2020/10/22

カケラ  
今日は顕正新聞第1519号である。鳥取会館の御入仏式を伝えている。

これが最後の思いで馳せ参じた一人ひとり・・・

同会館は山陰地方初の会館である。ゆえに隣県からも多数の顕正会員が馳せ参じたと思われる。そしてこれまでにも繰り返し指摘してきたように、これが最後云々がイミシンであって、早い話が浅井先生に直接お目に掛かるのは最後になるだろうと言っているわけである。

始めて×5

さっそく会長講演を見て行くと、例の表記がひじょうに気になる。何をそこまでこだわっているのかと思う。

山陰地方初の
  広宣流布の大法城


一面にも同様の文章があるし、会長講演の小見出しにもご覧のような表記がある。だったら始めてではなく、初めてにすべきだろう。

 いま南北朝鮮の境界線は38度線ですが、もし南北が統一されたら38度線はぐーっと南に下がって、対馬海峡が日本と朝鮮半島の境界線になってしまう。

アゲアシ取りに過ぎないのかもしれないが、恐ろしくデタラメな文章である。前半では南北朝鮮の境界線を云々しているのに、なぜか後半では日本と朝鮮半島の境界線の話になっている。

この住職が率いる僧侶の派閥は宗門で最大であった。

わたくしはいつも疑問に思っている。妙信講発足時の状況を伝える時には住職の名前を伏せている。そして御遺命守護のくだりでは名前が出てくるのだ。次が一例である。

そのような時、早瀬総監は終始、黙ったままであった。この人は人物が大きいのかどうかは知らんが、御法門には「われ関せず」という態度をとり続けた。

なぜに発足時には名前を伏せているのか、その理由がわからない。

何しろ最初から悪役として描かれているのである。妙信講は広宣流布への情熱に燃えていた。しかるに住職は信心のカケラもなく、宗内政治に明け暮れていた。
であれば、早い話が最初から最後まで悪役のままなのだから、隠す必要もないはずなのである。
それにもかかわらず発足時と後年の御遺命守護の時代は別々に描かれていて、事情を知らない人には同一人物であることがわからないようになっているのだ。

その理由がわたくしにはまったくわからない。

 口角泡を飛ばして論判したのは阿部信雄です。

早瀬総監と阿部教学部長はセットで語られることが多い。浅井先生の両者に対する評価は、前掲との比較でも何となく想像はできるだろう。今は具体的な文言を紹介できないので恐縮だが、わたくしの脳内に残る過去の浅井発言からも窺うことができる。

ようするに議論においては阿部教学部長が難敵だった。早瀬総監はそれほどでもなかった。それが浅井先生にとっては今もなお強く焼き付いているわけなのだろう。ゆえに日顕上人への憎悪は半端なく強い。逆に早瀬総監に対してはそれほどでもない。

しかし、それとこれとは別である。先ほどの、なぜに妙信講発足時と御遺命守護の時代を切り分けて、当時の住職と後の早瀬総監が同一人物であることを隠すのか、その積極的な理由はどこにも見出せない。なぜなのか、説明できる人がいたら教えてほしいものである。

 ゆえに今、亡国の予兆たる巨大地震の連発は始まらんとし・・・

前にも指摘したことである。すでに巨大地震の連発は始まっている。それをご覧のように、あたかもこれから始まるかのように書くのは、一種の詐術なのかもしれない。

もし本人に自覚がないのだとしたら、今からでも改めるべきだろう。逆に自覚があるとしたら救いようがないわけだが、ともかくわたくしは何度でも指摘していくつもりである。


十月二十四日追記:一部加筆、および取り消し線を追加した。

2020/10/24  11:02

投稿者:沖浦克治
 講義、
 臨終の捉え方に二つあります。
★この世の命の終わり
★新しい次の人生への旅立ち
 日蓮仏法では新しい人生への目出度い旅立ちと説きま
す。
 ですので、当然親しい人の臨終に接し悲しみはござい
ますが、これで故人の全てが終わったと思う悲しみは、
悲しいが新しい人生に向けた門出と知っている人の悲し
さとは異なります。
 御書には、

 『左衛門尉申すやう只今なりとなく、日蓮申すやう不
かくのとのばらかなこれほどの悦びをばわらへかし、』
(種種御振舞御書)

