2018/5/19

ダイセンセイサマ  
今日から北関東大会特集号を取り上げていくつもりだが、その前に前号の残りをやっつけてしまおうと思う。

世界的な第一人者の二人の名医・・・

男子部第六十八隊長の体験発表である。ガンの消滅を云々する記事であるが、上掲はいかがなものかと思う。もちろんアゲアシ取りのレベルではある。しかし、いかにも語呂が悪い。他にもっと違った表現ができるはずなのだ。

長女の子供は同じ道路で二人とも撥ねられてしまった・・・

婦人部千葉支区部長の記事には、姑の発言として上掲のセリフが紹介されている。九十二歳の人なので、人生の悲哀ということをたくさん味わってきたのだろう。それにしても同じ道路で二人の孫が亡くなったとすれば、これほど不幸な話もあるまいと思う。文章の雰囲気からすると、別々の事故であろうと思われる。それがまた、ひじょうにヤルセナイ気分にさせられるのだ。ごく単純に言うと、一人を亡くした時点で、物凄く気を付けるようになるはずなのだ。何にせよ、同じ過ちを繰り返すことほど愚かなことはない。ゆえに二人目が事故死したとなると、周囲の人たちはいったい何をやっていたのか、というふうに思わざるを得ないし、本人たちの自責の念も相当だろう。

さて、顕正新聞第1438号である。

「北関東大会」1万2千余 歓喜の大結集

ご覧の大見出しとともに、一面の上半分を使って会場の全体写真が掲載されている。これはいつも言っていることだが、実に壮観である。会場は一目超満員であり、参加者たちの出で立ちが華美ではないことが、引き締まった印象を与えていると思う。何だろう、この人たちは? という感じなのだ。

その意味で顕正会に惹かれるであろう人たちが一定数は存在するのだと思う。

・・・開会に先立って、雷門会の演奏がビデオで上映された。

ああ、またしてもビデオか・・・

ところがである。

 ついで冨士軍楽隊と芙蓉コーラスのメンバーが入場。

おや、めずらしい。しかし、だったらなぜに雷門会はビデオなのか、そこが問題である。

その理由はともかく、軍楽隊とコーラスが生演奏を披露できたのは地の利の問題だろう。残念ながら他の地方大会はすべてビデオだった。おそらくは主要メンバーが首都圏に集中していて、地方への遠征はさまざまの制約があって難しかったのだと思われる。その点、北関東は便がいいわけである。

他に一面を読んでいて気になったのは、次のくだりである。

 日興上人の御心のままに立たれる唯一人の先生に師事し得た有難さを述べた。

第二十四女子部長の発言を要約したものである。それで確認のために四面に載る本文を読んでみると、それこそ問題だらけの文章なのだが、めずらしく文末だけはひじょうにうまく書けていると思った。

浅井先生のもと・・・大聖人様・日興上人にお応えしてまいる決意であります。

たいていの幹部が、浅井先生にお応えしてまいる、と書いている。たぶん彼女もこれまで何十と掲載されたであろう登壇記事の中で、先生にお応えする云々と書いているはずであるが、今回はご覧のように大聖人・日興上人にお応えすると書いている。これはひじょうに素晴らしいことである。

そこであえて余計なことを書くと、大聖人様・日興上人という表記はわたくしの感覚ではどうかと思うところである。大聖人・日興上人、大聖人様・日興上人様、このように統一すべきではないだろうか?
大聖人だけでも十分すぎる尊称であり、場合によっては聖人だけでも不敬には当たらないはずである。
まあ、しかし、この辺は他門との差別化の意味からして大聖人と書くべきが筋なのだろう。とは言え、今では他門でも大聖人と書く場合があるので簡単ではないが、ともかく様を付ける絶対的必要性はないはずである。

かなり飛躍的なことを書くが、やがては浅井先生が浅井大先生になり、浅井大先生様になるかもしれない。もっともわたくしが書くと小バカにしているような印象が否めないのだが・・・

コメントを書く

名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