2018/9/7

ツウヨウ  
トチロ〜氏より面談の打診があった。しかし、今はそのような段階ではないだろう。むしろ現段階では読解力のなさを露呈してしまっていることに気がつくべきであり、先入観や固定観念に囚われないよう努力すべきである。

御宗門の戒壇に関しての物差しとなる根拠は私が提示した六巻抄の一節であり、これを拝するならば、戒壇という建物が存在しなくても本尊所住のところ並びに道場修行の場は義理において戒壇と呼ぶべきであると日寛上人は仰せになっております。

何を寝ぼけたことを言っておるのかと思う。前後するが次もしかりである。

しかしながら、「勅宣・御教書」が必要であるがゆえに事の戒壇もない、更にはその意義に通ずる義の戒壇も存在しえない(戒壇と呼ぶべきではない)などという論の展開は顕正会流の物の考え方であり、宗門にはそんな物差しはありません。

まず、顕正会流などと言っているが、ならば具体的な文証を示すべきである。結論を書くと、上掲は顕正会流ではなく巌虎流である。顕正会では手続きを経なければ事の戒壇は存在し得ないと主張するものの、義の戒壇の存在は認めているのである。なぜならば日寛上人の御指南を絶対と仰ぐからである。

これでトチロ〜氏が拙稿を誤読している件が明確となった。

そもそもである。前々回の冒頭の文章をここに掲げれば、話が通じやすいはずである。

名もなき会員氏は浅井先生の弁護のつもりでコメントを残されたのだろう。

つまり、わたくしは現役顕正会員を相手に書いていたのである。ゆえにわたくしの書いていることが顕正会流の物の考え方ならば、名もなき会員氏にとっては何の痛痒もない話になるだろう。しかし、そうではないのだ。なぜならばわたくしのやっていることは日寛上人の御指南すらも否定するという行為だからである。これを顕正会員が受け容れられるわけがない。

そこで結論を急ぐと、トチロ〜氏がすべきことは六巻抄の引用ではなく御書の引用である。本尊所住が戒壇であるとの証明を御書で行なわなくてはいけないのだ。

さて、これに並行する形で沖浦氏が頑張っている。

 本尊があって、入れ物としての戒壇がある。

だからなぜそう言えるのかである。日蓮正宗では常識とされているものの、ではその文証はどこにあるのかである。

 宝塔と言う入れ物が戒壇で、中の釈迦多宝は本尊。

これまた文証が必要である。煩瑣になるので省略するが、この後には阿仏房御書の引用がある。しかし、阿仏房御書に仰せの宝塔は曼荼羅御本尊のことだと推測されるのである。当該御書を最後まで読めば誰もが容易に想像できることだ。

つまり、上掲の入れ物と中身の譬えは阿仏房御書とは一致しないのだ。それにもかかわらず引用しているのは、そうした不一致に気がついていないのか、もしくは他に適切な御指南が見当たらないからなのだろう。

聞信戒定進捨慚の七宝を以てかざりたる宝塔なり・・・

ちなみに、ここに戒が含まれていることが注目されるところで、これをどのように整理するかが問題である。

・・・曼陀羅と云ふは天竺の名なり、此に輪円具足とも功徳聚とも名づくるなり。

沖浦氏のよくご存知の御文である。ようするに御本尊にはあらゆる要素が含まれているわけで、くだんの七宝もそうした要素の一つなのだろう。ここから別して戒だけをクローズアップさせるためには何が必要なのだろうか?

安倍三選に対する諸天の怒り
という考えが成り立つなら、
顕正会200万に対する諸天の怒り
という考えも成り立つのではないでしょうか。

自分はそのような因果関係はないと思っていますが。


なりた氏からのコメントはかなり久しぶりのような気がする。それはともかくご覧の文言を読むと、諸天の働きそのものを否定しているように思える。ただわたくしの思うに、人間は自然災害に対して無力であり、こうも災害が続くとあたかもそれが神仏の怒りのようにも感じられてくるし、それは二十一世紀の現代においてもそれほど変わらないという気がするのである。おそらくそれは顕正会だけでなく、その他の宗教団体においても近似の解釈の仕方をしているのではないかと思うし、そうした宗教団体に所属せずとも民間信仰的な意識として人々の中に潜在的にあるものだと思うのだ。いや、もちろん、そうしたものを一切信じない人も相当数いるわけで、その辺の比率がどうなっているのかはわからないのだが・・・

