2018/11/1

ノサバル  
法華講の諸氏が撤退してしまった。そして今現在、コメント欄は沖浦氏の独壇場のようになっている。氏の一人天下と書けば聞こえはいい。ただ別の見方を書けば、沖浦氏は誰からも相手にされていない、ということになるだろう。

このように書けば、沖浦氏から反論が寄せられるのは必至である。その言い分はあえて書くまでもなかろう。

そこで今度は日蓮正宗信徒の立場から言わせてもらうと、早い話が沖浦氏は大謗法者なのである。この大謗法者に対しては積極的に破折する。これが一つの選択肢である。そしてもう一つの選択肢は座を同じうしないことである。法華講の諸氏は後者を選択したわけなのだろう。

だったらオマエはどうなのか?

当然、わたくしに対する批判もあるはずで、沖浦氏のような大謗法者を駆逐しないでノサバラセテいることは与同罪に当たる、というコメントが寄せられてもおかしくはないだろう。

これについてはその通りなのであえて弁解するつもりはないが、ただ明確に言えることは沖浦氏に対する破折は要所要所でやっていることなので、その点は拙ブログを隈なく読めばわかるはずだし、今後もそれは継続的に行なっていくつもりである。何しろ氏の主張はあまりにもデタラメ過ぎるためか、他の創価学会員からも破折されてしまうくらいなのである。わたくしはいちいち他所のサイトまで確認していないので詳しくは知らないが、大沢氏から寄せられる断片的な情報だけでもその様子はおおよそ窺えるところなのである。

つまり、わたくしとしてはその場の勢いだけで反論めいたことを書く必要はなく、どっしりと構えていればいいわけで、相手がデタラメなことを言っている時にはキッチリと破折する、というような姿勢で今後もやっていくつもりである。

さて、話は変わる。顕正新聞第1452号を見ていこう。

安倍首相の自衛隊高級幹部会同における「訓示」は
 「憲法尊重擁護義務」に違反している


顕正会法務部長である藤村弁護士の記事である。一言で感想を述べると、これは一見するとイチャモンのような話にも聞こえるところなのだが、かなり重要なことなのだろうと思えた。

話はわりと簡単である。安倍首相は自衛隊の会合で憲法改正を訴えた。この場合、どのような立場での発言か、それが問題となるのだ。一政治家として主義主張を述べることは問題ない。しかし、行政府の長として憲法改正を述べることは大問題なのである。この点を藤村氏は弁護士らしい緻密な文章で詳しく説明している。ともかく権力者を縛るものは法である。もし権力者が法を犯しても罰せられないとすれば、それは独裁である。もはや誰も権力の横暴を止められない。その意味で今回の問題はけっこう重要な意味を持っていると考えられるのだ。

ところで当該号は八月度班長会の記事を中心に組まれている。今頃になって取り上げるのもどうかしているが、いちおう順番通りということでご了承願いたい。

公権力とマスコミを使って顕正会を危険な団体と世間に誤信させようと・・・

総男子部長の発言である。誤信が気になった。語義的に適切かどうかが悩ましい。わたくしならば誤解と書きたいところである。

ちなみに上掲は創価学会がさまざまの謀略を仕掛けて顕正会のイメージダウンを図ったという話である。確かにそうなのかもしれないが、ぜんぶがぜんぶではないだろう。創価学会とは無縁の動きも存在するはずなのだ。
例えば『迷走する顕正会を斬る』という本がある。まさかこの本も創価学会のシワザだと考えているのだろうか?
おそらく今となっては創価学会の謀略の有る無しにかかわらず、顕正会を危険視する論調が生まれて当然であるし、政府の調査機関においても注目していると考えて間違いないだろう。

つまり、何でもかんでも創価学会と絡めて考えるのが顕正会の悪いクセであり、今もそんなところを行ったり来たりしているようでは、まるで進歩がないということになるだろう。

広布最終局面・・・

副総男子部長の記事に出てくる言葉である。最終段階を言い続けて二十年。さすがに己を客観視できる人間ならば言えなくなって当然である。彼がそうなのかもしれない。だとしても、最終段階も最終局面も似たり寄ったりだろう。

大師子吼

総合婦人部長である。困った人だ。

釈尊在世の比ではない・・・

今度は副総合婦人部長だ。通常、大聖人と釈尊とを比較する、いわゆる種脱相対が日蓮正宗の教学である。ところが彼女の言っていることはそれとは異なる。なんと浅井先生のことを云々するくだりにおいて、釈尊在世の比ではないなどと言っているわけである。まったくわけのわからない話だ。

いま諸天と浅井先生しかおられぬ・・・

もはや面倒なので説明を端折る。ともかく諸天と浅井先生が並んじゃっているのが凄いわけで、彼女は先生を普通の人間ではないと言いたいわけなのだろう。

2018/11/2  7:00

投稿者:ヤメケン
祟り神日蓮という独自解釈はどう思いますか?

貴殿は昭衛教学に一目置いていたようだけど、戸田とも異なるこの狂学。

戸田はんに憧れて息子に城と克の字を充てがう御仁。

日蓮系は狂ってる人が多いが昭チャンも多分に漏れず狂。

2018/11/1  12:02

投稿者:沖浦克治
 巌虎さん、おはようございます。

 別に反論は致しません。
 私は、冥の照覧を信じる地涌の菩薩です。

 『見るも良し見ざるも良し、されど我は咲くなり。
 諸君たちにはこの心意気で行って頂きたい。』(主意)

 その心構があってこそ、世間様の評価を得られます。
 若いころから師匠に教わっておりますので。

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