2020/9/21

イッケツ  
ダイアリー氏は経済問題に造詣が深い。ゆえに前回は株価の話題についてコメントを残されているわけだが、じゃっかん議論が噛み合っていないようなので、改めて書いておきたい。

本年三月十九日、日経平均は一万六千円台の最安値を示した。一月から二月あたりは二万三千円台をキープしていたわけだから、まさに大暴落である。当然、コロナがマイナス要因と考えられる。ところがである。その後、V字回復と言ってもウソにならないくらいの復調を見せ、今は以前とほぼ同水準まで回復しているのである。コロナが原因であれば、第二波とされる七月から八月の時期にも株価が下がっていなければツジツマが合わないのだが、実際にはそれほど下がっていない。そこがよくわからないところである。ちなみに安倍首相の退陣表明だとか菅政権の誕生も、マクロ的には株価に影響を与えていない。経済オンチのわたくしには、まるで理解できない。それが株の世界である。実際、株で失敗している人がたくさんいるらしいので、簡単ではないのだろう。

さて、顕正新聞第1517号である。

「顕正会こそ諫臣・争子」特集号

近年はこれが恒例になっている。誰が書いているのか知らないが、いずれはネタ切れになるだろう。

第三青年会館の鉄骨 組み上がる!

写真を見ると、確かに立派な建物である。

「本部会館」の各館位置図

地図が載っていて、本部棟を中心とした建物の位置関係がよくわかる。以前、似たような地図が掲載されたことがあって、その時には配置図と書かれていた。まるで伽藍の配置を云々しているみたいではないかとツッコミを入れた記憶がある。

それはさておき、会長講演である。

七月度総幹部会の会長講演であるから、当然ながら折伏成果のことにも言及している。しかし、今のわたくしは数字にはあまり関心がない。むしろ数字にコダワルのであれば三百万をいつまでに実現するのか、それを明示すべきだろうと思う。もっとも活動会員たちが苦しむだけなので、今のような感じでダラダラとやるのがベストではあるのだが・・・

また地を走る獣は、絶え間なく餌をほしがる子に責められて、少しも休むことなく餌を探し求めている。

御書の口語訳、正確には直訳ではなく意訳なのだろう。しかし、どうかと思うところである。基本、地を走る獣とは哺乳類だと思われるが、浅井先生がどのような動物を想定しているのか、わたくしにはまったくわからない。人間は乳離れしてから成人するまでが長い。ところが動物は乳離れイコール独り立ちなのである。ニートみたいな野生動物はあり得ない。

 この急死を見て、池田大作は阿部日顕を擁立して第六七世貫首として登座せしめた。

何度も言っているが、そんなことはできない。もし可能ならば平成二年末からの大抗争においても、日顕上人を追い落として自分の傀儡を擁立すればよかったのである。

 池田大作は平成二十六年十一月七日に、第六代会長・原田稔をして「弘安二年の御本尊は受持の対象にはしない」と言わしめ・・・

ここも疑問である。現執行部が勝手にやっているという説も有力であって、先年のいわゆる戦争法案と呼ばれるものに公明党が賛成した時にも、異を唱える創価学会員がたくさんいたのと同じ理屈である。池田先生はご病気であって重要な判断ができない。それをいいことに、現執行部は傍若無人を働いているのだと。

まさに巨大地震の連発はもう間もなく始まらんとしている。

これもおかしな主張である。すでに始まっていると言うのならば、まだしもだ。

浅井先生の描いている世界は、どのような恐怖映画よりも恐ろしい。極端な話、毎日のように巨大地震が連発する時代を想定しているかのごとくなのである。マクロ的には十年に一回でも震度七クラスの地震があれば連発と言えるわけで、現実にはここ十年間、もっと高頻度で襲ってきているのである。

 私は、二〇年代のしかるべき時に、第三回目の一国諫暁の書を著わし、大聖人様に応え奉らんと決意しております。このとき顕正会の大総会を開催し、全顕正会の熱誠を以て大規模なる諫暁の戦いを起こしたい。

久々の重大発表である。続きもご覧に入れたい。

 大聖人様に忠誠を貫く仏弟子三百万が一結すれば、日本国は必ず動き、大聖人様の大恩徳は一国に輝く。

やる前から水を差すようで恐縮だが、どうかと思うところである。

まず、少し前まで言っていたこととの整合性が問題である。すなわち三百万・五百万云々である。上掲は五百万を反古にする発言である。イヤミながら顕正会は下方修正が多い。ところがここでは上方修正を行なっている。つまり、五百万では間に合わない、三百万で事を決するべきである、という前倒しを宣言しているわけなのだ。もちろん実現すれば大したものである。

