2019/9/21

スイジャク  
日顕上人が御遷化あそばされた。九十六歳とのことだ。世間の人にとっては毎日のように報道されている著名人の訃報の一つに過ぎず、何の感慨もないことだろう。日蓮正宗系の人たちは、その立場によってさまざまの感慨を懐いているに違いない。

現時点ではここまでにしたい。おそらくは、というよりは確実に、総幹部会の場において浅井先生が言及するはずなので、わたくしはその発言を見守りたいと思う。

「大坊棟札」まで
  否定した無道心の輩


そして今回は二ヶ月遅れになるが、七月末の総幹部会会長講演である。

「三堂」とは、本門戒壇と、日蓮大聖人の御影堂と、天照太神の垂迹堂のことですが・・・

ようするに大坊棟札には天母原に三堂並びに六万坊を造営すべきと認められている。六万坊のことは過去に何度か書いたことがある。天生原のような狭小地に六万坊など建つわけがない、というのが現宗門の見解のようであるが、わたくしはそれを誤読ではないかと思っている。ただし、三堂のほうは逆に先生の発言に疑問を感じている。

天照太神の垂迹堂?

これがわからないのだ。おそらくは浅井先生が勝手に言っているわけではなく、歴代上人の御指南などにその旨の記述があるのだろう。しかし、ごく単純に考えて、戒壇堂と御影堂に並べてなぜに垂迹堂なのか、その教義的な整合性が理解できないのだ。もし説明できる人がいれば、ぜひともご教示願いたいものである。

ちなみに顕正新聞の垂迹には(すいしゃく)とルビが振ってある。ところがわたくしのパソコンでは変換できない。(すいじゃく)ならば変換できる。

本門戒壇の事と義について

戒壇論における最重要の争点と思われる。これについては浅井先生の主張をほぼ全面的に支持したい。わたくしが宗門の戒壇論をデタラメだと言って憚らないのは、まさにこのためである。

池田大作、細井管長に
  二つの箍を嵌める


内容は省略する。わたくしも未熟なもので、この用法を知らなかった。ようするに、箍を外す、箍を嵌める、という正反対の用法があって、以前の会長講演で前者が使われたことをおぼろげながらも記憶していた。ゆえにそこにツッコミを入れようかとも思ったのだが、ようは後者の用法もわりと広く使われているようなのである。いずれにしても浅井先生が後者を用いたのはこれが初めてかもしれず、今もなお表現に工夫を凝らしていることがこの事例から窺うことができそうである。

新しい事情があった

これまた前後を省いて恐縮であるが、新しいはどうかと思った。予てからの事情があった、くらいが妥当かもしれない。

細井日達は大聖人の御眼も恐れず、ついに池田大作に魂を売り渡してしまった。

これ以降、一切の敬称を用いず呼び捨てるようになった云々と。すでに何度も指摘しているように、これはオオウソである。ウソゆえか、この前後の文脈がひじょうにおかしなことになっている。

ようするに法華講の幹部を招集し、「妙信講と戦え」と煽動した、と書かれているのだ。

顕正会の過去の書籍を読んでもわかる話である。ちょうどこの時期は宗門と創価学会の関係が悪化していた。ゆえに日達上人は創価学会の幹部にではなく法華講の幹部に妙信講と戦えと言っているのだ。こうした事情を踏まえずに、池田大作に魂を売り渡した、などと書いてしまっている。まさに文脈的には支離滅裂である。ボウショヲツクルユヘニカカルアヤマリアルカということだ。

金口の御大事

いったい何を言っているのかがわからない。過去にも同様の発言があるけれども、その具体的な内容については一度も説明したことがない。昨年、御大事箱に言及したものの、まさか浅井先生がその中身を見ているはずもないので、結局は先生もよくはわかっていないのだろう。

「あなたは大嘘つきだ」

「あのときは嘘つきと言って悪かった、勘弁して下さい」


日顕上人の発言だそうである。しかし、出典が不明である。まさか公式の紙誌に載るようなセリフとは思えない。つまり、どこまで信用してよいものか、甚だ心許ない文証ということになる。

 この日、同時に山崎と日顕は、大石寺大奥において謀議に耽っていたという。

ほらほら、これである。この日がどの日であるかはどうでもいいだろう。ようはアヤシゲな情報をそのまま垂れ流しているだけの話なのだ。

 山崎正友はすでに死亡して「入阿鼻獄」になっている。残るは阿部日顕と大草一男の二人だけ。

たまたま拙ブログで取り上げるタイミングが今になってしまっただけのことなのだが、御隠尊が御遷化された直後だけにイミシンに聞こえる。

早瀬日如管長の決断 伏して待つ

このくだりは重要なので全文引用すべきところだが、やめておこう。あえて一行だけ引用するとしたら、わたくし的には次の部分に注目したい。

 もはや優柔不断は許されません。

ひじょうに不謹慎なことを書くが、おそらくは御隠尊が御元気の時には御当代も御自分の一存だけでは事を決せられなかったのだろう。しかし、昨年からなのか本年に入ってからなのか定かではないが御隠尊もそう長くはないというような状況になって、そうした情報を浅井先生もどこからかキャッチしたのだと考えられる。つまり、御当代が決断しやすい環境が整いつつあった。

それにしても悩ましい話である。

この件についてはこの先、何度でも書く機会があるはずなので、今日はこのくらいにしておこう。そして最後に紹介したいのは、講演の最後の一段である。

 さあ、顕正会員は早く三百万を成し遂げて大聖人様の御馬前に馳せ参じ、次なる御命令を、謹んで、全員で聞き奉ろうではありませんか。以上。(大拍手)

ツッコミどころ満載の文章である。だが、しかし、面倒臭いので一つだけ指摘して終わろう。

次なる御命令?

何を言っておるものかと思う。まさか大聖人がおしゃべりになられるわけではあるまい。結局は自分が打ち出す方針を言っているのに過ぎない。活動会員たちは相も変わらず使役し続けられるわけである。

2019/9/23  18:30

投稿者:習いぞこないの退転者

>戒壇堂と御影堂に並べてなぜに垂迹堂なのか

本地垂迹説からすれば、天照大神は天皇の子孫であり天照大
神は大日如来の化身なのですから、並べても問題ないかと?

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