 と斬首の我が身をお喜びです。
 更に、

 『所詮臨終只今にありと解りて信心を致して南無妙法
蓮華経と唱うる人を「是人命終為千仏授手令不恐怖不堕
悪趣」と説かれて候、悦ばしい哉一仏二仏に非ず百仏二
百仏に非ず千仏まで来迎し手を取り給はん事歓喜の感涙
押え難し、法華不信の者は「其人命終入阿鼻獄」と説か
れたれば定めて獄卒迎えに来つて手をや取り候はんずら
ん浅�浅�、十王は裁断し倶生神は呵責せんか。』
 (生死一大事血脈抄)

 歓喜の感涙押え難し・・・・・
 凄いです!

 法華経の行者は不老不死だともあります。

 『人法共に不老不死の理顕れん時を各各御覧ぜよ現世
安穏の証文疑い有る可からざる者なり。』(如説修行抄)
 戸田先生が言われました。

 『更に自分が若し死んだらと思うとどうしようも無い
思いになりました。
 然し戸田はその生死の問題を解決知たらばこそ、創価
学会の会長になったのあります。』(主意)

 池田先生も言われました。

 『この人生を思い切り生きて、臨終の時、ああ面白か
ったと言って息を引き取りましょう』(主意)

 私はこのご文を拝し、これ等の指導を思い出しまし
た。

2020/10/24  11:00

投稿者:沖浦克治
 明日は日曜日で講義をお休み致しますので,今日今一
講義させて頂きます。
 『一諸鬼神等揚声大叫の事 仰に云く諸鬼神等と云う
は親類部類等を鬼神と云うなり、我等衆生死したる時妻
子眷属あつまりて悲歎するを揚声大叫とは云うなり、文
句の五に云く諸鬼神等の下第四に一行半は被焼の相を明
す、或は云く親族を鬼神と為し哭泣を揚声と為すと。』

 通解
 一諸鬼神等揚声大叫の事 
 大聖人は言われました。
 諸鬼神等と言うのは親類部類(親戚や仲間眷属)等を
鬼神と云言うのです。
 私共が亡くなった時妻子眷属等が集まって悲歎する姿
をを揚声大叫(声を張り上げて叫ぶ)と言います。
 天台の法華文句の五には、諸鬼神等について書いてあ
る下の第四の一行半で被焼(焼死)の相を明してありま
す。
 親族が泣き叫ぶなら故人にとってマイナスであるの
で、鬼神と名付けし哭泣(悲しんで泣く)事を揚声(た
だ声を張り上げているだけ)だとあります。

 注〜あるいはこの通解は間違っている可能性がありま
す。
 不勉強ですので、そのまま講義致します。

2020/10/24  10:12

投稿者:名無し
2020/10/18 8:07
>>投稿者:大沢克日子
(一部省略)

>>浅井会長が生きていたら、また騒ぎはじめるかもし
れませんがww


浅井会長は亡くなったの??

2020/10/24  8:59

投稿者:ダイアリー
マルクス及びマルクス主義者(左翼)の特徴と手口。

一、理論はすべて教祖が作り上げる。
二、解釈だけで、事実の検証がない。もしくは都合の良い事実だけを引っ張ってくる。
三、もし理論と事実が矛盾した場合、事実のほうがおかしいとする。←最重要点!!!
四、よって、理論はすべて妄想(モデルと呼ぶのもおこがましい)。
五、弱い敵を見つけた時だけ饒舌。
六、強い相手との強烈な反論には絶対に答えない。大声でかき消す。
七、反論しているようにみせかけて、教祖の教典をひたすら繰り返す。
八、絶対に自分の頭でモノを考えない。

https://office-kurayama.co.jp/?p=2174

2020/10/24  8:46

投稿者:沖浦克治
 講義

 大富豪が古い大邸宅に住んでいて、そこは入り口に小
さい門が一つしか無かった。
 ある日、富豪が帰宅すると家が燃え始めていて、中に
は富豪の子供たちが大勢それぞれ気に入った遊びに夢中
になっていた。

 このままでは全員焼け死んでしまう!

