2021/1/21

ビヨウシ  
今日は顕正新聞第1530号の残りをやっつけようと思うが、その前に沖浦氏のコメントについて少し触れておこう。

 戒壇とは宝塔の住処ですから、阿仏房がいる場所がそのままで本門の戒壇です。

この根拠はどこにあるのだろうか?

また、以前は阿仏房の身体が戒壇なのだと、わたくしの記憶が確かならば、そんな意味のことを言っていたはずである。すると解釈を変更したのだろうか?

 そして私ごとですが、本年二月に、二〇年以上続けていた美容師の仕事を辞め、御奉公にかけ切る決意で転職いたしました。

さて、本題である。ご覧の女子部第二十五区班長(首都圏)の記事はいかがなものかと思う。今や顕正会もそれなりの人数であるから、美容師を生業にしている人もたくさんいるはずである。その意味で上掲は不適切な記事のように思える。確かに彼女は熱心な活動会員であり、大塚駅で街頭配布している時に石川県金沢市の人と出会って、なんとわざわざ金沢まで折伏に出掛けて行くくらいなのである。とは言え以前にも繰り返し指摘してきたように、人生の選択肢としては最悪のような気がしてならない。実際、そうやって仕事を辞めてまで顕正会に専念した人が、その後に顕正会を離脱しているケースも少なからずあるのだ。顕正会に人生を狂わされた。しかし、顕正会は責任を取ってくれない。たぶん訴訟を起こしてもダメだろう。何しろ辞める辞めないは自分自身が選択したことだからである。

早大・法科大学院で妙法の弁護士めざす

女子部第四区組長(神奈川)の記事である。顕正会には法務部があってすでに二名の弁護士がいる。彼女はそれに続く有望な人材と言えるだろう。もちろん他にも弁護士を目指している人がいて、顕正会の未来は明るいように思える。

しかし、次のリンク先を見ると、愕然とするかもしれない。

https://twitter.com/mochi_law/status/1351793905969164290

十四位に創価大学が入っている。具体的な人数はわからないものの、早大ならぬ創大出身の弁護士がたくさんいて、かつまた毎年のようにコンスタントに新たな弁護士を輩出している様子が伝わってくる。

そもそも現行の弁護士制度がどうなっているのか、一般人にはよくわからない。ようするに法科大学院を経なくても弁護士になれるらしく、現状では法科大学院全体の弁護士合格率よりも創大生のほうが上らしいのである。

ともかく社会的な意味では創価学会にとうてい太刀打ちできない。それが顕正会の実情である。

 正本堂はすり鉢のように、椅子席から御宝前を下に見下ろす構造になっており、最前列に池田大作と細井日達が座っておりました。

かつて創価学会員だった男性婦人部員の記事である。創価学会時代には総ブロック長をやっていたと書かれているので、それなりの大幹部だったわけなのだろう。しかし、いつも思うのだが、彼らの書いていることは昔の話なので記憶違いが多かったりして、あまり信用できない。上掲が一例で、最前列云々がいかにもデタラメな話に思える。まさか日達上人が池田大作氏と並んで座っているわけがあるまい。上人は導師席である。池田氏がどれほど偉かろうともしょせんは信徒である。肩を並べることはあり得ないのだ。

こう書くと、妙光寺事件を云々する人が出てくるかもしれない。だったらなおさらのことだろう。例の話は法要以外においては肩を並べるという取り決めだったはずである。

 それでも一ヶ月に一回の御書講義は、大聖人様の御事に触れられるので大へん楽しみでした。

文脈的には、創価学会は池田氏の自慢話ばかりでおかしいと思っていたが、それでも月一回の御書講義は楽しみだった、という流れである。

婉曲ながらも立派な顕正会批判である。もちろん本人にそのつもりはないのだろうけれども、顕正会的には痛いところを突かれていることになるだろう。何しろ月一回の御書講義すら実施していないのが今の顕正会だからである。

2021/1/24  18:04

投稿者:沖浦克治
 晃さん、名無しさん、今晩は。
 
 三大秘法抄は現在の日蓮正宗のレベルでは正しく読む
ことが出来ません。
 何故ならば、日蓮正宗には相承も血脈もないからで
す。
 少し説明致しますので、真摯にお読み下さい。
 くれぐれも感情による愚かな反論や、御書に基づかな
いご意見はご無用に願います。
 御書に基づかない論をお好みの方が大多数である事
は、日蓮正宗の伝統的な特徴ですが、私にはお慎み願い
ます。
 では本題です。


 『答う汝強ちに之を問う聞て後堅く信を取る可きな
り、』(三大秘法禀承事)

