2018/11/10

ワカミヤ  
ゲラゲラ氏によれば、平成十七年の段階では次のような文証が残っているそうである。

大聖人が「聖人御難事」を認められ、出世の本懐を遂げられることを宣言されたのが、十月一日です。法戦の全魂の指揮を執られながら、一方で大御本尊御建立の準備をしていかれたと拝せられる。

池田大作氏の発言とのことだ。

一方、沖浦氏は次のように書いている。

 タンカーは方向転換に時間がかかります。
 モーターボートは一瞬です。


譬えとしてはわかりやすいものの、現実的にはどうかと思うところだ。ようはタンカーにしたって方向転換するのに何十年も掛かるわけではない。鶴の一声ということもあり得る。池田先生がそうおっしゃるならば従いますと。つまり、沖浦氏の言っていることは体のいい言い訳に過ぎないのだ。そもそもが方向転換とは変節なのだから、それを自ら白状しているようなものなのである。

ところで、後日取り上げることになるが、実は顕正会でも池田氏が長い年月を掛けて方向転換を図ってきたと言っているのである。しかし、前掲の平成十七年の池田発言からすると、どうも違うのではないかと思えてくるのだ。ようは顕正会では結果だけをつなぎ合わせて自分たちに都合のよいように解釈している、というふうに思えてくるのである。これは後日また書くことになるだろう。

さて、顕正新聞第1453号に参ろう。

 「本、願を立つ」との仰せ、――ついでに言っておきますが、発刊されている多くの御書集には「大願を立てん」と読んでいるのが多いが、「大願」ではない、「本、願を立つ」が正しい。

これは以前にも取り上げたことのある教学上のテーマである。ようはどちらの読みが正しいのかという問題だ。御書全集も平成新編も「大願を立てん」としている。わたくしの知るところでは日蓮宗系が「本、願を立つ」と読んでいるごとくである。

この場合、日蓮宗だから間違っているという短絡はいけない。いわゆる是々非々で論じるべきところであり、彼らの読みが正しいのであればそれを採用すべきだろう。

ただし、浅井先生の場合はもう一つの足枷がある。

一、大願を立てん句、日本国の位をゆづらむ句、法華経をすてて観経等について後生をごせよ句、父母の頚を刎ん念仏申さずば云云。(同n)

  一たびこの文を拝せば涙数々降る。後代の弟子等、当に心腑に染むべきなり云云。


http://www.mitene.or.jp/~hokkekou/kaimokusyougukige.html

リンク先は正信会系の人物が運営しているサイトであるが、わたくしの所持していない史資料がたくさんあり、かつまた他には同様のサイトが存在しないこともあるので、大いに利用させていただいている次第である。

それはともかく、上掲は日寛上人の御筆記である。ご覧のように、ここでは「大願を立てん」となっている。さて、どうしたものだろうか?

何しろ浅井先生は言うのだ。日寛上人の仰せは絶対であると。

単なるアゲアシ取りのような話に思えるかもしれないが、そうではないだろう。前述のごとく、教学上の一つのテーマである。それを日寛上人の教学は絶対だと言う浅井先生が、日寛上人とは違う説を採用しているのである。これが許されるのであれば、何でもアリになってしまう。ようは自分の都合に合わせてどのようにでも解釈できてしまうのだ。

ぜひとも浅井先生の弁明を聞きたいものである。

鎌倉若宮八幡宮

今度はアゲアシ取りに近いものの、ちょっとしたマメ知識のような意味で貴重かもしれない。たった今、ネットで調べてみたら上掲のような言い方は存在しないようである。通常、鶴岡八幡宮と呼ぶ。そして当然ながら地元の人は鎌倉を冠する必要がないので、鎌倉鶴岡八幡宮などと呼ぶこともない。逆に他所の人たちは鎌倉八幡宮と通称するようである。

わかみやこうぢにうち出で四方に兵うちつゝみてありしかども・・・

これは顕正新聞からの引用ではなく、平成新編から種々御振舞御書の一節を引用したわけだが、「わかみやこうぢ」が興味深い。ここには漢字ルビが振ってあって、若宮小路となっている。しかし、今現在の鎌倉ではあの中央の大通りを若宮大路と称している。

