2021/7/1

マルナゲ  
沖浦氏は一月半ほどだろうか、肩の手術のために入院していた。先日、退院されたようである。これで再び競技に出て記録を打ち立てるようであれば、大したものである。

 この事実があるのですから、結論は2つしかありませ
ん。
 
★日興が大聖人に違背した。
 
★御本尊七箇相承書は偽書。

 外に考える事が出来ませんが、日寛宗は色々と言い訳三昧。
 邪教の姿をさらけ出しております。


ところでこの件に関しては沖浦氏の思考が硬直しているだけの話だと思う。

例えば沖浦氏が御本尊を書く場合、南無妙法蓮華経 沖浦克治 と書くのだろうか? あるいは池田大作氏の場合は、南無妙法蓮華経 池田大作 と書くのだろうか?

他門では早くからそのような本尊が存在するようで、わたくしが以前にどこかで見たものには、日朗のそれがあった。ゆえに問題とするべきは、日蓮正宗の歴代上人の書写本尊に日朗本尊と同様のものが存在するのか否か、ということだと思う。それ以外は些事である。

 では貴方も私のこのご本尊の中の何処に住しているか?

★南無妙法蓮華経 日蓮。

 この日蓮の中にいるのです。


これは今朝のコメントであるが、この続きにはいちおう文証として御書が二つ示されている。ところがわたくしにはさっぱり理解できない。もっと明快な文証を示していただけないだろうか?

そもそも沖浦氏は御本尊を道具だと主張していたはずで、道具の中に住しているとすれば物凄くおかしな話に思えてしまう。この点、逆にわたくしの思考が硬直しているのだろうか?

さて、顕正新聞の続きである。

 「どうか、あなたが、学会代表と話し合って解決して下さい」
 と他人事のような無責任な態度を取り・・・


副総男子部長・第四総部長(近畿)の発言は、どうも浅井先生に逆らっているように思える。先生は上掲に関して全権委任という新解釈を示しているのだ。日達上人は浅井先生を信頼して全権を託したわけである。ならば無責任ではあるまい。

むしろ同じ意味であっても、全権委任ではなく丸投げみたいな表現をしていれば、話は違っただろう。言葉のアヤの問題ではあるものの、けっこう大事なところだと思う。

 「昭和二十年の敗戦は広宣流布の遠序である」

男子部第十二総部長(東北)はなかなかの切れ者である。直近の会長講演との関連で当該発言を引用しているのは、今回に限っては彼だけかもしれない。逆に言うと、彼は先生には矛盾した発言がたくさんあることを承知しているわけなのだろう。ある意味、それが対宗門ないし対創価学会において、虚を突かれて返答不能にならないための備えになるのかもしれない。

 先生の、最後の最後まで細井管長の貫首としての権威を守られ戦われたお心・・・

これも大事なポイントである。わたくしも先生の肩を持ちたい気分ではあるのだが、しかし、しょせんは凡夫だったことの証明でもあるのだろう。

ようするに猊下の御徳にキズがつかないように配慮しつつ創価学会を諫め続けた。ところが猊下はそうした浅井先生の気持ちを踏みにじってしまうわけである。キレて当然ではある。しかし、それが凡夫の拙さなのである。できっこないことを言うようだが、もし浅井先生がホンモノであれば最後まで猊下の御徳を守り続けるべきだった。今は細井日達と呼び捨てにして、しかも臨終のことまで悪し様に言って憚らないのである。まさに底下の凡夫そのものと言わざるを得ない。それにもかかわらず会員たちに仏法上の特別の存在のごとく思わせているとすれば、とんでもないことである。

気がついていない人もいるかもしれないのでさらに言葉を加えるが、最後の最後まで猊下の権威を守られ戦われた云々は、あえて言えば戦略的な意味であって本心からそのような振る舞いをしていたわけではないという可能性も否定できないだろう。

当時の創価学会はあくまで日蓮正宗の信徒団体だった。ゆえに好き勝手なことをやっていたわけではない。すべて猊下の御許しを得て行なっていた。もちろん、これも本心からそのようにしていたわけではなく、戦略的な意味が強かったのだろう。妙信講を黙らすには法主の権威を利用するのが得策だったのだ。つまり、どっちもどっちである。妙信講にしても猊下を尊崇しているポーズを取り続ける以外にはなかった。極論すれば、どちらも猊下を心から尊崇していなかった。どうやって利用するか、どうやって味方につけるか、それが本心だったのである。

