2021/3/2

ハイロンパ  
気がつけば三月である。めずらしくコメント欄が賑わっている。とは言え、実質的にはごく一部の投稿者が大量に書き込んでいるだけのようである。特に沖浦氏は相変わらずである。もはや一々取り上げる気にもならないが、それにしても明らかに間違いと思われる投稿があるので、そこだけは指摘しておきたい。

 ここからが本題です。
 立証は安国のための手段です。
 安国が目的、そのために立正が必要となる。
 すると、安国が本、立証が迹となります。
 目的が本、手段は迹、これは世の常識です。
 ですから、世法が勝、仏法は劣となります。
 これが大聖人思想の極意です。


立証は立正の打ち間違いだろう。相変わらずのアホである。しかし、問題はそこではない。

世法が勝、仏法は劣・・・

大聖人もさぞ迷惑していることだろう。

 世間の法が仏法の全体だと法華経は説く。

前後するが、沖浦氏は白米一俵御書を引用した上でご覧のごとく言っている。その後、ゴチャゴチャとわけのわからないことを書いて、その結論が前掲ということらしい。しかし、しょせんは沖浦氏の勝手な解釈であり、御文をこねくり回しているうちにトンチンカンな結論に至ってしまっただけの話に過ぎない。

実際には晃氏の主張を真っ向から否定するために気負い過ぎてしまったのだろう。両者のコメントを順番に追って行けば一目瞭然である。

いずれにしても答えは簡単である。世法と仏法で勝劣を云々しても仕方がない。少なくとも白米一俵御書の御指南は世法イコール仏法の意味に他ならない。それが答えである。

さて、顕正新聞の続きである。

あるとき池田大作が、側近の学会幹部の手を灰皿代わりにしていた、その傲慢な態度を目の当りにして不信は頂点に達し・・・

第五十七女子部幹事(香川・徳島)の記事である。ヤクザ映画のワンシーンにありそうだが、もしそれが事実だとしてもまさか会員たちの前でそんなことをするとは思えない。

しかし、当該記事の最大の問題点はそこではない。

学会版本尊を返納し・・・

登壇者は八十九歳になるご婦人の話を紹介しているわけだが、上掲に不審を懐かなかったのだろうか?

ご婦人は昭和三十七年に創価学会に入っている。ところが前掲のごとく池田氏の傲慢さを目の当たりにして、その後に脱会しているのだ。記事には昭和五十年に正信会に移ったとある。ならば学会版本尊とは何なのか、そこが問題である。

登壇者もどうかしているが、編集部もどうかしている。

臨終における前相と死相との関係を厳然と示されておりますが・・・

第三十八男子部長(長野)の記事にご覧の一節がある。ようは御書の一節を平易な言葉に変換しているわけなのだが、不勉強のわたくしにはちょっと疑問がある。

死する時と並びに臨終の後とに引き向けて・・・

かなり端折った引用だが、登壇者はこれを「死の前後を比較してみれば」のようなニュアンスで読んでいるのだとしたら、わたくしには誤読のように思える。

元自民党議員秘書だった九〇歳の〇〇さんは・・・

婦人部大宮北支区総班長(首都圏)の記事も凄まじい。まず上掲は具体的な議員の名前を知りたいところである。それはともかく、かつて頻度の高かった日目上人の御姿と浅井先生のお姿が重なるという話を久しぶりに目にしたような気がする。しかし、注目すべきはそこではない。もっと凄まじい記述があるのだ。

 〇〇組長は、法戦最中に姉・母・弟が相次いで病に倒れ・・・

家族三人がいっぺんに病気になったら大変であるが、続きの文章を読むと事態はもっと深刻のようである。

いま家族全員の成仏が叶った有難さを噛みしめ・・・

普通に読めば家族三人が病気で倒れそのまま亡くなったことになりそうである。

 また総班でも法戦最中、三人の組長が臨終を迎え・・・

掲載写真を見ると登壇者はそれほど高齢ではないと思われるが、冒頭の元秘書の話が象徴するように総班には高齢者がたくさんいるのだろう。一つ前の記事では法華講員の臨終のことが書かれていた。詳しい内容は紹介しなかったが、そこでは法華講員の臨終をアシザマに書いていた。しかし、上掲は逆に法華講員たちから痛烈なツッコミを食らうことになりそうである。

いよいよ広宣流布の最後の戦いへの烽火が上がった瞬間を見る思いになり・・・

第五十八女子部長(大阪)の発言はノロシの意味が悩ましい。例えば一国広布の出陣式と呼ばれるものがかつて存在した。もし同じ意味だとするとマズイだろう。

御馬前の戦い到達を急がれる先生に・・・

前後の文章を読むと、どうやら三百万達成が御馬前への到着を意味するようである。

わたくしは数年前からこの辺の微妙な表現について考えてきたが、いちおうは答えがわかったような気がする。今はすでに決戦場に突入している。ただし、それはどこか特定の場所を意味するのではなく、いわば進軍中なのだろう。このまま突き進めばやがては大聖人の御馬前へ到着する。

