2019/7/25

ケンミツダイイチ  
沖浦氏は進歩のない人である。拙ブログを遡れば同様の話題が繰り返し出てくる。わたくし的には決着が付いている。ところが沖浦氏としてはそれが不満なのか、繰り返し同じことを書いている。一貫不変と言えばよく聞こえるが、現実的には堂々巡りを繰り返しているだけなのだ。いったい何周すればゴールなのか、もはやわからない状態である。

虚空不動戒、虚空不動定、虚空不動慧

これは御書全集未収録の上行所伝三大秘法口決と呼ばれる古文書に出てくる文言である。今、古文書と書いた。その意味は、文中には「御書に云はく」という表記がたくさん出てくるからであって、まさか大聖人御自らがそのようにおっしゃるわけがないので、後年、どなたかが書かれたものなのだろう、よって古文書と書くのが妥当と判断したわけである。

ゆえに沖浦氏がこれらの文言を使用する場合には、まずは出典を明かさなければいけない。

ここまで書いていて、思わぬ発見をしてしまった。上掲は御義口伝にも出てくる言葉なのだが、その御義口伝の内容を確認していくと、全集と平成新編とではかなりの相違が存在するのだ。有名なのは次の一節だろう。

所謂南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり。

所謂南無妙法蓮華経は大歓喜の中の大歓喜なり。


話を戻そう。虚空不動云々は宝塔品二十箇の大事の中に出てくる。ところが全集と平成新編では順番と表題が異なっているのである。

第二十此経難事の事

第十六 是名持戒の事


このように書けば、それぞれ別の項目と思うはずである。ところが本文はまったく同じ内容なのである。さて、これをどのように考えればいいのだろうか?

単純に言えば、後から出版された御書のほうが正確なのだろう。

ただし、ここからは沖浦氏に対するのではなく、むしろ日蓮正宗の僧俗に問わなければいけないことになるだろう。御義口伝においては表題ないし番号にズレがあるものの、いずれにしても宝塔品をベースにした御指南であることは動かない。では、三大秘法口決はどうか、である。

 口決に云はく、三大秘法の依文は神力品なり。

一目、矛盾しているように思える。

御義口伝は大聖人の御指南である。三大秘法口決は大石寺の古文書であるが、こうして平成新編に収録した以上、上代のかなり重要な文書と見なしているわけである。それが矛盾しているとすれば大問題だろう。この点、明快な答えをお持ちの人がいれば、ぜひともご教示願いたいものである。

さらに同書には裏書きがある。その冒頭が次である。

受持即受戒なり。経に云はく、是を持戒と名づく。釈に云はく、持経即理戒に順ず。

続いて法身報身応身を戒定慧の三学に配当する図があって、そこには次のような一節がある。

持経の処即戒壇なり、法界道場云云。

これは本尊所住即戒壇の文証と言えるかもしれない。ただし、前掲を踏まえるならば、持経とは持経者のことに他ならないわけで、いわゆる己心戒壇論を補強する文証とも言えるだろう。いずれにしても、この古文書には戒壇建立を示唆するような文言がまったく見られない。この点も気になるところである。

事の一念三千は迷中の事なり。

ここは凄まじい御指南である。詳細は省略させていただく。

今日は教学の話になってしまったので、最後にもう一つ教学関連の話題を書いておこう。今朝たまたま拝読した御書について、少し不審に思ったことがある。新田殿御書の次の一節だ。

経は法華経、顕密第一の大法なり。仏は釈迦仏、諸仏第一の上仏なり。行者は法華経の行者に相似たり。

この御書は大石寺曾存なのだそうである。どのような理由で現存しないのか、ご存知の人がいればぜひとも教えてほしい。内容的にはいわゆる仏法僧の三宝を釈迦・法華経・日蓮に配当したものである。まさか日蓮本仏論に不利だから処分してしまったとか、そんなバカなことはあるまい。

今日は結果的に、日蓮正宗の僧俗に議論を吹っ掛けることになってしまったようである。

2019/7/29  3:59

投稿者:部外者です
名無しさんへ、指摘された箇所は、私も感情的反応に依って書いてしまった箇所で、冷静な成ってから書けば良かったと思います。私は、浅井さんのビデオ放映は見た事は有りますが、入信勤行をした事は有りません。身近に信者さんが居るので、今年の新聞は大分読ませてもらました。

2019/7/28  20:32

投稿者:名無し
部外者といい、大沢といい、妙姦に関わってる輩は無神経過ぎてほんとに腹が立つ。一から百まで説明しないとわからない鈍感さは本当に不愉快だ、
日蓮正宗系の教義本尊を知りながら侮辱を否定し、下記のような日蓮大聖人様をお徳を汚し煽ったことを、創価ガッカリさんの様にすぐに忘れてしまったのだろうか??日蓮正宗系の馬鹿キチガイが都合の悪い事はごまかし隠蔽するのとなんらかわらないじゃないか。


>日蓮さんが人間で無いなら、さぞかし、完全無欠な生き方だったのでしょうね。苦悩する事も無く、失敗の苦痛も味わう事無くと成り、そもそも立宗する理由も無いかもです。苦痛を味わえない完全無欠な人生だったと言いたいのでしょうか?人間では無かったと言うなら、久遠元初の自受用身をご自分の言葉で証明して下さい。

2019/7/28  17:53

投稿者:部外者です
名無しさんへ、罵った覚えは無いですが、他に書きようが有りませんのでと言う意味です。

2019/7/28  17:49

投稿者:部外者です
名無しさん、それで良いんです。

2019/7/28  13:36

投稿者:名無し
信じる信じないは別として日蓮正宗系信徒が信心の根本の本尊日蓮大聖人様戒壇の大御本尊様を口汚く罵った謗法者の謝罪など聞きたくありません。

2019/7/28  13:27

投稿者:通りすがり

外野様

情報ありがとうございます

2019/7/28  12:57

投稿者:部外者です
名無しさんへ、そのように思われるのであれば、お詫び致します。其々の人の信仰を尊重する思いですし、他意は有りません。

2019/7/28  12:15

投稿者:名無し
多重HN臭がぷんぷんするww

2019/7/28  11:58

投稿者:外野
通りすがり様。横レス失礼
します。顕正会本部関係者
のヒアリングでは「伊藤」
違いです。伊藤立教氏でな
く桜川氏と御書制作関係が
あったのは、日蓮宗大本山
霊跡寺院本圀寺住職の伊藤
日慈(瑞叡)氏だそうです。

2019/7/28  11:37

投稿者:通りすがり
ブログ見てググると書かれてあった。
『日蓮宗現代宗教研究所の主任であった
故伊藤立教師が、「犀角さんとは、すご
いペンネームですな。犀の角とは仏さん
のことですよ」と仰ったことを思い出す。
師もまた、犀の角が仏に喩えられること
を知ってお出でだったのだろう。」
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/521547
39.html
大御本尊を否定し日蓮本仏論を否定する
犀角氏自身が『犀角本仏論』でないか。
正気の沙汰でない悪知識の見極め出来な
かったのも残念かと。

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