2020/8/29

チンチャク  
昨日、安倍首相の辞任会見が行なわれた。これについてはこの先いくらでも書く機会があるだろうから、今日のところは何も書かないことにする。

さて、大沢氏からのコメントである。

氏は常に冷静沈着であり、その態度・振る舞いには敬意を表するものであるが、内容的にはとうてい肯ずることのできないデタラメさである。いや、もちろん、宗門側の論客としては第一級であり、きわめて模範的なことを書いているのだと思われる。その意味では氏がデタラメなのではなく、やはり宗門がデタラメなのだろう。

なお、ここでハッキリしておきたいのは、わたくしは必ずしも顕正会側の論者ではないことである。昭和四十年代の種々の浅井発言について、たぶん会員たちには言えないことをここに明言しておこう。先生も未熟だった。ゆえに当時のことは武勇伝として語られるものの、今現在、当時の書籍はほとんど非公開になっている。第一回の記念すべき宗門諫暁書にしても池田会長あてのそれにしても、今は容易に入手することができない。わざわざ書籍として再刊する必要はないにしても、テキストデータとして誰もが読めるようにすることは可能なはずなので、ぜひそうするべきである。

完全主義者の先生としては恥ずかしくて見せられないのだろう。もちろん、それとは別の理由として、当時の事情に精通していない人が読むと誤読する可能性があるので、それを心配している意味もあるのだろう。

諸々の法相は所対によって異なると、さればいま猊下の仰せ給う「事の戒壇」とは、この広布の時の「事相」に約し給うものではなく、所住の法体の「事」に約し給うたものである。即ち、戒壇の大御本尊おわします所は何処・何方にても直ちに「事の戒壇」と定義せられたのである。

まさに典型的な事例である。

所住の法体の「事」に約す? まったくの意味不明である。これは先生が未熟なのではなく、宗門の主張がデタラメなだけなのかもしれない。それに先生は付き合っているのだ。

顕正会的には、猊下の御徳に傷をつけないように留意しつつ池田会長を破折している、ゆえに当時としてはこれがギリギリの線だった、というような説明になるのかもしれない。

 「あんた、二座の観念文には何とある。『事の一念三千』とあるでしょう。戒壇の御本尊は事の御本尊です。だから、その御本尊まします所は事の戒壇なのです」

基礎教学書からの引用である。この日達上人の発言に対し、浅井先生は次元が異なると一蹴した。いや、もちろん、一蹴は言い過ぎであるが、今日的にはそう言っても差し支えないだろう。つまり、浅井先生的には所住の法体の事に約す云々をデタラメとわかっていたものの、当時の状況からすれば日達上人に恥をかかすことなく池田会長を責めるためには、あのように書くしかなかったのかもしれない。

後年(昭和50年)、総本山第四十三世日相上人が残された日寛上人の御指南に関する古文書や、総本山第五十二世日霑上人、第六十世日開上人の「所住の法体の事に約し給う」御指南が明らかになるにつれて、「法体に約す事の戒壇」が、日達上人がにわかに仰せになったものではないことが明らかになります。

後年と書いているところが悩ましい。なぜに最初から出さなかったのかである。もっとも日開上人の御指南は最初から出していたわけだが、当初は出典をボカシた状態だった。

歴代上人の具体的な御指南については言及を控えるが、ここでわたくしが言いたいのは後年の別の意味である。つまり、大聖人がまったく仰せられていないことを後年、それもかなり後になって云々しているのが問題なのである。

寿量品の事の三大事

大沢氏の長文のコメントから見い出せるのは、ほぼ唯一これのみであろう。これを根拠に戒壇本尊所住を事の戒壇とするのは牽強付会も甚だしいところで、もし大聖人が御覧になっていたらバカかオマエはとおっしゃるに違いないのである。この直前には、理を案じて義をつまびらかにせよ、と仰せられている。先日来、わたくしの言っている何となくを連想させる云々を流用すれば、まさに義理の戒壇を彷彿とさせるくだりである。とは言え、それも厳密には間違いである。ここでの仰せは、道理に立脚して思索しなさい、というくらいの意味であり、その思索材料として次に重大な仰せをあそばすのである。

此の三大秘法は二千余年の当初、地涌千界の上首として、日蓮慥かに教主大覚世尊より口決せし相承なり。

これはかなり踏み込んだ仰せであり、御相伝書を除いた時にはほぼほぼあり得ない御指南である。ご存知のごとく、大聖人は上行菩薩の再誕であることを匂わすものの、なかなかズバリとは仰せられなかった。ゆえにかつてどこぞの大学教授は、この御書を偽書と主張していたくらいである。