だから何なのだと問われると困る。一つ言えることは、わかっていないことがまだたくさんある、ということだろう。ゆえに上述のような視点からもっと深く探求すれば、あるいは今まで気がつかなかった発見があるかもしれないということである。

 「汝、伏して之を信ずべし。当に知るべし、此の文の元意は、蓮祖大聖、名字凡夫の御身の当体、全く是れ久遠元初の自受用身と成り給い、内証真身の成道を唱え、末法下種の本仏と顕われ給う明文なり」と。

これは顕正新聞の引用である。日寛上人の仰せであることは誰もがすぐにわかるだろう。そしてこれがなんと前掲のリンク先にも出てくるのである。浅井先生のご都合主義がよくわかる事例と言うべきだろうか?

 やがてこの日本国に、立正安国論に仰せの天変地夭が相次いで起きてくる。すでにそのはしりは始まっているが・・・

ハシリもまた浅井先生の好んで使う言葉かもしれない。詳しくは調べていないが、ずいぶん昔から使っていると思う。いつまでハシリが続くのだろうか?

2018/11/17  6:50

投稿者:沖浦克治
 巌虎さん、おはようございます。

【池田大作全集74巻】
創立六十周年祝賀の青年部記念幹部会 (1990年4月20日)より〜(3/4)

■弘教のなかで個性磨いた十大弟子

 『次に私は、諸君に「何らかの道で″第一″の人をめざせ」と申し上げたい。
″広布の人材″は″広布の武器″を持たなくてはならない。
 自己を鍛え、何らかの分野で「第一人者」といわれるような実力を研ぎすませていくことである。
 あえていえば、そうした力ある「一人」の存在こそ、広布発展への″武器″となる。
 よく知られているように、釈尊には「十大弟子」がいた。
 彼らは、師・釈尊のもと、修行で培った個性と、類まれなる資質を弘法の″武器″として、正法流布のために捨て身で戦ったのである。』
 〜引用終わり〜

 たまたまネットで先ほど見つけた師匠の指導です。
 私が何時も言っていた事と全く同じ事がかいてあります。

 凄く嬉しい〜〜〜〜〜〜!!!
 
 功徳〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!

2018/11/16  7:28

投稿者:沖浦克治
 昨日、フェイスブックに、

 取り柄が無くて良かった。

 と書きました。
 本音です。
 以前人生の師匠が言われました。
 昭和52年だったと思います。

 『私は無学な人間です。
 最も貧乏育ちの人間です。
 ご存知のように全く取り柄が無い。
 然し私は、広宣流布のために闘って下さった戸田先生には忠実に使え、そして今は私は、皆様方会員を守るためどんな難も我慢をしよう、』(主意)

 その時不思議だったのです。
 
 何故師匠は自身が取り柄が無いと言われるのだろう??
 
 私は当時も今も、師匠は世界一の実力を備えられたお方だと思っております。
 その師匠が取り柄が無いと言われる。
 謙遜に聞こえる話しぶりではありませんでした。
 最近少しわかりました。
 松下幸之助さんが言われました。
 
 自分は学歴が無かったから成功した。
 
 師匠も松下さんも、コンプレックスを跳ね返すために凄い努力をなされたのでしょう。
 
 取り柄があると思っているなら、その努力はありません。
 取り柄が無いから努力してのし上がるしか無い。
 そういう事なんだと気づきました。

 師匠とはスケールは万分の一に及びませんが、私もこの数年、組織と人を育てることに心を砕いて来ました。
 その努力が私を変えたのでしょう。

 取り柄が無くて本当に良かったです。

2018/11/16  6:36

投稿者:沖浦克治
おはようございます🎵

深夜身体の震えで目が覚めました。
全身がガクガク震えて止まりません。
本当に強くなっている過程で極たまに起こります。

もう73歳なのにこれはおかしい?
インフルエンザか何かなのか?
来週の大会出られのか?

