2020/9/12

ハカダンカ  
沖浦氏が講義らしきものを掲載している。あれは自分で考えて書いているのだろうか? もしそうだとしたら大したものである。もちろん教学的には異論のあるところだが、ともかく独力で講義ができれば相当の水準に達していると言えるだろう。何しろわたくし自身はまだそのレベルに達していないからである。

さて、顕正新聞の続きである。

女子部の組織系統がよくわからなくなっている。このところの顕正新聞には副総合女子部長の肩書きが出てこない。その代わりに女子部副部長が出てくる。副総合は廃止されたのだろうか?

必ずや御在世のごとく第二波・第三波が起こり・・・

女子部第十五総部長(中部)の発言である。六月二十七日時点でこれが言えたのは凄い。ご存知のごとく、七月に入ってから感染が拡大したからである。いちおう国内ではそれが第二波に相当するわけだが、問題はこれからである。今はまた少し落ち着きを取り戻しつつあるものの、この先はわからない。秋から冬に向かって今までとは比較にならない大波がやってくるかもしれないのだ。

次は婦人部である。

正系門家から大事の御遺命は完全に消滅したとき・・・

総合婦人部長もいよいよ衰えてきたようだ。上掲、「御遺命は」ではなく、「御遺命が」ではないかと思うのだが、いかがだろうか?

大師子吼ばっかり言っているから、こうなるのだ。

次は副総合婦人部長である。

決戦場到達と同時に「禁をとかれた」大聖人様のお申し付けに諸天が忽ちに動くさまを直接体感しつつ・・・

一般人が読んでもわけのわからない文章だが、顕正会でそれなりに教学を学んだ人ならばよくわかる話ではある。ただし、問題がある。前にも書いたはずだが、ではなぜに日本は比較的に感染者数ないし死亡者数が少ないのか、である。厳密にはアジア圏でいちばん悪い数字を出しているのが日本なのだが、それでも世界全体で見ればもっとヒドイところがたくさんある。現状、アメリカが最悪の状況であり、インドやブラジルも相当に深刻である。この点、どのように説明するのか、ぜひとも聞いてみたいものである。

婦人部第八総部長(首都圏・中部・近畿)の記事も拾っておこう。

いよいよ浅井先生が最終段階の諫暁を開始される序章・・・

毎回、同じツッコミを繰り返しているが、ご容赦願いたい。最終段階の初出は未確認であるものの、少なくとも平成十六年の頃には言っていただろう。いや、平成九年の頃にも言っていたかもしれない。つまり、平成九年ないし十六年の一国諫暁は最終段階ではなかった、けれども盛んに最終段階を云々していた、早い話がウソを言っていたのだ。

先生のご存在こそ「大善来たる」の瑞相・・・

同じ人物の発言である。まったく何を言っておるものかと思う。

総幹部会のネット配信に歓喜爆発

第五婦人部長(青森)の記事に付された見出しである。本文もご覧に入れたい。

今は動画配信によって時間や場所の制限なく足を運び・・・

気づけば五月度総幹部会の動画配信において、過去最高の五五二名の同志と拝聴が叶っており・・・

上段の意味は、おそらくタブレットのようなものを携行して、訪問先で視聴するわけなのだろう。下段はその成果として過去最高の視聴数を記録したと言っているわけである。

難しいところである。

いわゆるビデオ放映で同数が参加するのと動画配信によるそれとでは意味合いが異なる。わざわざ会館に足を運ぶという行為が尊いわけで、その意味からすると数字の価値がぜんぜん異なるのだ。ただ時代に即応している意味ではこれもアリなのだろう。よって、くだんの組織においては五百五十二名を起点にして、今後どれだけ数字を伸ばせるかが問われることになる。

ところでこの動画配信は一般人も視聴できるのだろうか?

例えばYouTubeであれば視聴回数だとか高評価・低評価の数、あるいはコメントなども自由に投稿できるはずなので、今現在の顕正会の概況がわかるようになる。ある意味、実態がバレバレということにもなるだろう。二百万を標榜していても視聴数が十万にも満たなければ、それが実数を物語ることになるのだ。しかもそれが一般人をも含めた数字だとすれば、ますます実働会員の少なさを露呈することになる。

 また、上行寺・本源寺および妙教寺周辺の住民は、ただの墓檀家であり・・・

婦人部登米支区部長(東北)の記事である。話が脱線して恐縮であるが、しばしばダイアリー氏が紹介しているリンク記事には、創価学会の主力だった世代が高齢化して次々に亡くなり、活動力が低下している意味のことが書かれている。唐突ながらも墓檀家の話と通ずるところがあるように思った次第である。

