2020/3/29

リンシャ  
引き続き沖浦氏からコメントが寄せられている。ひじょうにありがたいことだが、今日は久しぶりに顕正新聞を読んでいきたい。第1501号である。

 この「我等」とは、日興上人とお二人ということ。

二月七日の日興上人会における会長講演である。上掲は最蓮房御返事を引いての解説であるが、わたくしには疑問である。この点、宗門や創価学会ではどのように解釈しているのだろうか?

我等は流人なれども身心共にうれしく候なり。大事の法門をば昼夜に沙汰し、成仏の理をば時々刻々にあぢはう。

ようするにここでの我等を大聖人と日興上人の二人であると言っているわけだが、普通に読めば大聖人と最蓮房の二人のはずなのである。いつも言っているように文章は部分ではなく全体を把握しなければいけない。差し当たっては前後の文脈が重要である。

 夕さりは相構へ相構へて御入り候へ。得受職人功徳法門委しく御申し候はん。

これはいわば追伸部分の御文である。ところが御書全集ではこれが冒頭に置かれている。当然ながら最新の研究を踏まえて編纂された平成新編の表記が正しいのだろう。次のページには得受職人功徳法門抄が掲載されていることからしても、そのように考えるのが自然である。ちなみに御書全集ではなぜか当該御書が掲載されていない。

また、我等は流人なれどもの後ろには、次の一文がある。

貴辺の御勘気・・・

つまり、最蓮房も流人なのである。さらにもう一つ、我等は流人云々の前に目を転ずると、次の一節を拝することができる。

 何となくとも貴辺に去ぬる二月の比より大事の法門を教へ奉りぬ。結句は卯月八日夜半寅の時に妙法の本円戒を以て受職潅頂せしめ奉る者なり。

前後の文脈がいかに大切であるかを示して余りある事例と言えるだろう。

受職潅頂・・・

御入り候へ・・・


この二人は単に書簡でのやり取りだけではなく、実際に対面して法門談義をしていたことが窺えるのである。

特に受職潅頂はいわゆる御受戒の原形とも考えられるところであり、思えば顕正会ではまったく教えていない部分なのである。都合が悪いから教えないのだろう。

以上、わたくしは一読して我等とは大聖人と最蓮房だろうと理解したし、前後の文脈からしてもこの点は疑い得ないと思う。

「一期弘法付嘱書」(重須本門寺・日耀の臨写。「臨写」とは御真跡そのままに書き写すこと)

顕正会にしては珍しく詳しい解説である。掲載されている写真で特徴的なのは、冒頭の一字が飛び出していることであり、途中にも飛び出している箇所がある。現代国語では書き出しを字下げし、改行のたびに字下げする。拙ブログではそこまでしていないわけだが、それはわりと最近の文字入力では当たり前になっているのでそれを踏襲しているだけの話である。ともかく日蓮の日、国主の国が飛び出している。くだんの僧侶が大聖人の御筆のままを書き写した。それが臨写ということなのだろう。では大聖人はどのような意図でそのように認められたのだろうか?

ともかく顕正会では二箇相承の信憑性を高める意味で上掲のようなキャプションを入れたのだと思われる。昔から偽書説が喧しく、今ではネット上にそうした情報がたくさん出回っている。見るなと言っても見る人は見るのである。ゆえに顕正会では、今でこそ御真蹟が所在不明となっているものの、かつては存在しそれをそっくりそのまま書写したものが残っている、ということを言外に主張しているわけなのだろう。

わたくし自身はそうした分野に疎いので真偽については深入りしない。以前から言っている通りである。

ただし、前述の話題のごとく、御書の拝し方については言いたいことを言わせてもらうつもりである。どんだけ偉い人が言っていようとも間違いは間違いであるし、明らかにおかしいと思えばそれに疑問を呈する。もちろん自分が間違っている場合もある。その時は間違いを認める。それがあるべき姿だろう。

