2020/1/7

ナンダカンダ  
ハラダ氏の疑問について、わたくしなりの所感を書いておきたい。

動画配信は法華講の有志が行なっている。有名なのは樋田昌志氏だろう。氏の動画は今や膨大を極める。ところがそれほど注目されているようには見えない。では、宗門が公式にやれば視聴数が伸びるのかと言えば、たぶん伸びないだろう。
顕正会にも同様のことが言える。樋田氏のように実名顔出しでやっている人間はいないと思うが、顕正会の総幹部会などの映像を配信している人がいるのは事実だ。しかし、それが大注目されているかと思えば、さにあらずである。
動画サイトで「顕正会」を検索すると、最近は顔出しの人物が顕正会の被害を云々していたりする。その代表格が「えらてん」という人物で、この人はすでに実名で動画を出しており、顕正会だけではなくあらゆる方面の動画を出しているので別格だろう。例えばわりと最近は立花孝志氏に噛みついたりして、それがかなり注目を集めている。

では、えらてんチャンネル以外の人たちはどうかであるが、実はほとんど視聴数が伸びていないのである。顕正会の話題を取り上げても誰も見てくれないのだ。

これが現実なのである。

単純に、宗門と創価学会と顕正会の話題では、ナンダカンダ言っても創価学会の話題がいちばん注目を集める。まさに人数に比例して、知名度に差があらわれているのだ。

動画配信サイトとしては、ユーチューブが有名であり、ここは基本的に誰もが自由に投稿できる仕組みになっている。ゆえに無名の一般人に過ぎなかった人が、ここで一躍有名になったりもしている。ややもすればテレビタレントよりも収入が多かったりするらしく、そこで最近はなんとテレビタレントたちも挙ってユーチューブに参入してきているらしいのだ。

競争が激化している。そうした中で宗門が動画を配信して、どれだけ注目を集められるかを考えると、暗澹たる気分になる。

以前、僧侶はオワコンだと書いた。

葬式の簡素化に伴ない、僧侶を呼ばないで葬儀を済ませてしまう人たちが増えている。もちろん今も葬儀には僧侶を呼ばなければいけないと考える人たちも多くいるわけだが、それでも簡素化は否めないだろう。わたくしの親戚で、それほど信心深いとは思えないものの古くからのシキタリみたいなものに縛られているためか、盆には菩提寺から住職を読んで御経を上げてもらうのを恒例にしている人がいた。しかし、数年前に亡くなってしまい、跡継ぎもいなかったため、菩提寺側の立場で言えばオトクイサマを一件失ってしまったことになるだろう。その回復はほぼ見込めない。

動画配信に戻って、おそらくは既成仏教のどこの宗派であっても、たとえ動画を配信したところでそれほど注目を浴びることはないだろう。宗門もしょせんは既成仏教の一派に過ぎない。客観的にはそのような位置付けになるはずだ。

つまり、葬儀だけの話ではなく、宗教としての存在価値がどれだけあるのかを考えると、絶望的かもしれないのだ。

動画サイトとテレビの違いはチャンネル数だろう。

基本的に、テレビはいわゆる地上波の限られたチャンネルしか存在しない。昔であれば十二まであるダイヤルをガチャガチャ回して、どこもツマンネエなあ、と言いつつ、その中でマシなチャンネルを視聴するしかなかった。
ところが動画サイトの場合はチャンネルが無数にあって、そこから自由に選ぶことができるのだ。ゆえに今まで視聴していたチャンネルであっても飽きてしまえば他のチャンネルを選ぶことが可能であり、地上波とは違って無数に選択できるわけだから、ツマンネエ、ということにはなり難いのだ。
まさに選択の自由がある。その無数の選択肢から日蓮正宗であるとか顕正会が選ばれるにはどうしたらいいのか、宗門首脳にとっても顕正会首脳にとってもまさに超難題と言えるだろう。

