2020/5/12

ダラクソウ  
沖浦氏の今朝のコメントについて簡単に触れておこう。

堕落僧の仕業

バカの習慣


刺激的な表現がたくさん出てくるが、こういう話は法華講員のブログにでもコメントすべきだろう。わたくしに言っても詮無いことである。

前回も書いたように、宗門のやっていることは伝統であり、細かい点では大聖人の時代に遡源できないにしても、基本的には大聖人の時代から続いていると考えるべきだと思う。ただし、以前の拙ブログでは葬儀が簡略化されつつある現代事情を鑑みて、もしかしたら宗教そのものがオワコンになりつつあるのではないかと問題提起したことがある。つまり、以前であれば葬儀に僧侶を呼ぶのが普通であって、この点は正宗であっても他宗他門であっても同じだった。ところが近年は僧侶を呼ばない人も増えてきた。こうした時代の流れの中で、正宗だけが頑なに僧侶の必要性を云々しても、いずれは誰も耳を貸さなくなるかもしれないのだ。この点においてわたくしと沖浦氏との差異をあえて挙げるとすれば、氏は頭ごなしに正宗を否定している雰囲気が濃厚であるが、わたくしは違うということである。むしろわたくしは、時代は確実に変わりつつありますよ、どうするのですか正宗さん、という問い掛けをしているわけである。

もっともオワコンという意味では創価学会も例外ではないのかもしれない。

現状、創価学会は公明党の支持団体として存在価値を有するのであって、宗教としての価値には疑問符を付けざるを得ないと思う。実際、後継者が育っていない。たとえ両親が熱心な創価学会員だったとしても、その子女が熱心とは限らない。では新規の会員がどのくらい増加しているのかということになるが、あまり捗々しい話は聞かない。

また、公明党の存在価値にも疑問符が付く。

以前は自民党の暴走を牽制する立場と言われていたし、創価学会員もそれをいわばウリにして支持拡大の運動を展開していた。ところが現実にはそうではないことがハッキリしている。問題はこれからで、自民党がいつまでも天下を取っているとは限らない。自民党そのものがオワコンになるかもしれないのだ。さて、それが事実となったら公明党はどうするのだろうか? いや、逆かもしれない。今は潤沢なる創価学会票が期待できるものの、それが当てにならなくなれば捨てられるかもしれないのだ。

今のコロナ問題は人類にとって得難い教訓となっている。まさに凡夫には未来が見えないのだ。もちろん偉そうなことを書いているわたくしも例外ではない。

顕正新聞の続きを見て行こう。

 振り返れば、平成十年二月、浅井先生は「小田原地震切迫」との報に小田原の地に命がけで赴いて下さり・・・

五面の左側に婦人部小田原支区班長(神奈川)の記事がある。まさに浅井先生が凡夫であることを示す内容となっている。

ちょうど対比するのに好都合なのが右側の女子部第百五十七区総班長(熊本)の記事である。

 熊本地震から間もなく四年を迎えますが・・・

結局、小田原地震は来なかった。未だに来ないのである。地震予知の難しさを象徴する出来事かもしれない。当然、熊本地震も予知できなかった。

五面下段には見覚えのある話が載っている。

 実は顕正新聞を読んでから、「細井日達書写の本尊に祈っていたら大へんだ」と思い、すでに本尊をお巻きしていたのです。

五月五日の拙ブログを参照されたい。そこには婦人部宮崎支区総班長の記事が載っている。今回は本人の登壇記事である。ご本人は八十四歳だそうで、役職はない。

実は五面にはもう一つ取り上げるべき事案がある。

桜咲く本部会館・正門

ミツバツツジ


昨日のブログでも本部会館の四季を取り上げた。例の雪景色である。実はそれが同号の二面に載っていて、同号の五面には上掲が載っているのだ。チグハグ感が否めない。四季と謳っているものの、まさか同じ号に春夏秋冬が載ることはあるまい。それでは新聞の意味がない。強いて言えば、季節外れの雪化粧みたいな説明を付加すればまだしもだったろう。これらの写真は記事の文字量によっては空きスペースが生じてしまうので、その穴埋め的な役割を担っているのだと考えられる。それはそれで結構であるが、載せるからにはちゃんと考えて載せるべきだろう。

2020/5/16  9:33

投稿者:ダイアリー

2020/5/15  10:56

投稿者:沖浦克治
 無名さん、おはようございます。

 そういうこと書いているから仏法者になり切れないのです。
 せっかく私と同じご本尊に同じお題目唱えて勿体ないですね。
 過去の失敗は誰にでもあります。
 ナザレのマリアをご存じですか?

