2019/10/22

クウイ  
顕正新聞の続きを見て行こう。八月度総幹部会の目玉は総合女子部長人事であり、そのことは前回のブログに詳しく書いた。今回は会長講演である。

御遺命破壊に加わった五人を見よ

今回もまた特集号と銘打っているだけあって、紙数も相当である。第二面から三ページ半にわたって掲載されている。そして上掲は御遺命破壊の犯人たち(?)についての記述である。

池田大作

細井日達、阿部日顕

山崎正友、大草一男


これは当該講演の記述から抽出したものである。

かつて浅井先生は池田大作氏を主犯とし、日達上人ないし日顕上人を共犯としていた。その都度、表現を工夫して、新鮮味を持たせることに腐心しているのか、もしくは過去の発言をすっかり忘れてしまって新たに書いているので表現が異なるのか、その辺は定かではないが、ともかく今回は五人という括りにしている点が新しい。

 この五人のうち、池田大作こそまさしく第六天の魔王その身に入った御遺命破壊の元凶であり、あとの四人は魔の眷属です。

それにしても大草一男氏も出世したものである。

浅井先生に自覚はないのかもしれないが、これは相手にしてみれば大変名誉なことであり、妙観講員は喜んでいいと思う。
かつて二人は電話でやり取りをしている。この時の音声は今もネット上のどこかで確認できるだろう。また当時、顕正会には冨士という月刊誌があって、そこで妙観講のことを話題にしたりもしていた。その頃のわたくしの印象では、大草氏はどこの馬の骨ともわからぬ若造であり、浅井先生とは格が違い過ぎる、という感じだった。実際、くだんの電話でのやり取りでは浅井先生に相手を見下すような言動があったし、冨士の記述もそうだった。
ところがここに来て、大草氏はとうとう御遺命破壊の当事者に祭り上げられたのである。これは名誉なことだろう。何しろ昭和四十年代当時、大草氏は何者でもなかったのである。それが今では無視できない存在になったということなのだ。

細井日達に取り入る

阿部日顕に取り入る


これまた浅井先生に自覚はないのかもしれないが、この記述がいかに非常識であるかを顕正会員たちは考えるべきである。具体的には次のくだりをご覧に入れたい。

 その翌年、細井日達は急死し、阿部日顕が登座した。
 すると大草はこんどは日顕に取り入るようになる。


浅井先生は宗門の外にいて、歪んだ目で見ているから、こんな書き方をするのだろう。

今の段階でハッキリしていることは、顕正会の認識としてはいわゆる無相承ということなのだろう。後年の創価学会の言い方を使えば、ニセ法主ということになる。ニセ法主に取り入ってどうするのか、というのが浅井先生の言わんとしていることだ。

しかし、それは大間違いであって、大草氏は今も昔も一貫して御相承を拝信しているのだから、取り入るも何もないのである。時の猊下を拝信して何がいけないのだろうか?

ちなみに、山崎正友氏に関しては、次の二つをどのように受け取るかが問われている。

法主を僭称する阿部日顕上人の素顔

私が御相承≠拝信するに至るまで


これもまた、歪んだ目で見ている人とそうでない人とでは、見解が分かれるのだろう。

いわゆる一貫不変である必要はない。自分が間違っていたと思えば訂正する。それが人間としてマトモな振る舞いである。山崎氏はそれを実行しただけの話である。

浅井先生は気づいていないかもしれないので、ここに書いておこう。

御相承について最初に疑義を呈したのは正信会である。それに続いたのはかなり時間が経ってからの創価学会である。そのさらに後年、顕正会が言い出した。早い話が、顕正会は後出しジャンケン的に言い出したに過ぎない。ぜんぜん一貫不変ではないのである。

だったら逆もアリだろう。最初は御相承を疑っていた山崎氏が、後に拝信したとして何がいけないのだろうか?

今回の会長講演はこんなテイタラクである。よって以下はオマケとして書いておこう。

 「日蓮門下の集まりに始めて参加させて頂き、光栄に思っております」

山崎氏の発言とのことだ。わたくしがいつも気にしている、初めてと始めての使い分けの問題だが、この記述は原文通りなのだろうか?