実は宗教そのものがオワコンなのではない。

動画サイトを詳しく調べたわけではないが、いわゆるスピリチュアル系だとか自己啓発系のチャンネルで好評を博しているところもある。つまり、人々のニーズとして宗教系も存在し得るし、おそらくは一定以上の支持を得ているところもあるはずなのだ。

ここで、あるはず、と書いた点に注目したい。

つまり、チャンネルが無数に存在するために、漫然と眺めているだけでは見つからないのである。ゆえに宗門や顕正会が動画を出したところで、なかなか見つけてもらえないという現実に突き当たる。

無責任な立場で言いたいことだけを言って恐縮だが、差し当たってはネットとリアルの両面作戦が有効だろう。

ネットだけでもダメだし、リアルだけでもダメ、その両方を効率的に活用する。人々は現実の世界で懸案が生じた時、今の時代はネットで解決法を調べたりする。実は葬儀葬式を専門に扱う動画チャンネルがあって、それが数年前からけっこう好評を博している。人は必ず死ぬわけだから、その時に何をどのようにするのか、それを今の時代はネットで調べるのだ。くだんのチャンネルは実は小さな葬儀屋さんの社長が運営しているもので、どうやら動画のほうで人気を博したことで葬儀の依頼が劇的に増えたようである。

さらに無責任に話を進めてしまうと、浅井先生と大草氏とで法論をやればいいのである。それがリアルということだ。そしてそれを動画配信する。ネットである。この衝撃度は甚大だ。

以上、思いつくままに書いてきたが、宗門の伝統行事をそのまま動画配信したところで退屈だろう。刺激を求めるならば折伏の宗らしく法論をやらないといけない。それが一つの答えのはずである。

基本的にですが、貴方や宗門更に顕正会の根本的な過ちは、曼陀羅本尊を仏の当体としている所です。

沖浦氏の所論はいくらでも破折できる。今回は、仏の当体じゃないとすると何なの? と問うておこう。

勤行の時、曼荼羅に向かって合唱礼拝をする。これはまさに曼荼羅御本尊が仏の当体だからである。顕正会の場合、大石寺の戒壇の大御本尊に向かって遥拝勤行をする。大御本尊は日蓮が魂、すなわち仏の当体に他ならない。これを根本的な過ちだと言っているのだから困った人である。現在の創価学会は弘安二年の大御本尊を受持の対象にしないと宣言したものの、曼荼羅御本尊に対する認識は基本的に変わっていない。ゆえに沖浦氏は他の創価学会員からも破折されてしまうのだ。

2020/1/8  10:34

投稿者:沖浦克治
>顕正会の場合、大石寺の戒壇の大御本尊に向かって遥拝勤行をする。大御本尊は日蓮が魂、すなわち仏の当体に他ならない。これを根本的な過ちだと言っているのだから困った人である。

 『是くの如き本尊は在世五十余年に之れ無し八年の間にも但八品に限る、正像二千年の間は小乗の釈尊は迦葉阿難を脇士と為し権大乗並に涅槃法華経の迹門等の釈尊は文殊普賢等を以て脇士と為す此等の仏をば正像に造り画けども未だ寿量の仏有さず、末法に来入して始めて此の仏像出現せしむ可きか。』
 (如来滅後五五百歳始観心本尊抄)

 仏像とあります。
 仏像は仏ではありません。
 仏を象ったものです。
 何度も何度も書いていますが、西郷隆盛の銅像は西郷隆盛本人ではありません。
 西郷さんを象ったものです。
 貴方は、西郷さんの銅像を西郷さん本人だと言ってるのと同じです。

>現在の創価学会は弘安二年の大御本尊を受持の対象にしないと宣言したものの、曼荼羅御本尊に対する認識は基本的に変わっていない。

 愚かなことを書かれますね。
 戸田先生、池田先生はご本尊流布を前面に出して、大折伏をなさいました。
 池田先生の会長就任挨拶を引用致します。

 『若輩ではございますが、本日より、戸田門下生を代表して、化儀の広宣流布を目指し、一歩前進への指揮をとらせていただきます!』

 ご本尊は創価学会では最初から化儀です。
 化法が南無妙法蓮華経。
 それ以外は全て化儀です。
 ですから、創価学会では最初からご本尊は仏の当体ではございません。
 仏を象ったものです。


