2018/7/26

セイシンカンテイ  
辛辣なコメントが火砕流のごとく押し寄せている。その一々については省略しよう。

今日は顕正新聞第1442号掲載の五月度総幹部会における会長講演を取り上げよう。

若しはまた在所を追放せられ・・・

ここでの追放は「ついほう」だろう。浅井先生はしばしば読み方を変えているようだが、何か意味があるのだろうか?

若しはまた在所を追放たれて・・・

これは折伏理論書改訂版からの引用である。この場合、追放は「おいはな」と読ませるわけなのだろう。事実、当該書籍にはそのようにルビが振られている。ちなみに基礎教学書ではこの前後の一段そのものがゴッソリと削除されている。

会長講演に戻ろう。

細井日達の「急死」

この小見出しの一段には次のような記述がある。

 ただし、御相承は断じて断絶しない。

二十年近くも同じことを言い続けているわけだが、わたくしは釈然としないままである。なぜならば、それ以前に主張していたことのほうが説得力があったからである。

簡単に言うと、御相承のことは正信会から疑われ、後には創価学会からも疑われた、そのように周囲の大勢から疑われること自体が罰なのである、という主張である。つまり、この段階では御相承の授受を認めていたことになる。しかし、それを後には翻した。法華講員などから破門三兄弟などと揶揄されるようになったのは、おそらくはこの後のことだろう。結局は同じ穴の狢だったということになるのだ。

一都三県は本陣

本部総会

この辺のくだりをわたくしなりに解釈すれば、ここ一連の地方大会の延長線上に位置するものなのだろう。もちろん地方ではないので、上掲のような名称となったわけである。

しかし、かつての大総会と何が違うのだろうか?

当然、一都三県からの結集なので全国大会とは異なる位置付けになる。それは誰だってわかる話だ。ならば大総会はどうするのかである。大総会はもう二度と行なわないのだろうか?

そしていつも言っているように、一都三県だけでの結集はマヤカシである。実質的には地方からもたくさんの応援部隊が派遣されることだろう。

安倍政権いよいよ断末魔

当該講演も政権批判に相当の紙数を費やしているが、有益な情報としては次の二つが挙げられると思う。

「種子法」廃止

水道事業民営化


この二つはテレビや新聞があまり取り上げていない意味でも貴重な情報である。

 おコメと水は日本人の命を守るものですよ。

当たり前過ぎる発言ではあるが、まったくもってその通りである。

しかし、次はいかがなものかと思った。

私は精神鑑定の必要があると思っている(笑)。

安倍首相を精神鑑定しろと言っているのだ。さらに次の発言にも注目しておこう。

野党がこぞって捨身で迫れば、安倍政権は必ず崩壊する。

先日、自民党の有力者が総裁選への出馬を見送って安倍支持を表明した。現状、安倍三選がかなり濃厚と見られているが、これをひっくり返す急展開があるのだろうか?

わたくしの個人的な希望を言わせてもらえば石破氏に勝ってもらいたいとは思う。だが、しかし、もし仮にその通りになったとしても自公政権の枠組みが変わるわけではないのだ。この点を顕正会ではどのように考えているのだろうか?

2018/7/27  16:33

投稿者:現役顕正会員反主流派

他人の批判は延々しておいて、自らの『二枚舌』に対する批
判は『独白』でスルーする。それは卑怯だ。

2018/7/27  10:57

投稿者:沖浦克治
 大聖人は神社への参詣を否定されておられません。

 御書には、

 『又うつぶさの御事は御としよらせ給いて御わたりありしいたわしくをもひまいらせ候いしかどもうぢがみへまいりてあるついでと候しかばけさんに入るならば定めてつみふかかるべし、其の故は神は所従なり法華経は主君なり所従のついでに主君へのけさんは世間にもをそれ候、其の上尼の御身になり給いてはまづ仏をさきとすべし』
 (三沢抄)

 身延へ参詣に来るとき、先に神社へ参詣したから会わないでおいた。
 仏が先を守りなさい。
 概ねこの意味です。
 四条金吾も主君の江間氏の代参で神社へ行っています。
 御家人の重要な仕事です。
 所が日興さんは、
 
 一、檀那の社参物詣を禁ず可し、何に況や其の器にして一見と称して謗法を致せる悪鬼乱入の寺社に詣ず可けんや、返す返すも口惜しき次第なり、是れ全く己義に非ず経文御抄等に任す云云。

 こういう事を書き残しました。
 これでは有力な御家人は去りますし、事実去っています。
 この人の人生の終盤は、身延を追い出されて事への恨みに満ちています。
 もう、この人の唯受一人などは止めるべきですね。

2018/7/27  7:12

投稿者:沖浦克治
 巌虎さん、おはようございます。

>ただし、御相承は断じて断絶しない。

 これは大聖人仏法はない考えです。
 ですので、講師から嫡々と続く法主のみの血脈と言うものは仏法にはありません。
 ここから抜けだせるかどうか?
 最も重要な課題ですね。

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