2020/7/14

ヨイヨイ  
このところダイアリー氏の活躍が目覚ましい。そもそもダイアリー氏がどのような経緯で拙ブログに常駐(?)するようになったのか、わたくしはまったく記憶していないわけだが、それはともかく改めて基本的なことを書いておこう。

わたくしはかつて顕正会員だった。今も正式な脱会には至っていないが、すでに離脱してから相当の年月が経過している。具体的には平成十六年の秋以降、一度たりとも会館には行っていない。この年、顕正会は百万を達成し、一国諫暁を開始した。ところがである。これがあまりにも手応えのないことに、おそらくは浅井先生自身が落胆したのだろう。また同時に、今まで頑張ってきた活動会員たちも疑問を感じ始めたのだと思う。あれ? 今まで思い描いていたものとは違うのではあるまいか? 百万を契機に一気に加速度がついてくると、そのように信じていた人たちには、それが拍子抜けするくらいの反響のなさだった。これが浅井先生にとっては脅威だった。活動会員たちがやる気をなくしてしまえば顕正会は一気に崩壊する。そこで目先を変えたのだ。一国諫暁は文字通り、一国が相手である。それがこの年の八月に、突如として方針転換となる。なんと一国諫暁から宗門諫暁へ逆戻りしたのだ。

浅井先生の心中についてはわたくしの勝手な推測に過ぎないが、一国諫暁から宗門諫暁への逆戻りという客観的な事実は誰も否定できない。この必然性ないし必要性については何の説明もなかった。ゆえにわたくしは一国諫暁が失敗に終わったことを誤魔化すための手段だったのではないかと、そのように思わざるを得なかったのである。しかも日顕上人に対して阿部日顕という呼び捨てが始まったのもこの時からである。それ以前は阿部管長という節度のある表現で統一されていた。失礼ながら創価学会よりも遥かにマシだった。

ダイアリー氏の質問に答える意味では、わたくしは平成十一年四月まで時間を巻き戻すべきだと思っている。この時、いわゆる御相承の断絶が発表された。これが取り返しのつかない大失言で、おそらくは顕正会が迷走し出したのも、この時からなのだろう。

つまり、わたくし自身は平成十一年四月の段階で相当にヤバイと感じていて、それから数年の間にも疑問に感ずることがいくつかあり、最終的には平成十六年八月の幹部大会での会長講演をキッカケに離脱したということになる。

拙ブログの開始時期もおおむねその頃である。

そういうわけで主には顕正新聞の情報を拾っては、浅井先生の言っていることやっていることを批判したり、活動会員たちの非常識をあげつらったりと、気がつけば十五年ほど同じことを続けているわけである。

「立正安国」特集号

そこで今日も顕正新聞から話題を拾って行こう。第1511号は五月度総幹部会の記事で構成されているわけだが、ご覧のような名称が付されている。今回、浅井先生は六月と七月の二ヶ月で二万人の折伏をやろうと号令を掛けた。特に七月は立正安国論の月ということで、会長講演では安国論に相当に紙数を割き、結果として上掲のごとく謳ったわけなのだろう。

会長講演の前に一面に載る人事について書こう。相変わらず兼任が多い。

一例を挙げれば、男子部第七総部長は今回の人事で第四十男子部長兼第二隊長に任命されたそうである。もはやわけがわからない。

 このときの大疫病は、恐らく今の新型コロナウィルスのようなものと思われる・・・

さて、会長講演である。ヤブカラボウの引用で恐縮であるが、なぜそのように言えるのかが問題である。

 二〇年代に突入するや、突如、新型コロナウィルスが発生したのも、まさに諸天の働きですね。諸天の中でも「大日天子」すなわち太陽の働きによるものと、私は思っております。

根拠は何だろうか?

 まもなく新型コロナの第二波・第三波が引き金となって、世界大恐慌がこれから始まる。

当該講演は五月二十二日に行なわれたものである。ちょうど緊急事態宣言が解除になる直前であり、その意味では第二波・第三波の記述は先見の明があることになるだろう。この後、感染者数は減少傾向を続け、このまま終息に向かうと思われたが、ご存知のごとく、今月に入ってからは再び増加傾向に転じているのだ。

 この感染力の強大なることただ驚異です。

確かに通常のカゼやインフルエンザは冬場にピークを迎え、逆に夏場は減少するものである。これは誰もが経験的に知っていることであるが、コロナの場合はそれがまったく当てはまらない。ともかく現状の拡大傾向が第二波だとすると、これがいつまで続くか、そしてどれくらい拡大するか、予断を許さない状況と言えるだろう。