>ゆえに沖浦氏は他の創価学会員からも破折されてしまうのだ。

 この10年で私が予言した通りに創価学会の教義は変化しています。
 この事実が何よりの証拠です。

2020/1/8  10:24

投稿者:沖浦克治
 ではどの様に信じればいいのか?
 御書にあります。

 『、所詮三周の声聞法華経に来て己心の宝塔を見ると云う事なり、今日蓮が弟子檀那又又かくのごとし、末法に入つて法華経を持つ男女のすがたより外には宝塔なきなり、若し然れば貴賎上下をえらばず南無妙法蓮華経ととなうるものは我が身宝塔にして我が身又多宝如来なり、妙法蓮華経より外に宝塔なきなり、法華経の題目宝塔なり宝塔又南無妙法蓮華経なり。
 今阿仏上人の一身は地水火風空の五大なり、此の五大は題目の五字なり、然れば阿仏房さながら宝塔宝塔さながら阿仏房此れより外の才覚無益なり、聞信戒定進捨慚の七宝を以てかざりたる宝塔なり、多宝如来の宝塔を供養し給うかとおもへばさにては候はず我が身を供養し給う我が身又三身即一の本覚の如来なり、かく信じ給いて南無妙法蓮華経と唱え給へ、ここさながら宝塔の住処なり、経に云く「法華経を説くこと有らん処は我が此の宝塔其の前に涌現す」とはこれなり、あまりにありがたく候へば宝塔をかきあらはしまいらせ候ぞ、子にあらずんばゆづる事なかれ信心強盛の者に非ずんば見する事なかれ、出世の本懐とはこれなり。』
 (阿仏房御書)

 阿仏房にご本尊を授与されそのご本尊は法華経の宝塔を書き顕したももの。

 『あまりにありがたく候へば宝塔をかきあらはしまいらせ候ぞ、』

 ここまで先ずご理解願います。
 そしてその文字曼荼羅の元となった法華経の宝塔の本体とは何か?

 『然れば阿仏房さながら宝塔宝塔さながら阿仏房此れより外の才覚無益なり、』
 
 貴方がその宝塔そのものです。
 書かれてあるじゃないですか。
 だからご本尊を拝む時は、自分自身がそのまま法華経の当体だと信じて唱題なさい。
 
 『多宝如来の宝塔を供養し給うかとおもへばさにては候はず我が身を供養し給う我が身又三身即一の本覚の如来なり、かく信じ給いて南無妙法蓮華経と唱え給へ、』

 ここまでかみ砕いて書いていますが、理解出来るか出来ないか?
 私の問題ではありません。

2020/1/8  10:23

投稿者:沖浦克治
 嚴虎さん、おはようございます。

>勤行の時、曼荼羅に向かって合唱礼拝をする。これはまさに曼荼羅御本尊が仏の当体だからである。

 御書お読みなさい、ご本尊に対すす信仰者としての姿勢は以下の文に詳しいです。

 『又此の曼荼羅能く能く信ぜさせ給うべし』
 (経王殿御返事)

 100%信じる事。

 書いてありますよ。

2020/1/7  21:59

投稿者:沖浦克治
 嚴虎さん、今晩は。

>沖浦氏の所論はいくらでも破折できる。今回は、仏の当体じゃないとすると何なの? と問うておこう。

 何なの??
 ですか???
 何故御書お読みになりませんか。
 観心本尊抄を当然ご存じですね。
 この御書は大聖人ご図顕の文字曼荼羅本尊に付いて詳しく述べられている御書です。
 ですので、ご本尊に関して、ここでの記載が最も重みを持ちます。
 ではご本尊とは何か??

 『仏像』

 です。
 何度も引用しておりますよ。

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