2018/5/30

ミヤコノジョウ  
このところは正真正銘の独白状態だったわけだが、久しぶりにコメントが寄せられた。しかし、その内容はかなり難解である。

量子力学・・・

すでにしてわたくしの能力の限界を超えている。前回の拙稿を読めばわかるように、言っていることは単純明快なのだ。ようするに顕正会では臨終の相をことのほか重要視しているけれども、実際にはかなり主観的であり現時点ではあまり説得力がない。それでいて宗門僧侶の発言をあげつらって、信心がないだの何だのと言っている。だったら顕正会でしっかりとしたデータを出さないといけないだろう。それがなければ、結局は五十歩百歩なのである。

ともかく比較統計学の考え方としては、さまざまの条件があるにせよ、データの母数が大きくなればなるほど一つの結果が見えてくる、というようなものだと思う。つまり、顕正会の言っていることが正しいのであれば、統計を取れば必ず何かしらの結論が見えてくるはずなのだ。

しかし、繰り返しになるものの、今現在はそうしたデータの集積をまったくやっていないのだから、ようは単なる主観に過ぎないと言われてオシマイの話なのである。

以上、返信としては不親切極まるものであるが、よろしく斟酌願いたいと思う。

日霑上人の決死護法と重なり・・・

さて、顕正新聞の続きを取り上げていこう。上掲は女子部第百四十七区長の発言である。彼女は冨士軍楽隊講師の肩書も併せ持つ、今となってはベテラン会員である。

そこで言っている意味だが、ようするに浅井先生と日霑上人が重なると言っているわけだ。忙しい先生である。ある時は大聖人だったり、日興上人だったり、日目上人だったりと、重なる対象が多過ぎる。これをあえて牽強付会すれば、浅井先生こそが本仏であり他の人たちはすべて浅井先生の投影ということにもなるだろう。本仏と迹仏の関係である。

次は女子部第六区支区長の発言である。支区長はめずらしい肩書だ。

「浅井先生を北関東にお迎えするのは、これが最後」

地方大会が始まった頃から、ご覧のようなセリフが増えたように思う。そしてわたくしはその都度、取り上げてきたつもりである。つまり、これはわたくしにとって大きな関心事なのである。彼らがどのような意味で言っているのかが気になるわけであり、機会があったら聞いてみたいと思っているのである。

拙き弟子と運命を共にして下さる無二の師匠・浅井先生の深きご慈愛に・・・

これも気になる発言である。普通は逆のような気がする。ようするに弟子が師匠についていくことを運命を共にすると表現する場合が一般であって、その逆は考え難いことなのだ。

もし彼女が双方向性という法華の深意を意識して書いたのだとすれば凄いことであるが、たぶん違うのだろう。

いわゆる腰の低い人というか、あるいは気さくな人というような表現があるけれども、浅井先生はあまり当てはまらないような気がする。わたくしのイメージでは一緒になって第一線で活動する。極端な話、先生自らが広告文の街頭配布をする。パフォーマンスでもいいからやる。それだけでもイメージは変わるだろう。残念ながら浅井先生のイメージは違うのである。

唐突ながら大聖人の御事蹟を思い描いた。鎌倉において辻説法をされたという話がある。実はごく最近、別件でその近くまで出掛ける機会があったので、碑が建っているところにも寄ってみた。現在は閑静な住宅地となっているが、鎌倉の中心部に物凄く近い場所であることは間違いないだろう。鎌倉の中心を貫く道路の反対側に横須賀線の駅があって、その関係からそちら側は繁華街となっている。ゆえに大聖人が説法された場所が閑静なのは、近代以降の鉄道敷設と駅の位置に影響されたものであって、それ以前は違っていただろうことが推測される。まさに大聖人の時代においては町のど真ん中で説法されたのであろうことが推測されるのだ。

浅井先生も自ら官庁街にでも出掛けて行って説法されたらどうかと思う。

さて、次は婦人部都城支区部長であるが、その肩書を見て彼女が北関東大会に参加したことに不思議を感じた。都城という地名からは九州の宮崎県しか思い浮かばない。それとも北関東近辺に同様の地名があるのだろうか?

これが地方大会という名の全国大会と呼ばれるゆえんである。

 一五〇台を超す車椅子の方々の表情も・・・

それはともかく、わたくしが注目したのはご覧の一節である。まさか台数を数えたわけではあるまい。そのような広報があったということだろう。口コミ指導と言い換えたほうがいいかもしれないが・・・

ならばその内訳を教えてほしいものである。年齢性別、それから車椅子を必要とする理由である。ようするに若い人であれば病気ないし事故によって肢体が不自由になってしまったのだろう。しかし、それが高齢者とりわけ後期高齢者ともなれば話が違ってくる。ぶっちゃけ言えば、もはや死期が迫っているような人たちなのかもしれないのだ。それを結集のために無理やり連れてきたとすれば大問題だろう。

こういう証拠のないことを書くと痛い目に遭うのが通例であるが、しかし、すでに予防線は張ってある。都城から参加するくらいなのである。もちろん登壇者本人は若くて女子部と見紛うほどであるが、ともかく遠方からの参加であることは事実だろう。つまり、彼女の場合は九州大会に参加するのが筋であり、その他の地方大会はよほどの縁がない限りは参加するべきではないのである。それが北関東大会にまで参加したとなると、中国四国大会にも参加したかもしれないし、近畿大会にも参加したかもしれないし、中部大会もまたしかりである。つまりはこれが顕正会の地方大会の実態なのである。少し前には病気の人を無理やり参加させたというような事例もあった。どこまで粉飾すれば気が済むのかと言いたいところである。

順番が逆になったが、婦人部常盤台支区部長の発言も紹介しておこう。

 たとえ相手は用いずとも、謗法を諫め、大聖人様に忠誠を貫かれる先生の戦いに、自然と諸天は動く!

宗教的ロジックは正しいのだろう。問題は現実にそのようになるのかどうかである。また同時に、護法のためには実力行使も辞さないという考え方もあって、妙信講時代は非力ながらもそれが功を奏した意味があった。では、今はどうかである。一国を相手にするとなると、今の顕正会の実態からするとやはり非力は否めない。それでも熱心な活動会員たちの尽力で一国に影響力を発揮することができるのかどうかである。いずれも未知数としか言い様がないだろう。

ただ、言ってもムダだと思って言わないケースが世の中には蔓延している。そうした中で、ムダを承知で言うべき時は言うという姿勢は、たいへん貴重なことなのかもしれない。

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