ただ、細かいことを言うと、世界大恐慌の引き金を云々する意味では、第二波・第三波はじゃっかん事実誤認の気味が感じられなくもないところである。

定義がいろいろあって、日本の場合は今が第二波かもしれないという話なのであって、世界的にはぜんぜん違うのである。ようするに世界全体で見ればまさに今が第一波の途上なのであって、その終息すらまったく見えていない状況なのだ。つまり、この状態が続けば間違いなく大恐慌に突入すると見るべきであり、すでに今現在だけでも相当のダメージであり、もはや第二波を待つ必要すらないとも言えるだろう。

失礼ながら浅井先生も凡夫である。

先ほども書いたように当該講演は五月二十二日である。国内においては自粛が功を奏したものか、当時はかなり落ち着いた状況だったので、浅井先生はその雰囲気のまま発言してしまったわけなのだろう。

 もし五年・六年と流罪が長引いたら、大聖人様の御化導に差し障りが生ずる。

これは何を根拠に言っているのだろうか?

わたくしが知りたいのは、これが浅井先生独自の見解なのか、それとも他に同様のことを言っている人がいるのか、である。

 いよいよ二〇年代こそ、広宣流布の決戦場であります。

これはもう、浅井先生独自の見解であり、他に誰も言っていないことである。

しかし、今すぐにダメというわけではないにしても、かなりアヤシイ発言になりつつあるのは事実だろう。

ご存知のごとく、今年はまさに二十年代の第一年目に相当する。浅井先生は上掲の発言を数年前から続けてきた。昨年まではまったく問題なかった。文章としては、である。ところが今年は二十年代に突入してしまったわけである。ごく単純に、昨年までと同じことを言っていたらおかしいだろう。

ただ先ほども書いたように、今すぐにダメというわけではない。

いよいよ二十年代こそ・・・

言語感覚として、これがいつまで通用するかである。例えば、いよいよ本年こそ、というフレーズがいつまで使えるかが問題である。わたくしの感覚では三月末くらいだろうか、あるいは年度初めの四月いっぱいをギリギリセーフとするべきか、という感じになる。それが九月だとか十月あたりになっても同じことを言っていたら相当におかしいだろう。

すでに過去の発言との整合性からすると、浅井先生の言っていることはおかしなことばかりなのだが、ここで問題にしているのは別の話である。つまり、単独で読んでもおかしな感じのする文章だとすると、もはやオシマイだとわたくしは言いたいのである。日本語能力が著しく欠如していることになるからだ。それではごく普通の常識人には通用しない。誰も入信しない。

いわゆる浅井先生のご見識を持ち上げたいのであれば、こうした文章の基本的なところから見直さないとダメだろう。

2020/7/18  9:34

投稿者:ダイアリー
プライドの高さが、自身の成長を妨げてるという事実に、気付いたほうがいい。
間違いは、誰にでもある。
間違いを、間違いとして認める事も重要。(別に謝罪等を求めているわけではない。)
間違いを間違いと認めた上で、二度と同じ間違いを繰り返さないと自省し、更なる高みを目指す。
それでいいんじゃないか?

2020/7/18  8:58

投稿者:大沢克日子
沖浦さん

「文底下種の法門を以て観心と名づく」
のですよ?

>これまでの相対は竹の中の薄い膜を隔てるようなものです。
そして法華本門と迹門の異なりは、大聖人仏法からすれば、やはり竹膜を隔たる様な差異でしかありません。
何故か??
自行の唱題と、自行化他に亘るお題目の異なりです。

「学者応に知るべし、所説の法門実に天地の異なり有りと雖も、若し文底独一本門真の事の一念三千に望むる則んば只竹膜と成ることを。」

沖浦さんは頻りに騒ぎ立てていますが、沖浦さんは、大沢が言わんとするところと沖浦さんが言っていることは「実は同じ」ことに気付いていませんし、沖浦さんは日寛上人を誹謗中傷しながら、日寛上人の御教示に色濃く影響されていることにも気付いていません。

「今大弐、莞爾として云はく、此の難太だ非なり、何となれば権実本迹倶に法体に約す、故に是れ一例なり。若し其れ読誦は修行に約す、故に時に随って同じからず。」

教判の権実相対と、末法の衆生の修行相である文底下種の法門(観心)を混同して騒いでいるのですから、
「克治尚修行を以て法体に混乱す」
でしょう?