 門は小さく狭く一か所しかないので、子供を安全に非
難させるため富豪はとっさに嘘を付いた。

 門の外に素晴らしい車が止まっていて、お前たちの好
きなものをとって良いよ。

 子供たちは走って出て行って、表に停まっていた最初
の話とは異なる素晴らしい牛車に乗って難を逃れた。
 戸田先生は言われました。

 『現世利益って言うのはね、如来寿量品の功徳の残り
滓なんだよ。』(主意)

 御書には、
 
 『此の文は始めて我心本来の仏なりと知るを即ち大歓
喜と名く所謂南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜な
り。』(御義口伝巻下)

 自身が本来仏であったと覚る事が現実の人生での最高
の歓喜だとあります。 
 私はその僅かを2度体験致しました。
 極々僅かでしたが、あれ程の喜びがこの世にあるとは
思いませんでした。
 以来人生観が180度変わってしまいました。

 お金も大切ですし、家族も人間関係も凄く重要です。
 然しこれらの功徳の喜びは、方便だと覚りました。
 決して方便だから大切では無いとの意味ではありませ
ん。
 真実の覚りに導くための大事な大事な功徳です。
 その功徳を積み重ねて行くことで益々信心は深まりま
す。 
 最後に自身が久遠からの本仏であったと言う最高の歓
喜に至るとあります。

 法華経は、難信難解、難解難入と言いますが、自身が
仏だと知識として知っているだけでも素晴らしい人生を
歩けます。
 池田先生が言われました。

 『部屋で会議していてドアを見て、あのドアを開ける
と階段があって屋上に出られる、と知っている人と知ら
ない人では大きな違いがあるのです。』(主意)

 私共創価の人間は、覚りは無くとも自分が久遠からの
仏であるとの知識を得ています。
 後は自行化他の唱題に励み、ある日、

 自分は仏だった〜〜〜!!!!!

 と覚ります。
 だってね、今こんなにダメで苦しんでいる自分が、本
来の仏なのです。
 いい話です!!
 最高〜〜〜〜〜!!!

2020/10/24  8:44

投稿者:沖浦克治
 既に咸帰長者(ことごとく長者に帰する)と釈してい
て、この大邸宅は全て法界(現実社会)での出来事だと
しています。
 一切衆生の受ける苦悩は、釈尊一人の長者の苦しみだ
と釈しているのです。
 一色一香一切皆然なりとは、この世の千草万木飛華落
葉(あらゆる現象)の為体(ていたらく〜有様)は全て
無常遷滅(むじょうせんめつ 万物は常に生滅を繰り返
し遷り変わっており、常住なものはないとの意)の質と
見て仏道に帰する事も、属于一人(釈迦)の利する益で
あって、その利益の本源は南無妙法蓮華経の内証に引入
れしめんがためなのです。
 所詮末法に入つて属于一人の利益は日蓮が身に当るの
であって、日本国の一切衆生の受くる苦悩は、悉く日蓮
一人が属于一人です。
 教主釈尊は唯我一人能為救護(自分だけが一切衆生を
きゅさい出来る)と言われた様に、今日蓮だけが衆生を
救済出きると言われました。
 法華文句の五に云く、是朽故宅属于一人の下(後)
に、第二一偈(経文の一説)がありって、失火の理由を
明かしています。
 この世の中は、仏が発心して一切衆生を全て救済する
所である事を属于一人と言います。 
 此の釈に発心已来誓願度脱の文は正しく只日蓮一人の
身の事を示しているのです。

2020/10/24  8:40

投稿者:沖浦克治
 通解
 一是朽故宅属于一人の事 
 大聖人は言われました。
 この比喩品の文を、天台は文句の五で、出火原因をを
明す文としていて、此の古く朽ちた大きな屋敷とは三界
(私達の住む社会)は燃えている家である事に喩えてい
ます。
 火と云うは煩悩の火で、火と宅が属于一人(一人の持
ち物)とあるのは、この社会は釈迦一仏の利益の顕れで
あるからです。
 弥陀薬師大日等の諸仏(経文にある多くの現実社会に
存在しない仏)の救護では無く、教主釈尊一仏のみがこ
の現実社会を変革できる仏であり、それを経文では是朽
故宅属于一人(我一人だけがよくこれの朽ちた邸宅を所
有している)と説かれているのです。、此の属于一人の
文を重ねて、五巻提婆品に説いてある、観三千大千世界
乃至無有如芥子許非是菩薩捨身命処為衆生(三千大千世
界の中で衆生の為に菩薩の身命をつくさないところは芥
子ほども無かった。そのようにして、菩薩道を成就する
ことが出来た)故文(とあるのは)、妙楽大師が属于一
人の経文を釈する時に天台の法華文句記の五にある、全
てがこの長者(釈尊)に帰する一色一香に至るまで一切
が全てそうであると判じている理由です。

