2020/10/17

モシュ  
今日は顕正新聞を読んでいこう。第1518号だ。

いよいよ次の一国諫暁が最後の諫暁、広宣流布への決定打・・・

女子部副部長の発言である。問題は何を指標とするかだと思う。決定打の語源を知らないが、例えば満塁ホームランであれば四点が入る。すでにそれまでに六点差があって、それに加えての四点だとすれば十点差となる。もはや逆転はあり得ない。野球を例に取れば上述のような感じかもしれない。では顕正会の場合はどうかである。結局のところ、何となく雰囲気で言っているだけであって、そこには明確なバロメーターがあるわけではないのだ。

夏の陽射しとサルスベリ

本部庭園の四季という連載がある。わたくしの率直な感想を言うと、文章は最上級である。これを書いている人は文才がある。ところがである。写真がヒドイのだ。イヤミのように聞こえるかもしれないが、図らずもこれが顕正会の実態を反映しているのだと思う。文章だけ読むと凄い。ところが写真にガッカリさせられる。理想と現実がかけ離れ過ぎているのだ。

七十九歳にして再就職が叶う不思議な体験・・・

女子部第二百二十一区総班長(大阪)の記事に出てくる話である。いろいろな意見がありそうなので一概には決め付けられないが、その歳になっても働かないといけないのか、大変だなあ、と思う人が多いような気がする。ゆえに、どうせならばどのような仕事なのか詳しく書くべきだったのではないか、と思った。おそらくはその仕事の内容によっても、印象がかなり違ってくるはずなのである。

自宅拠点の我が家で入信勤行を終え・・・

婦人部大宮北支区組長(千葉)の記事である。この部分だけ読むと、今は組長でも自宅拠点が持てるのか、と思ってしまうところである。

 入信より五十年・・・・

妙信講時代からの古参会員らしい。

問題は入信勤行の導師を誰がやるかだろう。組長がやってもいいのか、それともそれなりの幹部がやるのか、今回の記事ではそれが読み取れなかった。

目の前の生活費がいちばん大切ではないことにやっと気づき・・・

婦人部川口支区組長(首都圏)の言っていることは意味不明である。わたくしの読む限り、だったら何がいちばん大切なのか、それが示されていないように思うのだ。

失礼ながら先ほどの七十九歳で再就職した人は、早い話が年金だけでは生活できないから働かざるを得なかったのだろう。まさに目の前の生活費に事欠く状況だったと考えられるのだ。
かく言うわたくし自身は、差し当たって目の前の生活費がどうにか確保できているからこそ、こうしてブログを続けることも可能なのである。極端な話、ブラック労働的にこき使われている状態だったら、とてもじゃないがブログの更新もオボツカナイだろう。顕正新聞を読んでいるヒマもないかもしれない。
よって登壇者の言っていることは一時的な世迷いごとであり、実際に生活費が足りなくなればそんな悠長なことは言っていられなくなるはずである。

 題目を聞いたネギ
   主婦に大人気に


女子部第二百六十九区総班長(首都圏)の記事には、ご覧のような小見出しが付いている。当てずっぽうで恐縮だが、たぶん創価学会でも同様の体験発表があるはずだし、宗門でもあるかもしれない。よって上掲は一般人には意味不明であるものの、正宗系ではわりと通じる話なのだと思う。

ただし、これを養鶏養豚などに当てはめると悩ましいことになる。例えば題目を聴かせたブタがすくすくと育ってオイシイお肉になるとしよう。我々はそれを何の疑問もなくパクパクと食べるのだろうか?

