2018/4/14

コジンマリ  
マイケル氏の今朝の質問はわたくしが答えるよりもむしろ顕正会員が答えるべき内容だろう。幸いに最近は会員氏がよくいらっしゃるので、氏に答えてもらったほうがいいと思う。

巌虎さんは、恐らく宗創和合時代を御存知なのだろうと思います。

僕は2000年代に法華講へ所属させて頂き、その後離壇致しましたのでその辺の事情はよく分かりません。

学会が破門されて以降、御僧侶方や法華講員が一丸となって、学会員さんの家庭を回り、脱会するよう説得していたんですかね?


この質問については、それこそ御僧侶ないし法華講員に聞いたほうがいいわけで、なぜにわたくしに聞くのかがわからない。

ただし、マイケル氏が日蓮正宗に縁をしたのはここ十年前後のことらしく、それ以前のことはまったくご存知ないわけなのだろう。ゆえに、わたくしの立場で知っていることを、何か話せばそれでいいのかもしれない。

ひじょうに狭い見聞に過ぎないが、わたくしが知っているのは妙観講と樋田グループの活躍くらいである。とは言え、これもネットの情報に過ぎない。特に樋田氏については法論映像が衝撃的であり、この辺りから攻守所を変えたような印象がある。

数の上からは創価学会のほうが圧倒的な力を持っている。

ゆえに破門当初、創価学会は大反発をした。創価新報という機関紙では毎回のように宗門批判の特集を組んでいたし、それとは別にネット上での暗躍も相当だった。いわゆるフェイクという謀略情報紙が有名だが、他にも違った名前の謀略サイトが複数存在したと思う。

何しろ戦力がケタ違いなのである。ゆえに宗門側は防戦一方を強いられていた。わたくしにはそのような印象がある。そしてすでに述べたように樋田氏の台頭でそのイメージが一変した。

そもそもである。

破門以前の状況を端的にあらわしていたのが、正宗寺院を取り巻く街の景観である。わたくしの居住地域には、寺院の密集している場所がある。これは行政のほうで街の再開発の折、地域に点在していた寺院を一箇所に集めたためなのだろう。つまり、それらは歴史的に由緒のある寺院でもなければ、観光のために人が集まってくるような寺院でもなかった。純粋に葬儀法要だけを行なう、どこにでもあるような寺院である。

この場所を寺町と呼ぶことにしよう。寺町はひっそりとしているが、時たま賑やかになることがある。それは葬儀法要がある時だ。特に著名人が亡くなったりすると大勢の会葬者で賑わう。もっとも最近は身内だけのこじんまりとした葬儀が流行っているので、寺町はいつ行っても閑静である。

そうした寺町の中で異彩を放っていたのがかつての正宗寺院だった。

葬儀法要ともなれば喪服を着るのが普通であるからして、他の寺院への参詣者はたいていが黒い格好の人たちばかりだった。ところが正宗寺院は普段着の格好で出入りしている人がたくさんいるのである。しかもである。その周辺には仏壇屋が軒を連ねており、わたくしの記憶が正しければ最盛期には四軒あったと思う。

ちなみに今は一軒もない。

ここまでの記述でかなり雰囲気が伝わったのではないかと思う。かつての正宗寺院には創価学会員が出入りしていた。しかもかつての創価学会は入会がイコールで日蓮正宗への入信を意味したのである。つまり、創価学会員は必ず正宗寺院に行き、そこで御授戒を受けていたわけである。そして今はどうか知らないが、たいていの場合はそこで御本尊の下付が行なわれる。当然、御本尊を安置するための仏壇が必要になる。寺院を出れば目の前には仏壇屋がある。

今は一軒もないと書いたが、その理由は説明するまでもないだろう。商売にならないからである。

これまたわたくしの記憶が正しければ、四軒あった仏壇屋の中で真っ先に撤退したのは創価学会系の資本が入っていると思しき店舗である。四軒のうち二軒がそうだったかもしれない。残りの二軒中の一軒は総本山富士大石寺御用達の額を掲げる店だったが、商売にならなかったのだろう、しばらくは頑張っていたものの、やはり撤退してしまった。最後まで残ったのは地元の小さな仏壇屋だった。先の三つに比べれば本当に小さな店だった。それでも折伏大行進時代にはお零れをもらうような感じで、商売になっていたのだろう。結局、そこの店主にしてみれば今さら商売替えをするわけにも行かず、そのまま頑張るしかなかったのだと思う。平成十年ごろまで店を構えていた。

ちなみに今は創価学会の会館前に仏壇屋がある。しかし、二軒も三軒も並んでいるところはなさそうである。もはや爆発的な会員増加は見込めないということだろう。

あれから二十年、正宗寺院を取り巻く環境は激変した。当時の盛況を知る人はもう少ないかもしれない。

2018/4/30  15:16

投稿者:大沢克日子
「嬉々として難を待ち望む」=「自分は助かるとの確
信」ということでしょうか?