結果論ながら、上述の指摘があながち荒唐無稽ではないことは、今の姿が証明していることになるだろう。

2021/7/3  16:42

投稿者:沖浦克治
 嚴虎さん

>沖浦氏は普通の人ではない。たぶん本人にも自覚がある
のだろう。アヤシゲな施術で病気を治してしまう。真偽の
ほどは定かではないが、このような公の場所で自慢げにし
ゃべっている点からすると、やはり普通の人ではなさそう
である。

 私は普通の衆生です。
 それ以下でも以上でもありませんし、その点を熟知して
おります。
 そして100%の仏です。
 怪しげな施術をした事は一度もありません。
 以下、受けたお方の反応です。

★瀬尾 勇
私も肩の痛みを取って頂きました。その時は嬉しさで商売
になりますよ、つい言いましたが沖浦さんは科学的に立証
されないのでと断ります、と仰いました。
 〜引用終わり〜

 この通りです。
 そして、自慢げに書いておりません。
 事実をありのまま書いております。
 貴方もご本尊に対する私の書き込みに惑耳驚心され、正
常な判断が出来なくなっています。

2021/7/3  16:31

投稿者:沖浦克治
 日興門流であって、日寛に犯されている方々。

 心底ご本尊への邪義に染まり切っています。

 神秘主義は仏法にはありません。
 合理主義が仏法です。
 故に、

 『まことのみちは世間の事法にて候、金光明経には「若
し深く世法を識らば即ち是れ仏法なり」ととかれ涅槃経に
は「一切世間の外道の経書は皆是れ仏説にして外道の説に
非ず」と仰せられて候を妙楽大師は法華経の第六の巻の
「一切世間の治生産業は皆実相と相い違背せず」との経文
に引き合せて心をあらわされて候には彼れ彼れの二経は深
心の経経なれども彼の経経はいまだ心あさくして法華経に
及ばざれば世間の法を仏法に依せてしらせて候、法華経は
しからずやがて世間の法が仏法の全体と釈せられて候。』
 (白米一俵御書)

 この通りです。
 然し、日寛の害毒は凄まじいですね。

2021/7/3  7:49

投稿者:沖浦克治
 嚴虎さん、皆様おはようございます。

 昨夜整体の依頼でお一人お見えでした。
 慢性の腰痛との事で、早速見ました。
 台にうつ伏せになって頂き、腰をおさえると、色々伝わ
ってきました。

★元々左効きですね。 
 それを右に効きに変えて、少し身体のバランスがおかし
くなっています。

 ドンピシャで驚かれました。
 何故わかるのですか?と聞かれましたが、そこの所は私
も説明出来ません。
 只そう感じただけです。
 ですので、正直にそう言いました。
 本当は、ここで沢山もっともらしい事を言うと商売繁盛
でしょうが、生き様に反します。

 仰向きになって頂いて、足の付け根を触ると、左の股関
節の根元に少し邪魔ものが居座っていました。
 これは邪魔ものとしか表現出来ません。
 医学的には、リンパの炎症が(定かではありませんが)
ここにあって・・・・・・・
 等と説明するのでしょうが、私はその方面の知識は皆無
に等しいので、この辺りは無力です。。 
 更に治すのが目的で、話はついでです。
 その邪魔を親指で抑え、少し命令しました。

★お前な、邪魔だから何処かに行け、南無妙法蓮華経!

 数秒で何処かに行っていなくなったので、台から降りて
立って下さいと言って立って頂きました。

 あれ!!腰が何ともなくなった、なんで????

 驚かれましたが、何故なのかは私も分かりませんので、
その点正直に言いました。
 そして、身体に癖がついているので、正しい筋トレを週
3〜4回、一回5分程度するように言いました。
 早速ジムの会員になられました。
 芸は身を助けるわ・・・・・・

 功徳〜〜〜〜〜〜!!!!!