顕正会二百万に対する諸天の怒りはご尤もで、この解釈の仕方は何通りかあると思う。

一つには詐称二百万に対する諸天の怒りである。
あるいは邪教顕正会が二百万人を達成したことへの諸天の怒りである。

大きくはこの二通りがあるだろう。前者は顕正会が正しいと仮定した上での話である。正しい団体がマヤカシの二百万を謳ってどうするのかということだ。後者は邪教が蔓延れば諸天の怒りが増すという立正安国論の原理そのものである。

いずれにしても現証論は難しい。

顕正会では、創価学会が極限の大謗法を犯し、かつまた宗門が御遺命に背き続けている、ということを主張しているわけであり、それが諸天の怒りを生んでいると解釈している。なりた氏は違う解釈も成り立つと言っている。さて、どちらが本当かと問われれば、わたくしにはわからないとしか答えようのないところである。

話を大きく戻して、教義上の問題は最終的には現証で勝負するしかないというのが一つの結論ではあるのだろう。しかし、今述べたように現証は難しい。その意味ではむしろ道理文証のほうが単純明快なのではないかと、そんなことをわたくしは思ったりもするのである。

2018/9/9  9:46

投稿者:大沢克日子
>日達さんが言いましたね。

以降の沖浦さんのコメントも、浅井会長同様愚かさを
露呈しています。

日達上人が150万がなれば広宣流布…

元々折伏していなかった沖浦さんは分からないんでし
ょう。
日達上人の仰せの後、実際に全僧俗が広宣流布間近と
信じるほど短期間に急速な弘通がなされたのが日達上
人の御代になされました。
池田さんの野望を機に行き足がとまってしまうことな
く、更に日蓮正宗創価学会と法華講員の折伏弘教が進
めば本当に広宣流布になったのかもしれません。

日達上人が三分の一と仰せ…

浅井会長は色々言ってますが、日達上人は強盛・純粋
な信心を持つ人が日本の三分の一、と仰せですから
日蓮正宗、創価学会、顕正会問わず、活動会員は純粋
・強盛な信心が全人口の三分の一という状態が何を意
味するのか理解できるはずです。

沖浦流、巌虎流…
自己主張の強い人たちの集まりですね。

更に言えば、浅井流にそもそも引っかかってしまい顕
正会員になってしまうのも、似た者同士の人間なのか
もしれません。

もし私たちが、人望も財力もなく大した事もできない
のに、劣等感から他人を批判して自分を大きく見せる
ならば、これほど恥ずかしいことはないでしょう。

宗派云々ではなく、気をつけていきたいものです。

また「愛のスルー」と叱られてしまいますからこの程
度にしますが、反応があって良かったですね?

2018/9/9  9:43

投稿者:大沢克日子
突然死してなくて安心しました。
沖浦さんの長年にわたる言動や生活習慣、キレやすい
性格など、要素は多いと思います。
大変心配しています。

>大沢Sん

他所で誰かにヤラレて腹を立てているのでしょうか?
沖浦さんが逆上している時の特徴は、
「誤入力が増える」
「感情的な言葉が増える」
「特に御歴代上人を誹謗中傷する」
そして数年後にそれらの感情的な発言が沖浦さんに返ってく
る。

>支離滅裂ですねこの方。

先日も指摘しましたが、やり取りをしているなら本人
に言ってあげてください。

沖浦さんは本人に言わずに他所でコメントする悪癖が
ありますので。

創価思想に基づく本尊論・戒壇論も、貴方が捨て台詞
を残して去った学会員の掲示板で、学会員同士キッチ
リ決着をつけてきたらいかがですか?

