2021/3/22

ドクゼン  
まず、大沢氏には数々の史資料のご紹介をたまわった。感謝申し上げたい。

次に、創価学会なんて無くなっても良い、とのヅラ系。氏の発言はその通りである。沖浦氏の主張する目的と手段の関係からして、目的が達せられた後には解散してしかるべきと思う。なお、これは顕正会でも言っていることである。

さて、そこで沖浦氏であるが、相変わらず目的と手段について確たる文証を示せていない。それでいて宗門を誹謗するとは言語道断である。

沖浦氏は日興上人の正統性について考察めいたことを書き綴っている。正確には正統性に疑義があるという方向性で大量の書き込みをしているわけであるが、基本的なところで躓いているように見える。

此誇耀に非ず法相の然らしむるのみ

これは章安という人の言葉である。

 先ず天台の弟子で天台の教えを正しく理解したのは、章安だけだという嘘をでっち上げ、その後、

こちらは沖浦氏の言葉である。

不勉強のわたくしはそれがウソなのかどうか知らない。また、天竺の大論も読んだことがないし、天台の著述も大聖人が御引用あそばす範囲でしか知らない。しかし、結論は明瞭である。

大聖人は天竺の大論よりも天台の三大部のほうが優れていると認識されていた。

先ず大聖人の弟子で大聖人の教えを正しく理解したのは日興上人だけ・・・

これは前掲の沖浦氏の文章を模倣したものである。相似形をなしていることがわかるはずである。当然、沖浦氏はこれをウソだと言いたいわけなのだろう。

しかし、違うのである。これは誇耀ではなく法相のしからしむるところなのである。

彼の天台・伝教所弘の法華は迹門なり、今日蓮聖人の弘宣し給ふ法華は本門なり、

沖浦氏の躓きが明瞭になったと思う。わたくしが再三、目的と手段について文証を求めたのはここに理由がある。日興上人と五人の相違は目的とか手段の話ではないのだ。本門と迹門の相違なのである。いわゆる本迹相対に迷っていたのが五人である。早い話が大聖人の仏法を理解できていなかった。日興上人だけが正しく理解していたのである。

なお、目的と手段について一例を示せば、次の御書が相当するのかもしれない。

譬へば塔をくむに足代をゆふが如し。念仏は足代なり、法華は宝塔なり。

現代国語では普通に使われている目的と手段であるが、大聖人の御使用語彙としては存在しない。では、そうした概念がまったく存在しなかったのか? もちろん、そうではない。

沖浦氏の目的と手段についての主張はぜんぶがぜんぶ間違っているわけではない。単純化すれば、上掲は権実相対がそのまま手段と目的に相当するので、その上位概念として本迹相対が目的と手段に相当すると考えるのは、あながち間違いではないのだ。

しかし、実際にはそれほど単純な話ではない。

本迹殊なりと雖も不思議一なり。

これをどのように捉えるかである。

昔の師は今の弟子なり。今の弟子はむかしの師なり。

沖浦氏は意図してか意図せずしてか、こうした法華の深意を無視して、自分の都合に合わせて目的だとか手段の話に持ち込もうとしているのだ。

例えば職業がある。もしかしたら大多数の人が収入を得るための手段として働いているのかもしれない。この場合、お金が本で仕事は迹となるのかもしれないが、そんな考え方の人ばかりではないだろう。職業は社会貢献なのである。つまり、世の中の役に立っている意味においては仕事そのものが目的であり、収入は副次的なものに過ぎないという考え方もあり得るのである。また、芸術家肌の人ならば、それがお金になろうがなるまいが創作活動そのものが目的なのだと考えていても不思議はない。

つまり、一つの事柄であっても、まるで正反対の捉え方もできるのである。法華最勝が独善と批判されるのは、法華最勝という結論だけを見てそのような勝手なイメージを懐いているだけの話なのだと思う。実際には物凄く柔軟性に富んでいるのだ。

では、日蓮正宗のあり方はどうなのか、と問われると答えに窮するところがあるのは事実である。

しかし、今回の話はそこではなく、日蓮正宗を批判しているはずの沖浦氏もけっこう独善的であり、実はわざわざ拙ブログのコメント欄にその証拠をたくさん残しているという話なのである。

だったらオマエはどうなのだ?