妙光寺事件

これは試練と忍従の歴史にも出てくる話なので知ってはいたが、もしかしたら今回は新事実が書かれているのかもしれない。

 この席で池田大作は、管長に次ぐ第二位の地位にあり、妙光寺の住職でもあった柿沼広澄・宗務院総監に対し、なんと二時間にわたり罵倒を繰り返した。

二時間? これは初耳である。それともわたくしが単に失念しているだけなのだろうか?

 前々から池田大作にへつらっていた阿部日顕などは、京都平安寺の住職で教学部長だったころ、平安寺前の大通りを池田大作が車で通ることを知るや、門前に立って待ち、頭を下げていたという。また池田が平安寺に来るときには、門前から本堂までの道に、赤絨毯を敷いて迎えたという。

ここまで詳しい記述は初めて読んだ。それにしても、〜いう。〜いう。という表現からもわかるように、浅井先生がそれを目の当たりにしたわけではないのは明らかである。では、いったいどこから得た情報なのか、そこが気になるところである。

大事なところを見逃していた。

 さて、細井日達は、池田大作との大抗争の最中の昭和五十四年七月二十二日、心臓発作で急死を遂げた。それは、大事な「御相承」もなし得ずの急死であった。
 しかし先般も申し述べたごとく、いかなることがあっても、下種仏法の血脈は断絶するものではないのです。もし国立戒壇の御遺命を堅持あそばす貫首上人が御出現になれば、忽ちに血脈は蘇る。それまで「空位」が続くというだけのことです。


相変わらずの支離滅裂さである。

はたしてこんな顕正会にも御相承を拝信する日が来るのだろうか?

この「空位」は国家に重大な影響をもたらす。ゆえに令和は大変な時代になると思われる。

わたくしは昭和時代からの顕正会経験者である。ゆえに昭和末期における浅井発言、平成を迎えた頃の浅井発言を知っている。同じようなことを繰り返し言っているに過ぎない。

 二〇年代こそ、広宣流布の決戦場であります。

ややアゲアシ取りとは承知しつつも言いたい。上掲はいわゆる西暦である。前掲は日本特有のいわゆる元号である。

行き当たりばったり感が否めない。

2019/10/27  1:30

投稿者:。
大石寺で論じる血脈相承とは法体相承≠論じているのであり、法門相承とはまったく別個に捉えるべきである。則ち法門相承である両巻血脈は法門を理解出来る宝器であれば閲覧して転写することは許されるし、げんに本因妙抄の写本は大石寺時師のものがあり、重須で本因妙抄の講義を行った三位日順師の本因妙口決には百六箇抄の中味が引用されている。両巻血脈の本因妙抄・百六箇抄はともに存在していたのである。

二箇相承の紛失由来は、紛失した時代の重鎮が記録に残している。いわゆる保田・日我師がこのあたりの記録を詳細に残されているが、過去に宗祖の滅後二百年以上も経た後の記録を云云したバカモノがいたが、その二百年以上も重須に、二箇相承の真書が伝承されていたのである。

2019/10/25  22:28

投稿者:名無し
信心に対して純粋に潔癖にをモットーに、自分なりの体験、想い、馬鹿キチガイに対して厳しい意見をここ一年ほどこちらのブログに書きたい放題書いてきた。

不思議な事にここ一年尻上がりに生活や仕事が充実し始めた。とても有難い思いでいっぱいである。
毎日欠かさず朝夕の勤行、なるべく通えるかぎり菩提寺参詣して、日蓮正宗から馬鹿キチガイが一日も早く消えて純粋で潔癖な信徒がたくさん集まりますようにと祈念するだけで、これだけ功徳がいただけるのから本当に仏法はすごい。
大切なのは信心に対する純粋さ、潔癖さ、志

2019/10/24  7:19

投稿者:沖浦克治
ガンコさん、おはようございます。

宗教で人を差別することは止めねばなりません。

2019/10/24  7:17

投稿者:沖浦克治
 「私には夢がある(I Have a Dream)」
 1963年8月28日
 職と自由を求めるワシントン大行進において、キング牧師がリンカーン記念館で人種平等と差別の終焉を呼びかけた演説。公民権運動に大きな影響を与えた。
 米国における最高の演説であるとされている。
 演説の一部 