ところがである。ややアゲアシ取りとは承知しつつも言わせてもらえば、大聖人も馬に御乗りになって進軍されているのである。しかも大聖人のそれは駿馬である。ゆえに顕正会はいつまで経っても追いつけない。永遠に御馬前にはたどり着けないのだ。

いや、参った。顕正新聞がなかなか片付かない。

2021/3/3  4:46

投稿者:晃
いや…そんなこと言ってないですが
勝劣あっても劣を捨てろとは言ってない

劣は劣で必要です ただ秩序が大事だと申しています

https://hokkevxage.com

2021/3/2  20:20

投稿者:名無し
坊主真理教の日光氏の害毒と思い込みがパナイですな

世間は四悪道、汚れたもの、悪としか見ていない

世間の中で仏法を護持して生きているのが私たち仏弟子
であり仏法の中だけで生きているわけではない。

世間での功労を名聞名利と決めつけ否定し、功労に対し
ての周囲の畏敬の念、労う気持ちを理解できなくて、功
労を受けた人間を欲の塊のように否定する。

僧侶が世間から離れ仏法の中だけで生きて偉いと感じて
いるあたり大間違いである。

世間社会で稼いだ信徒の供養で給料をもらい、世間の中
で買い物をして世間で作られた食物を食し世間の法に権
利が認められ世間の中で生きているのが僧侶です。

人が幸せになるために努力し一生懸命生きようしている
ことに理解ができないで、坊主を仏法だけを押し付けて
も世間様は聞く耳を持ってはくれませんよ。

2021/3/2  19:05

投稿者:晃
此の諸の仏子等は 其の数量るべからず 
久しく已に仏道を行じて 神通智力に住せり 
善く菩薩の道を学して 世間の法に染まざること
蓮華の水に在るが如し(妙法蓮華経従地涌出品第十五)

では、なぜ地涌の菩薩は世間の法に
染まって居なかったのでしょうか…?

仏法>世法の勝劣関係が無ければ
ここでいう地涌の菩薩達は ただの世間知らずの
仏法を証得していないアホ集団とでも言うのでしょうか? 

沖浦さんの見解が知りたいのですよね…

https://hokkevxage.com

2021/3/2  18:32

投稿者:沖浦克治
 晃さん

 『仏法を習う身には必ず四恩を報ずべきに候か、四恩
とは心地観経に云く一には一切衆生の恩、一切衆生なく
ば衆生無辺誓願度の願を発し難し、又悪人無くして菩薩
に留難をなさずばいかでか功徳をば増長せしめ候べ
き、』
 (四恩抄)

 四つの恩の中で一切衆生の恩こそが第一なのです。
 一切衆生のためにこそ仏法はあります。
 仏法のために一切衆生がいるのではありません。

 『第六如我等無異如我昔所願の事 疏に云く因を挙げ
て信を勧むと。御義口伝に云く我とは釈尊我実成仏久遠
の仏なり此の本門の釈尊は我等衆生の事なり、』
 (御義口伝巻上)

 本門の釈尊とは一切衆生だと明快に書かれています。
 信受するしかありません。

 世法のために仏法はあるのです。
 目的が世法、手段としての仏法。
 明快です。

2021/3/2  18:25

投稿者:沖浦克治
 今晩は、皆様。

 ここの書き込みで最も過っていると思うのが、出家が
上、在家が下との位置づけです。
 在家の分際で御書が云々等の書き込みをよく見ます。
 日蓮仏法のみならず、仏法ですらありません。
 この過った価値観は、日興が唯受一人であるとの邪義
から発していると思われます。
 そういうお考えは大聖人はありません。
 では誰が大聖人の法華経を継人なのか?

 四条金吾です。

 更に言うなら、四条金吾は代表として名があがってい
ますが、在家の代表としての立場です。
 そして、一切衆生の代表なのです。
 ここが理解出来ないと日蓮思想は分かりません。

 『されども殿の御事をばひまなく法華経釈迦仏日天に
申すなり其の故は法華経の命を継ぐ人なればと思うな
り。』
 (四条金吾殿御返事)

 四条金吾こそが、法華経の命を継ぐ人だとあります。
 法華経を継ぐのではなく、法華経の命を継ぐとありま
す。
 ここを真剣にお読みなさい。
 更に、晃さんが引用した御書にあります。