答えるまでもなかろう。独白は独善とほぼ同義と考えて差し支えない。強いて違いを言えば、他人に押し付けないのが独白だろう。独善は本人に自覚がなくても周りが迷惑している。だから困るのだ。

しまった。またしても顕正新聞を片付けられなかった。

2021/3/25  9:41

投稿者:.
祈る対象こそ宗教の根本命題である。
信ずる人の人生を左右する最重要問題であるからだ。
そして末法にあっては法華経の寿量(じゅりょう)
文底(もんてい)の南無妙法蓮華経である。
すなわち、三大秘法総在(そうざい)の『本門戒壇の大御本尊』
なのである。
日蓮正宗総本山大石寺におわします『本門戒壇の大御本尊』が、
いっさいの根本である。
われわれの拝受したてまつる御本尊は、血脈付法の代々の御法
主上人のみが、分身散体(ふんじんさんたい)の法理からおし
たためくださるのである。

「広布と人生を語る」第一巻 p110

https://renge-club.jimdofree.com/%E6%B1%A0%E7%94%B0%E5%A4%A7%E4%BD%9C%E6%B0%8F-%E6%8C%87%E5%B0%8E-1/

2021/3/25  9:26

投稿者:.
>日本の人口が減少期に入り、高度経済成長期に入会した
多くの会員も今は老齢。
新規入会も進んでおらず、学会幹部も「若い人が昔ほど
は入会しない。難しい時代であることは間違いない」と
認める。

「最強教団」創価学会の焦燥、進む内部崩壊の実態

https://diamond.jp/articles/-/181607?page=3

2021/3/25  7:49

投稿者:沖浦克治
大沢さんが日寛の文をアップされましたので、少々書
かせて頂きます。

★「文に『本地』とは、即ち是れ本門の戒壇なり。謂わ
く、本尊所住の地なり、故に本地と云う。本尊所住の
地、豈戒壇に非ずや。文に『甚深』とは、即ち是れ本門
の本尊なり

 この文は正しいのですが、肝心の本門の本尊につい
て、日寛は習い損なっています。

 『第廿五 建立御本尊等の事
 御義口伝に云く此の本尊の依文とは如来秘密神通之力
の文なり、戒定慧の三学は寿量品の事の三大秘法是れな
り、日蓮慥に霊山に於て面授口決せしなり、本尊とは法
華経の行者の一身の当体なり云云。』
 (御義口伝巻下)

 日寛も当然この文は習ったでしょうが、理解が出来な
かったようです。
 私共が自行化他の唱題行をする時、法華経の行者です
から、当然本尊です。
 その私共のいる場所はそのまま本門戒壇です。

 『かかる者の弟子檀那とならん人人は宿縁ふかしと思
うて日蓮と同じく法華経を弘むべきなり、法華経の行者
といはれぬる事はや不祥なりまぬかれがたき身なり、』
 (寂日房御書)

 以上が大聖人の御指南ですから、戒壇本尊等や、その
安置の伽藍は関係ありません。
 これが理解出来ないなら日蓮仏法は分かりません。

2021/3/25  6:46

投稿者:.
創価学会『聖教新聞』が自力配達断念、委託先の読売販売店が悲鳴の理由

https://diamond.jp/articles/-/256777

2021/3/25  6:28

投稿者:沖浦克治
 ガンコさん、おはようございます。
 先日の地区座で、立石副総長野長さんが、11月に創価学会版御書が改定されて発売されると言われました。
 二箇相承排除して欲しいです。

