ都合の悪いことには頬かむりを決め込む人が多い世の中である。その意味では立派な振る舞いだと言えるだろう。

慧妙の記事は時期的には後出しジャンケンそのものである。後思案と言い換えてもいい。ただし、それが正鵠を射たものであれば、いわば歴史認識としての決定版のような意味を持つことになるだろう。はたして当該記事には妙信講のことが書かれているのかどうか、わたくしとしてはそこが気になるところである。日達上人が認識を改められた要因の一つに、妙信講の存在がある。慧妙がそこに言及しているかどうか、そこが前述のホオカムリの話に通じてくるわけである。

さて、顕正新聞第1429号の続きを見ていこう。

日本広布

副総合婦人部長のこの表現がめずらしい。もっとも意味的には日本の広宣流布のことだから、別に大したことではないのだが・・・

問題は次の記述である。

 そこに平成二十六年十一月、学会が戒壇の大御本尊を捨て奉る大謗法を犯すその前に、先生が元旦勤行において「国難元年」と定めておられた不思議に、改めて驚嘆しました。

これは気がつかなかった。一種の盲点のようなものだろう。

本年は国難五年である。いわゆる顕正会式の年号だから世間的にはまったく通用しない。しかも顕正会員たちも、そろそろわけがわからなくなる時期である。あれ? これって、いったい何が基準になっているのかな?

ゆえに浅井先生も本年の年頭の辞であるとか昨年末の総幹部会などで、このことについて説明しているのだ。しかし、よく考えるとそれはおかしな説明なのである。面倒なので詳しくは書かないが、図らずもそのおかしさを副総合が暴いてくれたわけである。ヘタすると、浅井先生自身も気がついていないのかもしれない。もちろん副総合は浅井先生を批判する目的ではなく、その逆の目的で書いているわけなのだが、批判者たちからすれば格好のツッコミどころである。

いずれにしてもこれは国難元年の年頭の辞だとか、あるいはその前年あたりの会長講演を精査した上で詳論すべき事案だろう。いつものことながら、わたくしは面倒なのでやらない。誰か興味のある人は調べてみるといいだろう。

次に総合女子部長の発言を紹介する。

月例登山を激減させるという経済封鎖をし・・・

これは会長講演を受けて書いていることであり、他の大幹部たちも同様のことを記している。ようするにたくさんの創価学会員が大石寺に登山参詣していた時代があって、それを創価学会の上層部が意図的にコントロールしていたという。いわば兵糧責めのようなもので、その圧力で僧侶たちを牽制していたのだ。

結果的にはこれが失敗のもとであり、僧侶たちを怒らせてしまった。

ここからがわたくしの疑問である。顕正会ではこうした事態が二度あったと考えているのだ。すなわち日達上人の時代と日顕上人の時代である。前者の時には創価学会側が非を認めて和解した。しかし、後者の時には決定的な亀裂が生じて、周知のごとく、今日に至っているわけである。

はたしてこれが正しいのだろうか?

創価学会の上層部は一回目の時に兵糧責めが逆効果だったことを痛いほど味わっていたはずである。ならばわざわざ同じ失敗を繰り返すような愚は犯さないはずだろう。この点、顕正会の認識は甘いのではないかと思う。

先生ただお一人が、大聖人様より召し出された御方・・・

これはもう総合女子部長の口グセと言ってもいいほど、頻出するフレーズである。ゆえに今さら言うべきことは何もないのだが、さすがに次のくだりはどうかと思った。

女子部も大聖人様に命を帰し奉り、真心を重ね、すべての法戦に先陣を切る御奉公を以て、深き師恩に報いてまいります。

言いがかりを承知で言えば、ほとんど会長本仏論そのものである。

大聖人に命を帰すのは問題ない。もちろん表現的にはである。では、深き師恩に報いる、はどうだろうか? もしここでの師を大聖人とするならば、ひじょうに整合性の高い名文と言えるのかもしれない。しかし、彼女に限らず大多数の顕正会員が、ここは浅井先生のことを意味しているのだと理解するはずである。

結果的に彼女は自分の人生を顕正会に捧げたわけであり、別して言えば浅井先生に捧げたわけなのだろう。すると大聖人に命を帰すのも浅井先生に命を帰すのもさしたる違いがなくなってしまうわけで、そのように読めばまさしく上掲は会長本仏論そのものなのである。

ちなみに会長本仏論批判はもともと創価学会批判の一つであり、池田大作氏を本仏と見なすような創価学会のあり方への批判だった。わたくしはそれを転用する形で顕正会批判をしているわけであるが、今となってみると深刻度がケタ違いのように思えてならない。もちろん顕正会のほうが遥かに深刻である。

2018/2/24  22:48

投稿者:トチロ〜
(つづきです。)