そのまま眠りに落ちて今起きました。
身体の芯から熱い感覚が出て来ています。

あれ?強くなるサイン出てる。
不思議だ‼️

功徳〜‼️‼️

2018/11/15  22:08

投稿者:ゲラゲラ
功徳出したら勝ちーーー
バカよ、そこまでだな(笑)

2018/11/15  16:40

投稿者:沖浦克治
 巌虎さん、今晩は

 顕正新聞が送られて来ました。
 先日のご婦人方で最初から知り合いの方からです。

 10月5日号は前回頂いておりますが、11月5日のものは初見です。
 ご開扉中止を書いていますね。

 とりあえず、戒壇本尊以外に仏法は無い。と、10月には書いてあります。

 ですので、仏法ですらない偶像崇拝の対象以外仏法がないのでしら、顕正会の主張ではこの世に仏法は無いことになります。

 戒壇本尊をビジネスとしている現在の日蓮正宗の態度を責め、中止を求めています。 
 これも無理がありますね。
 戒壇本尊の所有権は日蓮正宗にあります。
 どう扱おうが自由です。
 大きなお世話ですね。

 ともあれ双方の団体はありもしない戒壇本尊本懐にしがみつきこの係争を招いています。
 愚かですね。

 https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1284152451726250&set=gm.1430995957031919&type=3&theater&ifg=1

2018/11/15  7:01

投稿者:沖浦克治
功徳出したら勝ち‼️‼️

2018/11/14  23:19

投稿者:ゲラゲラ
1.偶像崇拝は仏教ですらありません
創価学会はは創立以来今日に至るまで紙幅の本尊を拝んでいる(偶像崇拝)ので仏教ですらない
2.日蓮正宗と創価学会は創立以来、戒壇本尊本懐を弘めた邪教である
3.嘘の教義で騙して入会させた連中が騒いでやめられたら困るから死ぬのを待った
オウムと同じやり方ね
バカよ、学会が教義捨てたなら世間へのお詫びが先だと言ってるんだよ
教義をいまだに捨てない教団の事哀れんでる場合じゃないんだよ
それに破門を勝ち取るって
頭割れとるな

2018/11/14  13:31

投稿者:沖浦克治
 バカ笑いさんや。

 少し理解が遅いですね。
 戒壇本尊本懐は日蓮思想にはありません。

 偶像崇拝は仏教ですらないのです。
 先ずこの理解からです。

 理解しましたか〜〜〜?????
 では進みます、シッカリ頭働かせて付いて来るんですよ。

 仏教ですらない教えを創価学会は半世紀以上やってました。
 この件に関しては、以下の通り。

 日蓮正宗と創価学会は戒壇本尊本懐論というジャギを弘めた点で罪がある。

 これが第二段階の理解です。
 大丈夫ですか〜〜??

 次ですね。
 創価学会はめでたく破門を勝ち取り戒壇本尊本懐を採用せねばならない教義的束縛から解放された。

 三段階目。
 シッカリ頑張って理解に励みましょうね。

 最後ですよ、シッカリ理解の努力をしましょうね。

 四半世紀経って既に戒壇本尊なるものを知らない会員が大半となり、創価学会は会員の機根を考えて、戒壇本尊本懐を捨てた。

 めでたし、めでたし!!!!!!!

 でもねまだこの偶像崇拝やってる宗派もあります。

 お気の毒〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!

2018/11/14  9:16

投稿者:ゲラゲラ
バカよ、創価学会は創立以来、去年に至るまでずーっと邪教だったってことになる理屈もわからんで
180度変えたから「今日から正義ぃーっ!!」って、
頭割れとるな

2018/11/12  21:42

投稿者:沖浦克治
 簡単に更にかみ砕いて貴方が理解できるように言いますとね、バカ笑いさんや・・・・・

 創価学会が捨て去ったジャギにまだしがみ付いている宗派と信徒さんね。

 改めた創価学会の一億倍は詐欺師集団です。
 これは大聖人が仰せです。

 『若し証拠なくんば誰人か信ずべきや、かかる僻事をのみ構へ申す間邪教とは申すなり、』
 (祈祷抄)

 私共が捨て去った僻事を、未だに捨てることが出来ない宗派・・・・・・・・・

 邪教!!!!!!!!!!!!!!!!!

 て言われています。

 お気の毒〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!

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