2018/10/17

ムベナルカナ  
S@法華講氏はわたくしの想像を間違いであると言っている。しかし、たとえ施錠云々がその通りだとしても謗法者を近づけたくないという心理が働いて当然とも思えるのだが、いかがだろうか?

一般的な寺院はたいてい境内への出入りが自由にできる。かつてのわたくしは決して他宗の神社仏閣には近づかなかったが、今では散歩がてら通り抜けることがある。大きな寺社になると四方八方に出入り口があって、それがわりと近道だったりすることがあるのだ。しかし、当然ながら堂宇の中には勝手に入れない。ご自由にどうぞというところもあるだろうが、基本的には建物の中には入れないはずである。

大石寺も基本的には同じではないかと思う。ただし、一般的な寺院の場合は防犯上の理由からと考えられるが、大石寺の場合は特殊な事情がある。それが謗法者云々なのである。もちろん最終的には謗法者も救っていかなければいけない。しかし、戒壇の大御本尊の近くには謗法者を近づけたくない。前回の拙稿はそうした背景を踏まえて書いたわけである。

さて、顕正新聞の続きである。

第三男子部長の肩書きが気になった。この人は副総男子部長だったはずだが、降格になったのだろうか?

 解散処分より四四年目の本日・・・

なかなか斬新な視点である。郡山会館に新しい本館が完成して入仏式が行なわれた。その日が解散処分から数えて四十四年目なのだそうである。

大師子吼・・・

あらまあ、まだ言っているの? 第二十二婦人部長も同じことを言っている。困った人たちだ。

大聖人様が、全人類成仏のための大法を守り奉る義務と大任を果される先生を、七百年の時を越えて召し出だされ・・・

第二十二婦人部長の記事にはご覧のようなくだりがある。その上で大師子吼が登場するのだ。話が複雑でわかり難いが、かなり危ない表現のように思える。ようは会長本仏論的な発言なのである。

創価学会歴四十八年の男性が本年六月に顕正会へ入会した。その記事から引用しよう。

始めて拝聴した浅井先生のご講演は・・・

初めて本部会館に参詣いたしましたが・・・

いつも指摘していることである。始めてと初めての使い分けにどれほどの意味があるのだろうか?

これは浅井先生に公開質問状を出したいくらいである。

次の男子部第六十四隊長の記事もよくない。彼は平成十八年に顕正会に入会したわけだが、それまでの二十年間を創価学会員として過ごしたそうである。男子部の隊長ということは顕正会歴十年ちょっとでそこまで上ってきたわけなのだろう。

学会の任用試験に合格すると、知らないうちに班長になっておりました。

創価学会の役職には不案内であるが、班長の呼称は違うのではあるまいか?

また、顕正会に入会後の話として、山形県鶴岡市の宗門末寺「宝樹院」の住職と法論したことが書かれている。

 この末寺は、私が学会時代に「御授戒」を受けた寺で、当時は五千円の料金を支払ったことを記憶しております。

料金はおかしいだろう。世間一般の表現としてはあり得るものの、日蓮正宗の中ではそのような言い方をする人はいないのではあるまいか? それともわりと普通に使われているのだろうか?

基本、顕正会では無料を謳っている。彼はすでに隊長という役職をいただいているほどの熱心な顕正会員である。その上で想像するならば、彼は悪意を込めて料金などと書いたのかもしれない。

 導師席には僧侶がいましたが、勤行の声は明らかに録音した音声を流しており・・・

再び創価学会時代の話に戻る。今はかなり事情が異なるものの、彼はギリギリで大石寺への参詣を経験している。上掲は丑寅勤行の話のようだが、はたして本当だろうか?

 その翌日、正本堂を見学しましたが・・・

見学? 見学ができるのだろうか?

もはや悪意の塊のような登壇記事である。冒頭の話にも通ずるごとく、謗法者を近づけないのが日蓮正宗のシキタリである。こう書くと正本堂の完工式のことをあげつらうかもしれないが、それは例外と考えるべきだろう。正本堂は一般の観光寺院が行なっているような拝観が許される道理もなく、あくまで篤信者への御内拝が行なわれているわけである。

その意味では当時の彼の置かれていた状況からして、創価学会の教育が悪かったと考えるのが自然である。その数年後に宗門との関係が壊れることからしても、すでにその萌芽をここに見るべきなのだろう。

彼は平成十八年に顕正会に入会した。これもまた象徴的な話であって、ようは創価学会の中で宗門の悪口をたくさん聞かされてきたわけである。そして顕正会に入会後もしかりである。創価学会とは切り口が異なるものの、顕正会のそれも宗門に対する悪口に他ならないわけだ。すると都合三十年近くも宗門の悪口を聞いてきて、すっかりそれに馴染んでしまっているわけなのだろう。

以上、悪意の塊みたいな記事が書けるのもムベナルカナである。

危機一髪だった
 「水蒸気爆発」!!


