2021/10/4

キュウエン  
前回のコメント欄ではなかなか興味深い議論が展開されている。今日は顕正新聞第1552号を読むが、たまたま一面にくだんの議論に通じる記述があったので、紹介しておこう。

正師にめぐり値い・・・

この場合の正師は浅井先生のことなので、もはや顕正会も僧侶不要論に傾いていることは否定できないだろう。

「原点の月・八月」特集号

さて、当該号は七月二十七日に行なわれた総幹部会を中心に組まれている。まず、一面掲載の写真を見て、今まで気がつかなかったことがある。畳の上に黒い敷物のようなものがあって、幹部たちはそこに正座しているようなのだ。これは何なのだろうか?

誓願の一万三千を大きく突破する・・・

わたくしが忘失しているだけなのか、この数字はまったく記憶にない。ただ、誓願を低く抑えた、というようなフレーズは何回か目にしている。今回の折伏では二万人近くが入信したそうであるが、目標を低くしておいて大突破などと喜んでいるのもどうかと思う。

さて、会長講演を読んでみよう。

コロナの感染急拡大の中・・・

当該講演におけるコロナへの言及は、唯一、この部分だけである。言っていることは間違っていない。しかし、わたくしの感想としては、またしても外してしまった、しょせんは先生も凡夫だから仕方がないのだろう、というものである。

七月下旬のこのタイミングでコロナについてもっと詳しく論じていれば、まさに第五波と符合して、いわゆる先生のご見識をアピールすることができただろうと思う。

 まず顕正会の発足について、もう知らない人が多いでしょうから、きょう簡略にこれを説明しておきます。

イミシンである。イヤミながらも顕正会は会員の流動が激しいので、今いる新しい人たちはこの話を知らないだろうと言っているようにも聞こえる。

煩瑣ながらも一面の記述に戻りたい。

新たなる発足を決意・・・

会長講演では次の部分が相当すると思われる。

新たな出発をした・・・

発足と出発の違いを云々したいのではない。わたくしが注目したのは、「新たなる」もしくは「新たな」である。普通、発足ないし出発は新しいことを始める意味なので、わざわざ「新たなる」などと冠する必要がないのだ。まさに重複表現の駄文と言わざるを得ない。

しかし、これには理由があって、おそらくは妙信講再建という歴史的事実を考慮した上での表現なのだろう。

ようするに過去に東京妙信講と呼ばれる法華講組織が存在したのである。先生の父親が立ち上げた。それが他の講組織と統合され法道院法華講となった。旧妙信講はいわば発展的解消である。先生の父親は法道院法華講の講頭となった。先生も青年部長だった。

この辺は記憶のままに書いているので、正確には『迷走する顕正会を斬る』などを参照されるといいだろう。

ともかく、「新たな出発」は再出発に近いニュアンスと言えるわけで、浅井先生がなぜにこうした微妙な表現に気を配っているのか、そこが気になるところである。もしツッコミを気にしてのことだとすると、ご苦労なことだなあと思う。前掲、もう知らない人が多いから云々について、先にはイヤミを書いたわけだが、浅井先生のネライはウソにならないように留意しながら歴史を修正することなのかもしれない。さすがに考え過ぎだろうか?

それにしても、いつも思うことがある。浅井先生は法道院時代のことをこれまでにも何度も発言してきた。ところが一度たりとも住職の名前を出したことがない。この点が不思議なのである。なぜに隠す必要があるのだろうか?

三千達成と同時に、宗門の状況は一変していた・・・

こういうのは情緒的表現として許容すべきなのだろう。同時は言い過ぎじゃないかとか、そういうツッコミは控えるべきと思う。

 細井日達管長は、登座する以前の庶務部長時代から学会にへつらっていた人・・・

何か明確な根拠があるのだろうか?

しかし、ご存知のごとく、日達上人は御晩年になって本気で創価学会と戦ったのである。顕正会では醜い仲間割れみたいな言い方で片付けているが、本当ならば日達上人の御味方を申し上げるべきだった。いや、現実には困難な状況だった。妙信講は抹殺されたも同然であり、いわば蚊帳の外だった。それはわかっているし、今さらどうにもならないことではあるが、さりとて日達上人を悪し様に言う今日の顕正会のあり方にはまったく賛成できない。

 「三日後の四月六日に御虫払法要がある。そのとき、私がそのことについて触れます」

わたくしにとっての懸案である。御遺命守護の歴史については多くの書籍がある。ところが過去の書籍には上掲の記述がない。そこにはどのような意味があるのだろうか?

