2020/11/22

アクジ  
ウッカリしていたことがある。九月度総幹部会の新聞をすっ飛ばしてしまったのだ。

「米中対決と日本」特集号

顕正新聞第1523号である。なぜにミスを犯したのか、自分でもよくわからない。

安倍首相の四つの悪事

気を取り直して話を進めて行こう。余計なことを言えば、浅井先生はまたしても予言し損なってしまった。八月度総幹部会では安倍首相のことを言えなかったのだ。一ヶ月後の当該講演でようやく安倍辞任に言及するアリサマである。ようするに電撃辞任であり、浅井先生もまったく予想できていなかったらしい。

「モリ・カケ・桜・河井夫妻問題」

まあ、しかし、この辺のまとめ方はひじょうに上手い。これらは首相を辞めても免罪されるものではなく、どこまでも追及すべき問題である。

亡国の政権・菅内閣

当然、前首相への追及もさることながら、現首相への批判も忘れていない。懸案はいろいろあるが、やはり差し当たってはコロナ問題だろう。第三波への対応を見るに、現政権も後手後手感が否めない。このまま感染拡大が続けば、それこそ亡国の危機である。

米・中対決の狭間で
 日本は存立できるか


この一つ前の大段では、日本の前途に三つの国難があるとして、財政破綻と巨大地震を説明している。財政破綻については省略するが、巨大地震については少し書いておこう。立命館大学特任教授の高橋学氏いわく、あと数年以内に相模トラフと南海トラフで超巨大地震が発生する、と。これは誰も否定しないだろう。言えることは、具体的な日時は誰にもわからないし、数年以内かどうかもわからないが、いずれは必ず起こる、ということである。

そして三つ目の国難として他国侵逼を云々するわけだ。

その具体的なシナリオとして、まず米中で深刻な対立が起こり、日本は米国に付くか中国に付くかの選択を迫られる、と浅井先生は言っている。もし米国に付けば、中国は日本を核攻撃で潰滅させるのだそうである。

すでに先日のブログでも書いたように、これは杞憂というか、現状ではひじょうに考え難いことである。少なくとも日本国内に中国人がたくさん居住している以上、そんな無謀なことはできないはずなのだ。つまり、国内の中国人の動向を観察していれば今のところは大丈夫だとわかるわけで、もし彼らの動きに変化があればそこでいよいよヤバイということになるのだと思う。

「現当二世にのがれ難し」

日蓮大聖人の御頸を刎ね奉る罪は、大罪の中の大罪であり、これより大きな罪はない。これが浅井先生の主張である。とりあえず、ここはそれほど問題ないと思う。

 「現当二世」とは、今生と後生の意と共に、ここでは、御在世と未来日本国にわたるとの御意であります。

ここが問題である。わたくしには大聖人がそんなつもりでおっしゃったとは思えないのだが、いかがだろうか?

おそらく一般人の感覚からすれば、ハタメイワクな話に感じるはずである。そんな昔のことを言われても困るわけで、たとえご先祖様が大聖人に危害を加えたとしても、それを子孫が償わなければいけないという話にはならないはずなのだ。こうした世間の常識から乖離したものを主張する場合、それが絶対の真理だからというのが理由づけとして考えられるわけだが、ではそれを顕正会は証明できるのだろうか?

この点、改めて聞いてみたいものである。

2020/11/23  8:18

投稿者:沖浦克治
 戸田先生はここを講義されて言われました。
 
 『君たちが今貧乏で苦労するのは過去世で泥棒したか
らだ。
 それで君たち納得するのかい?
 出来ないだろう?
 ハイわかりました・・・・・・
 何てが言えるか?
 冗談じゃないそんな事覚えてないんだから。
 大聖人様はありがたいのです。
 それを今、今だよ、題目唱えて折伏したらなかった事
にしてやる。
 こう言われているんだ。
 日蓮は此因果にはあらず。
 元は線香と蝋燭代だけなんだ。
 どうだ、いい話じゃないか。 
 やらなきゃ損だ。』(主意)

 話を戻します。

 同心とは、自身の命が南無妙法蓮華経であって、他の
人も同じだと信じる事です。
 異体とは、それぞれが個性豊かに生きて、社会でドン
ドン成功し、功徳の実証をそれぞれの立場で隋力演説す
る事です。
 この行為を、人間革命運動の拡大と申します。
 異体同心とは、人間革命運動の拡大に生きる私共創価
人の姿なんです。

 嬉しいじゃありませんか!!

