2020/10/1

ヤラカシ  
類は友を呼ぶがまさにピッタリのブログとなってきた。大沢氏は以前、拙ブログの構成メンバーについて共通項を云々していた。特にわたくしと沖浦氏を社会不適応者と断ずるところなどは鋭い指摘である。また、今現在の対立軸としては創価学会系と日蓮正宗系に二分できるわけだが、それぞれの構成メンバーにしてもどうやら組織の中ではアウトロー的な存在の人が多いようである。

それはさておき、前回のコメント欄での応酬を見ていて、気になったことがある。

2020/9/27 12:40
投稿者:沖浦克治
 水色の写真館から抜粋引用致します。

 日蓮聖人入滅(弘安五年十月・1282)後の教団組織
は身延山にある聖人の廟所(墓所)の五輪塔を中心に
図られた.六老僧(日昭,日朗,日向,日興,日頂,
日持)を中心とする直弟子たち(18名)が毎月輪番で
廟所を守るため,身延山久遠寺番帳が定められた(弘
安六年正月・1283).
 しかし,弟子たちはそれぞれの地方で布教する信者
たちの指導者であり(交通事情),また幕府や諸宗団
からの弾圧を受ける中,輪番の勤めは予定通りには実
行されず,当初(弘安七年・1284)は身延山近郊の甲
州・駿河を布教地点とする日興の門流*が在住し廟所を
守った.続いて日向も登山し身延の運営(学頭職)に
あたった.
 日興は純信・厳格に日蓮聖人の教えを固持したた
め,身延の地頭(領主)である南部実長との間に意見
(身延輪番,謗法)の対立を見るに至って身延を去っ
た.日興離山後,日向が身延の住持となり経営・教化
にあたった.
 結局身延輪番制は当初どおり実施されず,教団は各
地に分立,それぞれがみずからの正当性を主張しなが
ら発展していった.
 〜引用終わり〜

 概ね事実を書いていると思います。


またしてもやりおった。沖浦氏には以前にも同様のやらかしがある。その都度、指摘してきたつもりなのだが、すぐに忘れてしまうらしい。

そもそも輪番制の問題は、日興上人の御筆による輪番についての記録が二通あって、その内容に齟齬があるのだ。つまり、どちらかが偽作であると考えないといけないわけで、では、なぜにそのような偽物が作られたのかが重大問題なのである。この点の考察を抜きにして、概ね事実を書いていると思う、などと言ったところで意味はない。

しかし、ヤラカシはそこではない。再掲しよう。

六老僧(日昭,日朗,日向,日興,日頂,日持)

これが問題なのだ。

宗祖御遷化記録では、日持・日頂・日向・日興・日朗・日昭となっている。そして富士一跡門徒存知事と五人所破抄では、逆に日昭から始まっているわけだが並び方は同じである。

つまり、沖浦氏が上掲を支持するのであれば、その根拠を示さないといけない。そうした古文書が存在するのであればそれを提示すればいいし、あるいは氏が得意とする御書を用いての論証も可である。ちなみに今は記憶だけで書かせていただくが、以前にも同様の指摘をしたところ、その時は素直に己の間違いを認めていたはずである。今回も同じことの繰り返しなのか、それとも何かしらの新発見に基づくものなのか、さて、どちらであろうか?

日興さんは御書に暗い、などと罵っているから目が曇ってくるのである。

続いて日向も登山し身延の運営(学頭職)にあたった.

沖浦氏はくだんの資料を、おおむね事実である、と言っているわけだが、ではそれを逆手に取ってみよう。輪番制の問題はさておき、上掲は事実なのか否か、ここが天下の分かれ目である。

まず、続いて日向も、とある。つまり、すでに日興上人がましますのである。久遠寺を運営されていたのは日興上人であり、そこに日向も加わった、と読むのが普通だろう。そしてこの資料の執筆者には多少の良心があるのか、カッコを付け足している。

つまり、当時の久遠寺の体制は次のごとくなるはずである。

住職:日興上人、学職:日向師

まさか異論はあるまい。

それゆえに、先ほどの六老僧の順序が不審なのである。くだんの執筆者は何を根拠に順序を入れ替えたのか、そこがまったく見えてこないのである。

再び久遠寺の体制について、大胆なことを書いておこう。実は次の序列が正しいのだ。

住職:日興上人、大学頭:日目上人、学頭:日向師

根拠は特にない。

そもそも宗門の草創期において、現在のような僧階だとかその他もろもろの役職が整っていたとは考えられない。おそらくは史資料もきわめて乏しいわけなのだろう。それゆえに日興上人の扱いもきわめて低くされてしまっている。筋論で行けば、日興上人は身延山久遠寺の第二祖であり、日向師は第三祖に位置付けられるはずなのだ。しかし、ほとんど感情論的にそれは無理な相談なのだろう。つまり、彼らも目が曇っているのである。

よって根拠と言えるほどのことではないが、日興上人を住職とすればその下で学頭に任じられていたのは日目上人のはずである。日向師が来たから交代したと考えるのではなく、むしろ大学頭に出世したとするのが自然である。大聖人の御講義を聴講した人物で、日目上人の右に出る者はどこにもいない。失礼ながらデキの悪い先輩たちよりも遥かに優秀だった。

上述はかなり偏向しているように映るかもしれない。

しかし、それは最初に指摘した本弟子六人の序列問題に端を発するのであって、くだんの執筆者こそが問題なのである。もちろん、それを引用している張本人たる沖浦氏がいけないのであって、なぜにそこまで日蓮正宗に敵意をむき出しにするのか、わたくしにはなかなか理解できないところである。



