2020/1/12

オンマエ  
今日も十一月度総幹部会の各種登壇を見て行く。

大師子吼

婦人部第八総部長(中部・首都圏)が言っている。第二十五婦人部長(首都圏)も言っている。ようするに浅井先生のオンマエで登壇しているのだ。先生はそれを受け入れていることになる。教祖たるゆえんである。

輪奐の美

これには恐れ入った。男子部第十二総部長(南東北)は、ずいぶん教養のある人のようだ。

大学病院の脳外科医が広告文で入信
 医学会で「メス入れられぬ献体が話題」と


女子部二百九十六区総班長(神奈川)の記事である。献体の話題は拙ブログでも取り上げているはずだが、今は詳しく記憶していない。ともかく医者の会合で話題になるほどの衝撃的な出来事で、失礼ながらどこまでが本当なのかと疑う気持ちがあったのも事実である。今回の記事はそれが本当の話だったことを証明していることになる。欲を言えば入信した脳外科医本人が登壇するべきだろう。いつものことながら顕正会の話題は又聞きレベルで終わっている場合がほとんどである。今回も現段階では同じことだ。

 また、私は生命保険会社に勤務しておりますが、昨年の営業成績「全国一位」に続き、本年も優秀な成績・・・

このくだりは総班長自身のことなので、ウソではないのだろう。ひじょうに立派なことである。また、営業関係の仕事で好成績を上げている人は、顕正会の折伏においても成果を上げている場合が多いような気がする。

そこで思い出したのだが、生命保険のセールスレディ―は長続きしない仕事の代表格みたいな話をどこかで聞いたことがある。やはり成果が上がらないと収入にならないし、居心地も悪くなるのだろう。顕正会とひじょうによく似ている。

次の婦人部信州支区部長(長野)はわりと登場頻度の高い人だと思う。今回はちょっとした部分を取り上げておく。

 去る十一月三日、東北随一の新仙台会館御入仏式が厳粛に挙行され、私も当日のビデオ放映において浅井先生の重大指導を視聴させて頂きました。

当日のビデオ放映?

浅井先生の出席する集会は後日ビデオ放映が行なわれる。全国各地の顕正会員がそれぞれの地元の会場で視聴する。しかし、上掲はそれとは異なるようである。
おそらくは元旦勤行のような感じなのだろう。浅井先生は第一回目に出てそこで新年の挨拶をする。二回目以降はビデオを通して先生の挨拶を視聴するわけである。
すると彼女はわざわざ長野から仙台まで遠征したことになる。それでいて一回目には入れず、二回目以降にビデオを視聴したことになるのだ。

熱心なのはわかるが、ほどほどにしないといけない。

2020/1/17  19:22

投稿者:沖浦克治
 今晩は。
 
 功徳出して世間に提示する以外、折伏って無理なんです。

 『されば過去未来を知らざらん凡夫は此の経は信じがたし又修行しても何の詮かあるべき是を以て之を思うに現在に眼前の証拠あらんずる人此の経を説かん時は信ずる人もありやせん。』
 (法蓮抄)

 更に、その宗教を行じる人の人格です。

 『一代の肝心は法華経法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり、不軽菩薩の人を敬いしはいかなる事ぞ教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ、穴賢穴賢、賢きを人と云いはかなきを畜といふ。』
 (崇峻天皇御書)

 最後に怨嫉謗法を慎む事です。
 
 『何に法華経を信じ給うとも謗法あらば必ず地獄にをつべし、うるし千ばいに蟹の足一つ入れたらんが如し、』
 (曾谷殿御返事)

 これ等を勘案して考えるなら、まず信心して功徳を出すことが第一です。
 そして、功徳を出している人が優れた人格を備え、世間に高評価される振る舞いをしていなければなりません。

 そのための絶対条件が、怨嫉謗法を慎む事!!