また、細かいことを言うと、いかにもアイマイな発言である。浅井論法と命名すべきかもしれない。

しかるべき時に・・・

再掲であるが、ここが問題である。なぜならば次も再掲であるが、わざわざ改行している点がいかにもアヤシイところなのである。

三百万が一結すれば・・・

さらには末文も紹介しておこう。

 さあ、いよいよ三百万をめざして・・・

ようするに、しかるべき時とは三百万達成の時と読めるわけだが、だったら最初から三百万の時と書けばいいのである。

では、なぜにそのように書かなかったのか、そこが問題である。

わたくしの感触では、今の段階では三百万がいつ頃までに達成できるかも見通せずにいるわけで、ヘタすると二十年代のうちに達成できないかもしれないので、さすがに断言できなかったのだろうと思うのだ。

客観的には達成できたとしてもギリギリだろう。ゆえに三百万を待たずに実行するかもしれないという、その余地を残したのが今回の発言だと考えられる。いわゆる客観情勢がその必要を迫るならば・・・というヤツである。

まあ、しかし、いつまでも同じことの繰り返しである。諫暁書の発想もそうだし、大総会もそうである。

実は古くからの幹部会員たちがそれをいちばんよくわかっているのだろう。

2020/9/24  9:09

投稿者:大沢克日子
ダイアリーさん

おはようございます。

私見としては、御本尊と衆生、僧侶と在家のどちらが上かなどを議論すること自体、信仰上益なしと思います。

何度もこちらで議論になりましたが、本来全ての人が仏性を具えています。
日蓮大聖人も御僧侶方も、池田名誉会長も浅井会長、そして麻原やヒトラーのような極悪人も、私たちも、変わりありません。

御本尊を信じ、純粋に不自惜身命の信心に励む人は成仏に至るのに、私たちの多くは現実には
「魚の子は多けれども魚となるは少なく、菴羅樹の花は多くさけども菓になるは少なし。人も又此くの如 し。菩提心を発こす人は多けれども退せずして実の道に入る者は少なし。都て凡夫の菩提心は多く悪縁 にたぼらかされ、事にふれて移りやすき物なり。」
(御書1048頁)
として、悪縁にたぼらかされて怠けたり退転して、成仏の境界に至る人は少ないのが実態でしょう。

その中で、自分を導いてくださる師匠として、日蓮大聖人の御代管として、法を継ぐ御歴代を七百年間、僧俗が仰いできたのは当たり前の話です。

学会員の一部が衆生本仏論を唱えるのも、脱日蓮正宗の一環なのでしょう。
宗祖本仏を排除して、衆生本仏論を唱えるなどというのは、まるで社会主義国の如き悪平等の典型です。

2020/9/24  7:33

投稿者:ダイアリー
大沢さん。
有難うございます。
どうしても僧=上、俗(在家)=下という概念で、物事を捉えちゃう
人もいるんでしょうね。
それぞれに役割があって、足りないものを補完しながら広宣流布を
進めていく。それだけの話だと思うんですよ。
教義の根幹部分以外で、学問でもなんでもそうですがその部分にお
いて、真相真理を探求すれば良い。宇宙がどうやって形成されたの
か、とか。
ぶっちゃけ、根幹部分については何をどうあがいても、我々在家が
知る事は出来ない。それでいいんじゃないか、と。
宗教って、心の内側部分に関する問題(課題)を、解決するものじゃ
ないですか。
心の外側部分に関する問題(課題)なんて、ごまんとある。
それに取り組むだけでも、十分意味はあると思うんだけどなぁ。

2020/9/23  23:50

投稿者:大沢克日子
ダイアリーさん

遅くなりまして申し訳ございません。
おっしゃる通りです。

「日蓮仏法には一切の秘密がなくなっている」のであれば、弟子の育成は必要なく、御書だけ公開して、それを拝読した人たちが各自信仰すればよいのです。

仏様が仏法の核心を秘密にするのは、隠し立てするという意味ではなくて、我々衆生が容易に理解できず、かえって迷いの元になってしまうからではないでしょうか?

観心本尊抄副状において、大聖人様は前代未聞の法門で人々の耳目を驚かせるから、容易に他人に見せず秘匿するよう、見る場合でも座を並べて拝読してはならないと御指示遊ばされています。

三大秘法抄も、秘すべしと仰せになっていたはずです。

最重要の非公開の御相伝があってもおかしくないでしょう。

「此の血脈」の文には、初めから法門の相承として存在したものや、あるいは時代によって唯授一人の相伝のなかより、やや一般的に法門相承に展開した、相伝血脈と言うべきものがあるほかに、全く公開せられざる、人法の血脈相伝が具わり、含まれているのであります。
 創価学会は軽忽浅識の判断をもって、塔中相承の禀承、唯授一人の血脈とは文書であり、日亨上人によって『富士宗学要集』第一巻に公開されているものがすべてであるとしています。しかし、それは彼等の無知による独断であり、日亨上人も御生前中、僧侶への講義等のなかで、全く非公開の法を内容とする相伝があることを述べられておりました。(創価学会の仏法破壊の邪難を粉砕す一一二頁)

上記は御先師日顯上人の御言葉です。
日亨上人が、非公開の相伝が存在することを述べられていたそうです。

後加文、後加文と騒ぐ人たちもいますが、日亨上人御自身は御戒壇様と血脈への尊崇・確信をお持ちだったからこそ、御研究の結果を公開されたのでしょう。

現代の我々の「情報公開=善」という価値観で、安易に判断してはならないと思います。

2020/9/23  18:47

投稿者:大沢克日子
ヅラ系。さん

こんばんは。

先日のコメントで沖浦さんと挨拶を交わされていて、御書もお持ちの様子なので、ヅラ系。さんは学会人なのでしょうか。

その前提でお話ししますが、御書全集1600頁に二箇相承が掲載されているようですね?

