2021/3/11

イモク  
まず、沖浦氏のわたくしに対する指摘は正しい。具体的には次のくだりであるが、わたくし的にはさして痛痒を感じない。

 お気の毒ですが法華経への理解がありません。

正直に言うと、法華経を通読したことがない。ゆえに勤行で読む範囲しか知らないし、それとても訓読ではないので意味がわからないで読んでいるに過ぎない。

 命の本質を解き明かした法が法華経です。

なるほど、そうなのだろうと思う。わたくしがそのように思うのは大聖人の御書を通してであって、法華経を直接的に読んでのことではない。しかし、自分では気の毒だとは思っていない。

さて、晃氏である。

いわゆる本迹について、かなり難しい議論をしているように感じる。わたくしはもっとシンプルに考えていいのではないかと思うし、実際、シンプルなのだと思う。

仏法は体のごとし、世間は影のごとし、体曲がれば影なゝめなり。

〜のごとし、は譬えを借りて説明している意味に他ならない。

白米は白米にはあらず。すなはち命なり。

一方の、〜あらず、すなはち〜なり、は譬喩即真実である。

前者は仏法と世間の関係を譬えを借りて、いわば体と影の関係なのだと仰せなのである

やがて世間の法が仏法の全体と釈せられて候。

後者の直前にはご覧の一節がある。ゆえにちょっと見には混同してしまうのかもしれないが、これはシンプルに世間=仏法と読めばいいだろう。ちなみに、仏法は体、世間は影、の直前には次のごとくある。

仏法やうやく顛倒しければ世間も又濁乱せり。

譬えを借りて説明するならば体と影の関係になるという至極簡単な道理である。これを本迹に当てはめる必要性はどこにも見出せない。

あらゆるものごとは法華経であるが
そのものごとに本迹勝劣がある
ということでしょう
でなければ百六箇抄は存在しない


これは厄介な議論である。たぶん教科書通りの勉強ではついて行けないレベルの話だと思う。ヘンなことを言うようだが、顕正会でも創価学会でも、あるいは法華講員ないし僧侶であっても、もはや議論に参加できない人がたくさんいるに違いない。

確かに百六箇抄はあらゆる角度から本迹を論じている。何度も拝読しているが、未だにわからないところだらけである。今も大急ぎでページをめくってみたが、わたくしの能力では理解不能である。ゆえに晃氏がこれを理解した上で意見を言っているのであれば、凄いことだと思う。

しかし、これについてもわたくしはもっとシンプルに考えている。以下、少し説明したい。

 今要を以て之を言はゞ、迹・本・観心同名異義なり。始終本末共に、修行も覚道も時機も感応も皆勝劣なり。

こちらは本因妙抄のほうであるが、百六箇抄と共に重要な御相伝書としてセットで扱われることが多いので、注目すべきである。さらに引用したい。

 若し末法に於て本迹一致と修行し、所化等に教ふる者ならば、我が身も五逆罪を造らずして無間に堕ち、其れに随従せん輩も阿鼻に沈まん事疑ひ無き者なり。

いわゆる台当違目を御指南あそばしているのが本因妙抄である。前掲の迹・本・観心同名異義は、台家と当家では使っている用語が同じであってもぜんぜん違うのだ、という意味に他ならない。ゆえにここでの本迹一致の意味は、単に法華経の本門と迹門の意味ではなく、台家と当家との混同を指して一致とされているのである。ゆえに後年、日興上人は五人を厳しく責められた。当然、大聖人からの直々の御相伝を踏まえてのことと考えられる。

 五人一同に云はく、日蓮聖人の法門は天台宗なり。

 日興が云はく、彼の天台・伝教所弘の法華は迹門なり、今日蓮聖人の弘宣し給ふ法華は本門なり・・・

御法門としてはおおむねこんな感じで考えておけば間違いないだろう。

その上で余分なことを言っておくと、沖浦氏の主張は世間に迎合しているような印象がある。まるで五老僧のごとく、あたかも本迹一致の修行を奨励しているかのようだ。

晃氏の言っていることは上述のごとくではあるまいかと思う。つまり、沖浦氏に対する批判として、譬えるならば五老僧のようだと言っているわけなのだろう。単純化すれば、ただそれだけの話ではあるまいかと思うのだが、違うのだろうか?