2021/7/2  19:04

投稿者:沖浦克治
 嚴虎さん、今晩は

 一つ失念しておりました。

>そもそも沖浦氏は御本尊を道具だと主張していたはず
で、道具の中に住しているとすれば物凄くおかしな話に思
えてしまう。この点、逆にわたくしの思考が硬直している
のだろうか?

 道具の中に魂を込める事は世間で普通にあります。
 刀匠が刀を打つときもこの表現は使いますし、芸術の世
界でも普通にあります。
 大聖人も仰せです。

 『日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候ぞ信じ
させ給へ、』
 (経王殿御返事)

 魂をご本尊を顕す墨に染め流して書いている・・・・
 
 仰せになっていますが、本当に魂が墨に移ってしまうな
ら、大聖人は抜け殻になりますから、これは表現の一種で
す。
 この理屈は、普通の人なら普通に納得出来ますが、宗門
関係者はここが理解できません。
 貴方も、大沢さんも同じですが、御本尊だけを特別な存
在において崇める事はあってはなりません。

 理解できますか?
 

2021/7/2  18:55

投稿者:沖浦克治
 何故日寛宗がいけないのか?

 簡単です、本来自由に議論すべきご本尊を,神聖不可な
領域に閉じ込め、考えるだけでも謗法不信等と言い、信徒
をご本尊から遠ざけて自分達の専売として、間に立って布
施を巻き上げる。

 ダニか寄生虫です。

 こういうのを許してはいけません。

2021/7/2  17:09

投稿者:沖浦克治
 『人法一体にして即身成仏なり』

 『法華経の本尊を大多勝の大曼荼羅と云うなり、是れ豈
与大比丘衆に非ずや、二界八番の雑衆悉く法華の会座の大
曼荼羅なり、』

 御本尊は人法一体とあります。

 首題の南無妙法蓮華経。
 直下の日蓮。
 主題は法、日蓮は人です。

 法はそれだけでは広まりません。

 『法自ら弘まらず人法を弘むる故に人法ともに尊し。』
 (百六箇抄)
 
 『日本より寂照等少少之を渡す然りと雖も伝持の人無れ
ば猶木石の衣鉢を帯持せるが如し、』
 (顕仏未来記)

 この様にいくら優れた法があっても、伝える人がいない
なら木石が衣を着ているようなものです。
 ですから、法があって持ち伝える人が無いなら無意味で
す。
 反対に、人がいくらいても伝えるべき法が無ければ弘め
られません。
 故に、法と人は必ずセットになります。
 御本尊の首題の南無妙法蓮華経と直下の日蓮は、法を人
が持ち弘める姿です。
 そして、その日蓮の文字に私共が入るには、地涌の菩薩
である事が条件となります。
 具体的には、日蓮門下です。

 『問う一切衆生皆悉く妙法蓮華経の当体ならば我等が如
き愚癡闇鈍の凡夫も即ち妙法の当体なりや、答う当世の諸
人之れ多しと雖も二人を出でず謂ゆる権教の人実教の人な
り而も権教方便の念仏等を信ずる人は妙法蓮華の当体と云
わる可からず実教の法華経を信ずる人は即ち当体の蓮華真
如の妙体是なり涅槃経に云く「一切衆生大乗を信ずる故に
大乗の衆生と名く」文』
 (当体義抄)

 『能居所居身土色心倶体倶用無作三身の本門寿量の当体
蓮華の仏とは日蓮が弟子檀那等の中の事なり是れ即ち法華
の当体自在神力の顕わす所の功能なり敢て之を疑う可から
ず之を疑う可からず、』
 (当体義抄)

 具体的に現在に訳するなら、

★人間革命運動の拡大に励む人が、日蓮!