全権委任の不思議

ここも過去の書籍ではどうなっているのか気になる。

・・・伏し拝ませて頂こうではありませんか。

最後のくだりである。アゲアシ取りになるのかどうか微妙だが、あえて言っておかねばならないだろう。ここでは文章の前半を省略した。読者がどのように想像するのか知りたいと思う。いったい何を伏し拝むと言っているのか、もしよろしければコメント欄に書いてほしい。

答えは次のごとくである。

 そして、大聖人様の絶大威徳によって遠からず必ず成る「国立戒壇」を、全員で、熱涙の中に、伏し拝ませて・・・

狂っているように感じるのはわたくしだけだろうか?

2021/10/9  18:54

投稿者:晃
法華経に御本尊が文底秘沈されている
ここまでは沖浦さんも同意していただけると思います
だから広義で言えば法華経が立正の正であるとも言える
しかしそれは広く世間に向けた広報みたいなもので
奥義では御本尊こそが大事といえば分かるでしょうか

たとえるなら創価学会はよくラジオCMをやりますが
世間に向けては「南無妙法蓮華經を唱えましょう」
とはいきなりは言わない…ただ創価学会のイメージアップで
せいぜい「創価学会」の団体名を出すくらいです

同じように妙法蓮華經とは御本尊を秘沈しており
大事にしているからこそ それを隠す 
よほど信心のある者にしか見せないし知らせない秘仏なんですね
だから幕府向けでは、まずは大前提の法華経に帰依しましょう
という意味での立正だったのでしょう わたしはそう考えている 


https://hokkevxage.net

2021/10/9  18:26

投稿者:晃
立正の正は御本尊ですが
その実義が現れるのは佐渡後になります
ありもしないものとは沖浦さんのいう通りたしかにそのとおり
なぜならば仏滅度後二千二百三十余年之間
一閻浮提之内、"未曾有"之大漫荼羅也と宗祖が
常に言われていた通りですから
いまだかつて有らず(未だ曾て有らず)ですね

立正安国論提出時は、宗祖はまず破邪顕正の破邪に重きを
置いていたのだと思います 本論の構成も
そのほとんどが破邪についてであることからも
当時、いかに邪教が蔓延していたか
まずこれを一掃してからでないと立正できるものも出来ない
という順序があったのでしょう 成仏の道について示すというよりは
堕地獄の因を止めることに重きを置いている

https://hokkevxage.net

2021/10/9  16:46

投稿者:沖浦克治
晃さん、

 それにしても回答に時間が掛かりますし、意味に統一性
がありません。

 貴方の論で行くと、立正の正は、御本尊になりますが、
それには大きな矛盾があります。
 法華経として拝するならそういう矛盾はありませんが、
御本尊と捉えるなら、その時点でありもしないものを幕府
に立てろと要求する事になります。
 貴方の矛盾を解決するには、御本尊即法華経との思想の
導入が必要になりますが、日蓮仏法にはその思想はありま
せん。
 あくまでもご本尊は道具です。

 日寛にはその思想が強くありますが、貴方が日蓮仏法で
ない日寛教学を信奉するなら日寛門流となって、日蓮門下
ではありません。

 この点如何ですか?

2021/10/9  10:15

投稿者:晃
立正安国論はいまだ御本尊の観念がないので
三沢抄の通りなら爾前の経
御本尊は仏宝であり仏像であるからこそ御本尊になりうる
わたしの考えはこうです すでに述べた通り

https://hokkevxage.net

2021/10/9  6:46

投稿者:沖浦克治
 晃さん、おはようございます。

 日蓮正宗の方々の常として、答えられない質問を無視
し、異なる話題にすり替えて逃げる事があげられます。

 貴方もその性格を強く帯びていますね。
 立正安国論は貴方のご主張では釈迦の爾前経になります
が、これを肯定するのか否定するのか?
 返答をお願いします。
 更に、御本尊は仏ではなく、仏を象ったものです。
 観心本尊抄にありますが、日寛はこれを否定していま
す。
 貴方は大聖人と日寛、何方の門下ですか?
 明確にお答えください。