2020/3/30  20:36

投稿者:名無し
投稿者:名無し


>沖浦氏からコメントが寄せられている。ひじょうにありがたい

権実相対に執着する謗法者のツッコミどころ満載の釣り餌に喰いついて、破折気取りでご満悦なブログが書けるので有難いなどと謝辞を述べるとは、信心が狂っているとしか思えない。
馬鹿キチガイの大沢、過去に逃げ諂ったトチ狂った老害さんといい、ココのツマラナイブログ主といい、教学偏差値の一番低い顕正会崩れの信心の無さ、無道心、頭の悪さにはあきれるばかりだ。

根源の末法下種の御本仏と、時の法主を同列に並べ異流儀を誹謗する宗門僧侶、下種仏法を受持しただけの凡夫と大聖人様を同列に扱い軽んずる創価ガッカリさん
これを正しいというのであれば、発迹顕本、下種本仏の成道を日蓮大聖人様と同じように成して実証するべきである。

実証できるはずもなく下種本仏を軽んずる輩に謝辞など述べるなど信心無き無道心の馬鹿キチガイ所業でしかない。

このような馬鹿キチガイ製造機の顕正会が一日も早く消えて無くなりますように

2020/3/30  18:16

投稿者:沖浦克治
 御書には、釈迦が何故権経から説いたかを明らかにされています。

 民衆の機根が無視できないからだ。

 ここは仏法が他の教えと根本的に異なる部分です。
 仏は出現しますが、衆生が仏を感じそれに応じて世に出ます。
 衆生が感じない限り仏は出ません。
 人がいない所に仏が出ても無意味です。
 ですから、
 
 衆生が主、仏は従。
 衆生が本、仏は迹。
 
 御書には、
 
 『然れば釈迦仏は我れ等衆生のためには主師親の三徳を備へ給うと思ひしに、さにては候はず返つて仏に三徳をかふらせ奉るは凡夫なり、』
 (諸法実相抄)

 このご文を素直に読むことが御書を理解し、大聖人仏法を分かり、創価思想を広める必須条件です。
 日蓮正宗では、

 本仏は日蓮一人、故に、このご文も総別の二義で拝せねばならない。

 これがダメなのです。
 衆生のために仏が出る。
 AのためのBならば、Aは目的Bは手段。
 日本語はそうなっています。
 仏法は仏を含んで手段で、衆生は目的。
 
 すっきり理解しましょう。
 一切衆生が等しく本仏であって、私共は現在の境涯に無関係に100%の仏。
 これを大聖人は、

 『然れば久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ全く差別無しと解りて妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、此の事但日蓮が弟子檀那等の肝要なり法華経を持つとは是なり、』
 (生死一大事血脈抄)

 以上のご文を素直に受け入れましょう。

2020/3/30  9:43

投稿者:                                .
信徒増は元顕のお陰という現実w

2020/3/30  7:32

投稿者:沖浦克治
嚴虎さん、 おはようございます。

 御書と人間革命の関係ですが、私は人間革命は御書を現代に開いた体験に基づく解説書に思えます。
 SGIメンバーの体験発表を読むと、御書の引用はほどんどありませんが、人間革命と池田先生の指導は頻繁に出てきます。

 要は、人生の指針としての御書ではなく、人間革命や池田先生の指導がそれにあたっています。

 今後、大聖人本仏論はなくなって、一切衆生本仏思想が創価学会に採用されるでしょうし、既にSGIではそうなっています。
 
ですので、ある意味御書を真剣に学ぶ最後の世代となる私共かもわかりません。
 
 その意味からも御書を今真剣に学ぶべきでしょう。

2020/3/29  21:57

投稿者:名無し
>沖浦氏からコメントが寄せられている。ひじょうにありがたい

権実相対に執着する謗法者のツッコミどころ満載の釣り餌に喰いついて、破折気取りでご満悦なブログが書けるので有難いなどと謝辞を述べるとは、信心が狂っているとしか思えない。
馬鹿キチガイの大沢、過去に逃げ諂ったトチ狂った老害さんといい、ココのツマラナイブログ主といい、教学偏差値の一番低い顕正会崩れの信心の無さ、無道心、頭の悪さにはあきれるばかりだ。