沖浦流法門の根本的な問題を挙げれば、沖浦さんの主張したい結論ありきの議論なのです。

つまり、御戒壇様と血脈否定のために、曼荼羅御本尊正意や草木成仏義を歪め、さらには三大秘法も歪め、一大秘法は本門の題目、他宗の題目にも功徳…などと言うようになって、しかも本人は気付いていません。

富士の御法門と身延の影響を、分別できずに無意識に利用しているので、自分で何を言っているのか理解できないのでは?

他者に対し極めて不寛容な、「沖浦さんの主張を押し通すための議論」は、信仰に限らず世事においても見られる姿勢です。

だから、他者と議論できず、沖浦さんの考えの押し付けになって、沖浦説に賛同しない人とトラブルになるのです。

そして、沖浦さんが狭量・不寛容である故に、他者からもそうされているという被害妄想に陥り、押し付けだなんだと騒ぎ立てるのでしょう。

しかも、何年も何十年も無用無益な莫迦げた議論をしているのですから、これほど無駄な話はありません。

言えば言うほど化けの皮が剥がれますから、もう止めておいた方が良いですよ?

2020/7/18  6:55

投稿者:ダイアリー

2020/7/18  6:48

投稿者:ダイアリー
>戒壇本尊などという偶像崇拝をする宗派

残念、それが創価学会を含む「日興門流」ですw
嫌だったら、日寛上人猊下が書写あそばされた
御本尊様を、「信仰の対象」とするのはお止めなさいw
何言ってんだかw

2020/7/18  6:45

投稿者:ダイアリー
>何時も言いますが、貴方が日寛さんという習い損な
いを支持され、戒壇本尊を本懐とするのは全く問題ご
ざいません。
>自分達だけでご満足なさい。
>それだけの事です。

残念ながら「信教の自由」は、憲法で保障されてい
る権利ですから法華講サイドは今後も、全面的に打
ち出して破折していくだけでしょうね。
自分は自由を主張し、相手には認めないな〜んて都
合のいい話が、ある訳ないじゃんwww

2020/7/18  6:32

投稿者:沖浦克治
>教義や宗派を論じる前に、まずはそこから努力して
ください。
トラブルを起こすのが趣味で、わざとやっているのな
ら仕方がありませんが、周囲の人々が迷惑しますの
で、そんな人物は身延でも何処でも、好きな所に行っ
た方が良いでしょう。

 極めて単純で仏法の基本中の基本ですが、偶像崇拝
は禁じられています。
 戒壇本尊などという偶像崇拝をする宗派は仏法では
ありません。

 これは中世の天動説と同じです。
 対して仏法は地動説。

 当然戒壇本尊本懐などと言う物は日蓮仏法にはござ
いません。
 御書にないのです。

 『若し証拠なくんば誰人か信ずべきや、かかる僻事
をのみ構へ申す間邪教とは申すなり、』
 (祈祷抄)

 戒壇本尊本懐を唱えると日蓮仏法では邪教となりま
す。
 但し、日蓮正宗がそれを内部で採用する事は自由で
す。
 他宗に強要すると邪教です。

 話を戻しますが、私が御書を引用して日蓮正宗の稚
拙な教義を打ち破ります。 
 当然貴方がご迷惑ですね。
 周りが迷惑ではなく、戒壇本尊を偶像崇拝する人は
迷惑です。
 この点正しく表現できる能力を養って下さいませ。

 何時も言いますが、貴方が日寛さんという習い損な
いを支持され、戒壇本尊を本懐とするのは全く問題ご
ざいません。
 自分達だけでご満足なさい。
 それだけの事です。

2020/7/18  6:26

投稿者:ダイアリー
大沢さん こちらをご覧になっている、顕正会員も同じ気持ちだと思います。
延々と同じ話を繰り返されても、新鮮味がない。
またか・・って感じだし。

2020/7/18  6:08

投稿者:沖浦克治
 大沢さん、おはようございます。

 権実相対は実経である法華経と、権経である爾全経
の相対です。

 『法華経の迹門は過去の三千塵点劫を演説す一代超
過是なり、』
 (聖人知三世事)

 一代超過と仰せです。
 権経である爾前経と実教である法華経の差が隔絶し
ている。
 
 実経である法華経には本門と迹門があります。
 その相対は極めて大きなものです。
 権と実の差と比較して桁違いです。

 『又法華経等の十巻に於ても二経有り各序正流通を
具するなり、無量義経と序品は序分なり方便品より人
記品に至るまでの八品は正宗分なり、法師品より安楽
行品に至るまでの五品は流通分なり、其の教主を論ず
れば始成正覚の仏本無今有の百界千如を説いて已今当
に超過せる随自意難信難解の正法なり、過去の結縁を
尋れば大通十六の時仏果の下種を下し進んでは華厳経
等の前四味を以て助縁と為して大通の種子を覚知せし
む、此れは仏の本意に非ず但毒発等の一分なり、』
 (如来滅後五五百歳始観心本尊抄)

 三千塵点を説く凄い教えであるが、未だ釈迦の本意
ではない。

 本門と迹門はどう異なるのか?