わたくしは活きている魚を包丁で捌いたことがある。もちろん食べるためである。しかし、鳥や豚や牛は一度も殺したことがない。殺したことはないが、日常的にかなりの高頻度で食べている。

元身延僧の父、余命宣告で大聖人に帰依

婦人部津軽支区班長(青森・岩手)の父親についてである。これも悩ましい話で、ご覧の記述をそのまま理解すれば、身延僧の時は帰依していなかったことになるだろう。

 喪主である私の弟が身延派日蓮宗の僧侶のため、葬儀の一切は身延派の寺で執り行われ・・・

これがまた悩ましい。失礼ながら宗教ゴッコの域を出ていない、それが顕正会なのかもしれないと思う。

これまた当てずっぽうで恐縮であるが、もしこれが顕正会ではなく日蓮正宗そのものだったら話が違ってくると思う。その場合、日蓮宗から日蓮正宗へ改宗したことになるわけで、葬儀も日蓮正宗で行なうことになるだろう。それがもし仮に現実問題として弟の力が強くて日蓮宗で行なわれることになったとしたら、そもそもが日蓮正宗への改宗が実現しなかったことになるか、もしくは撤回ということになるだろう。

結論として、登壇者の気持ちがどうであれ、こうした記事は掲載を見送るべきと思う。謗法厳禁という謳い文句の上からしても、どうしてもチグハグ感が拭えないのである。

2020/10/22  8:14

投稿者:沖浦克治
 講義
 ここで注目すべきは、日蓮仏法の卓越した平等思想で
す。
 何でも同じではなく、それぞれの衆生の経歴や生き様
を認め個性を尊重しながら、仏と言う境涯には個性はあ
るが上下の差別が無いとしています。
 この平等思想は、現在の平等思想をリード出来る素晴
らしい思想です。
 更に当時の封建社会にあっては、権力者が最も忌み嫌
う革命思想です。 
 以下池田先生の講演から抜粋引用。
 『かつて、ユネスコが古今東西の"人権の名言"を集大
成した書物を出版した。
 その本の中に、日蓮大聖人の「撰時抄」の一節が紹介
されている。
 それは、あの佐渡流罪から鎌倉に生還され、幕府の権
力者・平左衛門尉と対面した折の師子吼である。
 
★王地に生れたれば身をば随えられたてまつるやうなり
とも心をば随えられたてまつるべからず」(御書二八七
ページ)
 
 たとえ頸の座に据えられようが、たとえ流罪されよう
が、わが心は決して屈服しない! 
 この人類史に輝きわたる師子王の精神闘争に続きゆく
のが創価学会である。』
 〜引用終わり〜
 素晴らしいです。 
 大聖人を、ご本仏など言う極めて狭い範囲で捉えよう
とすると全体像を見失います。
 何処まで行っても、
 人間としての日蓮!!!!
 これを追求しなければ日蓮仏法は理解出来ません。

2020/10/22  8:12

投稿者:沖浦克治

諦六度無量の諸法
 (「諦」は真理の意》仏語。迷いと悟りの両方 ...
米沢本沙石集(1283)一〇末「四諦(シタイ)の法は声
聞をあらはん、十二因縁観は縁覚、六度の行は菩薩、二
転の果は仏界をあらはす」 〔法華経‐譬喩品〕.六度と
は六波羅蜜
 大乗求道者が実践すべき6種の完全な特徴のこと。
 波羅蜜とはサンスクリット語のパーラミター pāramit
āの音写。
 6種とは
(1) 施しと (布施波羅蜜) ,
(2) 戒を守るという完全な徳 (持戒波羅蜜)
(3) 忍耐という完全な徳 (忍辱波羅蜜)
(4) 努力を行うという完全な徳 (精進波羅蜜)
(5) 精神統一という完全な徳 (禅定波羅蜜)
(6) 仏教の究極目的である悟りの智慧という完全な徳
(般若波羅蜜)
〜引用終わり〜
 となって、各各旧習(それぞれの特性等)に於てそれ
ぞれが真実を開示できます、旧習(経歴等)が同じでな
い人々が乗っているから故各と言います、皆摩訶衍(大
乗)であるから大車と言います。 