「不自惜身命」、そして「信心薄き者は」という仰せも
ありますが、それらを踏まえても
「自分は助かる」
確信があるから、そういうことを言えるのだと思います。

会員さんは「頸を斬られようとも退転しない強い信心
」(取意)とおっしゃっていたと思いますが、自分
自身に限らず、妻子家族知人友人たちが大難に巻き込
まれたときに確固たる信心を持てるかどうか。
先日、甥っ子姪っ子がおじさん、おじさんと戯れてき
た時にふと思ったのですが、信仰をすてなければこの
子たちを殺すと言われたら、どうするのだろう、と。
(こんなことをふと思うおじさんもどうかと思います
が…)
また、例えば予告なしに突然の発作に襲われた場合、
薄れる意識の中で御題目を唱えることができるかどう
か。
これは、日寛上人仰せのように正境たる御本尊に朝夕
弛まず唱題していく、「多年の行功」に依らなければ
いざという時の身の処し方は決まらないのではないか
と。

私自身、ここ何年か、父の死や親戚にちびっ子たちが
何人か生まれて新しい生命に接したせいか、月並みな
セリフですが「生命の尊さ」というものを感じるよう
になりました。
誰であっても、罰であっても生命が失われた
りして良
いと思えなくなりました。

顕正会員時代は伝聞に過ぎなかった仏法の賞罰ですが
法華講員になって直接関係のある人々について実際に
目にするにつけ、たとえ謗法の人々でも決して「ざま
あ見ろ」と嘲笑できるものではないこと。

一重の大難も広宣流布も将来必ず現実のものとなるで
しょうが、一国を覆う大難の意味を考えると、嬉々
として待つことはできません。

毎度ながら漫然とした話になってしまいましたが…

2018/4/30  15:06

投稿者:大沢克日子
トチロ〜さん

とても貴重な資料をご紹介いただき、ありがとうござ
います。

>「そういった難が来ることを嬉々として待ち望んでい
る。」顕正会員さんたちの了見の方が非常に問題だと
思うので
す。
>私も現役顕正会員時代にそのことを第三者から指摘さ
れました。「あなたはそういった難が起きることを内
心望んでいるんでしょ?」って…。

実は私も現役顕正会員当時、上司からそのように言わ
れたことがあります。
そして周囲の誰かに不幸があると、わざわざその人に
「仏罰です。ほら、言った通りでしょ?」
(=ざまーみろ(?))
と得意げ(?)に言いに行っていました。

仕事の途中でも御奉公優先で退社してしまう。
勤務態度を注意されれば、
「宗教弾圧」だの「憲法」を持ち出してくる。
(上司は至極当然の事を言っていただけなのですが…)
そんな自分勝手ことをやっていれば、周囲から嫌われ
て当然なのですが、嫌われたら嫌われたで
「怨嫉されている」
と被害妄想に陥っていました。

2018/4/30  11:51

投稿者:マイケル
トチロ〜さん

退転者であるにも関わらず、親切丁寧にご回答頂き
本当に、有難うございます。

750年以上が経ち、国家レベルでの「難」っていうの
はこれまで何度も経験し、それを乗り越えて今日が
あるわけじゃないですか。

経済なんか特にそれが顕著で、好況と不況のサイクル
を繰り返していますし、マルクスの恐慌論である程度
は説明出来る。

上手く表現できないんですけど、その辺の兼ね合い
っていうのかなぁ・・それが難しい気がします。

2018/4/30  9:58

投稿者:トチロ〜
大沢さん、サイトの紹介ありがとうございます。

マイケルさん、昨日はずっと出ずっぱりだったものでお
返事が遅くなり申し訳ありません。

会員さんの仰る大難とは、昭衞さん個人や顕正会が受け
る難ということではなく、日本という国が受ける国家レ
ベルの難、つまり戦争に巻き込まれるとか経済的に破綻
するとかいった類のものだと思います。

私個人も実際にはそういったことが将来起きうるだろう
なとは思いますが、それが起きるか否かという問題より
も、「そういった難が来ることを嬉々として待ち望んで
いる。」顕正会員さんたちの了見の方が非常に問題だと
思うのです。

