2021/4/16

ベンメイ  
どうやら創価学会の教学部は、いや、首脳部と言い換えてもいいだろう、彼らは沖浦氏の思惑通りには動かないようである。残念ながら当面は沖浦氏の描いているような方向性には進まない。当然のことではある。

さて、顕正新聞第1539号である。

以前は配達の遅れが顕著だった顕正新聞であるが、昨年あたりからだろうか、ちゃんと日付通りに配達されるようになった。しかも合併号もほとんどない。
これは内部において何がどのように変わったのか、まったく不明ではあるのだが、明らかな変化である。
何しろ以前は期日通りに配達されず、しかもそれが常態化していた。さらに言えば、いつまでも送られてこないと思っていたら、次の期日になって合併号として出来するようなこともあったのである。

そうした問題が改善されたことは喜ばしいものの、顕正新聞の内容そのものはさして変わらない。特に当該号はいきなり一面から登壇記事が四本も出てくるのである。ぜんぶで二十六本もの登壇記事がある。ウンザリしない人はまずおるまい。

そうした中、唯一、六面の藤村雄大氏の記事だけが登壇記事ではなく、異彩を放っている。

謀略紙「慧妙」の苦しまぎれの弁明

大草一党の痴論を破し、宗門の御遺命違背を糾弾す


わたくしはこの記事を読んで正直に思った。ズバリ言えば、まるで浅井先生が書いたみたいだと。実際には弁護士用語と思しき言い回しの部分もあるので、藤村氏が書いたのだろう。ただ浅井先生名義で掲載しても通りそうな、いわばソックリさんの文章なのである。言い換えれば、浅井先生が憑依したかのような文章なのである。

ゆえに全体的には反論の余地のない完全主義者的な文章で構成されていて、わたくし的には特に取り上げるところが見当たらないのであるが、あえていくつか触れてみたいと思う。

 また大草一党は、昭和42年当時、やはり正本堂を「御遺命の戒壇」と断定・讃嘆していた大村寿顕(当時教学部長)の発言について・・・

これはうっかりミスであろうか?

当時の大村師が教学部長だったわけがあるまい。続きの文章を読むと、そこには後年の反省の弁が引用されている。大村師は日顕上人が御当職の時代に教学部長をされていたわけで、藤村氏はそこを勘違いしたのだろう。上掲は冒頭に昭和42年当時と書かれている以上、誰が読んでも当時の意味は昭和四十二年になる。藤村氏のような頭の良い人間は先のことを考えながらしゃべるので、このようなミスが生じるのだ。もちろん編集部にも責任がある。

 以上より、御遺命の戒壇が広宣流布の暁に国家意志の表明をもってはじめて建立(建設)されるものであることは明白である。

はじめて、が気になった。浅井先生ならば、始めて、と書くだろう。ただし、現代国語ではやや難のある表記である。しかも拙ブログでシツコイくらいに指摘してきたことでもあるので、ご覧のような表記になったのだろう。

ちなみに顕正新聞の各種登壇記事を読んでいると、以前ほどには、始めて、が頻出しなくなった。わりと、初めて、と書いている幹部も多い。拙ブログの影響だろうか?

三堂建立は興師の御理想なるも、実現は大国主すなわち大日本国皇帝陛下の御命により・・・

富士日興上人詳伝の記述だそうである。不勉強のわたくしはこの書を読んだことがない。そもそも持っていない。ゆえに機会としてはこのような引用文として目にするわけだが、このくだりは初めて見たような気がする。ともかく凄い表現である。大国主しかり、大日本国しかり、皇帝陛下しかり、である。するとこの書はもともと戦前に書かれたものなのだろう。そこで気になるのは、後年、聖教新聞社から出版されているが、そこにも上掲の記述がそのまま掲載されているのだろうか?