2020/10/22  8:10

投稿者:沖浦克治
 通解
 一等一大車の事
 大聖人はいわれました。
 大車とは直至道場(余計な修業無しに覚りに直接至
る)の大白牛車(当時最高の乗り物)でスピードは風の
ようである、南無妙法蓮華経を唱える事が等一大車に乗
る事です。
 等と云うは諸法実相(社会の一切の現象を等で表現し
ている)であって、一とは唯有一乗法(お題目のみ)の
事、大とは大乗(たくさんの人が乗れる事を沢山の人を
救えるに喩える)です、車とは一念三千(私共の心の動
き)であって、天台の釈には等の字を子等車等(子供は
衆生の事)と釈しています。
 子等の等と如我等無異の等(子供とあるが、仏が自分
と全ての人を等しくするとの意味である)とは同じで
す、車等の等は平等大慧の等(人々が等しく素晴らしい
智慧を持っている)と言う意味です。
 今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は男女貴
賎共に無上宝聚不求自得の金言を持つ者となります。
(この時代に身分差別を否定しておられます、弾圧され
るわけです)、智者愚者に関係なく共に即身成仏をしま
す(執拗に平等をご主張です)、疏の五(天台の五小
部?)には、一に等子二に等車子等しきを以ての故に則
ち心等し(先ず子供が等しくて、次に車も等しいから、
心も等しい)、これを一切衆生に等しく仏性が有るに事
に譬えています、仏性が同じであるのですから、等しく
是れは同じ子です、第二に車等とは法等しいのであるか
ら一切衆生に同じく仏性が無い道理がありません。
 一切法の方が全て皆摩訶衍(まかえん〜大乗経)であ
る事に譬えていて、摩訶衍が同じであるから全てが沢山
の人が乗れる大車、而して各賜(各々が賜った)と言う
は各々本習(それぞれの人々の特性)に随うからで、

2020/10/22  8:07

投稿者:沖浦克治
 嚴虎さん、皆様おはようございます。

 『一等一大車の事 仰に云く此の大車とは直至道場の
大白牛車にして其の疾きこと風の如し、所詮南無妙法蓮
華経を等一大車と云うなり、等と云うは諸法実相なり、
一とは唯有一乗法なり、大とは大乗なり、車とは一念三
千なり、仍つて釈には等の字を子等車等と釈せり、子等
の等と如我等無異の等とは同なり、車等の等は平等大慧
の等なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者
は男女貴賎共に無上宝聚不求自得の金言を持つ者なり、
智者愚者をきらわず共に即身成仏なり云云、疏の五に云
く一に等子二に等車子等しきを以ての故に則ち心等し、
一切衆生等しく仏性有るに譬う、仏性同じきが故に等し
く是れ子なり、第二に車等とは法等しきを以ての故に仏
性に非ざること無し、一切法皆摩訶衍なるに譬う、摩訶
衍同じきが故に等しく是れ大車なり、而して各賜と言う
は各々本習に随う、四諦六度無量の諸法各各旧習に於て
真実を開示す、旧習同じからず故に各と言う、皆摩訶衍
なり故に大車と言う云云。』
 

2020/10/21  16:15

投稿者:ダイアリー
>普通に祈り普通に人の面倒を見、普通に暮らす。
これが最高です。

じゃあ別に、信仰しなくてもいいんじゃないですか?
信仰しなくても普通に人の面倒を見て、普通に暮らしてる
方なんて沢山いらっしゃいますから(笑)

2020/10/21  15:47

投稿者:ダイアリー
生活保護不正公明市議に疑惑
「生活実態なし」市は支給打ち切り

https://www.jcp.or.jp/akahata/aik2/2003-10-09/15_01.html

2020/10/21  13:17

投稿者:沖浦克治
 講義
 昔の事ですから田を沢山持っている事は富の証でし
た。
 田は富を呼び富は立派な邸宅を沢山もたらします。
 その状態を南無妙法蓮華経如来の境涯に喩えた文で
す。
 田は命を顕し、宅は身体を示すとありますが、色心不
二が説かれています。
 人の精神と肉体は連動いたしますが、謗法を慎み普通
に自行化他をするなら、心も身体も良い状態になりま
す。
 特別なこと要らないのですね。
 普通に祈り普通に人の面倒を見、普通に暮らす。
 これが最高です。
 その人こそが、法華経を持った如説修行の行者です。
 凄いですね、お題目を唱え弘める私共の境涯は。
 こんないい話、マルチのもうけ話の一億倍は良い話で
す。
 やらないと大損〜!!!!

