2021/3/25

ダンマツマ  
大沢氏はこのところ日顕上人の御指南を紹介下さっている。その中に日寛上人の御指南が引用されていて、わたくしにとってもひじょうに有益だったのだが、なんと沖浦氏が同じところに触れているのである。

大沢さんが日寛の文をアップされましたので、少々書かせて頂きます。

★「文に『本地』とは、即ち是れ本門の戒壇なり。謂わく、本尊所住の地なり、故に本地と云う。本尊所住の地、豈戒壇に非ずや。文に『甚深』とは、即ち是れ本門の本尊なり

 この文は正しいのですが、肝心の本門の本尊について、日寛は習い損なっています。


習い損ないは自分だろうが、と言いたい。

本尊所住の地、豈戒壇に非ずや。

これについては数年前から何度となく根拠を求めてきた。ところが沖浦氏は一度も根拠を示せていないのである。

ちなみに日蓮正宗信徒ないし日寛上人を尊崇する人には根拠を求めない。上人がおっしゃっているのだからそれをそのまま信受すればいい。ところが沖浦氏は上人を習い損ないだと言って憚らない。だったら本尊所住が戒壇であることについて、独自の根拠を述べるべきである。

過去以来の誇法罪障の因縁

ところで誇法とは何か? あるいは謗法の誤植だろうか?

さて、久しぶりに顕正新聞の話題である。

謀略紙「慧妙」ついに断末魔!!

藤村雄大氏が副教学部長名義で書いている。これまでは菅原克仁氏が担当していた分野のように思うのだが、なぜ交代したのだろうか?

 妙観講(講頭・大草一男)が編集しているといわれる宗門の謀略紙・・・

それにしても冒頭からいきなりツッコミを入れたくなる文章である。まず、慧妙が妙観講の機関紙であることは周知の事実であって、「編集しているといわれる」などと回りくどい言い方をする必要はないだろう。むしろ以前は、大草講頭が自ら編集している、というニュアンスのことを繰り返し書いていたのだ。その意味を込めて修正案を示せば次のごとくなるだろう。

大草一男(妙観講・講頭)が編集しているといわれる宗門の謀略紙・・・

顕正新聞であれば編集人と発行人が明記されている。慧妙がどうなっているか確認していないが、少なくとも上掲の文章であれば慧妙の編集を大草氏がやっていると読める。ところが前掲であれば大草氏はあくまで講の代表としてカッコ書きされているだけであって、具体的には誰が編集しているか不明と解するのが普通だろう。いずれにしても個人名は不明であっても妙観講が編集していることは周知の事実である。ゆえに前掲の回りくどい言い方がいかにも不審に思えるのだ。

それはともかく、内容に移ろう。

 では、はたして正本堂は「御遺命の戒壇」になり得たのか。

煩瑣になるので最小限の引用に止めるが、わたくしには次のくだりが気になる。

仮に昭和47年までに広宣流布が達成されたとしても、国家意志の表明もなく宗門だけで建てた正本堂は、およそ御遺命の戒壇にはなり得ない。

仮に、という話であれば、国家意志の表明も可能となるので宗門だけで建てたことにはならない。何を言っておるものかと思う。

しかもである。浅井先生は以前、次のようなケッタイなことを言っていた。

事実上の国立戒壇

生意気を言うようであるが、これについてはわたくしが拙ブログの中で破折した結果、浅井先生としても引っ込めざるを得なくなったらしく、すぐに言わなくなってしまった。

つまり、事実上の国立戒壇を言い出した時点で、宗門の批判はできなくなってしまったのである。自分だって同じじゃないか、ということである。

 また当時は正本堂が完成するまでに広宣流布が達成するかもしれないとの期待があった≠ニいうのも詭弁である。

これもどうかと思う。今の顕正会だって同じじゃないか、と言われたらどうするのだろうか?

