2006/1/26

上書き=洗脳か?  
 また池田は、正本堂落成の翌四十八年、正本堂を御遺命の戒壇と証明するための「賞与本尊」を、細井管長に求めて授与されている。その本尊の脇書には
 「賞 本門事戒壇正本堂建立」
 と認められていた。この脇書だけで誑惑の意は充分である。しかし池田は「事の戒壇」というだけでは、細井管長のいう大御本尊ましますゆえに≠ニの意もあって不明確であるとし、もっと明確に
 「この本尊は正本堂が正しく三大秘法抄に御遺命の事の戒壇たることを証明する本尊也」
 との文を、裏書として加筆するよう要求した。昭和四十八年八月二十七日のことであった。
 さすがに細井管長も躊躇して、早瀬総監等にこのことを相談している。宗務院記録文書(49.5.6藤本メモ)によれば、細井管長は役僧らに
 「『この御本尊は、正本堂が正しく三大秘法抄に御遺命の事の戒壇であることを願って建立されたのを証明する本尊なり』と加えてみた。向うから来たままでは、また問題」
 と述べている。「向うから来たままでは、また問題」とは、妙信講の強き諫めが、細井管長の脳裏から常に離れなかったことを示している。
 そして実際の裏書は
 「此の御本尊は正本堂が正しく三大秘法抄に御遺命の事の戒壇に準じて建立されたことを証明する本尊也」
 と認められた。この「準じて」の意をめぐって、現在、阿部日顕管長は「なぞらう」の意といい、学会は「のっとる」の意であるとして争っているが、いずれにしても池田ごとき悪人に「賞与本尊」を与え、しかも、あたかも御遺命の戒壇と思わせるような脇書・裏書を、この期におよんでなお認めた細井管長の諂曲こそ、責められてしかるべきであろう。
 この事件は、まさしく池田の誑惑の執念を証明する一件であった。



先日、投稿不能は大聖人の御裁断か? と題して書いたところ、S@法華講氏からコメントが寄せられた。
ようは、ちょっとやそっとのことで功徳だの罰だのと一喜一憂しているのは信心がニセモノの証拠である、法華講員はホンモノの信心ゆえに些細なことでは動じない、ということだと思う。
ホンモノかニセモノかの基準としてはどうかと思うが、信心が重厚であるか軽薄であるかの差がそこに出てしまっている、ということは言えるかもしれない。

さて、上掲の引用文であるが、この出典が何なのか、わかるだろうか?

これは、「学会・宗門」抗争の根本原因 である。

奥付が平成三年十月十三日になっている。もうずいぶん時間が経ったものであるが、ようはこの頃から宗門と創価学会は抗争を続けているわけだ。ご苦労なことである。

いやいや、今日はそういうことではなかった。
先日、トチロ〜氏より賞与本尊についてのご教示をいただいた、また、邪義破折班の文書でも賞与本尊についての言及がある。
実はわたくしは、浅井先生が著作の中でこの賞与本尊について論及していることを、すっかり忘れていたのである。たまたま「奉安殿の前で会おう」が気になって、その部分だけを拾い読みしていたところ、幸運にも見つけることができたのだった。ゆえに完全に記憶から飛んでしまっていた、というのが本当のところである。

先生の見解と宗門側の見解をつき合わせて、ここでどうこう言うつもりはない。いちおう公平を期して、先生もこのように書いているという意味で紹介させてもらった。

さて、S@法華講氏のコメントとこれといったいどういう関係があるのかといえば、直接には関係ない。
わたくしが御裁断という言葉を使ったのは、いわばこれが現在の顕正会における流行り言葉みたいなものだから、タイムリーをねらってタイトルに入れたわけであるが、ふと思うことがあった・・・それは、もしかしたら顕正会員というのは上書きされやすい人たちが多いのではあるまいか? ということなのである。

次から次へと新しい指導が打ち出されていく。すると、仮に今までの指導と矛盾することであっても、それがすんなりと受け入れられていく。これはとりもなおさず上書きを意味するのではなかろうかと。
従来の指導をしっかりと憶えていれば、矛盾に気がつくし、その矛盾によって苦しむはずなのである。
しかし顕正会で熱心に活動している人にはそれがない。矛盾に気がつかないということは、どんどん過去の指導を忘れていっているから、つねに現在の指導しか頭の中にはないから、ということではないのだろうか?

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