2020/11/23  8:16

投稿者:沖浦克治
 講義

 異体同心とはよく言われますが、異体とは個性が豊か
に認め合う事が出来る集団の事です。
 その個性がそれぞれの特性を活かし、広宣流布と言う
大事に向かって共に助け合いながら進む。
 創価学会と言う教団の中での異体同心です。
 そして、創価学会は会員がいなければ成り立ちませ
ん。
 当然、最も重要なのは、会員一人一人の命における異
体同心です。
 十界互具と言いますが、漠然としていて理解が困難で
す。
 天台が九識論を説きましたが、九番目の最も奥にある
のが、根本清浄識と言います、他の言い方もあります
が、暗号見たいなのでこれを採用致します。
 ここが全人類全く同じで寸分異ならず、南無妙法蓮華
経。
 これが同心です。
 そして、八識は宿命が貯まる所ですが、ここから上は
個性があります。 
 この八識が命のDNAですね。
 宿命が溜まっている所ですが、自行化他の唱題でこの
八識は変わります。
 これを因果具時と言います。
 具時ですから、因と果は同時なので、前世の宿命に左
右されないのです。
 御書には、今生活が苦しいのは前世で泥棒したからだ
と法華経にあるが、その因果は唱題で無くなるとありま
す。

 『高山に登る者は必ず下り我人を軽しめば還て我身人
に軽易せられん形状端厳をそしれば醜陋の報いを得人の
衣服飲食をうばへば必ず餓鬼となる持戒尊貴を笑へば貧
賎の家に生ず正法の家をそしれば邪見の家に生ず善戒を
笑へば国土の民となり王難に遇ふ是は常の因果の定れる
法なり、日蓮は此因果にはあらず』
 (佐渡御書)

 日蓮は此の因果にはあらず!!!!!!!!!!!

 書いてありますね。

2020/11/23  8:14

投稿者:沖浦克治
 嚴虎さん、おはようございます、皆様。

 今日は11月度の座談会御書を講義致します。
 私共の白馬南支部では、10か月ぶりの座談会でし
た。
 嬉しかったです。
 
 異体同心事

 『日本国の人人は多人なれども体同異心なれば諸事成
ぜん事かたし、日蓮が一類は異体同心なれば人人すくな
く候へども大事を成じて一定法華経ひろまりなんと覚へ
候、悪は多けれども一善にかつ事なし、譬へば多くの火
あつまれども一水にはきゑぬ、此の一門も又かくのごと
し。』
 
 通解
 日本国には沢山の人がいるが、体は同じでも心が異な
っているから、あらゆる事を成し遂げられないが、日蓮
の一類は祈りの心は一つであるから、人は少ないが法華
経流布と言う大事を成し遂げてることは必定である。
 悪は多いけれども一つの善に勝つことが無いのは、大
きな火が燃え盛っていても、水を掛けるだけで消えてし
まうのと同じである。  
 この日蓮の一門も同じなのである。

2020/11/22  21:35

投稿者:沖浦克治
 『一爾時無尽意菩薩の事 仰に云く此の菩薩は空仮中
の三諦なり、意の一字には一切の法門を摂得するなり意
と云うは中道の事なり無は空諦なり尽とは仮諦なり、所
謂意と云うは南無妙法蓮華経なり、一切諸経の意三世の
諸仏の題目の五字なり所詮法華の行者は信心を以て意と
せり云云。』

 通解
 一爾時無尽意菩薩の事 
 大聖人は言われました。
 この菩薩は空仮中の三諦を示しています。
 意の一字は一切の法門を摂得しているのです。
 意とのは中道の事で、無は空諦、尽とは仮諦です。
 意とは南無妙法蓮華経で、一切諸経の意であって更に
三世の諸仏が唱えた題目の五字の事です。
 法華の行者は信心を以て意とするのです。』