藤村氏は相当に若いので当時の状況を実際には経験していない。おそらく今から三十年後くらいに顕正会も同じ批判を受けることになるだろう。その時、氏は健在だろう。少し冷静になれば想像できる話である。

 最後に、「浅井先生も正本堂を御遺命の戒壇としていた」との痴論を破しておく。

この一段は鋭いと思った。

 何より、浅井先生が正本堂を「御遺命の戒壇」と認めておられなかったことは、阿部日顕のメモが立証している。

この切り口は初めてかもしれない。

「今の正本堂は事の戒壇ではない。奉安殿が狭くなったので、広い処へ移すためだけのものである、と妙信講では指導している」

これは法華講連合会の平沢益吉委員長が妙信講に突きつけた詰問状なのだそうである。

この詰問を記した阿部日顕直筆のメモは、いま浅井先生の御手許にある。

もはや、どっちもどっち、なのだろう。純粋に当時のことを検証していけば、宗門側に後ろめたいことがたくさんある。しかし、顕正会も後年、道を誤った。理想はお互いに間違いを認めて和解することなのだが、言うは易し行なうは難しである。

2021/4/1  10:23

投稿者:.
戸田城聖-3) ニセ本尊を拝むとロクな死に方をしない

https://www.youtube.com/watch?v=vjnzxBEo0_0

戸田先生=日蓮大聖人様は、このように仰せですよ。
信受なさい。

2021/3/31  8:58

投稿者:.
本尊所住の地、豈戒壇に非ずや。

これについては数年前から何度となく根拠を求めてきた。ところが沖浦氏は
一度も根拠を示せていないのである。

ちなみに日蓮正宗信徒ないし日寛上人を尊崇する人には根拠を求めない。
上人がおっしゃっているのだからそれをそのまま信受すればいい。

ところが沖浦氏は上人を習い損ないだと言って憚らない。

だったら本尊所住が戒壇であることについて、独自の根拠を述べるべきである。

                                (本文より抜粋)

根拠を示せていない、創価学会員・沖浦氏。

2021/3/31  8:44

投稿者:.
>これからは在家仏法の時代、その最先端が創価学会です。
その意味で、顕正会は日蓮正宗に桁違いに優れます。

(4)顕正会
 日蓮正宗から分派した、いわば創価学会の兄弟分のような宗教団体。
勧誘対象を車で連れ回しながら勧誘したり、入信を拒んだり脱会しよう
とした人を監禁したり暴行したりといった調子でしばしば逮捕者が出て
いる。
よく聞くのは、路上で新聞を渡され声をかけられる勧誘のほか、「大学
入学後に高校時代の友人から久しぶりに電話で呼び出されて、出向いて
みたら勧誘された」というパターン。
宗教勧誘であることを告げずに騙し討ち的に呼び出したりするが、勧誘
が始まった段階では「顕正会」であることを隠さない場合が多い(団体
名を告げないまま、路上で勧誘した相手を強打施設に連れ込んで入信届
を書かせるというケースもある)。

https://news.yahoo.co.jp/articles/9463c452025b0d33d747625976275f574e4ecaf5?page=3

沖浦さん、お疲れ様です。

2021/3/31  8:40

投稿者:.
>創価学会は会員と共にその間大きく成長致しました。
今では。創価学会員の社長や博士、弁護士も国会議員
だっている時代になりました。
もう、戒壇本尊唯一主義は不必要な時代なのです。

(結果)

>日本の人口が減少期に入り、高度経済成長期に入会
した多くの会員も今は老齢。新規入会も進んでおらず、
学会幹部も「若い人が昔ほどは入会しない。難しい時
代であることは間違いない」と認める。

https://diamond.jp/articles/-/181607?page=3

2021/3/31  7:51

投稿者:沖浦克治
 大沢さん

>顕正会も、組織のあり方、在家の会長を無二の師匠と
崇める姿勢など、池田名誉会長の創価学会を手本にした
のかもしれませんね。

 現在出家等という職種は廃れる一方です。
 衆生が求めなくなっているのです。
 これからは在家仏法の時代、その最先端が創価学会で
す。
 その意味で、顕正会は日蓮正宗に桁違いに優れます。

2021/3/31  7:48

投稿者:沖浦克治
嚴虎さん、大沢さんおはようございます。


 今日で2020年度が終わります。
 昨日一昨日と超多忙でした。
 明日から新年度、お互い気持ち新たにスタート致しま
しょう。

 大沢さん、戸田先生のご指導を引用されて、現在の日
蓮正宗の本尊観を正当性する事には無理があります。
 少し説明致します。

 日寛は戒壇本尊唯一主義ではなく、随一主義者でし
た。
 本懐中の本懐、究竟中の究竟と言っていますでしょ
う。
 それを唯一主義にされたのが戸田先生です。
 当時創価学会員は社会の底辺で喘いでいました。
 貧乏人と病人の集まりと、社会で嘲られ実態もその通
りでした。
 戸田先生この創価学会員に自信を持たせ、勇気と希望
を与えるため、戒壇本尊を利用なさいました。
 そういう機根だったのです。

