2006/1/24

下野正信氏のコメントに思う  
今日もあまり意味のない投稿なので、忙しい人は読まないほうがいいだろう。

因みにこの日の日記は、以前の自身の日記からのコピペに過ぎないのではないか?
私が指摘したとおり、日達上人は有師化儀抄のごとくに振舞われた。さらには大慈大悲の上からのお振る舞いであったことを有難く思えない輩につける薬は無い。
 「衣座室の三軌」"通りすがり"某には理解できまいが、仏様のお振る舞いとは平等なのである。
 なお、筆者殿はまことに語彙拙劣ではないか? PCで「セイテイ」と打ってみなさい。また、文学書もたまには読むものだ。
 少しは幼稚な文書がまともになってくるだろう。
 一年、二年と駄文をつづるより、「継続は力」などと自慰的になるよりは、「文章の構成も成長し、語彙も豊富になったものだ」と思えたほうがよかろう。


大量のコメントを寄せてくださった下野正信氏には、まだちゃんとした挨拶をしていなかった。

よって、ここに御礼申し上げるものであります。

さて、わたくしのことを幼稚だの稚拙だの拙劣だの、あるいは大戯けであるとか、頭が七つに割れているとか、何やかやと書いてくださった。ひじょうに直截であり、裏のない腹のきれいな人物であることが文章から伝わってきたものだった。実際はどうだか知らないが・・・

大量のコメントといっても、一回の文章はひじょうに短い。一言二言には過ぎずということかもしれない。

もともとは、わたくしが日顕上人の御説法と下野氏の記述との齟齬について書いたものを、氏はヤフーだかの検索サイトで見つけたのだそうである。ゆえにそれに限ってコメントを付けてもおかしくなかったはずであるが、ようは木を見て森を見ずの過ちを犯さないためであろう、順番に目を通してくださったのである。
あるいは他にもわたくしのブログを最初から読んでくださっている人がいるかもしれないが、下野氏はその一々にコメントを残しているので、ああ、ちゃんと読んでくださっているのだなあ、ということをこちらも実感できた分、ひじょうにありがたい気持ちになったのである。

昨日の投稿で、ネタに詰まるとか筆が進まないとかのことを書いた。
自分ではあらかじめ愚癡日記として、しょせんは同じことを繰り返し書くだろうこと、ひとりの人間の持ちネタなどは高が知れているから、最後は必ずそうなるだろうことを承知の上で書き始めたのである。逆にいうと、このようなことを自覚しているということは、できればワンパターンを脱却したい、マンネリの文章にならないようにしたい、という願望がそこには存するのであり、そこに留意しながら文章をつづってきたつもりでもあるのだが、どうやら下野氏から見るとワンパターンに陥っているらしいのである。

冒頭に掲げた氏のコメントに、「以前の自身の日記からのコピペに過ぎないのではないか?」とあるのがその証拠である。
はっきりしていることは、コピペではないことである。しかしながら、氏をしてそのように言わしめてしまうわたくしの文章の拙さ、これを直視しないわけには行かないだろう。つまり、下野氏は短期間のうちにわたくしの文章の大半を読んだわけで、そうすることによってわたくしの思考パターンであるとか文章構成や文体みたいなものを把握したわけなのだ。ゆえに、いわゆるコピペではないにもかかわらず、氏の眼識からすればすでにわたくしの文章は過去の文章のコピペ同然と映じるのだろうと思われる。

わたくしは過去に有名な作家の著作を全巻読破しようと思って挫折したことがある。
早い話が途中で飽きてしまったのである。
最初に読んだ作品が面白すぎた。あとになるほどつまらなくなっていく。
あるいは作品の完成度にそれほど差はないのかもしれないが、あとになるほどその作家の手の内が見えてしまってつまらなくなってしまう、ようはその作家のパターンが見えてしまう、ということだったと思う。
プロの作品にしてもかくのごとしである、いわんやわたくしの文章は申すに及ばないだろう。

昨日今日と、いかにもグチっぽい、いよいよ愚癡日記らしくなってきたものである。

最後はふたたび下野氏のコメントで締めくくろう。

鼻から牛乳を噴出させてしまいそうだ。

およそ二年前であろうか、浅井主任理事が日曜勤行で、鼻からコーヒーを噴出させてしまったと語っていたのを思い出した。

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