2020/10/24  8:39

投稿者:沖浦克治
 嚴虎さん、皆様おはようございます。

 『一是朽故宅属于一人の事 仰に云く此の文をば文句
の五に云く出火の由を明す文、此の宅とは三界の火宅な
り、火と云うは煩悩の火なり、此の火と宅とをば属于一
人とて釈迦一仏の御利益なり、弥陀薬師大日等の諸仏の
救護に非ず、教主釈尊一仏の御化導なり、唯我一人能為
救護とは是なり、此の属于一人の文を重ねて、五巻提婆
品に説いて云く観三千大千世界乃至無有如芥子許非是菩
薩捨身命処為衆生故文、妙楽大師此の属于一人の経文を
釈する時記の五に云く、咸く長者に帰す一色一香一切皆
然なりと判ぜり、既に咸帰長者と釈して、法界に有りと
ある一切衆生の受くる苦悩をば、釈尊一人の長者に帰す
と釈せり、一色一香一切皆然なりとは、法界の千草万木
飛華落葉の為体、是れ皆無常遷滅の質と見て仏道に帰す
るも、属于一人の利益なり、此の利益の本源は南無妙法
蓮華経の内証に引入れしめんが為なり、所詮末法に入つ
て属于一人の利益は日蓮が身に当りたり、日本国の一切
衆生の受くる苦悩は、悉く日蓮一人が属于一人なり、教
主釈尊は唯我一人能為救護、日蓮は一人能為救護に云
云、文句の五に云く、是朽故宅属于一人の下、第二に一
偈有り、失火の由を明す、三界は是れ仏の化応の処発心
已来誓つて度脱せんと願う、故に属于一人と云うと、此
の釈に発心已来誓願度脱の文、豈日蓮の身に非ずや云
云。』

2020/10/23  18:27

投稿者:ダイアリー
だが、左翼たちは「自分が正しい」が出発点で、かつ大前提だ。

「民主的統治かどうか」とか「選挙の結果」などは2の次、3の次なのだ。

たとえ、選挙で負けても「有権者がバカだ」くらいに思っている。
それが古今東西、左翼の発想である。元左翼の私が言うのだから、
間違いない(笑)。

https://news.yahoo.co.jp/articles/29288d15baba8efbe2901bc57236d05cc55e73c5?page=2

2020/10/23  18:09

投稿者:沖浦克治
 補講
 『仰に云く此の車は南無妙法蓮華経なり、即ち我等衆
生の体なり、法華一部の総体なり』
 私には最も重要に思えますので、この一節を詳しく書
きます。
 車とは法華経を乗せる車の事です。 
 そしてそれが私どもの体だとあります。
 車の中に仏と法が乗っていて、その器である車を含ん
で法華経の総体だと言われています。
 入れ物〜車〜衆生の体〜戒壇
 乗っているもの、仏とその智慧〜本門の本尊と題目
 これで三大秘法が揃います。
 『初めに如是相とは我が身の色形に顕れたる相を云う
なり是を応身如来とも又は解脱とも又は仮諦とも云うな
り、次に如是性とは我が心性を云うなり是を報身如来と
も又は般若とも又は空諦とも云うなり、三に如是体とは
我が此の身体なり是を法身如来とも又は中道とも法性と
も寂滅とも云うなり、されば此の三如是を三身如来とは
云うなり此の三如是が三身如来にておはしましけるをよ
そに思ひへだてつるがはや我が身の上にてありけるな
り、』
 (十如是事)
 この文から拝するなら、私共の体と命を離れた所に三
大秘法はありません。
 特別な所に特別な聖地を求める事は日蓮思想から外れ
ます。

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