創価学会の三世四世みたいな人たちは、まさに墓檀家化しつつあるわけなのだろう。まさに顕正会もしかりである。ここ数年、繰り返し書いていることだが、以前に比べると顕正新聞に登場する人たちの年齢層が上がっている。若い人たちが育っていないのだ。今後、顕正会も墓檀家化が急速に進むかもしれない。

ただし、厳密には違う。

ようするに伝統宗教と新興宗教ではまるで事情が異なるのだ。伝統宗教の場合は何のコダワリもなくご先祖様の宗教として受け継いでいく。信仰心はなくてもである。ところが新興宗教の場合は受け継がれないのだ。つまりは自然消滅である。今の段階ではなかなか想像がつかないものの、創価学会と顕正会は似たような末路を辿るのかもしれない。

それにしてもなかなか片付かない。顕正新聞一号一投稿にしないとダメかもしれない。

2020/9/14  10:52

投稿者:晃
衆生に於て 有始有終と思ふは外道の僻見なり
汝外道に同ず如何と云う可きなり。(諸宗問答抄)

(^⊇^)…今の宇宙科学はこの点で間違ってる

https://hokkevxage.com

2020/9/14  10:49

投稿者:晃
(^⊇^)…沖浦さん久遠元初とは久遠の仏界を手に入れた
(^⊇^)…瞬間のことを意味し、今信心決定した人にとっては
(^⊇^)…今が久遠元初です 宇宙が無始無終なのは御書にある

https://hokkevxage.com

2020/9/14  9:50

投稿者:ダイアリー
>ハップルは、遠くの星程速いスピードで遠ざかって
いるとの観測結果から(赤方偏移)、宇宙が現在膨張
しているとの事実を示しました。

>ハップルが遠い星程速いスピードで遠ざかる事を見
つけ(以下略)

沖浦さん、ハップルって誰ですか?
「ハッブル」なら、知ってるんですけど。

2020/9/14  9:44

投稿者:沖浦克治
 続きです。

 久遠元初の概念は、これを時間的に示しています。
 時間と空間は密接な相関関係にありますので、当然
空間の概念をも含みます。

 そして、輪廻(どこまでも進むと元の場所に戻る)
する宇宙論が登場し、久遠即末法の概念に近づきつつ
あります。

 先ず、この辺りの知識を持たないと、大聖人仏法は
理解出来ません。

 結論として、久遠元初の概念は、始まりとも捉えら
れますし、無始無終とも拝せます。

 これ等を前提にして、以下のご文を拝さねばなりま
せん。

 『過去久遠五百塵点のそのかみ唯我一人の教主釈尊
とは我等衆生の事なり、』(船守弥三郎許御書)

 始まりと拝するなら、宇宙が始まった時点から、無
始無終と拝するなら、そのままで、私共は元々仏であ
る。

 これが大聖人の仰せです。
 これを否定するなら、大聖人門下を辞めれば済みま
す。
 この点、二択ですから、後は貴方の自由です。

 

2020/9/14  9:42

投稿者:沖浦克治
 晃さん、

 貴方も御書を否定されますね。
 当然それが日蓮正宗の信徒の限界です。
 仕方ないというなら仕方ありません。

>(^⊇^)…沖浦さん 宇宙に始まりがあるといえば
(^⊇^)…外道に堕ちますよ 仏教は無始無終

 先ず久遠元初をご存じですか?

 『彼は応仏のいきをひかふ、此は寿量品の文底を用
ゆ。彼は応仏昇進の自受用報身の一念三千・一心三観、
此れは久遠元初の自受用報身・無作本有の妙法を直に唱
ふ。』(本因妙抄)

 これを宇宙の始まりとする教えがありますし、無始
無終とも解釈致します。
 その場合は、久遠即末法と拝します。

 『釈尊久遠名字即の位の御身の修行を、末法今時日
蓮が名字即の身に移せり。
理は造作に非ざる故に天真と曰ひ、証智円明の故に独
朗と云ふの行儀、本門立行の血脈之を注す。秘すべし
秘すべし。』(本因妙抄)

 現代宇宙論の基礎になるべき概念ですが、未だ現代
の学問はそれに追いついておりません。

 宇宙の始まりをビッグバンと言いますが、そもそも
その語源は宇宙が膨張しているとのハップルの観測か
ら導くと、遥かな昔に一点に集中した宇宙があってそ
れから膨張して現在があるとの宇宙論になります。
 それをを否定する人が、それなら最初は大爆発があ
っただろう、とバカにして名付けた言葉が、ビッグバ
ンです。