 池田は地獄に堕ちる。

 これを言ったら即ち怨嫉謗法です。

 創価学会員は偽本尊で地獄行だ。

 怨嫉謗法の見本ですね。

 だから、日蓮正宗の方々は功徳出ないし、布教が出来ませんね。

 もったいないですね、私共創価と同じご本尊に同じお題目唱えていてるんです。

 そろそろ気づきなさいませ。

2020/1/14  19:49

投稿者:名無し
>おそらく沖浦氏は開眼のことを度外視しているのだろう。

法主絶対論から産まれた見苦しい御都合主義な開眼に執着しているあたり、ツマラナイブログ主に信心がない事がよく解るww

開眼を用いて宗門の正当性を主張することで法の本尊、御本尊様を物扱いして不敬を働いていることに徳の無い僧侶も法華講の馬鹿キチガイは気づいていない。
日蓮大聖人=歴代上人<現法主とご都合主義な権威付けされた法主絶対論は歴代上人への冒涜、人本尊日蓮大聖人への不敬でしかないことも解っていない。
法主の開眼で異流儀を非難しているが、やっていることは著作権や商標登録でパクリ業者を相手取って訴訟を起こしているのと同じである。だから物扱いして不敬を働いている言うのだ。
日如上人に至っては、過去夏期講習で開眼を用いた異流儀破折説明の付け足しで、日蓮宗の御真筆御本尊は謗法だからさらに開眼が必要というような誤解を招くような支離滅裂ことを言っている。だから御都合主義と揶揄するのである。
日蓮大聖人=歴代上人<現法主の方程式を振りかざした法主絶対論の根拠はなんなのか説明してほしいものだ。
説明はせず権威で脅すことしかできないから徳の無い僧侶と馬鹿にするのだ。
これを誰も説明できるはずもない。これは説明するものではなく示す表す実証するものだからである。
日蓮大聖人=歴代上人<現法主というのであれば、主師親の三徳が日蓮大聖人様と同等の徳に溢れたお振舞い、御説法、絶大威力を現法主が実証しなければならない。
我々法華講もこんな不敬で御都合主義な開眼で自己正当化するのではなく、しっかり信心して功徳や体験を積み広宣流布に役立つ立派な仏弟子になって異流儀よりも優れている事を実証していくしかないのだ。

2020/1/14  19:09

投稿者:沖浦克治
 戒壇本尊本懐論と、一大秘法が戒壇本尊との主張は、日蓮正宗という極めて小さな宗派の中の、内部規定に過ぎません。
 それを信じる自由はございます。
 ですが、それを世間様に伝えるには、説得作業と言う途方も無い遠い道が必要となりますし、当然、何方が見ても、理解で来得る、明快な論拠も必要です。
 所が、日蓮正宗にはその様な努力も論拠も公平に見てございません。

 戒壇本尊本懐論は、既に私が破折致しておりますし、ご希望ならばいくらでも論議に応じます。
 元々戒壇本尊本懐論と、一大秘法論は寛師によるもので、大聖人様の御書には一言もございません。
 寛師と言う法主が保身のために考え出したもので、この寛師は国家諌暁を一度として行っておりません。
 ですので、立正安国を絶対遺言となされた、大聖人門下の人間ではございません。
 この点を先ずキチンと理解なさる必要がおありですね。

 ついでに申しますが、私共が寛師書写のお形木様を拝む事と、寛師の堕落僧振りには関係がございません。
 末法のご本仏様ご図顕の御本尊は、書写した人間の人格と言うような些少なものに、お力が影響を受けるよな矮小な物ではございません。
 この点も、正しいご認識が必要でしょう。

 さて、曼荼羅は私共が己心の仏を観じるための道具。

 この点を正しくご認識される事が、大聖人様の仏法理解の第一歩でしょう。

2020/1/14  19:07

投稿者:沖浦克治
 御本尊を信じるとは、自身の己心を仏と信じることなんですよ。
 鏡を見て身支度するでしょう。
 あれはね、自分自身の姿を確認しているのです。
 でも、一度も鏡を見たことの無い人がいて、初めて鏡を見れば、写っている者が自分だとは最初には理解できません。
 チンパンジーに鏡を見せた実験があります。
 最後には裏まで見に行って、そして興味を示さなくなったそうです。
 人より知能が劣りますので、自分だとは気付かないで、害の無い映像程度の認識で終わったのです。
 人ならば、知能が優れていますので、そのうち気付きます。

 これは自分の姿なんだ。

 御本尊を信じるとは、我が己心の仏を信じる事なんです。
 お曼荼羅の中に仏様はおられません。
 自身の己心の仏が写っているのです。
 ほとんどのお方はこの点に迷いがある。