2021/10/9  0:31

投稿者:晃
良医狂子の喩えは
実際は死んでないのに死んだと嘘をついた
というオハナシ

いや、釈迦牟尼仏は死んだじゃねーか!
日蓮も死んだじゃねーか!嘘じゃなく事実で!
という人は何も分かってない

釈迦牟尼仏は経文として、日蓮大聖人は御本尊や御書として
後々までほぼ永遠に人類の記憶に残った…

人が本当に死ぬのはいつか?それは人に忘れられた時なんだ
と誰かが言ってたけども、まさしくそうだと思いました

人々の記憶に残り続ける、不老不死の境地ってこういう事ですよね??
かといって経文や御本尊や御書は生きてる訳ではない…

まさに生死を越えた不生不滅の涅槃の境地ではないかと…

https://hokkevxage.net

2021/10/9  0:02

投稿者:晃
所謂寿量品に云く
「是の好き良薬を今留めて此に在く
汝取て服す可し差じと憂うる勿れ」

特に寿量品の良医狂子の喩えは
あまりに有名なので
沖浦さんには釈迦に説法だとは思いますが
改めてよくよく考えるに
日蓮大聖人が御本尊を御図顕してから
わずか数年の六十一歳で亡くなるというのは
この寿量品の良医の方便を踏襲しているのだと
感慨深いものがあります

日蓮仏法において御本尊とは
良医である大聖人が残した良薬なのですから
これさえ信じれば大丈夫、と言い残して
子供たちである我々に飲ます為に
すぐにあの世に旅立つ…まさかこの良薬の御本尊を
無視して日蓮仏法を語る人は、居ないと信じたい

https://hokkevxage.net

2021/10/8  23:27

投稿者:晃
沖浦さんは、なぜ法華経がそこまで大事か分かりますか?

宗祖は、三大秘法禀承事に次のように答えている

夫れ法華経の第七神力品に云く
「要を以て之を言ば如来の一切の所有の法
如来の一切の自在の神力
如来の一切の秘要の蔵
如来の一切の甚深の事
皆此経に於て宣示顕説す」等云云
釈に云く「経中の要説の要四事に在り」等云云

問う所説の要言の法とは何物ぞや

答て云く夫れ釈尊初成道より四味三教乃至
法華経の広開三顕一の席を立ちて
略開近顕遠を説かせ給いし涌出品まで
秘せさせ給いし実相証得の当初修行し給いし処の
寿量品の本尊と戒壇と題目の五字なり

この御書の通りなら、法華経が尊い理由は
そこに三大秘法があるから、と言います

いわゆる文底秘沈ですね 

仏像は本尊として大事です
仏法僧の三宝のうちの一つですから


https://hokkevxage.net

2021/10/8  19:31

投稿者:沖浦克治
 晃さん、

 御本尊は法華経ではありません。 
 法華経とは私共一切衆生の命の事です。
 御本尊はそれを覚らせるために大聖人が発明された道具
です。
 法華経そのものではありません。
 法本尊開顕の書である観心本尊抄に、御本尊は仏像だと
明確に書いてあります。

 仏像とは、仏を象ったものです、銅像と同じです。
 西郷さんの銅像は西郷さん本人ではありません。
 
 『是くの如き本尊は在世五十余年に之れ無し八年の間に
も但八品に限る、正像二千年の間は小乗の釈尊は迦葉阿難
を脇士と為し権大乗並に涅槃法華経の迹門等の釈尊は文殊
普賢等を以て脇士と為す此等の仏をば正像に造り画けども
未だ寿量の仏有さず、末法に来入して始めて此の仏像出現
せしむ可きか。』
 (如来滅後五五百歳始観心本尊抄)

 仏像と明確に書かれてあります。
 貴方は大聖人が行ったのだから仕方ないと書かれた。
 ですから、今後ご本尊法華経当体論をお捨てなさい。
 それが筋というものです。

 真面目なご質問がおありならどうぞ。

2021/10/8  18:51

投稿者:沖浦克治
 晃さん、

 可笑しな事を言われますね。

 立正の正が御本尊????
 貴方日蓮仏法から逸脱してしまっていますよ。
 正とは法華経の事です。
 末法の法華経はご本尊ではありません。

 南無妙法蓮華経の事です。
 その実態は私共一切衆生の命です。
 
 これすら理解しないで、日蓮仏法語りますか?
 日寛の邪義に染まった姿ですね。
 以下彼の邪義です。

★弘安二年の本門戒壇の御本尊は、究竟の中の究竟、本懐
ほんかいの中の本懐なり。既すでに是れ三大秘法の随一な
り、況いわんや一閻いちえん浮提ぶだい総体そうたいの本
尊なる故なり。

 この人本当の習い損ないです。
 御書法華経をどう拝したらこんな出鱈目出て来ますか
ね??

 ダメですよこの人。

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