2018/9/13

ヘキエキ  
トチロ〜氏の迅速な対応には恐れ入る。ところが、またしてもおかしなことを書いているので、そこが辟易である。しかし、ここで一々をあげつらうのはやめておこう。どうやらトチロ〜氏はご自分のブログに反論文を載せる予定らしい。ならば、それを待つのみである。

そういうわけで新たな話題に入りたいのだが、その前にいくつかお返事めいたことを書いておかないといけないかもしれない。

大沢は巌虎さんが顕正会巌虎派を旗揚げするまで、巌虎流教義を隠しておくつもりかなと感じています。

これは誤解である。理由は簡単なことで、旗揚げを画策している人がいつまでも独白をしているわけがない、ということである。例えばメールアドレスを貼るなり、そのような連絡方法を確立しておかなければ、仲間を集めることはできない。また、そうした派閥の領袖になるためには、いわば顔出しをしなければ話にならないわけで、拙ブログの現状からするともっとも考え難いことである。しかも巌虎流教義などは何の準備もないことであって、わたくしの考え方はすべて拙ブログの中にあらわれている。ようはそれ以上でもそれ以下でもないのだ。

学会の活動会員らから見れば沖浦さんは本流ではなく沖浦教でしょうし、巌虎さんもいくら否定しようとも巌虎教と言えるものでしょう。

前述と矛盾するようなことを言うことになるが、これはけっこう鋭い観察だと思う。ようするにわたくしを顕正会流の思考で凝り固まっていると思っている人がバカなのであって、すでに顕正会の言っていることからは相当に乖離してしまっているのが今の拙ブログの状況なのである。

日寛上人、御歴代上人の御指南を否定するならば、具体的に巌虎流の解釈を披瀝していただけませんか?

前後するが、これについては過去十有余年の拙ブログを丹念に読んでもらうしかないだろう。それからトチロ〜氏との議論の進展次第で今後明らかになる部分もあるかもしれないので、それをお待ちいただくしかないと申し上げておく。

2018/9/9 11:36
投稿者:大沢克日子
沖浦さん

>あれは社会の負け犬の集まりですね。

私も沖浦さんも巌虎さんも実は「社会の負け犬」なん
ですよ?
気付いていないのでしょうか?

人とうまくコミュニケーションを取ることもできない。
おのれが偉いと思い込んで他人を莫迦にしている。
まさに「社会の負け犬」ですね?


これは重要な視点だと思って全文引用した。

沖浦氏はこれに真っ向から反論しているが、わたくしは案外に素直な性格なので、なるほど、そうかもしれないな、というふうにお返事したいところである。

社会の負け犬との表現が適切かどうかは難しいところだが、大沢氏はご自分を含めて言っていらっしゃる、そこが願兼於業のようなニュアンスが感じられて申し訳なく思うところである。本当は大沢氏を除外して、わたくしと沖浦氏が負け犬なのだと言ってしまってもいいはずなのだが、それでは絶対に肯んじないだろうからご自分を含めたのかもしれない。ただ前述の話題でわたくしは、沖浦教・巌虎教と指摘されて否定しなかった。いつも言っているように、相手の言っていることを正しく理解することが議論の第一歩なのである。

以上、負け嫌いの沖浦氏が反発するのは無理もない話だが、わたくし自身はけっこう認めざるを得ない部分があると思っている。負け犬という表現はともかくとして、おそらくは大沢氏を含めて三者には共通の負の部分があるのだろう。

戻って恐縮だが、今はコメントを順番に眺めつつ書いているので、そこをご容赦願いたい。再び大沢氏の登場である。

巌虎さんも自己評価は相当高いようで、こちらのブログは似た者同士が集まって困ったものですね。

自己評価が高いかどうかは印象の問題だろう。沖浦氏の場合はハッキリと功徳だの何だのとポジティブなことを明言しているので自己評価の高さを窺うことができるが、わたくしは逆にネガティブなことを書いている場合が多いので上掲は一見すると事実誤認のように思える。ゆえに大沢氏は印象で物を言っているに過ぎないわけだが、しかし同時に、そこが大沢氏の慧眼であって、鋭い視点ということなのだろう。

ゆえに正直に書いておく。

すでに何度も書いていることなのだが、わたくしは解説書を読まないのだ。ようするに御書しか読まない。まず御書ありきなのである。
ところが顕正会員にしても法華講員にしても創価学会員にしても、最初に読むのは教団の出している解説書なのである。そして大半の人が解説書で終わっているのだ。
確かにそれはそうだろう。御書が大事である。御書を読みなさい。これでは大半の人が脱落していくはずである。

いずれにしてもである。ネット上での三者の議論を眺めていても、それはお互いの教科書通りのことを言い合っているに過ぎない。わたくしはかなり早い時期にそれに気がついた。そこでわたくしの方向性が決まったとも言えるだろう。誰も御書を読んでいない。だったら自分が読もうと。

自慢話をすると、以前は掲示板などにも投稿していたことがある。その時、わたくしを評価して下さったのがマグマグ氏だった。ようするに、氏の観察に寄ればわたくしの書いていることは誰のマネでもない独自性の強いものであって、しかもそれらはすべて大聖人の御指南に基づいている、ということだった。御書の達人とまで言って下さったくらいである。