さて、ここまでは軽めの内容だった。問題は次である。

 しかし、そもそも宗門高僧らは、「正本堂ができる時には広宣流布が達成されて、正本堂は御遺命の戒壇になる」と述べていたのではない。逆である。「正本堂の建立を以て広宣流布は達成、御遺命は成就」と偽っていたのだ。ゆえに御遺命違背なのである。

ここが問題と思う。藤村氏は弁護士的なロジックで言っているのか純粋な教義の上から言っているのか、そこがわたくしにはよくわからない。また、以前にも指摘したことだが、藤村氏は当時の状況をリアルタイムで経験していない。ゆえに見えていないのではないか、という気がしてならないのである。

例えば戦後を起点にすると、わずか二十年で驚くべき急成長を遂げたのである。そこで正本堂の建立が発表された。七年後にはもっと凄いことになっている。多くの人がそのように思っていたとして不思議はないだろう。
比較するのも虚しいが、顕正会の場合はどうか、である。まず、起点をどこに置くかが問題となる。昭和三十二年の妙信講再建を起点とするのはさすがにイジワルが過ぎるだろう。すると昭和五十七年の武道館大総会が相当と思われるが、それもかなり苦しいだろう。あるいは平成五年の一国広布の出陣式がある。しかし、これも比較にならない。
逆に創価学会の場合は昭和二十六年の戸田会長就任を起点にすることもできるし、昭和三十五年の池田会長就任を起点にしてもいい。つまり、急成長の事実は疑いようがないことなのだ。一方の顕正会の場合はどこをどのように切り取っても勝ち目はない。

以上のような理由で、藤村氏の指摘は単に言葉尻を捕らえてあげつらっているだけの話であって、当時をリアルに経験している人たちにはあまり響かないのではないかと思う。もっとも今は当時の生き証人がほとんど存在しないので、その意味では氏の説明も有効なのかもしれないが、少なくともわたくしの意見は上述のごとくである。

 この事実は、今回、はからずも大草一党自身が認めてしまった。

 これは一体どうしたことか。

 まさに知るべし、


言い回しが浅井先生っぽい。

それはさておき、面倒臭いので細かい説明は省略させていただくが、上掲の一段で藤村氏は宗門の高僧たちを御遺命破壊の確信犯と決め付けている。しかし、ここにもじゃっかんの疑問が残る。氏は、三分の一の入信では広宣流布ではないし戒壇建立にも至らない、それにもかかわらず正本堂を御遺命の戒壇と偽称したのはまさしく確信犯である、と言っている。その最後のくだりが次である。

今になって「期待していた」(わざとじゃなかった)などととぼけてはいけない。

やはり前述の話と同じに思える。藤村氏は当時の状況を文献でしか知らないのだ。

では、オマエはどうなのだ、と言われると答えに窮する。こうして偉そうに書いてはいるものの、わたくしとてリアルタイムで経験しているわけではない。ただし、わたくしの場合はいわば公平中立的な視点で意見を言っているつもりである。そこで重複を恐れず言えば、顕正会の遅々として進まぬ戦いとの歴然の差である。つまり、創価学会の急成長・大躍進は客観的な事実であり、そこには顕正会員が味わったことのない上昇ムードが醸し出されていたと想像されるのである。この点、藤村氏はまったく気がついていないのか、もしくは気がつかないフリをしているのだろう。

2021/4/19  13:12

投稿者:沖浦克治
 名無しさん、今日は

>反面教師で仕事サボってスキー逝ったら罰が当たるよ

て、世法の行いの戒めすることはあるでしょうけどww

 何度も御書を引用しこの手の書き込みは怨嫉謗法であ
って罰を出すだけだと注意して来ました。
 ですが、貴方は全く御書に学びませんね。

 『勧発品に云く「若し復是の経典を受持する者を見て
其の過悪を出さば若しは実若しは不実にもあれ此の人は
現世に白癩の病を得ん、』
 (釈迦一代五時継図)

 沖浦教と言うものはこの世にありません。
 日蓮仏法と創価仏法、創価思想です。
 少し現状を認識出来る能力を養いなさい。

2021/4/18  21:37

投稿者:名無し
>後は、日蓮正宗や、顕正会が何処まで邪義を捨て、創
価学会を見習う事が出来るな否か?