日興上人への御相承が明らかです。

 身延相承書 (総付嘱書)
日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり、国主此の法を立てらるれば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり、時を待つべきのみ、事の戒法と云うは是なり、就中我が門弟等此の状を守るべきなり。
 弘安五年壬午九月 日 日 蓮 在御判
 血脈の次第 日蓮日興

 池上相承書 (別付嘱書)
釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す、身延山久遠寺の別当たるべきなり、背く在家出家どもの輩は非法の衆たるべきなり。
 弘安五年壬午十月十三日 武州池上
 日 蓮 在御判

日興上人は日目上人に法を付され、以降御当代に至るまで、代々の御法主上人が法を伝持遊ばされています。

2020/9/23  11:45

投稿者:ダイアリー
>それを特別な伝達方法に見せかけ、如何にも伝える
だけでも重大事にしているのが日蓮正宗です。

浄土宗も、重んじているそうです。

http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E5%8F%A3%E4%BC%9D

真言宗も、口伝口訣を重じるそうです。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E8%A8%80%E5%AE%97

2020/9/23  11:14

投稿者:沖浦克治
 ヅラ系さん、今日は。

 口伝とか相伝とかいうと極めて困難な伝え方におも
えますが、実は最も合理的且つ容易な方法です。

 口伝とは対話による伝達です。
 それを特別な伝達方法に見せかけ、如何にも伝える
だけでも重大事にしているのが日蓮正宗です。
 
 おい、そこはこう読んでこう解釈するんだ。

 これが口伝。
 学校行くと先生が黒板の前で毎日やってますよ。
 別に大したことじゃございません。

 相伝とは、端的にいうなら口伝も含んで行動で示し
て教える事です。
 私は以前舞台をやっていました。
 実際に会った話です。

 プロディーサーガが舞台の暗転を嫌う人でした。
 所が舞台には暗転が演出上不可欠の事もあります。

 本番前日の通しのリハーサルが終わってから、打ち
合わせになりました。
 プロヂューサーが言いました。

 どこそこの暗転を照明ありでやれないか?

 演出家は言いました。

 あそこは舞台裏で役者の着替えがあるので、時間稼
ぎに暗転しかありません。

 するとその役者が言いました。

 私はもっと早く着替え出来ますから、暗転でなくて
も大丈夫です。

 すったもんだの末、演出家は暗転を譲らず、如何に
プロヂューサーとはいえ、舞台の事は演出家の判断に
なります。
 そして、プロディーサーが出て行くと、演出家がそ
の役者を本気で怒りました。

 お前が早く出来るのしってるよ!
 あそこは観客の気持ち入れ替えるのに暗転が必要な
んだ。
 俺と一緒に何年やってんだ!!
 それぐらい気付け!!!

 これでこの役者は舞台での暗転の意味を深く知りま
した。
 これは相伝です。

 相伝とは共に行動して身で示す事です。

 親が子供の手本になる。
 何処の家でも普通に相伝やってます。

 
 

2020/9/23  10:42

投稿者:ヅラ系。
もっとも 普段はめんどくさくて御書なんて読みませんが
沖浦さんわざわざ御書講義 ありがとうございます。

2020/9/23  10:39

投稿者:ヅラ系。
大沢様 沖浦さん おはようございます
口伝も書伝も 単に伝え方の違いでは無いのですか?
歴代法主を仰ぐと言う理由付けが 大沢様の御説明では 頭の悪い自分にはどうにも理解できず 申し訳ない次第です あくまで御書を根本に 根拠にして頂けるとありがたいのですが…

2020/9/23  9:14

投稿者:ダイアリー
大沢さん。
私は余り教学に長けている訳ではないのですが、仮に「日蓮仏法には
一切の秘密がなくなっている」のであれば、大聖人様が弟子の育成に
努められる必要性は、全くないと言えるのではないでしょうか。

2020/9/23  7:56

投稿者:大沢克日子
ダイアリーさん

おはようございます。

→人から人へ伝える方法って、口と文(文章)という2つがあるじゃないですか。
文書(文字)だけで、全てが伝えられる訳じゃない。
だからこそ、口伝という方法も必要なんだろうと思います。

「書は言を尽さず言は心を尽さず事事見参の時を期せん」

ダイアリーさんのおっしゃる通りです。
上記は御書の一節です。

「余り真剣に悩み過ぎない方がいい」
のはその通りだと思います。

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