 『返す返す今に忘れぬ事は頚切れんとせし時殿はとも
して馬の口に付きてなきかなしみ給いしをばいかなる世
にか忘れなん、設い殿の罪ふかくして地獄に入り給はば
日蓮をいかに仏になれと釈迦仏こしらへさせ給うとも用
ひまいらせ候べからず同じく地獄なるべし、日蓮と殿と
共に地獄に入るならば釈迦仏法華経も地獄にこそをはし
まさずらめ、暗に月の入るがごとく湯に水を入るるがご
とく冰に火をたくがごとく日輪にやみをなぐるが如くこ
そ候はんずれ、』
 (崇峻天皇御書)

 大聖人は金吾が地獄に入るなら自分も入る、そして自
分と金吾が地獄に入るなら、釈迦も法華経も地獄にい
る。

 究極の師弟不二です。
 この関係に、日興等の習い損ないが割り込む隙間など
ありません。

2021/3/2  18:04

投稿者:晃
「やがて」とあるのは
今はまだそうじゃない と言うことでは?

ここで世間の法=仏法と読む人は間違いで
「今後、仏法の当たり前が世法に浸透していく」
と読むべきでしょう だから仏法>世法だと思います

https://hokkevxage.com

2021/3/2  16:43

投稿者:沖浦克治
 正劣〜勝劣

2021/3/2  16:40

投稿者:沖浦克治
 嚴虎さん、晃さん。

 世法と仏法の関係に関して、富士門流は伝統的に誤っ
た解釈をしています。

 『法華経はしからずやがて世間の法が仏法の全体と釈
せられて候。』
 (白米一俵御書)

 法華経では世間の法こそが仏法の全体だと説かれる。
 明快な文章です。

 但しこのご文では世法と仏法の正劣は明かされていま
せん。
 ここで法華経の精神に付いて思索すべきです。

 人のためにこそ法華経はある。
 同じく人のためにこそ世間もある。
 そして、世間を安定させ衆生を守るには法華経の進行
が不可欠である。

 個々人>社会>法華経。

 この図式です。
 ご質問がおありならどうぞ。

2021/3/2  16:33

投稿者:沖浦克治
 晃さん、今日は。

 『蔵の財よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第
一なり、此の御文を御覧あらんよりは心の財をつませ給
うべし。』
 (崇峻天皇御書)

 建治3年9月の作です。
 この3月前、同年6月、頼基陳状が出されています。
 四条金吾が苦境にあった時期ですからこの御指南で
す。
 対機説法と言います。
 先ずここをキチンと理解して下さい。
 次です。

 心の財とは信心です。
 見の財とは健康です。
 蔵の財とは経済的なものです。

 ですから、信心の確立によって健康と経済力を得る事
が出来るとの意です。
 これを日蓮正宗関係者は曲解し、心の財さえあるな
ら、身の財蔵の財は不要との邪義を唱えます。
 これは明らかに間違いです。
 正確には、世間の法で苦しむ四条金吾に、今こそ信心
を強くして、領地没収という経済苦を乗り越えなさいと
の御指南です。
 経済苦を乗り越えるために信心の確立が必要なのであ
って、信心をしているから所領没収をされ貧苦に沈んで
も構わないと言われているのではありません。

 これからは御書を総合的に拝する努力をなさいませ。

2021/3/2  16:09

投稿者:沖浦克治
嚴虎さん、今日は。

 立証と立正はご指摘の通りです。
 今後注意いたしますが、スマホで打つとモニターが小
さくてこの種の間違いが起こりやすいのです。
 本題です。

 立正安国論は、安国(社会の安定)のためには正しい
仏法を世の根底に据える事が不可欠だとの書です。

 社会の安定が目的、正しい仏法を据える事は手段で
す。
 AのためのBなら、、Aが目的B手段です。
 目的が勝で本、手段は劣で迹。
 これが当然です。 
 ここは法華経の化城喩品第七をお読み下さい。
 更に論じると、最終目的は個人個人の安定した生活で
す。

 『国を失い家を滅せば何れの所にか世を遁れん汝須く
一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を祷らん者か、』
 (立正安国論)

 ですから順列から言うなら。
 個人の安定>社会の安定>そのための正法。
 こういう図式となります。
 個人の安定のため社会があって、その社会を安定させ
るために正法が必要となる。
 ここが富士門流はひっくり返っています。 
 故に仏法から見て異流義なのです。

 私は晃さんに限らず誰も論破する事は目的ではありま
せん。
 只、唯一日蓮思想を正しく継承している創価仏法の立
場から御書を拝し、それをそのまま書いているだけで
す。
 と言うか、私を論破できる方は富士門流には存在致し
ません。
 論争にすらなりません。
 
 『鎌倉の真言師禅宗念仏者天台の者よりもはかなきも
のどもなれば只思ひやらせ給へ、利剣をもてうりをきり
大風の草をなびかすが如し、』
 (種種御振舞御書)

 同じです。

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