男子部第三十六隊班長の記事はやや疑問である。福島第一原発の事故について書いているわけだが、事実と相違するのはないかと思う。

 溶けた核燃料が圧力容器の底の水と接触することで発生する「水蒸気爆発」が起これば・・・

日本は壊滅していたという。

 実際、溶けた燃料棒は原子炉を突き破り、溜まっていた水まで、鉄板一枚を挟んだギリギリのところまで到達しており・・・

ようはギリギリセーフだったと言っているわけだ。

わたくしも専門家ではないので間違っているかもしれないが、しょせん浅井先生以下顕正会の幹部たちも付け焼刃の知識しかないわけなのだろう。

わたくしのいわく、圧力容器=原子炉ではないのか、と。だとすれば上掲は矛盾した話である。登壇者は原発関連の仕事に就いているそうだが、それにしてもどうかと思う。

簡単に説明すると、まず圧力容器は水で満たされている、その中に燃料棒がある、もし万一にも水がなくなると空焚き状態になる、すると燃料棒が制御できなくなって高熱を発する、それがやがて溶け落ちて下部に残っている水と接触すると大爆発を起こす、というシナリオである。しかし、水蒸気爆発は起きなかった。

ちなみに今も動画サイトで確認できるはずだが、水素爆発が一号機と三号機で起きている。そして二号機も含めて三つの原子炉でメルトダウンが起こった。さらに四号機も崩壊してしまった。

すでにこの時点で人類史上最悪の原発事故と考えるべきなのである。

やはり人間とは愚かなものなのだろう。あれほどの大事故を経験しておきながら時間と共に忘れ去られようとしている。今回の登壇記事は方向性こそ原発批判になっているものの、かなりズサンな内容のように感じられる。つまり、顕正会の中でも風化が起こっているのだ。

 登用試験を受験した翌週より・・・

高校受験においても・・・


最後は男子部第八十九隊組長の記事である。これは難病を克服した体験であり、そのこと自体をとやかく言うつもりはない。ただ上掲を見れば誰もが容易に想像できることがある。ようは中学生が登用試験を受けたのだ。

まあ、大した問題ではないのは事実だろう。だが、しかし、すると本人が希望すれば小学生でも受験できるのか、幼稚園児はどうか、というような線引きの問題が生じてくる。その意味ではやはり問題なのだろう。

2018/10/21  12:15

投稿者:名無し
>戒壇本尊なんて与太話振りかざすんじゃない!!!
>見の程弁えろ!!!!

こんな輩となれ合うトチ狂った老害さん
信心おかしくなったんじゃないの??
菩提寺の公式サイト運営者としてあるまじき
こりゃ宗務院に通報するべきかなww

2018/10/21  8:02

投稿者:沖浦克治
 名無しさん

 義経ジンギスカンや、キリストの墓が日本にある程度のダメ宗派が、

 戒壇本尊なんて与太話振りかざすんじゃない!!!

 見の程弁えろ!!!!

2018/10/20  21:00

投稿者:名無し
>投稿者:トチロ〜
>沖浦さん貴重なお話をありがとうございます。感謝致>します。


戒壇の大御本尊を否定する創価がっかりさんに
丁重に挨拶するトチ狂った老害さんww
笑えるww

2018/10/20  12:02

投稿者:大沢克日子
トチロ〜さん

学会破門前は、一千万信徒を擁していましたから、当
時をよく知る人の話をうかがうと、そもそも地区に何
人と割り当てがあり、「行きたいので行く」なんて我
が儘を云える状態ではなかったとか。

丑寅勤行も事前に申し込んでおかないと参詣出来なか
ったというのは当たり前だったのかもしれません。

顕正会員の皆さん

http://www.nichirenshoshu.or.jp/page/jpn/index_j.htm

現役顕正会員の皆さんは丑寅勤行の行われる客殿の様
子をご存知ないと思いますが、日蓮正宗ホームページ
(国内の動静)の法要のトピックをご覧になると一目
瞭然かもしれません。

特に元旦勤行(2018.1.1)は、丑寅勤行そのものの様
子になります。

手前の目師座(大導師席)に猊下が在し、脇にマイク
を持った御所化さん、後ろの大きな鈴のあるところが
鈴座です。

2018/10/19  17:30

投稿者:沖浦克治
 トチローさん

 貴方のおかげで色々思い出しました。

 あの頃本当に私は純粋でした。
 死ねと言われればためらわず死んだでしょう。

 神戸に新開地と言う下町があって、ヤクザさんがウロウロしていて、私はドンドン折伏しました。
 
 幹部がいると寄って行って、

 そんな仕事して恥ずかしいでしょう、
 創価学会で真面になりましょう。

 等とドンドンやりました。
 当時の創価学会員はヤクザさんも避けたものでした。

 その少し前、ヤクザ組織が会合でアイスクリーム売らせろと言って来て、私の先輩たちは断りました。
 すると嫌がらせが始まって、先輩たちは何倍にもして返しました。

 死んだら成仏なんだ!!!