上掲に続く御文の中に例の寿量品の事の三大事が出てくる。これは文脈上、三大秘法を言い換えたものと拝するべきで、ここで大聖人が仰せられていることは御自分の仏法の正統性に他ならない。

煎じ詰めれば、それは戒壇の大御本尊に他ならない。宗門的にはそのように言いたいわけなのだろう。

わたくしはそれを否定しない。

ただし、それが直ちに戒壇本尊所住を事の戒壇とする根拠にはならない。完全なる論理の飛躍であり、単なる連想・思い込みに過ぎない。

対他の破折として、「本門寺の戒壇を建立すべきは富士山」という、事相の事の戒壇が表に出るのは当たり前で、曼荼羅御本尊正意・御戒壇様が根源というのは当宗僧俗としては常識・前提の類なのかもしれません。

ここでかなりイジワルなことを言わせてもらうと、なるほど、当宗僧俗としては常識・前提の類とおっしゃる、つまりは内部規定ということですね、となるだろう。

念のため、繰り返し書いておこう。

わたくしも戒壇本尊本懐の立場である。法華講員から見ればイヤなヤツにしか映らないかもしれないが、立場的には同じである。しかし、戒壇本尊の所住が事の戒壇であることの根拠はどこにもない。これを何度でも強調しておきたいのである。

2020/8/30  18:31

投稿者:大沢克日子
巌虎さん

連続のコメントになっていますが、御宗門の古文書や資料の公開について。

日開上人の御説法について、巌虎さんは確かに最初から公開されていたものの、当初は出典をぼかしていた(取意)と疑問を呈しています。

これは御宗門や法華講や所属講中の見解ではなく、あくまでも私見になります。
当該御説法は文字通り、御開扉の折、大御本尊様に御目通りして賜るものです。

御先師日顯上人によれば、御戒壇説法は今は二大法要の折に限られるが、かつては一人でも初登山者がいる場合には、御法主上人が「御戒壇説法」をされていたと証言遊ばされています。

本来は御戒壇様を拝して賜るべき御説法ですので、御宗門内の記録として文書に残されていても、一般に公開はされなかったのでしょう。
私たち信徒としても、本来は登山してうかがうのが筋です。
(正本堂建立に前後して、「歴代法主全書」「富士学林研究教学書」も発刊されましたが、本来は御僧侶の研鑽向けの書籍のはずです)

未見の御説法・御教示が示されたからといって、偽書扱いして疑うのは、浅井会長の「信」の問題だと思います。
度々登山し、二大法要に際して御開扉を賜り、真剣に御説法を拝聴すれば、知ることができたのですから。

御相伝に関する文書に、大石寺における存在が明言されていないものの、傍系の写本の内容を日亨上人が校了遊ばされる形で、公開されているものもあるそうです。

古文書の全ては公開されていませんし、唯授一人の相承は秘伝ですので、内容が公表されていない=事実・証拠はないという観方をすると、道を誤ることになると思います。

たとえ文書が非公開・未公開であっても、大石寺の僧俗は歴代御法主・御住職の教導の下に信仰に励み、弟子分に徹することで、自然に当宗秘伝に触れることになります。

浅井会長もその観点から、顕正会のあり方を見直すべきでしょう。

2020/8/29  22:45

投稿者:大沢克日子
「今、戒壇の御本尊を拝するときに、どこからどこまでが人法である。どこからどこまでが義の戒壇、事の戒壇である。どこからどこまでが信の題目であり、ここだけ唱えれば行の題目であるなどと考えて、戒壇の御本尊を拝む人がありますか。すなわち三大秘法の根本は、一大秘法の戒壇の御本尊であります。これら三大秘法あるいは六大秘法と分別して説明するのは、戒壇の御本尊さまの根本に到達するための、ただ前提の説明に過ぎないのである。いま戒壇の御本尊に帰するときは、それらの説明をすべて超越した、独一本門の戒壇の御本尊でございます。もしそれを一一分別して拝むようならば真実の信心とはいえないのであります。それをあえて少しばかりの勉強にことを構え、そして戒壇堂がどうだとか、国立戒壇でなければならないとか、と言って宗門に悶着を起す者、それは真実の信心とはいえないのであります。
青年のみなさん、よくそういうところを考えてください。信心と学問と、別にしちゃいけない。ただ学問だけによって仏法を判断し、信心を判断しようと思うとたいへんなまちがいであります。
(略)
すなわち戒壇の御本尊安置の所は富士山本門寺すなわち今大石寺の正本堂であります。
我々は、決して正本堂、あるいは御宝蔵、あるいは奉安殿、一つとして戒壇堂などと称したことはございません。過去のお年寄の信者から聞いても分るとおりに、みなそれぞれの名前を持っておる。決して国立戒壇とか、人民の戒壇堂だとかは言うべきでない。御本尊様安置の場所は、すなわち本門事の戒壇であります。
(略)
事の戒法である。その戒法を唱える所が戒壇である。事の戒壇である。ゆえに御本尊なくして、事の戒壇というものはありえない。だから戒壇の大御本尊はすなわち戒壇の根源である。と日寛上人も仰せになっております。」
(法華講連合会第一回全国青年部大会)