2021/3/24  23:18

投稿者:大沢克日子
八、本地甚深の奥蔵
天台の釈に、
「此の妙法蓮華経は、本地甚深の奥蔵(中略)三世の如来の証得する所なり」
(玄義会本上二五ページ)
と説かれている。これは、あらゆる経典のなかで、妙法蓮華経が唯一最高の教法ということである。
日寛上人は、この文について、
「文に『本地』とは、即ち是れ本門の戒壇なり。謂わく、本尊所住の地なり、故に本地と云う。本尊所住の地、豈戒壇に非ずや。文に『甚深』とは、即ち是れ本門の本尊なり。
天台の玄の一二十一に云わく『実相を甚深と名づく云云。妙楽の云わく『実相は必ず諸法、諸法は必ず十如、十如は必ず十界、十界は必ず身土』云云。実相・甚深、豈一念三千の本尊に非ずや。文に『奥蔵』とは、奥蔵は能歎なり。例せば爾雅の第四に『最も深隠と為す、故に之を奥と謂い、蔵とは天台云わく「包蘊を蔵と為す」』と云うが如し云云。故に知んぬ、奥蔵とは本門の題目なり。所謂題目の中に万行を包蘊するが故なり。今三大秘法総在の妙法に約する故に『此の妙法蓮華経は本地甚深の奥蔵』と云うなり」(御書文段四五五ページ)
と解説されている。
このように「本地甚深の奥蔵」とは三大秘法であり、南無妙法蓮華経の五字・七字の意味は到底、簡単に述べられるものではない。しかし、我々が唱える一遍の題目に、一切の意義が篭もっているのである。
その一切を含めたところに妙法蓮華経の深い意義があるから、唱題をすることによって現世安穏・後生善処その他、あらゆる身心充実の功徳が顕れることは当然である。
また、過去以来の誇法罪障の因縁によって様々な間違った欲望や考えを持っている命は、妙法の唱題をすることによってその誤りがだんだんと閉ざされてくるのであり、そのことによって自らの命の清浄がおのずと図られてくるのである。
あらゆる意味から、この妙法を唱えることが一切衆生の成仏の道であり、真に自他を救っていく道である。我々僧俗一同は、常にその実証をもって、しっかり信行に励まなければならない。
(同御教示11〜13頁)

2021/3/24  18:04

投稿者:大沢克日子
沖浦さん

頑張りましょう!!

2021/3/24  16:38

投稿者:.
2020年――創価学会の記念の年に露呈した最強教団の構造的危機

https://dw.diamond.ne.jp/articles/-/29789

2021/3/24  15:03

投稿者:沖浦克治
大沢さん、今日は。

 先ず私への怨嫉謗法に関する反省がありませんね。
 罪を犯して反省出来ないなら又繰り返します。 
 用心なさいませ。

 御教示の文ですが、出家独特の言い回しで、難解で
す。
 私は分かりますが、この駄文を読んでどれほどの人が
納得されますか?
 この文を書いた人は三流です。

 内容についてです。
 この作者は仏法を理解していません。
 大聖人が上行菩薩の再誕は本当ですが、実は更に奥が
深いのです。
 日蓮大聖人のみが上行菩薩ではありません。

 『いまだ本門の肝心たる題目を譲られし上行菩薩世に
出現し給はず、此の人末法に出現して妙法蓮華経の五字
を一閻浮提の中国ごと人ごとに弘むべし、例せば当時日
本国に弥陀の名号の流布しつるが如くなるべきか。』
 (妙密上人御消息)

 上行菩薩は世界の中で国ごと人ごとに法華経を弘める
とあります。
 1人では無いのです。
 端的に言うなら、自分の周りに使命を持ってお題目を
弘める人は全てが上行菩薩です。
 これが分からないから、日蓮正宗は異流義なのです。
 更に、

 『日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人
三人百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべ
し、是あに地涌の義に非ずや、』
 (諸法実相抄)

 このご文を身で読まれたお方が戸田先生。
 その戸田先生を世に出されたのが牧口先生。
 戸田先生の後を引きつがれたのが池田先生。

 創価の師弟の系譜です。
 その系譜に連なる私共創価学会員は、全てが上行菩薩
です。
 私が人生で最も誇りに思う事は、自身が創価の系譜に
連なっている事です。

 この系譜はいくらご本尊に唱題していても、創価の庭
で闘わない人には分かりません。
 ですが、私はそれを何方にも強制致しません。

 私のように生きたいなら、創価にどうぞ。

 常にこのスタンスです。

 ご質問がおありならどうぞ。

 

2021/3/24  11:38

投稿者:.
「怪しい勧誘に注意」だけじゃ足りない! 大学・高校でカルト勧誘を断る方法

https://news.yahoo.co.jp/articles/9463c452025b0d33d747625976275f574e4ecaf5

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