「この国立戒壇という考え方は天皇主権という明治憲法が背景になっているのであります。天皇主権ですから、もし天皇がその気になって、私はこの信仰をするということになれば、国教にすることだって可能だったかも知れません。実際にはならなかったから、そういうことになったときに、どういうようなことが起こるか判りませんが、あるいはずいぶん反対も起こり、大変なことにもなったかも知れないけれども、一往、制度の上では天皇主権だから、それができないとは言えないのです。実行しようとすれば、できる可能性が充分あったわけだから、そういうことのなかから、天皇の法華信仰によって皆帰妙法が日本国に行える可能性はあった。」

「やはり今は、勅宣・御教書は、その現代的な拝し方としても、そういう軽々しいものとして考えるべきではなく、もっと深い背景的意義を拝すべきと思うのです。」

「今は国民主権だから、国主というのは今ではたしかに民衆なのです。けれども、政治の在り方等というものは、いつどこでどう変わるか、未来のことは判りません。」

「将来どう変わるかということは本当に判りません。だいいち、日本の現在の民主主義の形だって、憲法だって、将来どう変わるか判らない。」


このようなお言葉の中に非常に安ど感を覚えたものでした。

ただ、贋虎さんもご指摘の通り、このご講義においても、また現在の宗内においても、やはり何かしら遠慮をしているような空気は私も感じます。

そこから先のざっくばらんなお話は後日にでも…。

お会いできる日を楽しみにしております。


2018/2/24  22:46

投稿者:トチロ〜
贋虎様へ


ご丁寧なお返事恐縮しております。

贋虎さんの問題視されている部分に関しては日蓮正宗僧俗においても温度差があり十人十色の意見があると思います。(これ自体が日蓮正宗は戒壇義が未だ統一されていないとお叱りを受ける対象になってしまうかとも思いますが…。)

私個人としては、戦後70年以上が過ぎ、現在の衆愚政治の現状を見るまでもなく国民主権という構造自体がやはり間違いのもとであり、最終的には統治権を天皇陛下にお返しするべきであると考えております。当然のことながら広宣流布の前夜にはそのような形態になるものであろうし、また大聖人様の仏法自体が一人の国主でなければ馴染まないものであると考えます。

その観点から贋虎さんの引かれた「第53回全国教師講習会の砌」の御隠尊猊下の御指南を拝します時、

(つづく)

2018/2/24  20:06

投稿者:贋虎
トチロ〜様
まず、わたくしと巌虎氏の主義主張がほぼ同じとしたのは、大枠においてであって、戒壇義の委細については違うかもしれませんので、これから書くことについて、即巌虎氏の意見とご理解なさらぬよう、お気をつけ願いたいと思います。
さて、わたくしの問題としていることについてですが、ひとまず第53回全国教師講習会の日顕上人御講義に沿って、ごく簡単に述べます。
「政治の在り方等というものは、いつどこでどう変わるか、未来のことは判りません」と御隠尊猊下は仰せられておりますが、そうであればこそ、国家的な戒壇あるいは国教による戒壇の可能性も残すべきだと考えます。
王法の解釈や金輪聖王の事など、議論が広がりを見せておりますが、「勅宣・御教書は、天皇と統治機構によるもの」と解釈するのは、歴代先師上人の御指南のところであり、それらがすべて為人悉檀であったとは到底思えません。
未来のことはわからないのに、なぜこの義のみ捨てられるのか。
ここに、いまなお御宗門は、正本堂当時の「空気」を引き摺っていらっしゃる、そういう姿勢があられると、わたくしは考えております。
直接お会いする件ですが、いまは思うところあるゆえに遠慮させていただきます。しかし、やはりネットではなく直に会ってお話しすべき事柄と考え、いずれはそのような機会を設けたいと心しております。

2018/2/24  11:31

投稿者:マイケル
>日蓮正宗、創価学会を辞めようと思えば辞められる。
>しかし、顕正会は辞められない。

日蓮正宗、創価学会、顕正会を「会社」って単語に置き換えると、
よく分かりますよね。

2018/2/24  9:09

投稿者:大沢克日子
マイケルさん

顕正会本部に書簡を送っても何の回答もありませんか
ら、実際のところどうなっているのかわかりません。

ただ、顕正会を辞める人に聞くと(処分される人は別
として)退会を認められないのです。

私の場合、上長にもそう言われたし、別件で出会った
顕正会役員(姿を消してしまった)に聞いたところ、
妙に恩着せがましく顕正会を辞められないと言われま
した。

その人たちが口にするのはどうやら
「但し此の具足の妙戒は一度持って後、行者破らんと
すれども破れず」
(教行証御書)
と御書に示される金剛宝器戒の事を言っているようで
すが、それと顕正会から退会できないこととは別の話
でしょう。

先ほどのマイケルさんの事例のように、マイケルさん
が日蓮正宗、創価学会を辞めようと思えば辞められる

しかし、顕正会は辞められない。

いや、もしかすると顕正会本部は秘かに実数を把握し
ているのかもしれない。
でも、今まで数十年にわたって組織・幹部を次々と挿
げ替えてきて、果たして実数の把握はできるのでしょ
うか?