 『又本門十四品の一経に序正流通有り涌出品の半品
を序分と為し寿量品と前後の二半と此れを正宗と為す
其の余は流通分なり、其の教主を論ずれば始成正覚の
釈尊に非ず所説の法門も亦天地の如し十界久遠の上に
国土世間既に顕われ一念三千殆んど竹膜を隔つ、又迹
門並びに前四味無量義経涅槃経等の三説は悉く随他意
の易信易解本門は三説の外の難信難解随自意なり。』
 (如来滅後五五百歳始観心本尊抄)

 これまでの相対は竹の中の薄い膜を隔てるようなも
のです。

 そして法華本門と迹門の異なりは、大聖人仏法から
すれば、やはり竹膜を隔たる様な差異でしかありませ
ん。
 何故か??
 自行の唱題と、自行化他に亘るお題目の異なりで
す。

 ここまで先ず真剣に御書を学んで理解しましょう。
 でないと、戒壇本尊など言う与太話に引っかかった
ままです。

2020/7/18  1:05

投稿者:大沢克日子
沖浦さん

莫迦みたいな議論を延々続けても仕方がありませんので、あなたのデジタル脳の悪癖をもう一つ挙げておきます。
小池都知事のセリフみたいですが、しっかりお考えいただきたいと思います。

一念三千の法門は但法華経の(権実相対)・但本門寿量品の(本迹相対)・但文底に(種脱相対)秘沈されており、文底秘沈の事の一念三千の法体を顕したのが三大秘法の御本尊です。

そして、
「文底下種の法門を以て観心と名づく」
「是れ自力の観心に非ず」
「本尊の徳用に由って即ち観心の義を成ず」
のですから、法華本門の観心の意からは、爾前・迹門・文上本門は教相に属するとされています。

>一生成仏抄は何をお説きになられているのか?
お題目を唱える姿勢と、信じ方です。

大聖人様の文底下種の仏法から見れば、従来の釈尊の仏法は、文上本門も含め全て摂取されます。

一方、五重相対はまさに教判です。
沖浦さんは、大聖人様が佐渡以前において、御化導の当初に権実相対をもって邪宗を破折し、法華経正意を示され、題目流布を表として折伏弘教遊ばされたことと、末法の衆生の修行相(観心)を混同して、
「権実相対ではない」
と騒いでいるのでは?

文文句句に執着して批判するのではなく、相手が何を言わんとしているのか、良く考えてコメントしてください。

そうすれば、無用無益な議論を延々と繰り返すことも、他人とトラブルを起こすことも無くなるでしょう。

教義や宗派を論じる前に、まずはそこから努力してください。
トラブルを起こすのが趣味で、わざとやっているのなら仕方がありませんが、周囲の人々が迷惑しますので、そんな人物は身延でも何処でも、好きな所に行った方が良いでしょう。

これ以上言いませんが。

2020/7/17  21:24

投稿者:大沢克日子
沖浦さん

何をおっしゃっているのでしょうか。
思いっきり間違っています。

大聖人様の佐前の御化導においては、当時跳梁跋扈していた、権大乗に依拠する諸教を破折し、法華経正意を明らかにされたのですから、「権実相対」です。

あなたは佐前の御化導の中の「立正安国論」について触れていましたが、大聖人様は権実相対の立場から、法然の念仏宗を破折されています。

沖浦さんは思いっきり勘違いしていますが、「種脱相対」だから他の四つの意義がなくなる訳ではありません。
「五重相対」なのですから。
沖浦さんのデジタル脳の悪癖が出ていると思います。

そして、沖浦さんが大聖人御一代の御化導を「種脱相対」を言うのなら、何故わざわざ

>法華本門では直達正観の自行化他の南無妙法蓮華経は説かれません。

などと言ったのですか?

御自身の頭の中で整理できておらず、言っている内容も理解できていないのでは?

沖浦さんは、やはり御書を持っておらず、検索システムである言葉を検索するだけのようですね?

御書検索システムは便利ですが、文や語句のみに捉われ、全体の意味や背景を弁えない、いわば「守文の徒」のような拝し方になっているのでは?

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