 信仰というものは、外道ですら一切の罪を許すことからスタートしています。
 仏法、殊更大聖人仏法なら猶更です。

 『 一日行房死去の事不便に候、是にて法華経の文読み進らせて南無妙法蓮華経と唱へ進らせ願くは日行を釈迦多宝十方の諸仏霊山へ迎へ取らせ給へと申し上げ候いぬ、身の所労いまだきらきらしからず候間省略せしめ候、又又申す可く候、恐恐謹言。』
 (四菩薩造立抄)

 裏切者の三位房の訃報に接してのお言葉です。
 ご自分のお身体の具合も良くない時にこのお言葉。
 貴方は何故このお気持ちに共鳴出来ませんか?
 更に、過悪をあげつらう事は怨嫉謗法と言っていくら題目を唱えても罰だけです。

 『「若し復是の経典を受持する者を見て其の過悪を出せば若しは実にもあれ若しは不実にもあれ此の人現世に白癩の病を得ん」等云云』

2020/5/14  21:11

投稿者:名無し
>人生はしくじるから面白いのです

家族に、職場に、学会に迷惑をかけておきながらよくそんなことが言えるなと呆れるばかりです。

一生懸命、嘘偽りなく、取り組んだ結果の失敗しくじりは許されることはあっても、悪事。道徳やルールを逸脱した行為、信心から外れる行為は、面白いものでも許されるものでもありません。


―神戸市 2職員、停職―
―雑誌に載り公に―
―「仕事は無理だが、スキーならできた」―

(『毎日新聞』040718東京朝刊)

 病欠として仕事を休んでスキー大会出場を繰り返していたとして、神戸市が市環境局の50代と30代の男性職員2人を懲戒処分(停職)にしていたことが17日、分かった。スキー大会のホームページ(HP)や専門雑誌に2人の成績が紹介されていたため発覚。30代の職員は「仕事はできなかったが、スキーならできた」、50代の職員は「問題ないと思った」と話しているという。
 同市によると、02年11月〜04年3月に50代の職員は計22日、30代の職員は計7日、腰などの痛みを理由に診断書を提出して欠勤。兵庫、長野、新潟各県のスキー大会に出場していたという。
 2人は市役所スキー部員。「さぼってスキーをしている」という情報があり、市が調べたところ、病欠の日にあった大会で50代の職員がシニア部門で優勝するなど2人が好成績を収め、大会HPやスキー雑誌などに名前や写真が掲載されていたことが分かった。
 処分は6月30日付で、50代の職員が停職6カ月、30代の職員が停職1カ月。

2020/5/14  8:13

投稿者:沖浦克治
 おはようございます。

 人生はしくじるから面白いのです。
 しくじってしくじってそれでもあきらめないで祈っていのって、勝ち取った勝利があるから生きるの止められません。
 人生って面白いですよ。

2020/5/13  21:17

投稿者:ダイアリー
まぁ・・何だな、いろいろあるさ人生は。

https://www.youtube.com/watch?v=H87FKIbHteo

2020/5/13  21:04

投稿者:沖浦克治
 はははははは!
 頑張れ〜!

2020/5/13  20:29

投稿者:ダイアリー
>反省???
>いいえ自分を褒めています。

誰が反省なんか求めてんだよ。んなもん、知ったこっちゃねえよw

2020/5/13  20:24

投稿者:沖浦克治
 ダイアリーさん、今晩は。

 論点をすり替える??
 不思議な事を言われますね。

 反省???
 いいえ自分を褒めています。

2020/5/13  19:56

投稿者:ダイアリー
論点のすり替えが、上手いな。アンタの「行為」を、批判してんだよ。
アンタの「行為」が、門下生としてどうなんだ?ってな。
そこには反論出来ないのか?

2020/5/13  18:32

投稿者:沖浦克治
今晩は。

 以前マイケルさんという方がよく書いていましたね。
 ダイアリーさんも彼と同じタイプです。
 他人の意見を揶揄するが自分の取り組みも意見も書かない。
 SNSをすることで最も損をする方です。

 リアルではそういう事をすると大切な部分は任せてもられません。
 社会的評価が得られないからです。

 ご本尊への祈りと同じですね。
 祈りが弱ければ叶いません。
 強ければ叶います。

 『但し御信心によるべし、つるぎなんどもすすまざる人のためには用る事なし、法華経の剣は信心のけなげなる人こそ用る事なれ鬼にかなぼうたるべし、』
 (経王殿御返事)

 祈りを願いと置きかえると理解出来ますが。
 誰かに何かをお願いする時、貴方にお願いしてもどうせダメだろうが、一応お願いします。

 これで相手が動く道理がありません。
 ダイアリーさんは同じことをSNSで書きなぐっています。
 書けば書くほど現実生活は厳しくなります。
 SNSを現実逃避で行う典型的な悪例です。

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