2018/4/21

アナタノカワリハイナイノデス  
顕正会の障碍者に対する処遇は不明である。組織的な統一見解が打ち出されているのかどうか、わたくしは知らない。

仏法的因果論とでも表現すべきなのだろうか、生まれながらにして身体に問題を抱えている場合、それを過去世の悪因によるものだと解釈することが普通に行なわれてきた。しかし、これが現代においては問題とされていて、そうした因果論を前面に押し出すことは教団にとって不利になると考えられているのだろう、それを恐れてどこの教団もあまり言わないような印象がある。

ところで過去の拙稿だが、紹介しておこう。

http://white.ap.teacup.com/ganko/1728.html

当該記事の最後のほうに自在会の話が出てくる。この出典元のリンクも以下に貼っておく。

https://sokanomori.exblog.jp/

まことに恐縮であるが、当該ブログのどこかに全盲の創価学会員の話が出てくるはずである。当時、その記事についての感想を求められ、書いたのが前掲のリンクだった。

わたくし自身は障碍者ではないけれども、今は年齢を重ねたことでその人たちの気持ちが少しはわかるようになってきたきがする。
この際、道具になぞらえて話をすると、つい先日のことだが給湯器のセールスが来た。壊れる前に交換したほうがいい、壊れてからだと何かと不自由だから、というような理屈を述べていた。まったくその通りである。ただし、金銭的な余裕がないこともあるし、誰に迷惑を掛けるわけでもないので、ぶっ壊れるまで使い続けるつもりだと答えた。
物によっては半壊ということもある。我が家のインターフォンがそうだ。チャイムが鳴って、部屋にある応答用の受話器で来訪者と話をする。しかし、古いためか、チャイムは鳴るけれども応答ができない。実はもう五年くらい、いや、もっと前からそのままの状態である。とりあえずチャイムが鳴るうちは直さないつもりである。
つまり、機械類は完全に壊れて使い物にならない限り、ダマシダマシ使い続けるということもあるのだ。おそらくは誰もがやっていることだろう。

人間の身体も同じである。というよりも人間の場合はなおさらなのだ。

先ほどの道具ないし機械の場合、それが個人レベルであれば多少の能率低下は仕方がないことだとして使い続けることもあるだろう。しかし、それが熾烈な競争を極める企業であれば話が違ってくるはずで、常にベストの状態を保たないといけない。つまり、機械に不具合があれば直ちに修理するか、修理が不能だとすれば新しい物に交換する。

ところがである。人間の場合はそうも行かないのだ。

修理=治療ということだとして、修理ができない場合はどうするのかである。企業論理としては、そういう使い物にならない人材は放擲するしかない。使い物は使い者と書かないところがミソである。

それは企業の話である。一個の人間としてはどうかという問題がある。それで人生を悲観してしまう人もいる。

しかし、生きていく以上はそうしたハンデを抱えつつも頑張るしかないのである。

わたくし自身は創価学会を評価する立場ではないのだが、もしそうしたハンデを背負った人たちに夢や希望を与えることに長けているのであれば、その点は評価していいと思う。

顕正会の場合、最近ことに目立つのがガンが消滅したという話である。他にはずいぶん前に聴覚障碍者が聴力を取り戻したという話があって、けっこう印象に残っている。あとは直近の北関東大会でも凄い体験発表があったようだが、これについては後日、取り上げたいと思う。

ただ思うことは、こうした奇跡的体験は全体の比率からすれば稀有のことであり、多くの人が病気だとか障害を抱えたまま生きているのが現実である。にもかかわらず顕正会では奇跡的体験のほうばかりにスポットが当たるものだから、そうじゃない人たちの落胆が強まるのだと思う。

この点をどのように解決していくべきなのか、顕正会の首脳部は考える必要があるだろう。

いわゆる生老病死ということがある。

わたくし自身、月々日々に年老いていく実感がある。また、さまざまの病歴があって、その病気が原因で失われた身体的機能もないわけではない。それでも人間は死ぬまでは生きるのである。

ゆえに上のほうでも言ったように、壊れつつある道具ないし機械類をダマシダマシ使い続けるがごとく、自分自身の身体もダマシダマシ使い続けるしかないのである。

あなたのかわりはいないのです。

いわゆる安全標語である。わたくしはこのシンプルさに感銘した。

先ほどの企業論理というか、金儲け優先主義からすれば、使い物にならない人間はどんどん切り捨ててしまって有能な人材ばかりを集めるべきなのだろう。そういう厳しい企業では次のような厳しいセリフが飛び交っている。

オマエの代わりなんか、いくらでもいるんだぞ!

文句があるならさっさと辞めちまえ、オマエ程度の人間なんかいくらでもいるし、いくらでも交換が可能だから、辞めたきゃさっさと辞めりゃいい。

もちろん、物凄く優秀な人材もいて、キミに辞められちゃ困る、キミの代わりが務まる人なんてどこにもいない、というようなケースもなくはない。ただし、それもしょせんは使えるうちの話である。プロスポーツの世界を見ればわかるだろう。成績がいい時はチヤホヤされるけれども、成績が悪くなればオシマイである。

話がグルグル回っているようだ。

ともかく直前の話は何かを彷彿とさせるものがある。そう、あれである。すなわち顕正会の成果至上主義である。

今の顕正会は必ずしも成果至上主義だけに支配されているわけではないが、しかし、その色が濃く出ている場面においては、実に冷酷である。この点も本部首脳が考えるべき重要課題の一つだろう。

2018/4/26  11:33

投稿者:マイケル
>成果至上主義だけに支配されているわけではないが、しかし、その色が濃く出ている場面においては、実に冷酷である。

成果を、「折伏」という単語に置き換えると、その教団の実情って
ものがよく分かりますね。


2018/4/26  11:27

投稿者:マイケル
まずはレス、有難うございます。

>にもかかわらず顕正会では奇跡的体験のほうばかりにスポットが当たるものだから、そうじゃない人たちの落胆が強まるのだと思う。

多分顕正会員だけではなく、法華講の方、学会員の方を含め離檀(離宗)
するのは、そこに原因があるのではないか、そのような気がして
なりません。

こればっかりは・・当事者になんないと、分かって貰えない
んだろうなぁ・・・。

2018/4/21  11:57

投稿者:トチロ〜
SMAPの「世界に一つだけの花」の価値観ですね。
 
大いに賛同致します。

コメントを書く

名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