2020/10/21  13:16

投稿者:沖浦克治
 通解
 一多有田宅の事 
 大聖人は言われました。
 田宅とは、長者の財宝であって、田と言うのは命の事
です。
 宅とは身体で、天台の文句の五には田宅を身命と釈し
てあります。
 田は米の意で米は命を保つ食であって、宅は身をやど
す家、身命を安穏にするより以上に優れた財宝は無い。
 法門に約すれば田は定宅は慧です。
 (仏道修行にあたり、学習し実践し体得すべき三つの
基本的な事柄。
@戒とは悪い行いを止め善い行いに励むこと、
A定とは心をゆるぎなく定めて瞑想すること、
B慧とは真理を覚知する智慧をいう。)
 〜引用終わり〜
 だから、定は田地の如くであって、慧は万法の如しで
す、我等一心の田地より諸法の万法は起っています、法
華一部28品は方一心が三千と開いたおしえなのです。
 田は定であるから妙の徳、宅は慧の徳なれば法の徳で
本迹両門の事で止観の二法なのです。
 教主釈尊本迹両門の田宅を以つて一切衆生を助けたの
です。
 田宅は我等衆生の色心(心と身体)の二法です。
 華経に値い奉りて、南無妙法蓮華経と唱え奉る時煩悩
即菩提生死即涅槃と心も身体も覚るのです。
 これこそ多有田宅の長者の事です。
 多有と云う心は心法に具足する心数(心のあらゆる働
き)で、色法に具足する所作(行動)です、だから多有
田宅の文は一念三千の法門を示します、其の故は一念は
定で三千は慧であるからです。
 既に釈に云く、田宅は別譬8別の喩)です、田は能く
命を養う、禅定の般若(煩悩をコントロールする智慧)
を資するに譬えてあるし、宅は身を栖ます(巣と同意)
のであって、実境(ありのままの姿)の智の所託と為る
に譬えています、此の釈は分明(明白)です、田宅は身
命、身命は即ち南無妙法蓮華経、此の題目を持ち奉る者
は、実は多有田宅の長者である事が間違いない。
 今末法に入つて日蓮等の類多有田宅の本主として如説
修行の行者です云云。

2020/10/21  13:11

投稿者:沖浦克治
 『一多有田宅の事  仰に云く田宅とは、長者の財宝
なり、所詮田と云うは命なり、宅とは身なり、文句の五
に田宅をば身命と釈せり、田は米なり、米は命をつぐ、
宅は身をやどす是は家なり、身命の二を安穏にするより
外に財宝は無きなり、法門に約すれば田は定宅は慧な
り、仍つて定は田地の如し、慧は万法の如し、我等一心
の田地より諸法の万法は起れり、法華一部方寸知るべし
と釈して八年の法華も一心が三千と開きたるなり、所詮
田は定なれば妙の徳、宅は慧の徳なれば法の徳、又は本
迹両門なり、止観の二法なり、教主釈尊本迹両門の田宅
を以つて一切衆生を助け給えり、田宅は我等衆生の色心
の二法なり、法華経に値い奉りて、南無妙法蓮華経と唱
え奉る時煩悩即菩提生死即涅槃と体達するなり、豈多有
田宅の長者に非ずや、多有と云う心は心法に具足する心
数なり、色法に具足する所作なり、然らば多有田宅の文
は一念三千の法門なり、其の故は一念は定なり、三千は
慧なり、既に釈に云く、田宅は別譬なり、田は能く命を
養う、禅定の般若を資するに譬う、宅は身を栖ます可
し、実境の智の所託と為るに譬う云云、此の釈分明な
り、田宅は身命なり、身命は即ち南無妙法蓮華経なり、
此の題目を持ち奉る者は豈多有田宅の長者に非ずや、今
末法に入つて日蓮等の類多有田宅の本主として如説修行
の行者なり云云。』

2020/10/21  9:47

投稿者:ダイアリー
>私(沖浦さん)も貴方(ダイアリー)も久遠の南無妙法蓮華経如来ですよ!!

ご自身にとって都合の悪い質問、返答出来ない質問を投げかける人間も、
久遠からの南無妙法蓮華経如来じゃないんですか?

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