 ヤクザさんが勝てる道理がありません。
 それで、関西のヤクザさんは創価学会には手を出さない暗黙の了解がありました。

 思えばタギッタ時代でしたね。

 他宗のお寺に法論でよく行きました。
 懐かしい思い出です。
 
 半世紀以上経って、私はもう73歳になります。

 でもね、創価学会員が貧乏人と病人の集まりだと揶揄され、事実もその通りだったころ、私は貧乏代表で池田先生の創価学会員となりました。

 人生最大の誇りなんです。

2018/10/19  17:18

投稿者:沖浦克治
 トチローさん今晩は

 丑寅今暁で色々思い出しました。
 創価学会が日蓮正宗時代、縦線と言うものがありました。
 今はありませんが、半世紀少し前ブロック組織はある事はありましたが横線と呼ばれ主流は縦線でした。

 縦線とは、、折伏された方の組織に所属する制度です。
 大阪に住んでいて神戸の創価学会員に折伏されるとその方は神戸の組織に所属します。

 よほどの遠距離でないなら移籍は認められませんでした。

 昭和39年、神戸市の有馬温泉地域で有馬支部が誕生し、ブロック組織となりましたが、あくまでも特例でした。

 昭和四十年代初期に縦線が廃止されブロックだけとなりました。

 登山会の話題に戻りますが、最初の登山は17歳で当然縦線です。
 当時、登山指導会と言う会合へ出ないと登山は出来ません。
 指導会では登山会の意義を教わりました。

 @戒壇本尊に唱題をする
 A丑寅勤行に参加する
 B団体行動を身に付ける

 以上の三点。
 Aが丑寅勤行で当然全員参加です。

 40年半ばでブロックからの登山会で数年ぶりに行ったとき、弟も一緒でした。
 丑寅勤行参加で深夜整列し、私は足踏みしながら

 ワッショイ!ワッショイ!!

 と掛け声をかけました。
 縦線時代そう習ったのでやったのですが、輸送班が飛んで来てしかられました。

 皆さんが寝ているんだ!!!!
 
 今思うと全員参加はなくなっていて、定員制だったのでしょう。

 ですので、大客殿に入れないからボウで丑寅勤行は無かったでしょう。

2018/10/19  10:05

投稿者:トチロ〜
沖浦さん貴重なお話をありがとうございます。感謝致します。

私も顕正会に関して色々と書いてはおりますが、所詮当時の活字を掘り起こして書いているに過ぎず、当時をその場で体験してきた方々のお話に勝るものはありません。

今回顕正新聞を確認していて「アレっ?」と疑問に思いましたもので、生き字引の沖浦さんにお伺いさせて頂いた次第です。

大変に感謝しております。本当にありがとうございました。

2018/10/19  8:26

投稿者:沖浦克治
 おはようございます。

 今更戒壇本尊とか、本門戒壇とかで騒いで見ても既に戒壇本尊を見限った創価学会員である私には無意味です。 
 ですので、大聖人仏法の本来の姿に戻って功徳を書きます。

 
 この16日〜18日までの3日間、50歳の女性のステイ&トレーニングをやりました。

 膝が悪くて階段が辛くて一段一段片足出して降りていました。
 帰宅時は普通にサッサと降りました。
  
 2泊3日で6レッスン。
 全部で3時間ほど。
 正しいフォームの沖浦式スクワットしかやりません。
 
 ウエストが4センチ細くなって、肌もツルツルになりました。
 ご本人が一番驚かれました。
 
 今後、レストレーショントレーニングをビジネスとして立ち上げたいとの事です。

 嬉しいです。

 この方はビジネス展開を手広くされていて、国内だけでなくアジアにも支店をお持ちです。

 先生(私なんです)これは広めるべきです。
 今大手の病院や関係官庁と相談しながら、医療費の抑制に取り組んでいてそれをビジネス化しています。
 凄いものに出会いました。
 やや興奮気味で言われました。
 更に、
 
 実はクロスフィットもやっていて、ここへ来るのに先生の名前を出したら、コーチたちが全員驚きました。
 
 どうして沖浦さんを知っているのですか?
 私たちも何時かは行きたいとおもっていました。


 私ね、何時の間にか業界で有名人みたいですね。
 
 功徳〜〜〜〜!!!

2018/10/18  19:53

投稿者:沖浦克治
 トチロ〜さん、今晩は。

 私の最後の登山会は昭和56年だったと思います。
 母が行きたがって一緒に行きました。
 そのころは、大石寺は謗法の寺だと知っていましたので、行きたくはなかったのです、
 ですが、親孝行と思って行きました。

 60年当時の事は私にはわかりませんが、56年には各ボウで丑寅勤行はしていませんでした。
 以上、お役にてませんでした。

2018/10/18  13:23

投稿者:トチロ〜
大沢さん、ありがとうございます。

私も10分って、それは無いでしょう…、と思ったんですが、昭和60年当時は学会員も多いでしょうから、もしかすると大客殿での丑寅勤行には入りきれなくて、各々の宿坊で同時平行で丑寅勤行をやったのかな…?なんて思いもよぎりました。

一応御住職様や学会出身の先輩方から聞いてみようかとは思っているのですが、取り急ぎ沖浦さんだったらいち早く教えて貰えそうな気も…。

昭和60年当時の丑寅勤行は大客殿に信徒が収まりきらなくて、入りきれない学会員さんは宿坊で勤行したなんてことはあるのでしょうか?

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