 『問うて曰く出処既に之を聞く観心の心如何、答えて曰く観心とは我が己心を観じて十法界を見る是を観心と云うなり、譬えば他人の六根を見ると雖も未だ自面の六根を見ざれば自具の六根を知らず明鏡に向うの時始めて自具の六根を見るが如し、設い諸経の中に処処に六道並びに四聖を載すと雖も法華経並びに天台大師所述の摩訶止観等の明鏡を見ざれば自具の十界百界千如一念三千を知らざるなり。』
 (如来滅後五五百歳始観心本尊抄)

 ご本仏様のご指南ですよ、信じる以外ありません。
 お曼荼羅はその手段です。

2020/1/14  19:05

投稿者:沖浦克治
 大聖人様はもっと進んでおられます。

 宝塔って言っても、衆生には夢見たいなお話で理解できません。
 そこで、このままじゃ宝塔そのものが極楽浄土になっちゃう。
 それじゃ、仏法ではない。
 それで、宝塔を具体的にお曼荼羅としてご図顕なれたんです。
 貴方も私も拝むでしょう。
 あの御本尊様なんですよ。

 釈迦も大聖人様も、私共も、全く差別が無い命を持っていて、それが仏であって、釈迦が仮に虚空の宝塔として譬えた。
 ですが、この時は理論ですね。
 実際に話じゃどう言うものか理解できない。
 理解できないので信じ難いですよ。
 それで、大聖人様は御本尊として具体的にご図顕なられた。
 ありがたいですね〜。

 本体は、私や貴方の命そのものです。
 それを仮に、お漫荼羅として具体的表現なされ、私共一切衆生の修業のために残しおかれた。
 御書に明確に残っています。
 疑う必要すらございません。

 これがお曼荼羅ですよ。

2020/1/14  19:04

投稿者:沖浦克治
 御本尊はお曼荼羅です。

 朝夕拝むでしょう。
 この元になったものがあるんですよ。
 それを、釈迦は虚空会の儀式で、虚空の宝塔。として説いたんです。
 無論、現実に虚空に宝塔が出現はしませんよ。
 物理的に不可能ですね。
 3000年以前、人類にあのような技術があったなら、今頃私も貴方も、アンドロメダ星雲あたりに観光に行ってます。
 でもね、ジャンボジェットでアメリカあたりがせいぜいじゃないですか。

 宝塔のサイズご存知ですか?
 高さ五百由旬(一由旬とは帝王の一日の行軍距離を指し、その長さについて諸説あるが、一説によれば五百由旬は地球の半径ほどの距離になる)、縦広二百五十由旬に達する巨大な宝塔が大地より出現し、空中に浮かんだと説かれています。
 これね、今でも絶対に不可能です。
 更にですよ、地涌の菩薩だけで6万恒河沙集まった。
 コンサートで国立競技場使って10万人の結集でも大変じゃないですか。
 この数どうやって集めますか〜??
 不可能ですね。
 地球の全人口の何億倍ですよ。
 無理です。

 宝塔は釈迦の命の例え話です。
 釈迦はね、

 自分だけじゃなくて、お前達一切衆生の命もこれと同じなんだよ。
 仏ってね、遠いところにいるんじゃないんだよ、お前達の命がこう言う宝塔で仏なんだよ。
 これを覚知する事が成仏って言うんだよ。

 このように教えたんですよ。

2020/1/14  19:03

投稿者:沖浦克治
 嚴虎さん、今晩は。

 創価学会、今月の座談会の御書です。

 『末法に入つて法華経を持つ男女のすがたより外には宝塔なきなり、若し然れば貴賎上下をえらばず南無妙法蓮華経ととなうるものは我が身宝塔にして我が身又多宝如来なり、妙法蓮華経より外に宝塔なきなり、法華経の題目宝塔なり宝塔又南無妙法蓮華経なり。』
 (阿仏房御書)
 
 私共が自行化他の唱題をする姿以外に、宝塔(法華経であって仏)はない。
 身分や社会的地位、教団上の役職などは無関係にすべてが南無妙法蓮華経の当体であって、それを自ら証明する多宝如来である。

 ここには、出家とか在家などの差別など当然ありませんし、法主や能化などと言う差異もありません。
 私共が宝塔で、法華経の題目そのものです。
 以上に書いてあります。

 宗門教学って駄目ですね。

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