今日も顕正新聞が片付かなかった。

2021/3/17  7:55

投稿者:.
創価学会『聖教新聞』が自力配達断念、委託先の読売販売店が悲鳴の理由

https://diamond.jp/articles/-/256777

2021/3/17  7:52

投稿者:沖浦克治
 富士門流と言うのが嘘を嘘で固めた宗派である事を、
皆様認識されるべきです。

 以下本因妙抄の偽書の部分です。

★会通を加へる事は且は広宣流布の為、且は末代浅学の
為なり。又天台・伝教の釈等も予が真実の本懐に非ざる
か。未来嬰児の弟子等彼を本懐かと思ふべきものか。
去る文永の免許の日、爾前迹門の謗法を対治し、本門の
正義を立て被れば、不日に豊歳ならむと申せしかば、聞
く人毎に舌を振い耳を塞ぐ。
 〜引用終わり〜其の時方人一人も無く、唯我と〈日
蓮〉与我〈日興〉計りなり。
 〜引用終わり〜

 特にここです

★其の時方人一人も無く、唯我と〈日蓮〉与我〈日興〉
計りなり。

 これね、偽書なんです!!!!

2021/3/17  7:32

投稿者:沖浦克治
血脈相承に付いてです。

 『過去の生死現在の生死未来の生死三世の生死に法華
経を離れ切れざるを法華の血脈相承とは云うなり、』
 (生死一大事血脈抄)

 明快ですね。
 法主の嫡嫡一人とか、戒壇の大御本尊とか出て来ませ
ん。

 三世に亘って法華経を絶対に離れない。

 これだけです。
 と事が日寛という習い損ないは、法華経を戒壇本尊に
限定するという大謗法を犯しました。

 『法華経を本心と云う意は諸法実相の御経なれば十界
の衆生の心法を法華経とは申すなり、』
 (御講聞書)

 私共一切衆生の心法が法華経だとキチンと書いてあり
ます。

 ですからね、戒壇本尊とか、法主とかそういうややこ
しいのがお好みなら、異流義覚悟でどうぞ。

2021/3/17  6:08

投稿者:沖浦克治
 ガンコさん、皆様おはようございます。

 本シャクに付いて書きましたが、私共は幸福を求めて信心をしています。
 端的に言うなら功徳を出すためです。
 そして自行化他が基本です。
 この関係性に付いてです。

 自分だけだと只のエゴイズム、他人だけなら偽善者。
 簡単に言うとこうなります。
 そして、自他共の幸福を目指します。
 大聖人仏法の基本、創価の根本です。

 功徳を沢山出して、沢山語る!!
 
 今苦しくても、罰即利益ですから、何でも功徳と決める!!

 最高の楽天主義!!

 創価って素晴らしい〜!!

2021/3/16  20:04

投稿者:.
創価学会が海外組織を傘下に組み入れ、中央集権化は諸刃
の剣か

https://diamond.jp/articles/-/256782

2021/3/16  18:54

投稿者:沖浦克治
 嚴虎さん、皆様。

★又日文字の口伝、産湯の口決二箇は両大師の玄旨にあ
つ。本尊七箇の口伝は、七面の決に之を表す。教化弘経
の七箇の伝は弘通者の大要なり。
又此の血脈並に本尊の大事は日蓮嫡嫡座主伝法の書、塔
中相承の禀承唯授一人の血脈なり。相構へ相構へ、秘す
べし秘すべし、伝ふべし。
法華本門宗血脈相承畢ぬ 
 (本因妙抄)

 少し考えたらわかりますが、大聖人がこんな馬鹿げた
事言われる道理がありませんね。
 涅槃経で釈迦が、

 仏法には教師の握り拳などない!