 こうなります。

2021/7/2  17:08

投稿者:沖浦克治
 嚴虎さん、皆様今晩は。

 御本尊と人法一箇についてです。

 御本尊と、人法一箇に付いてです。

 『一与大比丘衆の事 仰に云く文句の一に云く釈論に明
す、大とは亦は多と言い亦は勝と言う、遍く内外の経書を
知る故に多と言う、又数一万二千に至る故に多と言う、今
明さく大道有るが故に大用有るが故に大知有るが故に故に
大と言う、勝とは道勝れ用勝れ知勝る、故に勝と言う、多
とは道多く用多く知多し故に多と言う、又云く含容一心一
切心なり、故に多と名くるなり、記の一に云く一心一切心
と言うは心境倶に心にして各一切を摂す、一切三千を出で
ざるが故なり、具に止観の第五の文の如し、若し円心に非
ざれば三千を摂せず、故に三千惣別咸く空仮中なり、一文
既に爾なり他は皆此れに准ぜよ、此の本末の心は心境義の
一念三千を釈するなり、止観の第五の文とは夫一心具十法
界乃至不可思議境の文を指すなり、心境義の一念三千とは
此の与大比丘衆の大の字より釈し出だせり、大多勝の三字
三諦三観なり、円頓行者起念の当体三諦三観にして大多勝
なり、此の釈に惣と云うは一心の事なり、別とは三千な
り、一文とは大の一字なり、今末法に入つては法華経の行
者日蓮等の類、正しく大多勝の修行なり、法華経の行者は
釈迦如来を始め奉りて悉く大人の為に敬い奉るなり誠に以
て大曼荼羅の同共の比丘衆なり、本門の事の一念三千南無
妙法蓮華経大多勝の比丘衆なり、文文句句六万九千三百八
十四字の字ごとに大多勝なり、人法一体にして即身成仏な
り、されば釈に云く大は是れ空の義多は是れ仮の義勝は是
れ中の義と、一人の上にも大多勝の三義分明に具足す、大
とは迹門多とは本門勝とは題目なり、法華経の本尊を大多
勝の大曼荼羅と云うなり、是れ豈与大比丘衆に非ずや、二
界八番の雑衆悉く法華の会座の大曼荼羅なり、法華経の行
者は二法の情を捨てて唯妙法と信ずるを大というなり、』
 (御講聞書)

2021/7/2  17:05

投稿者:沖浦克治
 今回書きましたが、法主の書写などが無味である事が理
解出来ますね。

 在御判に関しても、書写等せず真筆本尊をそのままコピ
ーすれば、花押が入ります。
 ですから、現在の技術からするなら、人の手による書写
は必要ありません。
 昔は経文を後世に伝えるため、書写を行いました。
 然し、現在はコピーも印刷技術もあります。
 書写をする意味はありません。

 『肉をほしがらざる時身を捨つ可きや』
 (佐渡御書)

 御書に明確です。
 御本尊の事で、人を騙し、信徒を欺き続けて来たのが宗
門です。
 嘘を嘘で固め、更に嘘をうわ塗りし、信徒を欺き続け自
分達の生活の手段と化して来たのが、日寛宗。

 この事実を世間に知らしめねばなりません。

2021/7/2  7:38

投稿者:沖浦克治
 計算間違いです。

 国内だけで6万年。
 世界だと48万年!!!!

 絶望だ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!

2021/7/2  7:35

投稿者:沖浦克治
佐渡の雪山童子さん、おはようございます。

 日寛宗が如何に本尊に無智であるかが、ドンドン明らか
になって来ています。
 日寛宗は御形木本尊は仮の本尊で、信心が本物と認めら
れると、常住本尊と言う本物が授与されるとしておりま
す。
 これは極めて愚かな話です。
 何故なら、常住本尊は法主の直筆の書写で授与される人
の実名が入ります。

★与 沖浦克治
 
 こういう具合ですね。
 宗門にして見ても、当然信徒全員が本物の信徒になって
欲しい訳です。
 すると、広宣流布は不可能です。
 単純な計算で分かります。

 一帯書写に3時間かかるとする。
 4帯書写すると12時間。
 半日かかります。
 当然法主ですから多忙なわけで、月に4日書写専用の日
が取れれば良い方でしょう。
 日本だけで1億人いるのですから、3千万にン程宗門に
入れ、その半分を本物にすると、1500万帯の書写をせ
ねばなりません。
 法主しか出来ませんので、需要がどれほど膨らんでも一
人の作業。
 月に16帯で、年で256帯。 
 60年程かかります。
 大聖人の御遺命は一閻浮提広布ですから、この80倍は
必要です。
 4800年!!!!!

 ダメだこりゃ〜〜〜〜〜〜!!!!!
 

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