私も現役顕正会員時代にそのことを第三者から指摘され
ました。「あなたはそういった難が起きることを内心望
んでいるんでしょ?」って…。

絶句でしたね…。そして自分の心の貧しさに本当に恥ず
かしい思いになったことを昨日のように思い出します。

2018/4/29  9:28

投稿者:マイケル
>おく びょう −びやう [3] 【臆病】
( 名 ・形動 ) [文] ナリ

@

気が弱く,ささいな事をもこわがって,びくびくする・こと(さま)。 「 −な男」 「 −者」

A

突然の出来事によって,すっかり慌て驚くこと。 「『…あやまちしてけり』と思けるに,よく−しにければ/今昔 28」 〔「憶病」とも書く〕

https://www.weblio.jp/content/%E8%87%86%E7%97%85

自分自身の障害とは、しっかり向きおうてますわ。

近い将来、下半身が動かんようになるかも知らん
っていう、厳しい現実にもね。

それで「臆病」者呼ばわりされるんやったら、
それはそれで結構。

2018/4/29  8:37

投稿者:マイケル
>浅井会長も、何の地位もない私たちも、私
たち在家は自らの過ちについて、他人に責任転嫁する
ばかりで、自ら反省懺悔できないのではないでしょう
か。

貴方に言われる筋合いはありません。

2018/4/29  0:09

投稿者:大沢克日子
(若き日顕上人と戸田会長とのエピソード)

たしかに創価学会が牧口先生の提唱によって始まって
そして特に戸田先生が命懸けで折伏の指揮を執られま
した。私が若い頃、一時、戸田先生と少し誤解があっ
て、その誤解が解けたあと、「一杯飲もう」というこ
とになり、二人きりでお酒を飲んだことがあります。
あの人はまた強いから、いくらでも飲んだし、随分
たくさん飲みました。私も飲みましたが、結局、その
間に色々と話すことは「本当に広宣流布のために命を
捨てている」ということ、また当時の御法主猊下は日
昇上人でしたので、「私は日昇上人を日本国の国師と
するように仏法を顕揚したい」という切々たる気持ち
を、酒を飲みながら語っておられました。そのほか二
時間も様々な話もしましたが、私はやはり戸田先生は
本当に命懸けで、自分というものを忘れてやられた方
だと思います。

報恩坊公式ブログ「顕正会の誤りについて」
御遺命の
戒壇に関するご指南(資料)
「教師指導会の砌(平成3年1月10日)」より引用

はじめて伺いましたが、素晴らしいエピソードだと思
いました。


2018/4/28  23:52

投稿者:大沢克日子
(前略)
すなわち、正本堂を一期弘法付嘱書・三大秘法抄に示
される御遺命の事の戒壇と直ちに断言し、意義付けて
しまったならば、それは既に広宣流布が達成したとい
うことであって、それ以降は大聖人の仏法を、折伏
によって弘教していくという広布への前進が、全く
不要になってしまうわけであります。
今回、教師指導会における御法主日顕上人の御指南を
拝し、改めて私の発言が、昭和四十七年の「訓諭」
以前のこととはいえ、軽率であったことが悔やまれて
なりません。それはまた、現在教学部長という立場に
ある上からも、けっして無慚に見過ごすわけにはいか
ないことであります。
大聖人の仏法には「懺悔滅罪」ということがあり、ま
た外典である「論語」にすら「過って改むるに憚るこ
と勿れ」とありますので、ここに誌面をわずらわせ、
私の過去の発言の過ちを反省するとともに、懺悔滅罪
の一端とさせていただくものであります。
宗務院 教学部長
大村寿顕
(大日蓮平成三年二月号)

報恩坊公式サイト「顕正会の誤りについて」
御遺命の戒壇に関する御指南(資料)
正本堂の意義付けに関する反省
より引用させていただきました。

御僧侶方は自らの過ちについて反省懺悔なさる姿があ
りますが、浅井会長も、何の地位もない私たちも、私
たち在家は自らの過ちについて、他人に責任転嫁する
ばかりで、自ら反省懺悔できないのではないでしょう
か。

2018/4/28  23:44

投稿者:大沢克日子
確かに日蓮正宗創価学会は一千万信徒と言われるほど
の未曾有の功績があった信徒団体でした。

報恩坊公式ブログ「顕正会の誤りについて」に、「御
遺命の戒壇に関する御指南(資料)」として、様々
な貴重な資料が掲載されています。

「正本堂の意義付けに関する反省」
(平成3年2月号)
も非常に大切な資料だと思います。

「教師指導会の砌(平成3年1月10日)」が掲載されて
いますが、若い頃の日顕上人と戸田創価学会会長の話
ははじめてうかがった内容でした。

次のコメントに両資料とも、一部を引用します。
興味のある顕正会員の方は、報恩坊公式ブログ「顕正
会の誤りについて」で、御自身で確認なさってくださ
い。

2018/4/28  23:20

投稿者:マイケル
>浅井会長の語る「御遺命守護の戦い」も、「茶の子の朝茶の子」
(森鴎外・阿部一族) のレベル

法華講がいつ、「御遺命守護の戦い」を行ったんですか?


コメントを書く

名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