 講義
★爾時(じじ)〜その時。
★無尽意菩薩(むじんいぼさつ)〜観世音菩薩普門品第
25で説かれていて、様々な法を説いたと言う菩薩。
★空仮中〜
 空諦(真諦、無諦)とは、すべての存在は執われの心
によって考えられるような実体はなく、空無のものであ
ること(破情)
 仮諦(俗諦、有諦)とは、すべての存在は無実体のた
めに縁によって仮に生じ存在するものであること(立
法)
 中諦(中道第一義諦)とは、すべての存在は一面的に
考えられるような空・仮を超えた絶対のものであって、
その本体は言説思慮の対象ではない事。
 〜引用終わり〜

 無尽意菩薩が様々な法を説いたとありますが、これは
私どもが隋力演説(力に応じて法を語る)をする事で
す。
 私はここで隋力演説をしていますし、この瞬間にも何
処かで相手の幸福を願って隋力演説をされておられるお
方が沢山おられると思います。
 悪世と呼ばれる末法今時に於いて、様々な人々が様々
な場面で様々に創価の正義を声高く語る。
 これが無尽意菩薩です。
 ここを忘れてどう言う仏法も法華経も創価思想もあり
ません。
 何故なら、創価仏法、創価思想の体現者は私共だから
です。
 末法万年尽未来際の旅立ちにあたって、私共は不思議
にも池田先生の弟子となり、日蓮門下となる栄誉を得ま
した。
 正に、千歳一隅の機会に恵まれた選び抜かれた地涌の
菩薩です。
 ここだけ信じて疑わない事が最も肝心です。
 ご一緒に創価の王道を生きて参りましょう。

2020/11/22  21:34

投稿者:沖浦克治
 嚴虎さん、皆様今晩は。

 明日から出張ですので、今日講義致します。
 短いご文ですので、二つ講義させて頂きます。

 『一妙音菩薩の事 仰に云く妙音菩薩とは、十界の語
言音声なり、此の音声悉く慈悲なり、菩薩とは是れな
り。』

 通解
 一妙音菩薩の事 
 大聖人は言われました。
 妙音菩薩とは、十界の語言音声の事を示しています。
 
 そしてこの音声は悉く慈悲から起きる音声なのです。
 菩薩と言うのは、慈悲の音声を発しているからです。

 講義
 ★妙音菩薩(みょうおんぼさつ)〜法華経妙音菩薩品
第24に説かれる菩薩で、東方の一切浄光荘厳国に住み、
霊鷲山で法華経を聴聞したとされる。美しい声で十方
(じっぽう) 世界に教えを広める役割を持つ。
 〜引用終わり〜
 声がそのまま慈悲の行いとありますが、所詮、世界平
和実現と言っても、民衆救済と言っても、目の前の一人
との対話による以外にありません。
 民衆の海に入って民衆と一対一の対話を重ね相手の幸
せを願う。
 この積み重ね以外に方法は無いのです。
 妙音菩薩が素晴らしい声で法を弘めるとはそう拝しま
す。
 牧口先生が言われました。

 『人生の重大事は対面による対話しかない。』(主
意)

 立正安国論には、

 『主人の曰く独り此の事を愁いて胸臆に憤�す客来つ
て共に嘆く屡談話を致さん、』

 対話の重要性を訴えておられると拝します。
 更に、

 『儒教道教を以て釈教を制止せん日には道安法師慧遠
法師法道三蔵等の如く王と論じて命を軽うすべし、』
(佐渡御書)

 王と論じて命を軽くするべし・・・・

 対話を持って命を賭けなさい。
 暴力ではなく、何処まで行っても仏法は対話によって
しか広まりません。
 故に、創価は絶対平和主義ですし、歴史上仏法は戦争
によって布教を行わない殆ど唯一の宗教です。
 私共創価人は常に超え高々と創価仏法、創価思想、創
価三代の聖人方の思いを誇り高く語って行きましょ
う!!