平成十六年八月の御講義において、御先師日顯上人は、今は年二回、二大法要における御戒壇説法において、
「この所すなわちこれ本門事の戒壇、真の霊山、事の寂光土」
を、日寛上人の御指南をそのまま受ける形で、現時においては
「この所すなわちこれ本門根源事の戒壇、真の霊山、事の寂光土」
とするのが適切かもしれないと見解を述べられ、これからさらに未来に向けて、「因の広宣流布」に向かっての行業を進めていくと仰せになっています。

2020/8/29  22:28

投稿者:大沢克日子
「未タ廣布ノ時不至事相ノ戒旦御建立ナシトイヘトモ此道場即是事ノ戒旦真ノ霊山事ノ寂光ニシテ一度モ此砌ニ望ン輩ハ無始の罪障忽チニ消滅シテ三業ノ悪転シテ三徳ヲ成ゼンコト毛頭疑アルヘカラス南無妙法蓮華経々々

依雪山文庫蔵霑師正本令高芳謄写加写校了
昭和十三年十月十四日 日亨 花押」
(三大秘法談 富士学林研究教学書第二十三巻418頁)

いまだ広布の時いたらず
事相の戒壇御建立なしといえども
この道場すなわちこれ事の戒壇
真の霊山 事の寂光にして
一度もこのみぎりに望まん輩は
無始の罪障たちまちに消滅して
三業の悪 転じて 三徳を成ぜんこと
毛頭疑いあるべからず
南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経

雪山文庫 霑師(総本山第五十二世日霑上人)正本により こうばしく謄写せしめ朱をくわえ校了す
昭和十三年十月十四日
日亨上人 花押

「右等の御遺状の如く、事の広宣流布の時、勅宣・御教書を賜わり、本門戒壇建立の勝地は当国富士山なる事疑いなし。また其の戒壇堂に安置し奉る大御本尊、今眼前に当山に在す事なれば、此ノ所即是本門事の戒壇、真の霊山、事の寂光にして、若し此の霊場に一度も詣でん輩は、無始の罪障速やかに消滅し、三業の悪転じて三徳を成ぜん事、毛頭疑いあるべからず。
抑(そもそ)も、当山より授与する所の御本尊は、末法の一切衆生に御総与遊ばされたる此の大御本尊の御内証を、代々の法主唯授一人の相承を以て、之を写し奉り、授与せしむる事なれば、面々其の持仏堂に向いても、直ちに此の大御本尊を拝し奉る事よと相心得、受持信行する時には、其の所直ちに戒壇の霊地、事の寂光土なる程に臨終の夕に至る迄も、此の大御本尊忘れ奉らざる様に致さるべし。然るときは即身成仏決定として疑いなきなり。」
(日開上人全集「御戒壇説法」6頁)

2020/8/29  22:26

投稿者:大沢克日子
>「あんた、二座の観念文には何とある。『事の一念三千』とあるでしょう。戒壇の御本尊は事の御本尊です。だから、その御本尊まします所は事の戒壇なのです」
基礎教学書からの引用である。この日達上人の発言に対し、浅井先生は次元が異なると一蹴した。

巌虎さんの観点もあると思いますが、そもそも顕正会(浅井会長)が問題としたのは、現御宗門の事の戒壇の御見解が、従来と違うのではないか、という批判です。
端的に言えば、日達上人及び現御宗門の見解は、「ちがわない」のです。
そしてそれは、公開・未公開に関わらず、度々登山し、寺院参詣し、弟子分に徹し身を低くして、御法主上人の御指南、御住職の講義に日々接していれば、理解できたはずのことです。

日蓮正宗でも、唯授一人の血脈相承の内容は永遠に非公開です。また、日蓮宗で偽書扱いされていた三大秘法抄の日向写本が、ある日突然身延で公開されるようなこともあります。
所在不明になっている二箇相承(原本)も、いつどのような形で公開されるかわかりません。
(生きているうちに、朗報を耳にしたいものですが…)
資料がないから証拠がない、とする「学者読み」を元にすると、信仰においては道を誤りかねません。
日開上人御説法の後半を拝しても、また日達上人の御指南を拝しても、
「御本尊への信」
が根本にあるべきと感じています。

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