 これが法を訊ねる時の基本的な姿勢です。
 ここを弁えない故に日蓮正宗関係者は愚かな日寛さん
の邪義から抜け出せません。

 通解

 貴方は身勝手に質問をするのだが、今後はキチンと信
じなさい。

 講義

 日蓮正宗の方に、戒壇本尊本懐は日蓮仏法に無い事を
御書を引用して示しても、全く納得せず身勝手な揶揄と
愚かな質問を繰り返す事が常です。
 三大秘法も私は既に阿仏房御書を引用し、日蓮仏法の
立場から正確に示しています。
 所が、日蓮正宗関係者はそれを信じる事を拒み、揶揄
と無意味な回答を繰り返すのみ。

 その態度はこのご文に明確に反しています。
 戒壇本尊本懐論を信じる人は、日蓮仏法から見て異流
義なのです。
 このご文にあるように、速やかに正しい教えを信じな
さい。

 『汝早く信仰の寸心を改めて速に実乗の一善に帰せ
よ、』(立正安国論)

 この仰せを守れず実践出来ないなら、異流義である事
を認め、今後は日蓮門下を名乗らないように!!

2021/1/24  6:45

投稿者:沖浦克治
嚴虎さん、皆様おはようございます。

 晃さんは未だに三大秘法抄の講義をされない。
 それどころか、名無しさんは日蓮仏法の最重要である
三大秘法に付いて、便所の落書きと書く。

 これ等がどれほど大聖人仏法を貶めているかは歴然で
すが、それを諫める事も出来ない法華講員ばかりがい
る。

 情けないね・・

2021/1/23  19:50

投稿者:名無し
便所の落書き継続中で過疎化の一途ですな
独りよがりな老害パワー恐るべし

2021/1/21  22:26

投稿者:沖浦克治
嚴虎さん、疑問にお答え致します。

> 戒壇とは宝塔の住処ですから、阿仏房がいる場所が
そのままで本門の戒壇です。

この根拠はどこにあるのだろうか?

また、以前は阿仏房の身体が戒壇なのだと、わたくしの
記憶が確かならば、そんな意味のことを言っていたはず
である。すると解釈を変更したのだろうか?

 先ず阿仏房が本門の本尊で本門の題目である事は御書
に明快です。

 『今阿仏上人の一身は地水火風空の五大なり、此の五
大は題目の五字なり』
 (阿仏房御書)

 阿仏房自身が地水火風空の五大であって、そのまま南
無妙法蓮華経だとあります。
 ここは阿仏房が本門の題目であるとの御指南です。
 明快で疑う余地が無いご表現ですから日蓮門下を名乗
る者は信受するだけの事です。

 『然れば阿仏房さながら宝塔宝塔さながら阿仏房此れ
より外の才覚無益なり、』

 阿仏房は本門の本尊だと仰せです。
 これも極めて明快ですから、ここに異論があるなら、
異流義ですが、異流義を承知で否定する事はご自由で
す。
 但しその場合その人は日蓮門下ではありません。

 次に戒壇ですが、同じくこのご文の後に以下の文があ
ります。

 『聞信戒定進捨慚の七宝を以てかざりたる宝塔なり、
多宝如来の宝塔を供養し給うかとおもへばさにては候は
ず我が身を供養し給う我が身又三身即一の本覚の如来な
り、かく信じ給いて南無妙法蓮華経と唱え給へ、ここさ
ながら宝塔の住処なり、』

 自分が三身即一身の本格の如来だと信じて唱題するな
ら、貴方のいる所は本門の戒壇(宝塔の住処)ですよ。

 明快に仰せです。
 宝塔とはご本尊でその住処が戒壇である事は論を待ち
ません。
 更に踏み込ん論じるなら、阿仏房の命が本門の題目と
本門の本尊を兼ねているのですから、命の器である身体
は当然本門の戒壇となります。

 これ等は日寛さんの六大秘法に毒された方にはなかな
か理解し難いのです。
 毒気深入失本心故、と言います。
 

2021/1/21  19:15

投稿者:沖浦克治
 講義
 ここで明確なのは、仏と衆生に本質的差別が無いとい
う事です。
 
 『能と云うは如来なり所とは衆生なり能所各別するは
権教の故なり、法華経の心は能所一体なり泯すと云うは
権教の心は機法共に一同なれば能所泯すと云うなり』

 能化と所化を別々に捉えているなら権経だと仰せで
す。
 法華経にはそう言う差別が無いとあります。
 正に革命思想です。
 素晴らしいですね。
 更に注目すべきは、

 『其の故は衆生と云うは法界なり、所詮法界に理智慈
悲の三を具足せり、』

 一切衆生が法界そのもので、法界を諸法(全宇宙)言
う。
 その法界に理智と慈悲を具足している。
 宇宙の一切の運行が慈悲なのです。
 戸田先生が言われました、私共は生物を食べて生きて
いますがこれは法華経ではどう捉えるのですか?との質
問への答えです。