2020/11/22  17:15

投稿者:沖浦克治
 でもね、この楽観主義は教える方はお金になりませ
ん。
 複雑な手続きが要りませんから、せいぜい頂いても入
会金程度。
 偉い僧をこしらえて、凄く不可思議な存在にして、そ
の奥の奥のマタマタ奥に、チラチラと仏が見え隠れす
る・・・・
 これは何度も授業料頂けますね、何しろ堂々巡りさせ
て謝礼取れます。
 トレーニングも同じです。
 コアと言う言葉に飛びついて、複雑に複雑にして、自
分が摩訶不思議なメソッド知っている事にすると、その
人の奥の奥のマタマタ奥にコアが見え隠れします。
 これはいい商売になります。
 何度も何度も行きつ戻りつさせて、レッスンフィー頂
けます。
 それを、私みたいに、
 コアってね横隔膜に尽きますよ、ですから誰でも簡単
に強いコア手に入ります。
 これはあまり儲からないのです。
 レッスンして覚えて頂いたら私は用済み。
 ですが、仏法者としての立ち位置から、私はこれが大
正解と思っています。
 ですから、私はドンドン前に進んで、常に世の中から
少し進んだ技術を身に付けていなければ生きて行けませ
ん。
 でもね、この方が恰好良いじゃないですか。
 ですので、死ぬまでこれで行きます。
 法華経ってカッコ良い〜〜〜〜〜〜!!!

2020/11/22  17:14

投稿者:沖浦克治
 ここを法華経では、

 『一代聖教とは此の事を説きたるなり此れを八万四千
の法蔵とは云うなり是れ皆悉く一人の身中の法門にて有
るなり、然れば八万四千の法蔵は我身一人の日記文書な
り、此の八万法蔵を我が心中に孕み持ち懐き持ちたり我
が身中の心を以て仏と法と浄土とを我が身より外に思い
願い求むるを迷いとは云うなり此の心が善悪の縁に値う
て善悪の法をば造り出せるなり、』
 (三世諸仏総勘文教相廃立)

 と解き明かします。 
 更に、

 『都て一代八万の聖教三世十方の諸仏菩薩も我が心の
外に有りとはゆめゆめ思ふべからず、然れば仏教を習ふ
といへども心性を観ぜざれば全く生死を離るる事なきな
り、若し心外に道を求めて万行万善を修せんは譬えば貧
窮の人日夜に隣の財を計へたれども半銭の得分もなきが
如し、然れば天台の釈の中には若し心を観ぜざれば重罪
滅せずとて若し心を観ぜざれば無量の苦行となると判ぜ
り、故にかくの如きの人をば仏法を学して外道となると
恥しめられたり』(一生成仏抄)

 と説いてあります。
 自分が本来持っていないものを自分の以外の所に求め
ると、それは凄い苦行となるとあります。
 仏にどうするとなれますか?
 何言ってますか、貴方既に仏ですよ。
 これが法華経です。
 凄まじい程の楽観主義なのです。

2020/11/22  17:12

投稿者:沖浦克治
 嚴虎さん、皆様今晩は。
 
 今日は、皆様。
 今日は日曜なので講義はお休みです。
 なので、法華経とトレーングの関係を書きます。
 仏法は衆生の成仏を目的とした教えです。
 その中で、法華経以外の教えの大前提は、
 現状では、人は仏でないので仏に成らねばならない。
 そのための教えが仏法である。
 然るに法華経では、
 人はそのままで100%の仏なので、それを思い出せば
良い。  
 そのための教えが法華経である。
 法華経は帰納法ではなく、演繹法なのです。
 トレーニングで喩えますと、私のレストレーショント
レーニングは演繹法です。
 男子であれば、誰でも100キロ、女子なら70キロのフ
ルスクワットが出来る力を本来から備えているので、後
は適切なトレーニングでそれを引き出すだけで良い。
 法華経は、
 貴方はそのままで仏なので、後は普通に題目を唱えて
思い出してください。
 と説きますが、これと同じです。
 スクワットで究極の目標として100キロを定めると、
極めて辛いトレーニングが当然になります。
 反対に、元々100キロ出来るのだから、そこに戻せば
良いと捉えると、トレーニングは楽になります。
 義務感が無いからです。
 究極の目標を定めてしまうと、ここが義務感にならざ
るを得ません。
 自分に備わっていない能力を求めるなら、当然自分以
外の何処かから持ち込む他ありません。
 対して、本来備わっている所まで戻るだけなら、自分
の中から引きだすだけで足ります。
 この両者には天地雲泥の開きがあって、義務感と権利
主義、
 悲観と楽観です。

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