法華講員の方の「広宣流布」の用語の使い方が本来の
意味とは違うのでしょうが、意味を考えれば法華講員
に伝えていくということでしょう。
あげつらう程の話ではありません。

それにしても、パワーリフティングに言及する法華講
員がいるとは思いませんでした。
普通の法華講員にとってはパワーリフティングは他所
の組織の出来事ですから、関心を持つのは大沢だけか
と思っていました。

2018/9/9  8:18

投稿者:沖浦克治
 大沢Sん、

 ね、アホの極みでしょう!
 こんな愚かなこと言う宗派が、

 俺たちが天下獲らないから地震も洪水も起きるんだ〜!

 少しだけ思考能力があると理解出来るじゃないですか。

 こんなところが広宣流布したら、水爆1万発落ちるより一億倍は最悪です。

 如何??????

2018/9/9  8:15

投稿者:沖浦克治
 コピーができませんので、打ち込みますね。
 大沢さんどうぞ。

 アホな書き込みです。

>山崎論
 パワーリフティング協会を創価学会一色に染めたいのですか?
 それが野望ですか?
 パワーリフティングは共産党関係者も多数興じているスポーツです。
 くれぐれもその点は誤解を招かないように何卒お願い申し上げます。

私〜興味ありません。

>山崎論
 ですよね?政治は無論の事、スポーツも「宗教」とは分離されなければなりませんよね?
 日蓮正宗(法華講)の方にも広く周知「広宣流布」させていただきます。
 ありがとうございます!
 〜引用終わり〜

 支離滅裂ですねこの方。
 日蓮正宗のこの方の広宣流布は、スポーツと政治の分離だそうです。

 日達さんが言いましたね。

 150万所帯で日本の広宣流布は達成できる!
 
 日応さんも言ってます。

 武力でヨーロッパまで攻め込んで、どさくさで広宣流布するぞ〜!!

 アホですね。
 然し法主も法主なら、信徒も信徒です。

 ダメだ〜〜!!
 コリャ〜〜〜〜!!!                       

2018/9/9  8:04

投稿者:沖浦克治
 アホな書き込みです。
>山

2018/9/9  8:02

投稿者:沖浦克治
 大沢さん、おはようございます。

 何かのミスですね。
 貼り直します。

  アホな書き込みです。
>山

2018/9/9  7:59

投稿者:大沢克日子
「2018/9/9  7:39
投稿者:沖浦克治
 アホな書き込みです。

>山」

本当ですね。
大丈夫ですか?
コメントの途中で突然たおれてしまったの
ではないかと心配しています。

どうしたのでしょうか?

誰も反応しないので釣りでこんなコメント
をわざわざ出したのなら悪質ですが。

2018/9/9  7:39

投稿者:沖浦克治
 アホな書き込みです。

>山

2018/9/8  10:06

投稿者:沖浦克治
 『法妙なるが故に人貴し人貴きが故に所尊しと申すは是なり、』
 (南条殿御返事)

 創価思想から読むなら、法は本門の題目、人は本門の本尊、所が本門の戒壇となります。

 更に、法と本尊は同じものの異名です。
 差別がないのです。

 法である南無妙法蓮華経はそのままで本尊です。
 その入れ物である法器の五体が戒壇です。

 『善きかな善きかな王今真に是れ正法を護る者なり当来の世に此の身当に無量の法器と為るべし、』
 (立正安国論)

 理解頂けますか?

2018/9/8  9:56

投稿者:沖浦克治
 巌虎さん、おはようございます。

 先ず戒壇とは何かを認識しないと、論は進めません。
 日本に仏教が伝わったのが538年(552年の説あり)とされます。

 当時、出家には税金免除があるので、税金逃れの出家が多数いたようです。
 出家の資格を厳しくするため、戒を受けたものだけが出家となる制度が生まれ、その場所を戒壇と称します。
 戒壇は受戒の場でした。

 最初の戒壇は、鑑真和上が東大寺に作りました。
 754年の事です。
 仏法伝来から、200年以上経っています。

 教えが伝わり、それが制度として確立する時間が200年以上かかったのです。

 御書には、比叡山延暦寺に迹門の戒壇があったと書かれています。

 受戒の場ですから、当然伽藍になります。
 儀式を行うのですから、それなりに威儀を備えた場所でなければなりません。

 この点は、御書、経文以前の問題です。
 回教もキリスト教もそういう場所は荘厳しています。

 ここまでで戒壇が伽藍であったことが理解出来ますね?

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