2006/1/16

最後の立派な戒壇と現時における戒壇の相違  
トチロ〜氏よりさらなるコメントを賜わりました。また、日達上人の御説法をご紹介いただきました。ちょうど邪義破折班の「砕破す」でも次のようなくだりがありますので、ひじょうにタイミングがよかったと思います。

日達上人も昭和四十五年六月二十八日、「天生原・天生山・六万坊の名称と本宗の関係についての一考察」との御講義において綿密な考証を加えられ、「大坊棟札」が偽作であることを論証されている。

わたくしはこの御講義を拝読したことがなかった。たまたま昨夜、タイミングよく全文拝読することができたので、少し思うところを述べてみよう。

邪義破折班では「詳しくは大日蓮昭和四十五年九月号に掲載されているが、今は要点のみを列記しておく」として箇条書きで十個並べている。
前にも書いたと思うが、浅井先生はこの大坊棟札の偽作問題について、平成元年に見解を示している。しかし、この十個のうちのわずか一点だけ取り上げて、他の点には言及しなかった。いずれ詳しく破折するとしておきながら、いまだに手付かずのままである。

他の顕正会員と同様、わたくしはこの日達上人の御説法を部分的にしか知らなかった。ようするに、浅井先生の著作に出てくる引用部分だけしか知らなかったのである。
今回、トチロ〜氏のご厚志で拝読することができたわけだが、ひじょうにすばらしい御講義であった。少し安心した。安心などと書くと、意味不明に思われるだろう。

邪義破折班の書きようからすると、本文ではさぞ詳しく論じられているのだろうと想像していたのだが、そうでもないという気がしたのである。浅井先生は平成元年にこれを「ズサン」と表現したがそうではなくて、ざっくばらんな、当意即妙の御説法であられるとわたくしには感じられたのである。
むしろ邪義破折班ではこれを整理して「砕破す」に載せているわけであり、逆に御説法の本文は速記録のような感じの未整理のものである、ゆえにズサンといえば言えなくもないがそうではなくて、そこから重要な部分を抽出するのが正しい拝し方であろう、その意味で破折班の整理は正しいと思う。御説法の最後に次のごとくある。

以上、時間を費して原稿もなくて、ただこういう参考書ばかり集めてきたものですから、話がだんだん飛び飛びになって、お聞きにくかったことはまことに申しわけありませんけれども、また、もし分らないところがあったならば、またお話ししたいと思います。

原稿なしの臨機応変・当意即妙のすばらしい御説法と申し上げるべきであろう。

また、談論風発の様子が感じられたものである。上人は途中で、○○房だとか△△房と呼び掛けていらっしゃるし、途中でまた質問が入ったようでもある。実際にこれらの御僧侶が今日的にはどなたに当たるものかわたくしにはまったく見当がつかないけれども、研究発表者の三人のうちの二人が国立戒壇を是とする内容だったという。日達上人は彼らに対して、次のように仰せくださっている。

今の戒壇の考えも、あなた方は、最後のりっぱな戒壇を論じておられる。ありがたい話です。しかし、私はそれをいっているのではない。現時をいっているのです。

最後のりっぱな戒壇・・・ありがたい話です。
わたくしなどはもうこれだけでありがたい限りだと思うのであるが、まあ、現実にはそういうわけにも行かなかったのだろう。

いずれにしても櫻川氏の指摘するごとく、この研究発表の全文公開が望まれるところである。



同日追記:意味不明に思われるだろう・・・と書いたからにはその後ろの文章でその意味がわかるように書いていなければならないが、どうやらますます意味不明の文章になっているようである。
破折班の言いようからすると、上人の御説法は精緻をきわめるかのように感じられたので身構えていたけれども、実際は原稿なしのざっくばらんな感じの御説法ゆえにやや拍子抜けしたという意味がまず一点目としてある。
それから、浅井先生の口ぶりだと日達上人の御説法は概して、杜撰・粗雑・支離滅裂・矛盾撞着ということになる、ゆえにこの御説法もそうなのかと思っていたが案外に悪くない、むしろ原稿なしであれば順当なところだろう、ということが二点目としてある。
この二つの観点を織り込んで書いたつもりだった。

2006/1/16  20:51

投稿者:トチロ〜
御宗門におかれては、春と秋の2回富士学林研究科が開催されているようです。そして、そこで授業があり、それとは別に、毎回御法主上人猊下の特別御講義があるそうです。

昭和45年6月28日には、戒壇論についての日達上人の御講義がありました。
この日達上人の御講義に先だち、3名の僧侶が戒壇についての見解を述べ、その発表についての講評の意も込めて日達上人が御講義されたようです。

当時の流れを追っていくと、日達上人が「現時における事の戒壇」について御指南されたのは昭和45年4月のことですので、この学林研究科の時は、それからまだ間がないころです。
それで、お二人の御僧侶は、日達上人の御指南と違う説を述べたというよりは、それまでの伝統的な解釈に基づいて論じられたように思えます。

そして当時の宗門においては、この「天生原・天生山・六万坊の名称と本宗の関係についての一考察」の御講義やその後の日達上人の御指南によって「現時における事の戒壇」の意義が理解されるようになっていったのではないかと思います。

この日達上人の富士学林研究科での御講義は、「天生原・天生山・六万坊の名称と本宗の関係についての一考察」として、大日蓮昭和45年9月号に全文
が掲載され、また昭和49年12月に富士学林から北興された「戒壇論」にも全文が掲載されています。

3名の方の発表は、それぞれの方の当時の所信を述べたものてあり、御宗門としての正式見解はこの日達上人の御説法をもって「正」とし、大日蓮、及び「戒壇論」にて正式に発表されていると私は捉えております。

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