 既に戸田先生御逝去から、63年が経たんとしていま
す。
 創価学会は会員と共にその間大きく成長致しました。
 今では。創価学会員の社長や博士、弁護士も国会議員
だっている時代になりました。
 もう、戒壇本尊唯一主義は不必要な時代なのです。

 更に、今創価学会は破門を勝ち得、宗門というお荷物
を捨て、世界広布への長征をスタートさせました。
 その時ご本尊原理主義は邪魔なのです。
 大聖人本仏論も不必要なのです。
 そういうものは、偶像崇拝のカルトとして見られてし
まいます。
 その証拠に、SGIには曼荼羅原理主義も、日蓮本仏
論もありません。

 只、南無妙法蓮華経!

 只、一切衆生本仏!

 これだけです。
 もう貴方の憧れる創価学会は何処にもありません。

2021/3/31  4:43

投稿者:大沢克日子
>戸田会長「会長が偉いわけがない!」

投稿者:.さん

おはようございます。
朝の勤行を終えて、これから身支度をして仕事に出掛けます。

顕正会も、組織のあり方、在家の会長を無二の師匠と崇める姿勢など、池田名誉会長の創価学会を手本にしたのかもしれませんね。

顕正会幹部の浅井会長への賛辞を見ると、更にその感を強くします。

2021/3/30  23:58

投稿者:大沢克日子
沖浦さん、投稿者:.さん

年度末が迫り、なかなかコメントできませんでした。

御本尊に関しては、戸田先生の言葉に尽きるでしょう。

「南無妙法蓮華経 日蓮」と記されていれば良いのではなく、
「三宝の意味も違えば三大秘法の釘もさしていない、格好だけ似せたに過ぎないものがある」
「ろくな最期にならんから、偽物の御本尊は拝まんようにしなければならないと私は思う」
という戸田先生の言葉は受け止めていきたいと思います。

2021/3/30  23:03

投稿者:大沢克日子
五十五、胸中の白蓮華

御本尊を信じ奉り、南無妙法蓮華経と唱え奉るとき、我らの胸中の肉団、すなわち心臓を中心とする胸の中に御本尊が入御まします。凡夫の我らの当体が、御本尊の住処となるのである。このことは、大聖人の御指南であり、我らはただ疑いなく信じ奉るほかはない。また、この時、我らの当体と心は、御本尊の境智の実体である九識心王という明煌々の法界全体を体とする真如となる、との御教示である。
我らの日常の生活中の心意識は、眼・耳・鼻・舌・身の五根を統するので第六識と言う。仏教のなかでは心識を深く掘り下げ、六識の奥に七識、八識があり、八識には迷いと悟りを蔵した元の心識があるという。この七識、八識は、我ら凡夫の通常心では到底、感知できないのであり、普通の人はただ六識による精神生活のなかでのみ生きている。したがって、八識のさらに奥の、法界を体とする広大な九識の存在などは、感知することは不可能である。
大聖人の大慈大悲により、唯信無疑に御本尊に唱題するとき、このような前人未踏の白蓮華の境地を我々の胸中に現ずるのであり、まさしく法界遍満の九識の妙法と自受用本仏の大力用である。故に、信の一字をもって唱題に励むべきである。
(日顯上人、すべては唱題から、87〜88頁)

2021/3/30  19:03

投稿者:.
>以来戸田先生は大聖人だと信じています。
         ↓
・大聖人様が今(現代)に生まれて来なければ、大聖人の仏法が出来ないようなね、変な
仏法を作っちゃあきませんよ。(戸田先生)
・我々(戸田先生含め)に御本尊様を下して、さぁこの御本尊様を拝め!この御本尊様を
拝んだら必ず幸せになれる!こう断言なさった。だから我々(戸田先生含めた、創価学会)
はその通りにやっている。
・そのやり方を教える、吾輩(戸田先生)は先生なんです。
僕(戸田先生)が偉いんじゃない。御本尊拝め!これだけです。

https://www.youtube.com/watch?v=vksK0pv4mj4&list=PL1OJ5kUrGDbEcXPDl6ZyzMp_hal8LzC7O&index=49

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