 『お前の身を私に供養してくれてありがとう。
 こう思って食べなさい。
 全ては慈悲の行いなのです。』(主意)

 この御書にはそれが書かれていると拝します。

2021/1/21  19:13

投稿者:沖浦克治
 今日蓮等の類いは南無妙法蓮華経を以て衆生を済度す
る事より外には何もないのです。
 速成就仏身とはこの意味です。
★速成就仏身〜全ての衆生に速やかに仏の覚りを得させ
ると事。
 〜引用終わり〜
 所詮四弘誓願は一念三千です。
 さて四弘の弘とは何を示す方と言うと、上行所伝の南
無妙法蓮華経を示してるのです。 
 釈に云く四弘能所都あるのがこれです。
★四弘能所泯〜四弘は能所に尽きるとの意。
 〜引用終わり〜
 此の釈は摩訶止観に前三教を釈してあるのです。
★前三教〜化法の四経の中の法華経以外の3っつの教
で、釈尊の一代の教えをその内容によって4種(蔵教・
通教・別教・円教)に分類した天台宗の教判から引用さ
れている。
 〜引用終わり〜
 能と云うは如来で、所とは衆生です。
 三教では、能所を各別に表現しているのは権教の故な
のです。
 法華経の心は能所一体なであって、泯すと云うは権教
の心は機法共に一同なれば能所泯すといっているので
す。
★機法共に一同〜法華経は一切衆生に対する教えであっ
て法を説かれる衆生に限定がありません。
 対して権経では、仏は機根に応じて法を説きます。
 それを機法一体と言います。
 法の効果に限界があるって、機根が合わない衆生は救
えないのです。
 これを一機一縁と言います。
 対して法華経にはそう言う限界はありません。
 天台大師の摩訶止観の当該部分は権経の立場なので
す。
 〜引用終わり〜
 あえて能所一同して成仏する所を泯すと云うにはない
のです。

2021/1/21  19:12

投稿者:沖浦克治
 通解
 一本来の四弘の事 
 大聖人は言われました。
 諸法の当体とは本来四弘なのです。
 何故ならば衆生と言うのは法界の当体なのです。
 法界には理智慈悲の三つを具足しています。
★理智〜真如の理と、それを悟る智慧。
 〜引用終わり〜
 応報法の三身が諸法なのです。
★応報法の三身〜仏の3種類の身のあり方(法身・報
身・応身)。
〜引用終わり〜
 無作の応身を以て衆生無辺誓願度と言うのです。
 無作の報身には智徳断徳の二徳を備えているのです。
★智徳 すべてを見通す; 断徳 煩悩を断じ尽す。
〜引用終わり〜
 煩悩無辺誓願断を以て本有の断徳とは定めているので
す。
 法門無尽誓願知を以て本有の智徳とするのです。
 無上菩提誓願証を以て無作の法身と名付けているので
す。
 ですから、四弘誓願の中には衆生無辺誓願度を以て肝
要とするのです。
★衆生無辺誓願度〜全ての生命体を救うとの菩薩の誓
い。
 〜引用終わり〜

2021/1/21  19:10

投稿者:沖浦克治
 嚴虎さん、皆様今晩は。

 今晩は皆様。
 御講聞書講義を終えたつもりになっていしたが、最後
の一条が残っていました。
 今製本のためにメモリー化していて気づきましたの
で、講義させて頂きます。
『一本来の四弘の事 仰に云く諸法の当体本来四弘な
り、其の故は衆生と云うは法界なり、所詮法界に理智慈
悲の三を具足せり、応報法の三身諸法の自体なり、無作
の応身を以て衆生無辺誓願度と云うなり、無作の報身に
は智徳断徳の二徳を備えたり、煩悩無辺誓願断を以て本
有の断徳とは定めたり、法門無尽誓願知を以て本有の智
徳とす、無上菩提誓願証を以て無作の法身と云うなり、
所詮四弘誓願の中には衆生無辺誓願度を以て肝要とする
なり、今日蓮等の類いは南無妙法蓮華経を以て衆生を度
する此より外は所詮なきなり、速成就仏身是なり云云、
所詮四弘誓願は一念三千なり、さて四弘の弘とは何物
ぞ、所謂上行所伝の南無妙法蓮華経なり、釈に云く四弘
能所泯すと云云、此の釈は止観に前三教を釈せり、能と
云うは如来なり所とは衆生なり能所各別するは権教の故
なり、法華経の心は能所一体なり泯すと云うは権教の心
は機法共に一同なれば能所泯すと云うなりあえて能所一
同して成仏する所を泯すと云うには非ざるなり、』

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