 ハップルは、遠くの星程速いスピードで遠ざかって
いるとの観測結果から(赤方偏移)、宇宙が現在膨張
しているとの事実を示しました。
 少し説明するなら、宇宙は無限大との説に対して、
それなら夜空は極めて明るいだろう、との反論があっ
て大きな説得力を持っていました。
 ハップルが遠い星程速いスピードで遠ざかる事を見
つけ、おおよそ150億光年先では地球から見た星の
後退速度が光速と等しくなるので、そこが地球から見
た宇宙のスケール限界になります。

 その意味ではこの宇宙は有限です。
 然し、その特異点から見れば地球と反対方向へも1
50億光年の宇宙が観測できるので、スケールは無限
大との説も有力です。

 すると地球から見た宇宙は有限ですがその先に更に
宇宙は広がっています。
 
 

2020/9/14  9:32

投稿者:ダイアリー
大聖人はこの法門について、「九界も無始の仏界に具し仏界も
無始の九界に備りて」と仰せである。
「無始の仏界」と「無始の九界」とは、いずれも寿量品で説き
明かされた本果と本因を指している。
すなわち、釈尊が成就した本果である仏の生命が永遠であり、
その成仏の本因となった菩薩道を行ずる生命も、また尽きるこ
とがないと示されているのだ。

http://www.sokayouth.jp/study/special/7.html

2020/9/14  8:59

投稿者:晃
(^⊇^)…大沢さん 友人は選びましょう それだけ

https://hokkevxage.com

2020/9/14  8:57

投稿者:晃
(^⊇^)…沖浦さん 宇宙に始まりがあるといえば
(^⊇^)…外道に堕ちますよ 仏教は無始無終

https://hokkevxage.com

2020/9/14  8:49

投稿者:大沢克日子
日頃1〜3を行わないのに、人の不幸につけ込む形で「罰で死んだ」などと騒ぎ立て、それを利用されて法難の契機となってしまうような信徒を指して、「内に世相を無視して宗熱に突喊する似非信仰の門徒」と言うのでは?

本来化儀は、日常の信仰の中で学び伝えるもののようです。
化儀抄は、南条日住師という老僧が、日有上人の御指南を聞書して、若年で御登座遊ばされた総本山第十二世日鎮上人にお伝えになったものとも聞いています。
化儀は、大聖人様の教えを修行の形に顕すものですから、「邪宗への葬儀参列」も、日々の折伏の実践を前提としたしきたりのはずです。
なので、普段何もせずに、「化儀抄に許されているから邪宗の葬儀に参列してよい」という考えも、亡くなって葬儀の段になって騒ぐのも不可かと思います。
どちらも、常日頃のこちらの懈怠のせいで、そうなってしまったのですから。

(復讐の意味ではなくて)大石寺の信仰を実践していく上での、「倍返し」を期待していますww

お互いに頑張りましょう!!

2020/9/14  8:42

投稿者:大沢克日子
晃さん

おはようございます。
すみません、改めて拝見して、気になったことを一つだけ。
うるさいジジイでスミマセン。

(^⊇^)…堕地獄を宣告して縁が切れてないなら臆病

これはどういう意味でしょうか?
晃さんは、いつも言葉足らず・舌足らずのような気がしますが、少し説明が必要かも。
場合によっては、少しヤバいかもしれません。

1.縁者を常日頃から折伏して、「捨邪帰正」を折りに触れて説くべき

2.常日頃から折伏していれば、万が一縁者に不幸(病気、事故、怪我等)があっても、その折に改めて折伏できる。
※普段折伏してないのに、不幸があってから突然「罰でそうなった」などと言っても、縁者は「他人の不幸につけ込むトンデモナイ宗教」と拒絶するだけ。助かりたくて入信しても、不信感は残る。

3.常日頃から、縁者やその家族まで折伏していたなら、万が一縁者が危篤になったり、亡くなっても、その段階で改めて折伏が可能。

4.そこまで手を尽くして折伏しても、力及ばず邪宗で葬儀することになってしまったら、化儀抄の作法により弔うべき
(葬儀の場で騒ぎ立てなくても、謗法与同にはならない。何故なら、1〜3で精一杯折伏してきているから)

5.常日頃、1〜3のように折伏していれば、縁者が亡くなっても、引き続き縁者の家族を折伏できる。

結局、常日頃から折りに触れ縁に触れ、1〜3で精一杯折伏すべきということになります。
(私がそれを出来ているかと言うと…冷や汗ものです……)

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