以上、自己評価が高いつもりはないのだが、正直なところ、わたくしの目からすると不勉強の人が少なくないのも事実である。

 儀の戒壇、事の戒壇ですが、創価学会では本来全ての伽藍や仏壇を安置する場所は儀の戒壇とされています。

さて、沖浦氏にもお返事申し上げておこう。上掲は大沢氏宛てではあるが、わたくしの立場から質問させていただきたい。まず御書での証明を求めたい。それから創価学会の書籍では具体的にどのように言っているのか、その正確な引用を求めたい。最近は趣意だとか主意が多くていけない。

もう一つ、生活と信心の関係性について云々しているコメントがあるけれども、そちらのほうは省略したい。

2018/9/14  8:45

投稿者:大沢克日子
沖浦さん

JPAの件、良かったです。
今までの並々ならぬ努力が実りましたね。
なかには暴走もありましたが。

以前も忠告しましたが、沖浦さんには敵が大変多いで
す。
今回のJPA問題についても、相手に否があったとして
も人格攻撃のような内容をネットにさらされて、Yさ
んはじめ対象者は沖浦さんを怨んでいるはずです。

以前も述べた通り、大聖人様は咎のない四条殿にも自
重を呼び掛け、普段の振舞いに注意するよう厳命遊ば
されました。

沖浦さんは何処にいても摩擦を起こし易い傾向にある
のですから、このような時こそ振舞いに注意し、今後
は沖浦さんの長所を活かす人生を送ってください。

何かによって足元を掬われて転落する姿を見たくあり
ません。

2018/9/14  7:46

投稿者:沖浦克治
 中日新聞の社会面に掲載されました!!
 中日新聞は、名古屋圏では圧倒的なシェアを誇っていて、単独部数は235万部。
 中日新聞東京本社が発行する東京新聞や、中日新聞北陸本社が発行する北陸中日新聞などを併せれば、約302万部。
 地方紙ながら、全国紙、の産経新聞(約155万部)、日経新聞(約260万部)、毎日新聞(約294万部)を上回って、全国第3位の部数を誇ります。
 
 〜以下記事内容〜〜
 元専務が横領疑い、告訴へ
 パワーリフティング協会 使途不明金も
 公益社団法人・日本パワーリフティング協会(JPA、本部東京)の専務理事だった五十代男性が、協会資金約二百四十万円を横領したとして、協会が男性を近く刑事告訴することが分かった。
 他にも男性による使途不明金が四百万円以上あるという。
 協会幹部によると、定款で理事への報酬支払は禁じられているが、男性は資金管理する専務理事の立場を利用し、日当名目で2017年四月から一年間、一日当たり三千円を約七百八十四日分、計二百四十万円を受領した。
 男性側は交通費などと主張しているが、領収書や超過日当分の必要性を示していないという。
 
 協会はこれらの経費を男性への貸付金として決算処理し、十六日の定期総会で承認後に刑事告訴し、男性に返還請求する。
 
 男性はパワーリフティングの選手で十五年に理事に就任。
 十六年四月から十八年四月まで経理責任者の専務理事を務めた。
 十六、十七年度の協会決算を出さずに法人資格剥奪の恐れを生んだとして、十八年四月に専務理事を解任された。
 
 協会は同六月に新役員体制となり、決算を確認して横領の疑いが発覚した。
 男性は他にも、海外派遣費など四百万円以上を横領した疑いがあるという。
 
 佐々木健治会長は
 「専務理事という立場で勝手に協会資金を利用したのは許せない。
 協会の被害を明らかにしたい」
 と述べた。
 
 男性側の代理人弁護士は取材に
 「横領した事実はないと本人から聞いている」
 と話している。
 

2018/9/13  22:05

投稿者:沖浦克治
巌虎さん、今晩は

>まず御書での証明を求めたい。それから創価学会の書籍では具体的にどのように言っているのか、その正確な引用を求めたい。最近は趣意だとか主意が多くていけない。

 御書にありますので、創価学会は日蓮正宗とは異なっていて、御書根本です。
 これは変わらない原則ですので、公式見解を引用する必要はありません。
 若し公式見解が御書と相違しているなら、その公式見解は改められます。
 以上を先ず大原則と致します。
 
 戒壇とは宝塔の所在の場です。
 そして宝塔とは何か?
 御書に明々白々です。

 『末法に入つて法華経を持つ男女のすがたより外には宝塔なきなり、若し然れば貴賎上下をえらばず南無妙法蓮華経ととなうるものは我が身宝塔にして我が身又多宝如来なり、妙法蓮華経より外に宝塔なきなり、法華経の題目宝塔なり宝塔又南無妙法蓮華経なり。
 今阿仏上人の一身は地水火風空の五大なり、此の五大は題目の五字なり、然れば阿仏房さながら宝塔宝塔さながら阿仏房此れより外の才覚無益なり、聞信戒定進捨慚の七宝を以てかざりたる宝塔なり、多宝如来の宝塔を供養し給うかとおもへばさにては候はず我が身を供養し給う我が身又三身即一の本覚の如来なり、かく信じ給いて南無妙法蓮華経と唱え給へ、ここさながら宝塔の住処なり、経に云く「法華経を説くこと有らん処は我が此の宝塔其の前に涌現す」とはこれなり、』
 (阿仏房御書)

 私共南無妙法蓮華経を持つものはそのまま宝塔であって、末法における宝塔とはこれ以外に存在しない。

 書いてあるでしょう。
 ですので、私共が唱題し生活する場そのものが宝塔の住所です。
 そこが戒壇なのです。

 それ以外は全て儀になります。
 
 ご理解いただけましたでしょうか?

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