十月二日追記:偉そうに書いたわりには大事なところで間違えてしまった。まさにヤラカシである。

2020/10/2  14:24

投稿者:ヅラ系。
厳虎さんこんにちは
いつもコメント書かせて頂きありがとうございます
六老僧の書き順に関してですが 順不同ならどんな順番でも良いんじゃない? と思ってしまうのですが 何か理由があるんでしょうか
まさか日持は出塁率が高いとか 日頂はバントが上手いとか 日向 日興 日朗は長打力が有るとか

すいませんここのブログは凄く真面目なブログなので 少し冗談書きました 不謹慎だ と思われた皆様 本当にすいません。

2020/10/2  6:49

投稿者:ダイアリー
>十月二日追記:偉そうに書いたわりには大事なところで間違えてしまった。まさにヤラカシであ
る。

誤字脱字は皆あるんで、気になさらない方がいいですよ。
意図を汲み取った上で、それぞれ自身で解釈するようにしていますから、コソッと修正すりゃ
いいんじゃないですか?

2020/10/2  6:22

投稿者:大沢克日子
沖浦さん

>そんな愚かな勘違いはよほど愚かな人しかしませんよ

内容からみて、いくら池田名誉会長でもそんな莫迦みたいな講義はしないだろう、と感じたのは事実ですが、問題はそこではありません。

要は、「誰の講義なのか」を明示すればいいのです。
ただそれだけ。
池田名誉会長なのか、学者なのか、沖浦さん自身のものか。

本ブログの「シュイ」でも指摘されたように、沖浦さんの他人の文献の引用は非常にいい加減で、趣意が趣意になっていないと話題になったこともありますよね?

余りにそういう事例が重なると、沖浦さんが悪意から、わざと他人を誤解させようとしているのではないか、と思われかねません。

私たちは沖浦節に慣れているから、一見して莫迦っぽさを見抜きましたが、そうでなければ勘違いする人も出るかもしれません。

「勘違いしたのはその人の責任で、私は関係ない」
と平然と言い出しかねないのが沖浦気質なので、沖浦さんは特に明示は必要でしょう。

2020/10/1  22:04

投稿者:ダイアリー
>今現在の対立軸としては創価学会系と日蓮正宗系に二分できるわけだが、それぞれの構成メンバ
ーにしてもどうやら組織の中ではアウトロー的な存在の人が多いようである。

それはそうと厳虎さんにお聞きしたいのですが、このブログは誰でも自由にコメントして
いいんですか?
これまでに何方かを、アクセス禁止にしたりとかコメントを拒否したりとか、そういった事
ってありました?

2020/10/1  21:22

投稿者:ヅラ系。
沖浦さんこんばんは ありがとうございます
御講聞書ですか 少しずつ勉強して行きます。

2020/10/1  21:20

投稿者:ダイアリー
>そんな愚かな勘違いはよほど愚かな人しかしませんよ、

ですよね〜。
沖浦流法門、ここにあり!って感じの講義ですから。
学会のそれとは全く違ったテイストだったので、興味深く拝見致しまし
た。

2020/10/1  21:17

投稿者:ダイアリー
>9月29日9時15分の講義は なんて言う御書ですか?

本気で言ってんの・・・?

2020/10/1  20:59

投稿者:沖浦克治
ヅラ系さん、今晩は。

 御講聞書(おんこうききがき)と言って、御義口伝
と似ていますが、これは日向さんが大聖人の講義をノ
ートとして残したと言われています。
 御義口伝は日興さんですが、日向さんは以前創価学
会が日蓮正宗であった頃、強いて講義もされませんで
した。
 当時身延イコール邪宗と言う概念でしたが、現在の
創価学会では両者が入れ替わっていますので、今回私
は講義を試みております。
 拙い講義ですが何かの足しになるなら嬉しいです。

 この書は御義口伝と同じく後世の偽作説が有力です
が、双方の内容に矛盾がないので、義としては正しい
と思います。

2020/10/1  20:31

投稿者:ヅラ系。
皆様こんばんは

沖浦さん 御書講義ありがとうございます 9月29日9時15分の講義は なんて言う御書ですか?

2020/10/1  20:03

投稿者:沖浦克治
 大沢さん、今晩は

 貴方は以前として御書軽視から抜け出せないです
ね。

>池田名誉会長がこんな莫迦みたいな講義をする訳が
なかろう、と思い、思わず質問してしまいました。

 先ずこれがダメ。
 何度も御書を引用して貴方に指摘しています。

 『行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法は
あるべからず、我もいたし人をも教化候へ、行学は信
心よりをこるべく候、力あらば一文一句なりともかた
らせ給うべし、』(諸法実相抄)

 私は貴方と異なって大聖人門下です。
 ですから隋力演説を致します。
 貴方はそれを批判するだけ、日寛門下の見本です。
 でもね、折角私と同じご本尊に同じお題目を唱えて
いるのですから、日蓮門下目指したら如何?

>沖浦さんのオリジナルの講義なんですね?
オリジナルの講義ならば、その旨明示した方がいいで
す。

池田名誉会長や創価学会の見解と勘違いする人もいる
と思いますので。

 そんな愚かな勘違いはよほど愚かな人しかしません
よ、愚か者相手にするのは御書で禁止されていますの
で、悪しからず。

 『愚人にほめられたるは第一のはぢなり、』(開目抄
下)

 何度も言いますが、私は貴方と異なって大聖人門下
なのです、日寛門下の貴方のうかがい知ることは出来
ない境涯なのです。

コメントを書く

名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