初代2代会長の信心と小樽問答前までの創価学会から学
ぶべき事はたくさんあるでしょう。戦後からの大石寺を
復興してくれたことを感謝すべきでしょう。

しかし、将来沖浦教に成り下がった創価学会に学ぶべき
ものはないでしょう。
反面教師で仕事サボってスキー逝ったら罰が当たるよっ
て、世法の行いの戒めすることはあるでしょうけどww

2021/4/18  18:11

投稿者:沖浦克治
 名無しさん、今晩は。

 今後私の見解が創価学会の公式見解になって行くでし
ょう。
 御書を拝するならそうならざるを得ません。
 そして、その後創価学会は100年ほどかけてキリス
ト教、回教徒並ぶ世界宗教になります。
 これは大聖人の御遺命です。

 後は、日蓮正宗や、顕正会が何処まで邪義を捨て、創
価学会を見習う事が出来るな否か?
 ここだけですね。
 出来なければ衰退するだけですが、それはそれで自由
です。

2021/4/18  18:06

投稿者:沖浦克治
 今晩は、皆様。

 世間に迎合して邪義を唱えた見本の人です。

★俗に“戦争屋”と言われる人々がいる。武器などを売
って荒稼ぎをする死の商人たちである。
 ところが、宗教界にも“戦争屋”がいる。やはり、戦
争を渡りに船と荒稼ぎする輩である。
 総本山第五十六世・大石日応も、あるいは戦争屋とい
えるかもしれない。
 日応は日露戦争にあたり、「御本尊一萬幅」を「特志
者」に授与していた。
 「特志者」とは、一往は特別の供養をした檀信徒のこ
とである。その「特志者」に御本尊を授与していたと言
えば聞こえはいいが、一万体を一挙に授与するとなれば
おだやかではない。
 換言すれば、戦争勃発をよいことに、御本尊を売って
いたに過ぎないのである。
 〜引用終わり〜

 これが当時の日蓮正宗の実態です。
 同じく、鈴木日恭は、軍部に迎合し神札を祭り焼死し
ている。
 この焼死に付いては、昭和23年の宗報で、罰だと認
めている。

 これ等の法主達の世間への迎合と邪義の採用が日寛以
来の仏法より権力者に諂う日蓮正宗の特徴である。

 今後、日蓮正宗関係者は、創価学会を見習い真摯に学
ぶ事で、少しでも大聖人仏法の正義に目覚める事を期待
する。

2021/4/18  17:45

投稿者:名無し
>私の意見が創価学会の公式見解になった時、誰が困る
のでしょうね?
> 日蓮正宗が先ず大困りします。 次が顕正会です。

創価ガッカリさんの意見が学会の公式見解なった時は、
沖浦教にすり替わるだけで学会が衰退していくだけです
今の学会を心の拠り所にしていた方が離れ、困るのは学
会で飯を喰ってる人だけだと思います。
宗門も顕正会も困ることはないでしょう。創価学会を敵
視している頭のおかしい組織信仰者が喜ぶだけではない
のでしょうか??

2021/4/18  5:40

投稿者:S@法華講
法華の信仰は正直を旨とするものであります。

世間に迎合して邪義を交え、またこれを流布する者を仏法に照
らして改めさせていきましょう。

目指すは仏国土建設、即ち戒壇建立に他なりません。

https://hokkech.com

2021/4/17  7:06

投稿者:沖浦克治
嚴虎さん。おはようございます。

 創価学会はSGI傘下の団体です。
 先ずこの点をシッカリ認識せねばなりません。
 創価学会の教義と異なる教義を都道府県組織等が採用
出来ません。
 これは組織の大原則です。

 日蓮正宗でも顕正会でも、傘下の組織が異なる本仏立
てますか

 これと同じくSGIの教義と異なる教義を創価学会は
採用出来ません。
 SGIには日蓮本仏論はありませんし、当然日興の唯
受一人もありません。
今回の大白蓮華にそういう事を書いた人は習い損ないで 
す。