 絶望の谷間でもがくことをやめよう。
 友よ、今日私は皆さんに言っておきたい。
 われわれは今日も明日も困難に直面するが、それでも 
 私には夢がある。
 それは、アメリカの夢に深く根ざした夢である。

 私には夢がある、それは、いつの日か、この国の国民が立ち上がり、「われわれは、すべての人間は平等に造られいることを自明の真理とみなす」というこの国の信条を真の意味で実現させるという夢である。

 私には夢がある。
 それは、いつの日か、ジョージア州の赤土の丘で、かつての奴隷の息子たちとかつての奴隷所有者の息子たちが、兄弟として同じテーブルにつくという夢である。

 私には夢がある。
 それは、いつの日か、不正と抑圧の炎熱で焼けつかんばかりのミシシッピ州でさえ、自由と正義のオアシスに変身するという夢である。

 私には夢がある。
 それは、いつの日か、私の4人の幼い子どもたちが、肌の色によってではなく、人格そのものによって評価される国に住むという夢である。

 今日、私には夢がある。
 私には夢がある。
 それは、邪悪な人種差別主義者たちのいる、州権優位や連邦法実施拒否を主張する州知事のいるアラバマ州でさえも、いつの日か、そのアラバマでさえ、黒人の少年少女が白人の少年少女と兄弟姉妹として手をつなげるようになるという夢である。

 今日、私には夢がある。
 私には夢がある。
 それは、いつの日か、あらゆる谷が高められ、あらゆる丘と山は低められ、でこぼこした所は平らにならされ、曲がった道がまっすぐにされ、そして神の栄光が啓示され、生きとし生けるものがその栄光を共に見ることになるという夢である。
 
 これが我々の希望である。
 この信念を抱いて、私は南部へ戻って行く。

2019/10/23  7:01

投稿者:沖浦克治
ガンコさん、おはようございます。

即位礼正殿の儀、厳かに行われました。
テレビの前で立ち上がって万歳三唱致し、
日本人で良かったと思いました。

日本人としての優れた資質の一つに、恥を知る文化が挙げられると存じます。

私は凄い貧乏育ちで、家柄も学歴もありません。
只、父親からは常に教わりました。

粗にして野なれど卑にあらず‼️

我が父は恥を知るお方でした。
未だに越える事は出来ません。
父は何時も教えてくれました。

お前には充分な教育も受けさせてやれなかったが、男と言うものは常に反体制側にいて思い切って闘え。
一つだけ、卑しい人間にだけはなるな。

我が父は、石田礼助氏が生涯のモットーとして唱えていた、

「粗にして野だが卑ではない(言動が雑で粗暴であっても、決して卑しい行いや態度をとらない)」

に強く賛同しておりました。
大学の先輩だったそうです。

父は、広島県福山市鞆の浦で生まれ育ち、小学生から家計を助けるために働いたとの事でした。
明治生まれの気骨の人で、極貧の中で必死で学び、神戸高等商業学校、現在の神戸大学に進み、その後、一橋大学に学びました。

その一橋大学の先輩が、後の国鉄総裁の、石田礼助さんでした。

親不孝を絵に書いたような私ですが、未だに本籍地を鞆の浦に置いたままです。

たった一つの親孝行でございます。

最高の父でした。

2019/10/22  15:32

投稿者:名無し
同じ過ちを繰り返すのではないかとハラハラしております。

下記はココのツマラナイブログ主がとんでもない誤報発信し、指摘を受けて訂正する過去のブログである。

https://white.ap.teacup.com/ganko/2665.html#comment

https://white.ap.teacup.com/ganko/2666.html#comment

誤報発信の理由は、顕正会、日蓮正宗の動向に関して全く興味関心が無いまま顕正新聞の文章にツッコミ入れる作業しかしていないので事の顛末を時系列で把握できていなかっただけの話だと思う。
これを読めば、ツマラナイブログ主に信心が無く。他人に厳しく自分に甘くいいかげんでご都合主義日蓮正宗系の馬鹿キチガイと一緒だとよくわかる。

コメントを書く

名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