2018/3/25

ハルランマン  
面倒臭いコメントが続けて寄せられている。一つは広宣流布のことであり、もう一つは猊下を生身の釈迦日蓮と拝するかどうかとの問いである。

後五百歳中広宣流布についてはさまざまの解釈がなされている。いちばん単純に言えば、経文には広宣流布と書かれているものの現実的には広宣流布していない、これはどういうことなのだろうか、というような議論である。かつて顕正会ではこれを法体の広宣流布と化儀の広宣流布という分類を用いて説明していた。最近は言わなくなったが、その理由はともかくとして、現実に広宣流布していないことの説明としてはそれなりの説得力を持っていたと思う。わたくしとしてはそうした難しい解釈論ではなく、客観的に見ればどう考えても広宣流布しているとは言えまいと、ただ単に主張しているだけの話なのだ。ゆえにその逆のことを言いたいのであれば、それなりの説得力のある説明をするべきだろう。

さて、猊下の話であるが、これはもう面倒臭くてやってらんない、というのが本音である。

例えば教義上、間違ったことを言っているとしよう。猊下が間違ったことを言っているのだ。

そんな釈迦日蓮はおるまい。

すると法華講員がムキになって言うのだ。猊下が間違うはずがないと。些末な間違いはともかくも、重要な部分で間違うことはないと。

しかし、いつも言っているように、宗門の戒壇論はデタラメである。それを修正できずにいるのは猊下の責任である。つまりは猊下が間違っているのだ。

拙ブログの読者には法華講員がけっこう混じっている。そこで上述のようなことを書くと、わたくしを顕正会側の人間だと思い込む。しかし、それはまた大きな誤解であって、わたくしは顕正会もデタラメだと思っていて、事実、顕正会をボロクソに批判している。もちろん浅井先生を批判しているわけだ。

特に最近は会長本仏論と思しき発言が目立つので、そのたびに批判を加えている。あるいは目師再誕説を唱える人もいて、それについても痛烈に批判している。平たく言えば、浅井先生も偉くなり過ぎちゃった、幹部たちのオベンチャラも度が過ぎている、ということなのだ。

ご存知の人も多いだろうが、今の顕正会員は猊下を見下している。浅井先生のほうが上だと思っている。

すると、凄いことになるのだ。

もし猊下が生身の釈迦日蓮だとすると、浅井先生はそれよりも偉大な存在となるのだ。生身の釈迦日蓮より偉大な存在? それはいったい何者なんだろうか? 大慢婆羅門か?

さて、生身の釈迦日蓮についてであるが、幸いにも検索すると最上位に次のサイトが出てくる。

http://www.correct-religion.com/pages/souka07-04.html

これはけっこうマトモなことを書いていると思う。

この中に御本尊七箇相承の引用があって、わたくし自身、これについてはずいぶん前に見解を書いたことがある。今は記憶だけで書く。ようするに猊下は大聖人とは別人なのである。では、大聖人ではない別人が御本尊を認めて、はたしてその御本尊に功徳はあるのか、ということになる。この答えが七箇相承なのである。

つまり、別人が認めた御本尊に功徳はないのだ。ゆえに本来は大聖人が自ら御本尊を認めなければいけない。しかし、大聖人はいらっしゃらない。

末法の全人類を御救い下さるはずの大聖人が、こうした問題点について何の用意もせずに御入滅あそばすわけがない。つまりはその用意こそが御本尊書写の権能なのである。

結論は出た。

猊下が御本尊を書写される瞬間は、まさに生身の釈迦日蓮なのである。それ以外の時は、その限りではない、ということだ。

以下はまったくの私見であって、おそらくは法華講員から大バッシングを受けることになるかもしれないことを覚悟の上で書く。

大聖人が御本尊書写の権能について御定めになられたのは、制度上の意味合いが強いのではないかと思う。すでに日興上人の時代において御本尊の乱発がなされていた。いわゆる形木本尊である。版木さえ作ってしまえば御本尊をいくらでも複製することができる。大聖人がこうした事態を予測できなわけがない。ゆえに本尊書写については猊下一人に権能を集約することにしたわけである。