顕正新聞や書籍の発行部数、大会参加者から推測はで
きるかもしれませんが。

ちなみに顕正新聞の発行部数、平成20年当時、顕正
会当局は裁判で「20万部」と証言しています(当時の
会員数は100万を超えていました)
活動会員は少なく見積っても4・5部は普通に購読して
いましたし、上長は10部〜20部と購読する人もいま
したから、実態はわかるはずです。

私は実働会員数の話が出ると、出会った顕正会員に、
平成二十一年の立正安国論正義顕揚七万五千名総登山
の写真集を見せます。
「もう十年近く前の話になりますが、論より証拠、今
の顕正会はこの結集、出来ますか?」
「そんな穢らわしいものは見ない」
と言いながら横目で見てくれるのですが、私が見せた
人は全員絶句しています。
「…今に見ていろ!」
と良く言われます。

最近練馬方面に仕事に行くことが多くなって、帰り
にしばしば寺院の夕勤行に参詣しますが、大寺院とは
いえ平日の夕勤行の参詣者の増加には驚きます。
他寺院ということもあって遠慮して最後列に座るので
すが、最近は其処までいっぱいになることもあります。

残念ながら去っていく人もいる一方で、実際に寺院に
参詣する人が増えていく、これは素晴らしいことだと
思っています。

2018/2/24  8:15

投稿者:トチロ〜
贋虎様へ


昨年末の一連の投稿、興味深く拝読させていただきました。


>ときに、わたくしの立場を明確にすると、主義主張は巌虎氏とほとんど変わらないと認識している。戒壇義以外において御宗門と争う点はないと。


戒壇義に関して論争するつもりは微塵もありませんが、贋虎さん達がどの部分を問題視しているのかが個人的に非常に興味があります。

ご迷惑でなければ一度お会いしてお話を伺えませんでしょうか?

2018/2/24  7:37

投稿者:マイケル
信仰心も無用、金儲けが優先先と

http://emyo.jp/

慧妙は、しっかり責任者が校正を行った上で、
HPを更新したほうが良いと思いますよ。

「優先先」してどうするww

2018/2/24  7:25

投稿者:マイケル
>辞めさせてくれずにその二百万・三百万の一員になってしまうのです。

それは、事実なんですか?
って事は大沢さんも、百三さんもその一員になってるって事なんですかね?

2018/2/24  0:17

投稿者:贋虎
>都合の悪いことには頬かむりを決め込む人が多い世の中

まさにこれがためです。わたくしは、近年の御宗門や顕正会を反面教師にしている部分が大いにあります。
------------
ときに、わたくしの立場を明確にすると、主義主張は巌虎氏とほとんど変わらないと認識している。戒壇義以外において御宗門と争う点はないと。
たとえ解散処分を受けようとも、異流儀と罵られようとも、「日蓮正宗の信徒である」との誇りと自覚を忘れることなど、絶対にあってはならない。
仮に現在の顕正会員に、自分は何宗の人間なのかアンケートを取ったとして、いったいどれだけの人が日蓮正宗と答えるだろうか。「顕正会」という者がいたら、極端な話、その人を除名にするくらいの姿勢が本部になければ、御宗門への諫暁など虚しいと言わざるを得ない。

2018/2/23  22:34

投稿者:大沢克日子
>でも実数は、オープンにしていませんよね?
その理由
って、一体何なんですかね?

何でしょうね?
そもそも宗教団体が「公称」会員数を称する理由は何
でしょう?

選挙特番で池上彰さんはその学会の票読みは一般には
わからないいうことを言っていたと思いますが、何故
創価学会はその実数を公開しないのでしょう?


マイケルさんのお名前を借りてしまって申し訳ありま
せんが、マイケルさんが日蓮正宗を離檀した場合、マ
イケルさんは除籍されます。

「日蓮正宗宗規第二百二十三条
檀信徒は、死亡したとき、又は次の各号の一に該当し
たときは、その資格を喪失し、除籍される。
一 自ら離檀または離宗を申し出たとき。
二 本宗以外の宗教団体に所属したとき。
三 第二百四十六条の規定により除名されたとき。
(略)」

同じく、仮にマイケルさんが創価学会を辞めた時には
指摘者氏の言葉の通り除籍されるようです。

ところが、顕正会においては日蓮正宗、創価学会にい
う資格喪失の規定がない(運用されていない)よう
なのです。
私が辞める時もそうですし、他の人の体験談からもそ
ういう話を聞きますが、顕正会においては辞めると申
し出ても辞めさせてくれないのです。

少なくともマイケルさんが日蓮正宗や創価学会に「
辞めたい」と言えば、辞めることができます。

しかし、顕正会においては上長に申し出ても本部に書
簡を送っても、辞めさせてくれずにその二百万・三百
万の一員になってしまうのです。

私の場合、「浅井先生の大慈悲により」退会は認めら
れませんでした。
先日、現役会員だと言うので会館で顕正会版本尊を確
かめようとしたらどうもダメらしいのです。

「辞めたくても辞められない」顕正会というのは一体
何なのだろう、と思います。

コメントを書く

名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