 宣言しています。
 こんな駄文、仏法ですらありません。

2021/3/16  18:22

投稿者:沖浦克治
 嚴虎さん、皆様今晩は。

 本迹は凄く大切な概念です。
 何方が大切か?
 端的に言うならこういう事です。
 別の言い方をするなら、目的と手段です。
 目的が本、手段が迹。
 これだけ理解していれば良いのです。
 後の理屈は無視して結構、ああいうものは出家が威張
る手段と化しています。
 御書を知識として読むのではなく、智慧の泉として拝
する。
 大切ですね。

 少し説明致します。
 手段は効率だけが評価されます。
 2階に上るのに階段ははしごより効率に優れます。
 ですから皆様ご自宅にははしごではなく階段を設置さ
れていますね。
 対して、目的には

 何のため?

 との問い掛けがあります。
 何故2階をつくるのですか?
 土地が狭いから・・・
 何故2階に行くのですか。
 大型テレビがあるから見に行きます・・・・
 この様に目的には理由があります。
 手段は如何にしてですが、目的は何のため?が肝心で
す。
 
 何故お題目唱えますか?
 功徳出して幸せになるためです・・・・
 何故布教しますか?
 大聖人門下ですから・・・・
 それぞれの本迹です。

 結論です。
 手段は迹、目的は本。

 スッキリしますでしょう。
 

2021/3/16  14:35

投稿者:.
創価学会が海外組織を傘下に組み入れ、中央集権化は諸刃の剣か

https://diamond.jp/articles/-/256782

2021/3/16  7:52

投稿者:沖浦克治
嚴虎さん、おはようございます。

 本因妙抄も百六箇抄も、おそらく後世の作だと思って
おります。
 何故ならば、御義口伝と御講聞書は大きな確率で後世
の作とされ、私もそのように思っておりますが、双方、
日興が日向の、反対に日向が日興を否定する内容があり
ません。
 所が、本因妙抄と百六箇抄は、日興を正当死、他の五
名を謗法と断ずる記載が多く見られます。
 ですので、この二つは、御義口伝、御講聞書よりかな
り後世の作と思えます。

 その上で申しますが、言々句々にとらわれない方が良
いと思います。
 双方内容は出家内部のものですから、殊更複雑な表現
が目立ちます。
 法華経が、様々に一切衆生が仏である事を説くよう
に、これ等の書は、全ての物事に本迹があると言ってい
るだけです。

 それだけ理解しておけば、後は些事です。

2021/3/15  17:29

投稿者:沖浦克治
 巖虎さん今晩は。
 
 法華講員の多くの方は、御書を引用し理路整然と破折
されると、破折した方を世間の法から責めて逃げる事が
多いですね。
 ここにも名無しさんを始めとしてそういう方がおられ
ます。
 一方、晃さんに見られる如く、そういう事は行わず、
御書を基本として論を行い、世間法では相手を責めない
方もおられる。
 私は世間法で仏法者を責めてもそれは間違いだと信じ
る1人です。
 何故なら、仏法は世間のためにある法ですが、若し世
間法で仏法者を責めるなら、その行為は世間の法が仏法
を支配する関係となってしまうからです。

 仏法は世間のためにありますが、それは世間法を以て
仏法の正邪浅深を判断するとの意味ではございません。
 現証が第一ですが、その現証を以て持つ法の正邪を決
めるのではありません。
 法を持つ人の生き様の判断になるのです。
 念仏であっても、正しく行じるなら功徳は当然ござい
ます。
 大聖人の仏法であっても間違って持つなら、罰しか出
ません。

 『信心の血脈無くんば法華経を持つとも無益なり、』
 (生死一大事血脈抄)

 行者の行いを以て責める事が出来るのは極めて限定さ
れています。
 私の場合ですが、以前不徳故大罰を出し、苦しんだ事
実があります。
 それを創価の祈りと闘いで見事に変毒為薬をなし、現
在当時を遥かに上回る境涯となっています。

 ですから、私の信心の姿勢は正しいのです。

 ここが理解出来ない人は、大聖人仏法は分かりませ
ん。

 『如かず彼の万祈を修せんよりは此の一凶を禁ぜんに
は。』
 (立正安国論)

 怨嫉謗法を犯すという一凶を禁じる事が出来るかどう

 その方の求道心ですね。

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