2021/4/16  22:15

投稿者:名無し
今日のブログはツッコミ所が多すぎて何から弄ろうかと
迷ってしまった。とりあえず


>わたくしの場合はいわば公平中立的な視点で意見を言
っているつもりである

何処が公平中立的なのか聞きたいww
公平と中立の意味を理解しているのだろうか??
古巣の機関紙コソコソ購入してブログのネタにして石を
投げ、日蓮正宗系のことには野球の外野席からヤジを飛
ばすような無責任な輩のくせに
公平、中立などと言うのであれば、組織に間に入って
是々非々でもっと建設的な意見を述べよと言いたい。
アホな元顕を見て思うことが、勘違いしたエリート意
識、自分が特別な人間、教学が優れた人間との思い込み
勘違いを無意識にしている輩が多すぎる。
顕正会の教学偏差値の低い事に自覚を持ち、宗門創価を
無意識に見下していることを改めて、素直に信心に励ん
でもらいたい。

2021/4/16  19:17

投稿者:沖浦克治
 系譜に関しては、覚りを得た人が前に覚った人の極意
を受け継ぐ形でしょう。
 釈迦から天台は1500年開いていて、人から人へ極
意は伝わっていません。
 天台から伝教も人づてではありません。

 『伝教大師は日本国にして十五年が間天台真言等を自
見せさせ給う生知の妙悟にて師なくしてさとらせ給いし
かども、』
 (撰時抄)

 伝教は人から極意を伝えられのではないと明快にあり
ます。
更に、

 『幼少の時より虚空蔵菩薩に願を立てて云く日本第一
の智者となし給へと云云、虚空蔵菩薩眼前に高僧となら
せ給いて明星の如くなる智慧の宝珠を授けさせ給いき、
其のしるしにや日本国の八宗並びに禅宗念仏宗等の大綱
粗伺ひ侍りぬ、』
 (善無畏三蔵抄)

 大聖人も同じお立場です。
 そして、釈迦は仏法で覚っておりません。
 釈迦以前仏法は影も形もありません。
 以上を鑑みるなら、高僧から高僧へと伝えられる秘伝
や秘法は仏法には存在しない事が分かります。
 釈迦は涅槃経で、仏法に教師の握り拳は存在しないと
断言しております。

 戸田先生は牢獄でお一人で覚られました。
 ですので、仏法の系譜は、

★釈迦〜天台〜伝教〜大聖人〜戸田先生。

 私はこう確信する一人です。
 以上ですがご質問がおありならどうぞ。

2021/4/16  19:16

投稿者:沖浦克治
 皆様、今晩は。

 先ず大聖人の門下の出家が引き継いだのはご本尊の形
式とか、法門の説明です。
 当然、布教の方法や、在家への激励なども学んだでし
ょう。
 ですが、大聖人仏法を正しく理解した人はいなかった
と思います。
 これはさて置きます。
 私が常に問題視しているのは、日興一人が大聖人仏法
を相承したという大嘘が、富士門流には蔓延っている事
です。

 富士門流中での取り決めなら別に気に致しませんが、
ダメなのは、富士門流、別けても日蓮正宗、顕正会等
は、その価値観を以て創価学会を批判している事実で
す。
 日興の唯受一人という思想も事実も日蓮仏法にはあり
ません。
 先ずここをキチンと理解出来ないとだめなのです。
 証拠はいくらでもあります。
 本因妙抄や百六箇抄で、日興のみが正しい系譜との文
は、全てが後加文です。
 これは法主経験者であった堀さんが明言しています。
何故わざわざ日興唯受一人の文章を加えねばならなかっ
たのか?

★そういう事実が無い事を隠すためです。

 五一相対と言いますが、この相対は最初こそ日興と他
の五名の相対でしたが、最後には、日向と他の五名の確
執となっています。
 外にも沢山ありますが、いい加減に日興への幻影から
抜けるべきですね。

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