この意味においてわたくしは、他門の誰々が書いた本尊などはまるで拝む気になれないが、大聖人の御真筆御本尊であれば他門の寺院に所蔵されているものであっても拝むべきではないかと思う。また、今はそうした御真筆のほとんどがネット上にデータ化されているので、極論すればそれをコピーして表装した上で拝むこともアリだと思う。

たぶん予想されるのは開眼をどうするのかという反論だろう。

これについても私見を述べておくと、開眼すらも制度上の問題かもしれないと思う。ゆえにこの場合は、創価学会や顕正会のように勝手に御本尊を増刷することは許されないが、もし個人がひそかに自宅等において拝む範囲においては許容されるのではないか、ということになるだろう。

最近はおかしなコメント投稿者が多いので、それに連動してわたくしもおかしくなってしまったようだ。

2018/3/26  7:05

投稿者:マイケル
>信心はわかったからやるものではなく、難しい理屈が理解出来れば成仏出来るものではない。

難しい理屈を、分かりやす〜く一般の方に説明出来て初めて、理解を得られるもんやと思いますよ。

>地獄に墜ちる

「地獄に堕ちた」事を、科学的に証明出来るんですか?

2018/3/26  7:02

投稿者:マイケル
>理由は浅井先生や登壇者を批判している

たかだか批判を受けた程度で、「会員ではない」と切り捨てるんですか?ww

批判に対し、理路整然と反論すりゃいいだけの話でしょう。

2018/3/25  18:29

投稿者:会員
巌虎氏は勘違いをしている。顕正会員の誰がみても巌虎氏は顕正会員ではない。
理由は浅井先生や登壇者を批判している以上に、日蓮大聖人の教義が広宣流布国立戒壇建立と言っていないから。
宗門の戒壇論をデタラメと言っても正義を口に出していない以上、我弟子等の中にも信心薄者は、臨終の時阿鼻獄の相を現ずべし。其の時我を恨むべからず。です。
人生の目的は成仏にある。
信心はわかったからやるものではなく、難しい理屈が理解出来れば成仏出来るものではない。
法華経の杖をついて地獄に墜ちる前に仏道修行するのが得策です。
浅井先生は、たとえ現世にわずかばかりの地位や財産があっても、そんなものが何になる。死後、地獄に墜ちたら取り返しがつかないではないか。と言われてます。

2018/3/25  17:37

投稿者:晃
本尊は時の猊下のみが書写を許されており
それは題目の弘通を在所を追われたり身に傷をうけたりする
ほど
成したものへの授与に本来なら限るべきだろうし
ネット上から勝手に真筆をコピーするのはやめた方がいい
ただしすでにコピーしてしまって存在している本尊は粗末に
してはいけない

本尊書写の権限は猊下一任ですが、ニセ本尊という考えには
反対しています
だからと言ってコピー本尊を誰もが作っていいというのは
間違っている……



https://hokkevxage.com

2018/3/25  17:09

投稿者:晃
第一、如来滅後後五百歳の中に広宣流布して
と経文にあるのに、これが未だ為されてないといえば
じゃあ法華経は嘘なのか?というドグマにはまる

広宣流布の大役は上代の方々が決死の覚悟でなされたことで
末代の我々の役割ではなかったともっと謙虚になるべきでし
ょう

どれもこれも、王仏冥合と広宣流布をごちゃ混ぜに考えて
我々には仏法上重大な使命があるっ!とおごる考えが原因か
と思います



https://hokkevxage.com

2018/3/25  17:02

投稿者:晃
法華経とか南無妙法蓮華經とか
日本人なら一度は聞いたことがある
というのが広宣流布で
信仰が国の隅々にまで
浸透する様子が王仏冥合です

今は王仏冥合がまだなされてなくて
広宣流布はすでに終わってる

この二つの定義をごちゃ混ぜに考える人が多い

https://hokkevxage.com

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