2006/2/21

「王法=天皇」の文証  
富士川さん、できますればコメントは適切な場所に入れていただきたいと存じます。
サイドバーのところに最新順でコメントが並ぶようになっておりますので、古い記事についてのコメントであっても見落とすことはないと思います。ただし、申し訳ないですが、お返事のようなことは出来かねる場合が多くございますので、そこのところはどうかご理解くださいますよう、よろしくお願い申し上げます。

以下は昨日の続きです。

昔より今に至るまで王法に敵を作し奉る者は何者か安穏なるや。狗犬が師子を吼えて其の腹破れざること無く、修羅が日月を射るに其の箭還りて其の眼に中らざること無し。遠き例は且く之を置く。近くは我が朝に代始まって人王八十余代の間、大山の皇子・大石の小丸を始めとして廿余人に、王法に敵を為し奉れども一人として素懐を遂げたる者なし。皆頚を獄門に懸けられ、骸を山野に曝す。関東の武士等、或は源平或は高家等、先祖相伝の君を捨て奉り、伊豆の国の民たる義時が下知に随ふ故にかゝる災難は出で来たるなり。王法に背き奉り民の下知に随ふ者は、師子王が野狐に乗せられて東西南北に馳走するが如し。今生の恥之を何如。

朱文字で示したごとく、ここには三箇所にわたって「王法」が出てくる。
ところが平成二年の諫暁書には、このうちの一つが出ていない。完全主義者の浅井先生にしてはめずらしいミスではなかろうか?

それはともあれ、この御文はものすごいと思う。
浅井先生は王法の定義として、「王法とは、広義にいえば仏法と対置する国家の存在そのものであり、狭義にいえば王の威光勢力すなわち国主の統治権・国家権力・政治・国法等を意味する」としている。
しかし、そんなまどろっこしい説明を必要としないくらい、王法の何たるかを端的にあらわした御文が弘安四年の富城入道殿御返事なのである。
申すまでもなく、ここでの王法はイコール天皇であって、他の会通はあり得ないと思うがどうだろうか?

ただし、顕正会員は安心できない。
御書は文脈を正しく拝さなければ意味がない。すなわちkane氏の指摘どおり、ようはこれほどの権威ある皇室であっても真言の悪法を信用したがゆえに大変なことになっちゃった・・・というような文脈になっているのである。御書を読むのが苦手というのならば、浅井先生が示した三十八箇所の引用部分だけでも確認してみるといいだろう。ことに仏法と王法の関係を論じている御文は、その大半が同じ結論になっているのである。

これをどう会通するか、よく考えないといけないだろう。
いちおう逆説的に、大聖人は皇室が本有の王法であるからこそ「何をやっておるか!」との厳しい眼差しをそそいでいらしたのだ・・・という説明は可能かもしれないが、はたしてこの程度の説明でよいものかどうか、わたくし自身は少し不安を懐いている。

2006/2/21  20:37

投稿者:kane
巌虎さん!

大聖人様のご意見は「皇室=本有の王法」だったという妄説の根拠として、その御文を出したら絶対にダメです。だって、その引用箇所は大聖人様御自身のご意見を書かれた部分ではなくて、「承久の乱」の時の公家方の慢心した言い草を記した部分ではありませんか!

「又宇治勢田にむかへたる公卿殿上人は冑を震い挙げて大音声を放つて云く義時所従の毛人等慥に承われ昔より今に至るまで王法に敵を作し奉る者は何者か安穏なるや・・・」云々と。つまり巌虎さんが引用された部分はぜんぶ公家方の「公卿殿」や「上人」たちのセリフであって、大聖人様御自身の御意見ではないのです。



実は、私も顕正会にいた当時、まさしくこの御文を今の巌虎さんと同じように早トチリして、「ああやっぱり、大聖人様は尊皇主義であられたのだ、日本の皇室と大聖人様の仏法は、合一すべき定めなのだ」と、嬉しくなったものでした。

今にして思えば、全く初学の至りであったと思います。結局のところ当時の私は、「自分の右派的な思想的傾向を正当化してくれる教えがあるから、顕正会が正しいと思う」などという、自分の世法的念慮を第一に立てて物事を考えてしまうクセが強かったから、自分に都合のいい話をしてくれる浅井先生という邪師にコロリと騙されてしまったのだろうと思いますよ。

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