2020/3/23

ヒョウソウ  
沖浦氏の直近のコメントはいわゆる摂折論である。その中で戸田城聖氏の発言を引用している。次がそれである。

佐渡流罪が終わるまでの御書は厳しく激しいものが多いが、身延に入られてからのお手紙にはお優しいものが多い。

まず、引用元をしっかりと明示すべきだろう。戸田会長全集の何巻であるとか、聖教新聞の何号であるとか、ハッキリ示すべきである。それを怠ってはいけない。

いわゆる佐前佐後で大きな変化があったと考えるのは全日蓮門下における共通認識である。もちろん日蓮宗系と日蓮正宗系では異なるし、委細には各教団ごとに異なっている。また、上掲が戸田氏の確実な発言だとしても、以前の創価学会は折伏路線だったわけであり、摂受路線に転換するのはかなり後になってからのことである。

若者の批判力は大切ですが、歳を重ねると共に、批判力をカバーする社会での影響力を持ち、それで周りを納得させる実力が必要です。

ゆえに穿った見方をすれば、このくだりは個人のことだけではなく組織のことを意味しているのかもしれない。創価学会も組織として成長するにつれて角が取れて丸くなった。平たく言えばそんな感じかもしれない。

しかし、だからこそ戸田氏の発言の出典が求められるのだ。

なぜならば、折伏路線から摂受路線への変更を正当化するために戸田氏の発言を恣意的に利用している可能性があるわけで、一種の歴史修正主義みたいなものだからである。

話を戻そう。

佐渡期までは厳しい御書が多いが身延期は優しいものが多い。これはかなり表層的な見方である。当たり前と言えばそれまでの話であって、それがそのままイコールで折伏から摂受への転換を意味するわけではない。

そもそも摂受と折伏の議論はほぼ佐渡期に限定されているのだ。身延期にはそうした議論が見られない。これを表層的に折伏から摂受への転換と勘違いしてはいけない。なぜならば大聖人御自らが身延期は摂受であるとも言わないし、折伏とも言わないのである。

日蓮御房は師匠にてはおはせども余りにこはし。我等はやはらかに法華経を弘むべし・・・

佐渡御書の一節である。この直前の御書が開目抄であり、直後の御書が富木殿御返事である。

摂受・折伏の二義は仏説に任す。敢へて私曲に非ず。

なぜに佐渡期において摂折論が起こったかは手に取るようにわかることである。大聖人の弟子には臆病者がたくさんいて、竜の口を契機にたくさんの退転者が出た。ところが退転者は自らを退転者とは言わない。いつの時代も同じことだが、自己正当化を図るのである。それが摂折論の出発である。

本来的には法華弘通が目的である。しかし、これまたいつの時代も同じであって、熱心になればなるほど軋轢が生じる。その最大のクライマックスが竜の口である。もはや摂受とか折伏などという言葉の問題ではないのだ。法華経を弘めれば必ず起こるのである。

ところが退転者たちは烏滸がましくも大聖人を批判したわけである。弘め方が間違っているのだと。

つまり、摂受だとか折伏という言葉を持ち出したのは退転者たちであって、自分たちの立場を正当化するためにもっともらしい理屈を捏ねたというのが真実である。

ゆえに先ほども書いたように、大聖人は身延期においてはそれほど摂折論に熱心ではなかった。

駿河国実相寺の住侶尾張阿闍梨と申す者・・・

建治四年の実相寺御書である。かなり難解な御書なので細かい引用は控えるが、これが摂折論の延長線上にあることは論を俟たない。

実を以て権を破する者を盲目と為ば、釈尊は盲目の人か、乃至天台・伝教は盲目の人師なるか、如何。

当該御書には摂受の語も折伏の語も存在しない。ただし、上掲が法華折伏破権門理に近接する御指南であることは、誰もが想像し得るところである。

結論として、大聖人は折伏の語に拘泥されてはいないものの、大まかには折伏志向であられたと考えて差し支えないだろう。

佐渡流罪が終わるまでの御書は厳しく激しいものが多いが、身延に入られてからのお手紙にはお優しいものが多い。

再掲である。わかり切ったことを言うと、大聖人は弟子には厳しかったが檀那には優しかった。当たり前の話である。それを摂折論に持ち込もうとするのが間違いなのである。また、檀那と書くと男性をイメージしてしまうわけだが、いわゆる女房あての御書もたくさんある。大聖人の御優しさが溢れんばかりの御書たちである。

2020/3/26  7:33

投稿者:.
名無し氏との議論は避けるのか?

2020/3/24  20:08

投稿者:名無し
折伏と摂受を正しく理解せず、感覚や思い込みで論じている馬鹿キチガイが多すぎて笑えるww

>>つまり、摂受だとか折伏という言葉を持ち出したのは退転者たちであって、自分たちの立場を正当化するためにもっともらしい理屈を捏ねたというのが真実である。


下の馬鹿キチガイ元顕への当てつけだろうか??ww

法華講を名乗りながらパチンコや中二病を拗らせた趣味に走り個人ブログで日蓮正宗を貶める馬鹿キチガイ
女にフラれたぐらいで罰だなんだと一喜一憂して『お前が入信すれば俺は幸せになれるんだ』と言わんばかりの見苦しい勧誘活動する馬鹿キチガイ
そんな馬鹿キチガイを囲って数集めに必死なトチ狂った老害さん

日蓮正宗を貶める馬鹿キチガイ元顕は早く消えてほしい
こういう馬鹿キチガイ製造機の顕正会も消えてなくなってほしい。

2020/3/24  9:00

投稿者: .
相手にものすごく厳しいことを言うのは、その人自身が辛
くてどうにもならないときである。

2020/3/23  19:45

投稿者:沖浦克治
 嚴虎さん、今晩は。

 戸田先生の引用元はレコードの音源からですが、調べるのは時間がかかりすぎますのでご容赦下さいませ。
 確実にございますので。

 大聖人の仏法が完成したのが佐渡ですから、当然訪問の大事は佐渡における大聖人のお立場が反映したものです。

 折伏を前に出し、摂受は否定されているとされます。
 然しながら、他の御書では摂受も折伏をあると言われ、佐渡御書の冒頭はそれで始まっております。

 『仏法は摂受折伏時によるべし譬えば世間の文武二道の如しされば昔の大聖は時によりて法を行ず』
 (佐渡御書)

 更に、

 『是くの如き高貴の大菩薩三仏に約束して之を受持す末法の初に出で給わざる可きか、当に知るべし此の四菩薩折伏を現ずる時は賢王と成つて愚王を誡責し摂受を行ずる時は僧と成つて正法を弘持す。』
 (如来滅後五五百歳始観心本尊抄)

 末法の初めに四菩薩が出現し、折伏と摂受を駆使して法を広めると書かれています。

 以上のごとく、末法は折伏に限ると言う思想は大聖人にありません。

 私見ですたが、折伏は法の正邪浅深を前に出して布教を行い、摂受は法を持った行者の姿を以て法を広めます。
 御書には摂受の姿を以下にお書きです。

 『されば過去未来を知らざらん凡夫は此の経は信じがたし又修行しても何の詮かあるべき是を以て之を思うに現在に眼前の証拠あらんずる人此の経を説かん時は信ずる人もありやせん。』
 (法蓮抄)

 

 

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