2018/12/10

ノウショフニ  
沖浦氏は同じ御書を二回連続して引用している。いわば、反論できるものなら反論してみろ、と言っているようなものなのだろう。困った人である。

 その仏とは、

 日蓮が弟子檀那等の中の事なり

 日蓮の事なりとはありません。
 弟子檀那等の中の事だと仰せです。


その仏云々の前のくだりについては、ひじょうに難解な言葉が並んでいるところなので省略させていただくが、つづめてしまえば当体蓮華仏のことである。これを沖浦氏は大聖人の事ではなく大聖人の弟子檀那等の中のことであると言いたいらしい。いや、正確に言えば、大聖人がそのように仰せなのだから信受すべきであると、そう言っているわけなのだろう。

これは御義口伝に頻出する「日蓮等の類」とほぼ同一表現であり、特にめずらしいことではないと思う。では、沖浦説を全面的に認めるのか、という話の展開になるわけだが、もちろん認めない、認めるにしてもあくまで部分的に認めるに過ぎない、というのが結論である。

沖浦氏の言っていることは能所不二のことで、間違っているわけではない。さりとてそこだけに拘泥すると大前提を見失うことになる。

基本的に、能と所には差別がある。平たく表現すれば師匠と弟子の関係だろう。世間一般の常識からしても、ここは異論のないところである。つまり、こうした前提の上に成り立つ法門が能所不二なのだ。

いわゆる平等主義がある。立派な思想ではあるものの、最初から平等だったら価値がない、あるいは何でもかんでも平等にしてしまうとさまざまの弊害が生じる。悪平等という表現が意味するものはそうしたことどもだろう。

こうした道理に立脚して御書を拝するならば、間違うことはない。

至理は名無し、聖人理を観じて万物に名を付くる時・・・

有名な御文である。ここでの聖人は誰人だろうか? 久遠元初の御本仏と解するのが日蓮正宗系の常識であろう。

 問ふ、劫初より已来、何人か当体の蓮華を証得せしや。答ふ、釈尊五百塵点劫の当初、此の当体蓮華を証得して・・・

字面どおりに読めば釈尊の久遠実成を意味するのだろう。正宗系がどう読むかはさておき、ここに証得とあるのが重要である。

つまり、沖浦氏はこの点を見落としているか、もしくは見て見ぬふりをしているのだと思われる。自分自身に当てはめてみればいいのだ。はたして今現在、当体蓮華仏なのかどうか、である。ようは当体蓮華仏になる素質を持っているだけであって、まだそれが実現していないのが今現在の状況なのである。

ゆえに当該御書の最後のほうには次の一文がある。

 然るに日蓮が一門は、正直に権教の邪法邪師の邪義を捨てゝ、正直に正法正師の正義を信ずる故に、当体蓮華を証得して常寂光の当体の妙理を顕はす事は、本門寿量の教主の金言を信じて南無妙法蓮華経と唱ふるが故なり。

大前提が見えてきたはずである。

正法正師の正義を信ずる・・・

本門寿量の教主の金言を信じて・・・


能所不二は法華の深意ではあるものの、ご覧のように弟子は師に随順することによって当体蓮華を証得するのである。

以上、沖浦氏の当体義抄に対する理解は偏頗であって、全体の文脈に暗いがゆえに部分に固執していることが、これでよくわかったのではないかと思う。

2019/1/3  15:39

投稿者:マイケル
この季節(12月〜2月)には、長野県北部や群馬県
北部などの山岳部や山間部では、日本海から流れ込
む雪雲の影響を受け、雪の降る日が多くなりますが、
乾いた風が吹き降りる平野部では晴れの日が多くな
るといった『地形の特徴』がみられます。

https://www.jma-net.go.jp/tokyo/sub_index/tokyo/kikou/kantokoshin/TenkouKaisetsuMain_Kanto-Koshin.html

こんなもんでしょう。

2018/12/15  7:12

投稿者:沖浦克治
天の時、地の利、人の和でした。
 
 訂正しますね。

2018/12/15  6:20

投稿者:沖浦克治
おはようございます。

雪降らせたら今日はスタッフが四人やって来ることになりました。

凄い人達に囲まれています。
今更ながら感謝します。

創価の信心は素晴らしい‼️
天の時。
地の力利。
人の和。
闘いに勝つ3つが揃い踏み‼️

嬉しいぜ‼️‼️

2018/12/14  8:00

投稿者:沖浦克治
 巌虎さん、おはようございます。

 雪を、私が祈って降らせました。
 これまで2回雪不足のシーズン初め、祈って積もらせました。
 所がそれをネットで書くと、

 沖浦は天気予報の雪マークがある時に祈る振りしているだけだ。

 などと散々に悪口雑言でした。
 それで、今回、ここ(フェイスブック)で10日に祈って降らせると宣言しました。
 その時点では天気予報で雪は絶望状態です。
 ジムの会員にも宣言しました。

 今日から私が雪を祈っています。
 必ず降らせます!

 普通なら頭の中身疑われますね。
 ですが、御書にはあるんです。
 
 『是を以て思ひ給へ一丈の堀を越えざる者二丈三丈の堀を越えてんややすき雨をだにふらし給はず況やかたき往生成仏をや、』
 (頼基陳状)

 往生成仏の事を創価学会では、人間革命と申します。
 雪も降らせられない祈りの人は、人間革命出来ません。
 更にあります。
 
 『教主釈尊をうごかし奉ればゆるがぬ草木やあるべきさわがぬ水やあるべき。』
 (日眼女造立釈迦仏供養事)

 この御文を思いながら唱題致しました。
 それとね、金色夜叉ご存知?
 寛一さんが言ってます。

 「可いか、宮さん、一月の十七日だ。来年の今月今夜になつたならば、僕の涙で必ず月は曇らして見せるから、月が……月が……月が……曇つたらば、宮さん、貫一は何処かでお前を恨んで、今夜のやうに泣いてゐると思つてくれ」

 恨みですら天候左右出来る。
 ならね、創価の祈りで降らせられない訳がないわ!!

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1305298662944962&set=pcb.1453721854759329&type=3&theater&ifg=1

2018/12/13  7:56

投稿者:沖浦克治
 巌虎さん、おはようございます。

 貴方の理論には無理があり過ぎます。
 何時も良いますが、日興さん門流は天動説なんです。

 大聖人を特別に祭り上げ、戒壇本尊本懐なるものをでっち上げ、何が何でも自分たちが宇宙の中心にいる。

 これってね相当無理があります。
 反対に、私は天動説です。

 一切衆生が南無妙法蓮華経の当体です。
 宇宙の中心は大聖人ではなくて、大聖人を含む私共なんです。
 
 当体蓮華とありますね。
 そう拝するのです。

 南無妙法蓮華経を大聖人が発明して法則として定めたならば、大聖人の作った宇宙です。
 これはキリスト教や回教でいう、ゼウスですね。

 大聖人は作ったのでなく見つけたお方。
 発見です。
 発明ではないのです。

 多くの世界宗教が、人間を超えた人知の及ばない宇宙の仕組みを、全知全能の神として表現してきた。
 大聖人はそれを更に進め、それは南無妙法蓮華経であって法則なんだ。
 その法則は宇宙を貫いていて、私共一切衆生もその当体なんだ。

 こういわれた世界で初めてのお方です。
 ここが分からないと御書は分りません。

 一度本気で学ばれるべきです。
 私は父からこれを教わりました。

2018/12/13  6:47

投稿者:沖浦克治
おはようございます。

昨日は父の命日でした。
夕方追善供養の唱題を致しました。

最近母の恩を感じられる容認なりました。
父は元々感じています。

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