根源の末法下種の御本仏と、時の法主を同列に並べ異流儀を誹謗する宗門僧侶、下種仏法を受持しただけの凡夫と大聖人様を同列に扱い軽んずる創価ガッカリさん
これを正しいというのであれば、発迹顕本、下種本仏の成道を日蓮大聖人様と同じように成して実証するべきである。

実証できるはずもなく下種本仏を軽んずる輩に謝辞など述べるなど信心無き無道心の馬鹿キチガイ所業でしかない。

このような馬鹿キチガイ製造機の顕正会が一日も早く消えて無くなりますように

2020/3/29  17:22

投稿者:沖浦克治
 次に百六箇抄からです。

 就中、六人の遺弟を定むる表事は、先先に沙汰するが如し云云。但し直授結要付属は一人なり。
白蓮阿闍梨日興を以て総貫首と為して、日蓮が正義悉く以て毛頭程も之れを残さず、悉く付属せしめ畢ぬ。
上首已下並に末弟等異論無く、尽未来際に至るまで予が存日の如く、日興嫡嫡付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり。
又六人の上首の外・或は我が直弟と号し別途の建立を構え六老僧をないがしろにする事なかれ、或は又末代において経巻の相承直授日蓮と申して受持知識を破らんが為めに元品の大石・僧形と成つて日蓮が直弟と申し狂へる癖人出来し予が掟の深密の正義を申し乱さんと擬すること之れ有らん、即ち天魔外道破旬の蝗蟲なり上首等同心して之れを責む可きなり。
 
又五人並に已外の諸僧等、日本乃至一閻浮提の外万国に之を流布せしむと雖も、日興嫡嫡相承の曼荼羅を以て本堂の正本尊と為すべきなり。
所以は何ん、在世滅後殊なりと雖も付属の儀式之同じ。譬へば四大六万の直弟の本眷属有りと雖も、上行菩薩を以て結要の大導師と定むるが如し。
今以て是の如し。六人以下数輩の弟子有りと雖も、日興を以て結要付属の大将と定むる者なり。
又弘長配流の日も、文永流罪の時も、其の外諸処の大難の折節も、先陣をかけ、日蓮に影の形に随ふが如くせしなり。誰か之を疑はんや。
又延山地頭発心の根元は日興教化の力用なり。遁世の事甲斐の国三牧は日興懇志の故なり。
 
 ここも堀さんがアンダーラインを引いていて、後世の加筆なんです。

 日興さんが唯受一人とする個所は全て後世の加筆です。
 これは、二箇相承が偽物の証拠です。
 本物があるなら、こういう傍証は必要ありません。
 

2020/3/29  17:20

投稿者:沖浦克治
 嚴虎さん、今日は。

>ともかく顕正会では二箇相承の信憑性を高める意味で上掲のようなキャプションを入れたのだと思われる。昔から偽書説が喧しく、今ではネット上にそうした情報がたくさん出回っている。見るなと言っても見る人は見るのである。ゆえに顕正会では、今でこそ御真蹟が所在不明となっているものの、かつては存在しそれをそっくりそのまま書写したものが残っている、ということを言外に主張しているわけなのだろう。

 二箇相承ですが、これは偽物でしょうね。
 何故ならば本因妙抄を読めばわかりますが、

 去る文永の免許の日、爾前迹門の謗法を対治し、本門の正義を立て被れば、不日に豊歳ならむと申せしかば、聞く人毎に舌を振い耳を塞ぐ。
其の時方人一人も無く、唯我と〈日蓮〉与我〈日興〉計りなり。

 ここには堀上人がアンダーラインを引いています。
 これは後世の加筆だとの判断です。

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